エル・グレコから宮永愛子まで
浅田 彰
2012.10.15
ルネサンスの同心円的秩序が1527年のローマ掠略(中心の喪失)をきっかけに不安定化してマニエリスムに変化するが、1600年頃のカラヴァッジョの革命により光と闇が劇的に対立しながら動的安定を生み出すバロックの世界がそれに取って代わる…。そういう美術史の図式からすると、1541年(ミケランジェロの「最後の審判」が完成した年)に生まれ1614年に死んだドメニコス・テオトコプーロス、通称エル・グレコは、マニエリスムからバロックへの転回を生きた画家ということになるだろう。
だが、クレタ島に生まれてイコン画家となり、ヴェネツィアに渡って、ルネサンスからマニエリスムに至るイタリア絵画、とくにティツィアーノやティントレットの独特の油彩表現に学び、スペインに渡って対抗宗教改革の波の中で異様にドラマティックな宗教画を描いたエル・グレコは、「ギリシア人」というその通称が示唆するように、そんな美術史の枠をはみ出す――いわば美術史を斜めに横断した例外と言った方がよい。
霊的な嵐の中で異様に引き延ばされてはためいているかのような身体(それはすでにベンヤミンが『ドイツ哀悼劇の根源』で描くバロック期の身体像を理解する最良の範例だ)、絵の具の流動によってそれを描き出す一見乱暴なタッチ…。3世紀以上の時を超えて表現主義と直結するかにさえ見えるその作品は、実際、近現代になってはじめて再発見・再評価されたのだった。
日本でこの画家の名が知られるようになったのは、大原美術館の「受胎告知」が1923年に公開されてからのことだろう。だが、どちらかといえば淡泊な味を好むとされる日本人の口に合いそうなのはせいぜいティツィアーノくらいまで、ティントレットとなるとすでに違和感を覚える向きが多いだろうから、それよりさらに過激なエル・グレコが日本でどれくらいまともに受容されてきたと言えるのか、疑問なしとしない。私自身、エル・グレコの絵が好きだと言えば嘘になるだろう。それでも、私は彼の絵に惹きつけられ、愛好家がするように、画家が長い年月を過ごして多くの作品を残したトレドの町を訪れもしたのだが、いまだにその謎が解けたような気はしない、まただからこそ彼の絵はいつまでも私をとらえてやまないのだ。
そのエル・グレコの展覧会が大阪国際美術館で開かれている(10月16日-12月24日:1月19日から東京の新国立美術館に巡回予定)。スペインのみならず世界各地から作品を集めたこの展覧会は世界的水準で見てもきわめて充実したものと言ってよく、個人的にもトレド訪問につぐ重要なエル・グレコ体験となった(というか、これだけの作品をあわせて見ることはトレドに行っても不可能である)。いや、そんなことを考える余裕もなく、観客は地下の会場に渦巻く異様な色彩の嵐に巻き込まれ、出口までたどりついたときはほとんど酩酊状態に陥っているだろう。
あまりにも有名な自画像(カタログ・ナンバー1)で始まる展覧会には、「聖母を描く聖ルカ」のイコン(2)――画家の頭部から胴体にかけて欠損し、絵筆を持って聖母子像に触れる手だけが残っているのは、偶然としても意味深長だ――も含まれている。かと思うと、「燃え木で蝋燭を灯す少年」(4)はすでにカラヴァッジョ派の作品と見紛うばかりだ(実際はカラヴァッジョはエル・グレコの30歳年下である)。
蒼白というよりほとんど青い顔をした「福音書記者聖ヨハネ」(14)のような神秘的な肖像もあるが、演劇的効果によって一般信徒の心をつかもうとする対抗宗教改革のポリシーに従ってキリストや聖母や聖人たちの顔はしばしばマンガのようにわかりやすいものとなる。しかし、彼らを包んで渦巻く大気がそのまま発光するかに見える、いや、「聖ヨハネ」の例のように身体や衣服もエクトプラズマのような発光性の流体でできているかに見える、この異様な光景はいったい何としたことだろう。とくに、「聖ラウレンティウスの前に現れる聖母」(19)や「悔悛するマグダラのマリア」(20)の並ぶ一画は、展示室自体がただならぬ光に満たされているかのようだ。エル・グレコはこうした画面で見えないものを描き出していると言われるが、霊的なヴィジョン(幻視)をヴィジョナリー(幻視的)というよりむしろ端的にヴィジュアル(視覚的)な像としてとらえ、それをフィジカル(物理的・身体的)な手ごたえをもつ色彩の渦として描き出す、そこにこの画家の特質があると言えるのではないか。
たとえば、「受胎告知」では、大天使ガブリエルが神の言葉をマリアに伝える(ルネサンス期にもまだ言葉を文字で描き入れた例が多く見られる)というより、ガブリエルとマリアの間の湾曲した空間を異様な輝きを帯びた高圧の気体がマリアの腹部に向かって物理的に押し寄せる。そのフィジカルな表現は、現在のSFXやアニメーションでおなじみの爆発による衝撃波の表現を思わせるくらいだ。ここでは、イタリア・ルネサンス絵画のような明確な構図をもつ「受胎告知」(29)と、スペインに渡ったあと縦長の画面の中に人物がひしめく独特の様式を確立した「受胎告知」(30)が並置され、その間の変化が強調されているが、それを踏まえた上で、イタリア的とされる作品がすでに不可視の霊的事件ではなく目に見えるフィジカルな接触を描いており、その点でスペイン時代の作品にまっすぐつながっていくと見ることもできるだろう。そういう意味で、おそらくエル・グレコは見えるものしか描かないと言ったカラヴァッジョと背中合わせとも言うべき存在なのだ。
ゲッティ美術館の「十字架のキリスト」(43)をはじめとするスペイン時代の典型的な作品群については、これ以上贅言を連ねるのを控えよう。ただ、卑俗と崇高がひとつになったそれらの画面が見る者を当惑させると同時に感動させるというナイーヴな感想を書きつけおく。どうやらエル・グレコをめぐる考察はまた出発点に戻ってしまったようだ。しかし、だからこそ、私はこの展覧会を何度も訪れ、不可解な光の渦に身を委ねるだろうと思う。
さて、地下深くの会場を満たすエル・グレコの色彩の渦に酔ってひとつ上のフロアに上がってきた観客は、そこにまったく対極的なほとんど色のない世界を見出すことになる。木や鉄を主体とする「もの派」の作品群、そして、揮発していく白いナフタリンを主な素材とする宮永愛子の作品群だ。広い空間の中に木や鉄をたんなる木や鉄として配置した高松次郎や吉田克朗らの作品。他方、「空中空(なかそら)」と題する宮永愛子展(10月13日-12月24日)では、白いナフタリンでかたどられた日常のオブジェが儚く消滅していく…。
急いで言っておかねばならないが、この対比は第一次近似としてもあまりに単純化されすぎている。「もの派」は、ミスリーディングなその呼称にもかかわらず、「もの」の客観的存在ではなく、「もの」が主観に対して立ち現れるという「こと」こそを主題としていた。他方、淡雪のように儚く消えていくところがいかにも「日本的」であり「女性的」であると言われる宮永愛子の作品は、確かにそういう繊細な美しさをもつ半面、他方では、ものが消滅していくのではなく、形を変えて存在し続ける、その過程を厳密に観察しようとするものでもある。朝吹真理子との対談(Real Kyoto)でも作者自身によって明確に語られている通りだ。実際、展覧会に入ってすぐのところに置かれた、15mを超えるかという細長い透明なケースには、奥に行くにつれ、ナフタリンの結晶が霜のように析出している。最初につくられたオブジェから順々に消滅していく――のではなく、ケースに貼りついた結晶に形を変えて存在し続けていくのだ。事物は消滅することなく、ただ変化し続ける――そのようなヴィジョンのきわめて明確な表現と言えよう(そこでの強調点は、エントロピーの不可逆的増大よりも、「空中空」という回文の展覧会タイトル[厳密には横書きだと二つ目の「空」の字は左右反転していないといけない]が示唆する可逆性と質量の保存にある)。
その次に進むと、今度は天井と床を垂直に結ぶ透明パイプの中に糸でつくられたはしごが吊られており、そこにもまたナフタリンの結晶が少しずつまとわりついていく。生成変化する物質=エネルギーの循環が世界を網の目のように貫いていることのメタファーと言えようか。
さらにその次に置かれているのは、椅子をまるごとナフタリンでかたどってアクリルの中に封じ込めた大作で、少しずつアクリルを固めていった過程が積層として読み取れる(途中で混入した泡もあえてそのまま残してある)ところも面白い。ここでもまた、テーマは「もの」ではなく「こと」――生成変化の過程なのだ。椅子の脚の下にある小さなシールに注目すれば、その点がいっそうはっきり見て取れる。小さな空気穴を封じたそのシールを剥がすとき、作品は呼吸を始め、椅子型のナフタリンは長い時間をかけて揮発していくだろう――消滅ではなく別の形での存在に向かって。「waiting for awakening」と題するこの作品は、まさにそのような覚醒(消滅の開始ではなく)の時をじっと待っているのだ。
その次の展示室は、邪魔な柱が気にならないよう、あえて柱やはしごの林立する森のように構成され、そこここに蝶をナフタリンでかたどったオブジェがはめこまれているのだが、空間構成への強い意志は買うものの、いささか煩雑な印象も禁じ得ない。しかし、おかげで、この蝶の森を抜けたところにある吹き抜けの空間がいっそう広やかに感じられる。そこには、無数の金木犀の葉から葉脈だけを残したものをつなぎあわせた織物が、光を透かして静かに輝いているのだ。東北大震災の年にこつこつとつくられたこの織物は、その年のミズマアートギャラリーでの展覧会で見る者の目を奪ったのだが、いまや2倍にも3倍にも及ぶスケールに成長して観客を圧倒する――といっても、量感によって息詰まる印象を与えるのではなく、風通しのいい透明感によって自由な呼吸を促すのだ。
宮永愛子には、「あいちトリエンナーレ2010」で多くの観客を魅了した「結(ゆい)」ように、糸や綱を水に浸して塩を析出させる作品もあり、大阪でもかつてアートコートギャラリーで展示された「境 大川 2008」はギャラリ―の前を流れる川の汽水域に浸した糸を空間いっぱいに張り渡したダイナミズムが印象的だった。対して、今回はあくまで金木犀の織物を主役とし、やはり美術館の近くの堂島川の水20リットルに浸した糸が脇にさりげなく添えられている。余白を大きくとることで、観客がゆっくりと呼吸できるようにする、見事な展示である。
言うまでもなく、エル・グレコ展と宮永愛子展はどちらもそれだけで美術館を訪れる価値のある展覧会であり、常設展の「もの派」特集も併せそれぞれ別々に体験されるべきものだ。しかし、鮮やかな色彩の渦巻くエル・グレコ展の眩暈と酩酊のあと、「もの派」の展示で端的な現実に引き戻され、宮永愛子の白い世界でチル・アウトするというのも、美術館体験として悪くないのではないか。観客はそこで、これ以上ないというほど対極的な、しかしそれぞれ不可思議な魅力に満ちた美の世界と遭遇することになるだろう。
だが、クレタ島に生まれてイコン画家となり、ヴェネツィアに渡って、ルネサンスからマニエリスムに至るイタリア絵画、とくにティツィアーノやティントレットの独特の油彩表現に学び、スペインに渡って対抗宗教改革の波の中で異様にドラマティックな宗教画を描いたエル・グレコは、「ギリシア人」というその通称が示唆するように、そんな美術史の枠をはみ出す――いわば美術史を斜めに横断した例外と言った方がよい。
霊的な嵐の中で異様に引き延ばされてはためいているかのような身体(それはすでにベンヤミンが『ドイツ哀悼劇の根源』で描くバロック期の身体像を理解する最良の範例だ)、絵の具の流動によってそれを描き出す一見乱暴なタッチ…。3世紀以上の時を超えて表現主義と直結するかにさえ見えるその作品は、実際、近現代になってはじめて再発見・再評価されたのだった。
日本でこの画家の名が知られるようになったのは、大原美術館の「受胎告知」が1923年に公開されてからのことだろう。だが、どちらかといえば淡泊な味を好むとされる日本人の口に合いそうなのはせいぜいティツィアーノくらいまで、ティントレットとなるとすでに違和感を覚える向きが多いだろうから、それよりさらに過激なエル・グレコが日本でどれくらいまともに受容されてきたと言えるのか、疑問なしとしない。私自身、エル・グレコの絵が好きだと言えば嘘になるだろう。それでも、私は彼の絵に惹きつけられ、愛好家がするように、画家が長い年月を過ごして多くの作品を残したトレドの町を訪れもしたのだが、いまだにその謎が解けたような気はしない、まただからこそ彼の絵はいつまでも私をとらえてやまないのだ。
そのエル・グレコの展覧会が大阪国際美術館で開かれている(10月16日-12月24日:1月19日から東京の新国立美術館に巡回予定)。スペインのみならず世界各地から作品を集めたこの展覧会は世界的水準で見てもきわめて充実したものと言ってよく、個人的にもトレド訪問につぐ重要なエル・グレコ体験となった(というか、これだけの作品をあわせて見ることはトレドに行っても不可能である)。いや、そんなことを考える余裕もなく、観客は地下の会場に渦巻く異様な色彩の嵐に巻き込まれ、出口までたどりついたときはほとんど酩酊状態に陥っているだろう。
あまりにも有名な自画像(カタログ・ナンバー1)で始まる展覧会には、「聖母を描く聖ルカ」のイコン(2)――画家の頭部から胴体にかけて欠損し、絵筆を持って聖母子像に触れる手だけが残っているのは、偶然としても意味深長だ――も含まれている。かと思うと、「燃え木で蝋燭を灯す少年」(4)はすでにカラヴァッジョ派の作品と見紛うばかりだ(実際はカラヴァッジョはエル・グレコの30歳年下である)。
蒼白というよりほとんど青い顔をした「福音書記者聖ヨハネ」(14)のような神秘的な肖像もあるが、演劇的効果によって一般信徒の心をつかもうとする対抗宗教改革のポリシーに従ってキリストや聖母や聖人たちの顔はしばしばマンガのようにわかりやすいものとなる。しかし、彼らを包んで渦巻く大気がそのまま発光するかに見える、いや、「聖ヨハネ」の例のように身体や衣服もエクトプラズマのような発光性の流体でできているかに見える、この異様な光景はいったい何としたことだろう。とくに、「聖ラウレンティウスの前に現れる聖母」(19)や「悔悛するマグダラのマリア」(20)の並ぶ一画は、展示室自体がただならぬ光に満たされているかのようだ。エル・グレコはこうした画面で見えないものを描き出していると言われるが、霊的なヴィジョン(幻視)をヴィジョナリー(幻視的)というよりむしろ端的にヴィジュアル(視覚的)な像としてとらえ、それをフィジカル(物理的・身体的)な手ごたえをもつ色彩の渦として描き出す、そこにこの画家の特質があると言えるのではないか。
たとえば、「受胎告知」では、大天使ガブリエルが神の言葉をマリアに伝える(ルネサンス期にもまだ言葉を文字で描き入れた例が多く見られる)というより、ガブリエルとマリアの間の湾曲した空間を異様な輝きを帯びた高圧の気体がマリアの腹部に向かって物理的に押し寄せる。そのフィジカルな表現は、現在のSFXやアニメーションでおなじみの爆発による衝撃波の表現を思わせるくらいだ。ここでは、イタリア・ルネサンス絵画のような明確な構図をもつ「受胎告知」(29)と、スペインに渡ったあと縦長の画面の中に人物がひしめく独特の様式を確立した「受胎告知」(30)が並置され、その間の変化が強調されているが、それを踏まえた上で、イタリア的とされる作品がすでに不可視の霊的事件ではなく目に見えるフィジカルな接触を描いており、その点でスペイン時代の作品にまっすぐつながっていくと見ることもできるだろう。そういう意味で、おそらくエル・グレコは見えるものしか描かないと言ったカラヴァッジョと背中合わせとも言うべき存在なのだ。
ゲッティ美術館の「十字架のキリスト」(43)をはじめとするスペイン時代の典型的な作品群については、これ以上贅言を連ねるのを控えよう。ただ、卑俗と崇高がひとつになったそれらの画面が見る者を当惑させると同時に感動させるというナイーヴな感想を書きつけおく。どうやらエル・グレコをめぐる考察はまた出発点に戻ってしまったようだ。しかし、だからこそ、私はこの展覧会を何度も訪れ、不可解な光の渦に身を委ねるだろうと思う。
さて、地下深くの会場を満たすエル・グレコの色彩の渦に酔ってひとつ上のフロアに上がってきた観客は、そこにまったく対極的なほとんど色のない世界を見出すことになる。木や鉄を主体とする「もの派」の作品群、そして、揮発していく白いナフタリンを主な素材とする宮永愛子の作品群だ。広い空間の中に木や鉄をたんなる木や鉄として配置した高松次郎や吉田克朗らの作品。他方、「空中空(なかそら)」と題する宮永愛子展(10月13日-12月24日)では、白いナフタリンでかたどられた日常のオブジェが儚く消滅していく…。
急いで言っておかねばならないが、この対比は第一次近似としてもあまりに単純化されすぎている。「もの派」は、ミスリーディングなその呼称にもかかわらず、「もの」の客観的存在ではなく、「もの」が主観に対して立ち現れるという「こと」こそを主題としていた。他方、淡雪のように儚く消えていくところがいかにも「日本的」であり「女性的」であると言われる宮永愛子の作品は、確かにそういう繊細な美しさをもつ半面、他方では、ものが消滅していくのではなく、形を変えて存在し続ける、その過程を厳密に観察しようとするものでもある。朝吹真理子との対談(Real Kyoto)でも作者自身によって明確に語られている通りだ。実際、展覧会に入ってすぐのところに置かれた、15mを超えるかという細長い透明なケースには、奥に行くにつれ、ナフタリンの結晶が霜のように析出している。最初につくられたオブジェから順々に消滅していく――のではなく、ケースに貼りついた結晶に形を変えて存在し続けていくのだ。事物は消滅することなく、ただ変化し続ける――そのようなヴィジョンのきわめて明確な表現と言えよう(そこでの強調点は、エントロピーの不可逆的増大よりも、「空中空」という回文の展覧会タイトル[厳密には横書きだと二つ目の「空」の字は左右反転していないといけない]が示唆する可逆性と質量の保存にある)。
その次に進むと、今度は天井と床を垂直に結ぶ透明パイプの中に糸でつくられたはしごが吊られており、そこにもまたナフタリンの結晶が少しずつまとわりついていく。生成変化する物質=エネルギーの循環が世界を網の目のように貫いていることのメタファーと言えようか。
さらにその次に置かれているのは、椅子をまるごとナフタリンでかたどってアクリルの中に封じ込めた大作で、少しずつアクリルを固めていった過程が積層として読み取れる(途中で混入した泡もあえてそのまま残してある)ところも面白い。ここでもまた、テーマは「もの」ではなく「こと」――生成変化の過程なのだ。椅子の脚の下にある小さなシールに注目すれば、その点がいっそうはっきり見て取れる。小さな空気穴を封じたそのシールを剥がすとき、作品は呼吸を始め、椅子型のナフタリンは長い時間をかけて揮発していくだろう――消滅ではなく別の形での存在に向かって。「waiting for awakening」と題するこの作品は、まさにそのような覚醒(消滅の開始ではなく)の時をじっと待っているのだ。
その次の展示室は、邪魔な柱が気にならないよう、あえて柱やはしごの林立する森のように構成され、そこここに蝶をナフタリンでかたどったオブジェがはめこまれているのだが、空間構成への強い意志は買うものの、いささか煩雑な印象も禁じ得ない。しかし、おかげで、この蝶の森を抜けたところにある吹き抜けの空間がいっそう広やかに感じられる。そこには、無数の金木犀の葉から葉脈だけを残したものをつなぎあわせた織物が、光を透かして静かに輝いているのだ。東北大震災の年にこつこつとつくられたこの織物は、その年のミズマアートギャラリーでの展覧会で見る者の目を奪ったのだが、いまや2倍にも3倍にも及ぶスケールに成長して観客を圧倒する――といっても、量感によって息詰まる印象を与えるのではなく、風通しのいい透明感によって自由な呼吸を促すのだ。
宮永愛子には、「あいちトリエンナーレ2010」で多くの観客を魅了した「結(ゆい)」ように、糸や綱を水に浸して塩を析出させる作品もあり、大阪でもかつてアートコートギャラリーで展示された「境 大川 2008」はギャラリ―の前を流れる川の汽水域に浸した糸を空間いっぱいに張り渡したダイナミズムが印象的だった。対して、今回はあくまで金木犀の織物を主役とし、やはり美術館の近くの堂島川の水20リットルに浸した糸が脇にさりげなく添えられている。余白を大きくとることで、観客がゆっくりと呼吸できるようにする、見事な展示である。
言うまでもなく、エル・グレコ展と宮永愛子展はどちらもそれだけで美術館を訪れる価値のある展覧会であり、常設展の「もの派」特集も併せそれぞれ別々に体験されるべきものだ。しかし、鮮やかな色彩の渦巻くエル・グレコ展の眩暈と酩酊のあと、「もの派」の展示で端的な現実に引き戻され、宮永愛子の白い世界でチル・アウトするというのも、美術館体験として悪くないのではないか。観客はそこで、これ以上ないというほど対極的な、しかしそれぞれ不可思議な魅力に満ちた美の世界と遭遇することになるだろう。