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坂本龍一の『THREE』—ブラームスのように
浅田 彰

2012.10.17
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坂本龍一の多種多様な録音の中でも、アントニオ・カルロス・ジョビンの共演者だったジャケス&パウラ・モレレンバウムとともにジョビンの家(カーザ)で録音された『CASA』(2001)は、肩の力を抜いて官能的なリオの微風に身を委ねたところが魅力的な一枚だ。さらに遡れば、そのジャケス・モレレンバウムのチェロにエヴァートン・ネルソンのヴァイオリンを加えたピアノ・トリオも、ラテン音楽に限らぬ広いレパートリーで世界中の聴衆を魅了してきており、録音として『1996』(1996)があるけれど、とりわけライヴではほとんどしどけないまでに美しい演奏に酔わされたものだ。

その坂本龍一が、ヴァイオリンをジュディ・カンに替えた新トリオによる『THREE』を発表した。曲目を一瞥したところ、その音楽は旧トリオの延長上にあるかに見える。たとえば、ロマンティシズムに溢れる名曲「美貌の青空」やエモーショナルな陰影を湛える「タンゴ」。だが、演奏の性格はずいぶん違う。安易な「ノリ」を排して遅めのテンポが厳密に維持され、ヴィブラートを控えた弦、そしてダンパー・ペダルを控えたピアノの音——何も足さず何も引かない掛け値なしの3——が、支えるもののない宙空で端正な音楽を織り上げていく(引き延ばされたハーモニーの海をサーフしつつ「ノリ」に任せてメロディを歌い上げるのに比べ、これは地味に見えて実はアクロバティックな空中ブランコにも等しい至難の業だ)。たとえば「美貌の青空」の後半、調性をはみだす音たちがピアノの周囲に精密なアラベスク模様を描き、あるいは簡潔きわまる弦の反復の上にピアノが選び抜かれ磨き抜かれた音たちをちりばめていくところ、さらには「タンゴ」の後半、密やかな弦のピチカートとフラジオレットだけを支えにほぼ単音のピアノが装飾音まで含めた一音一音を粒立ちのいい真珠のように連ねていくところでも、普通なら空中分解しておかしくない音楽が、一分の妥協もない演奏によって、細い銀線を編んだかのように繊細な、しかし確かなフォルムを宙空に描き出していくのだ(そもそも、冒頭の「ハッピー・エンド」の中間部からしてそういう極端な洗練は聴く者を驚かすだろう。あるいは、次の「ラスト・エンペラー」の、元の映画音楽に使われていた二胡のようなポルタメントを抑制した清潔な弦、そして、思い切りよく弾き去られるのではなく、宝石細工のように最後の一音まで完璧に造形されるピアノのアルペジオ…。そう、これは全篇静かな驚異に満ちたアルバムなのだ)。そこにはもはやしどけないまでのロマンティックな陶酔はなく、十分クラシックと言っていい完成度がある。ブラームスの仮面をかぶったジョビンの仮面をかぶったサカモト? あえて言えば、この音楽は酔いに火照った体を夏の夜風で冷ましながら心地よい陶酔に身を委ねたい向きには薦められない(一般に、導入としては『1996』のほうがわかりやすい)。それはむしろ、聴く者を冷気によって覚醒させ、純粋な音楽の美によって静かに圧倒するのだ。「戦場のメリー・クリスマス」をはじめとするおなじみの名曲を集めたこのディスクがいたずらに難解な音楽だと言うのではない。それは、聴く者の意識を自然に集中させ、静謐な、しかしどこまでも深いエクスタシーへと導く。

こういう音楽だから、音のひとつひとつの輪郭をどこまでもクリアにとらえる驚異的な精度の録音が大きく貢献していることは、とくに強調しておくべきだろう。とはいえ、このメンバーで年末に予定されている日韓ツアーでこのライヴ版を聴くのが、いまから楽しみでならない。それは、必ずしも肩の力を抜いて楽しめるかどうかわからない、しかし確実にきわめてスリリングな音楽体験となるだろう。