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ポゴレリッチと「時間の廃墟」
浅田 彰

2014.12.14
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「だって彼は天才よ!」 第10回ショパン国際ピアノコンクール(1980年)でその「天才」が最終選考に残されなかったことに抗議してマルタ・アルゲリッチは審査員の席を蹴り、イーヴォ・ポゴレリッチはコンクールに優勝しなかったことでスターへの道を歩むことになった。実際、その後のポゴレリッチは順調にコンサートやレコーディングを重ね、誰にも真似のできない演奏スタイルを確立する。かつて使った比喩を繰り返すなら、マウリツィオ・ポリーニ(第6回ショパン・コンクール[1960年]優勝者)が音楽にあくまで明確な造形を与えようとするダヴィッドのような新古典派で、アルゲリッチ(第7回[1965年]優勝者)が感興の赴くままに指を走らせるドラクロワのようなロマン派だとすると、ポゴレリッチはさしずめアングルのように新古典派を装うロマン派であり、どんなにロマンティックな音楽にも一見明晰な形を与えながら、よく見るとその形は不自然に誇張されている、にもかかわらずそれは適度に自然な演奏をはるかに凌ぐ危険な魅力で聴衆を釘づけにするといった風だったのだ。

現在のポゴレリッチも大きく言えばその延長線上にいる。だが、彼の歩んだ道は平坦ではなかった。実のところ、ショパン・コンクールの年は22歳の美青年ピアニストが43歳のピアノ教師と結婚してファンを驚かせた年でもある。その妻を1996年に喪ったポゴレリッチは、2000年末には重度の神経症のため演奏活動を休止するところまで追い込まれ、録音活動も途絶える。そして2005年、6年ぶりの来日公演で、かつての美青年は昔の日本なら「入道」と呼ばれたかもしれないスキンヘッド姿になって現れた。しかも、その演奏は、たんにエクセントリックというのではない、ほとんど常軌を逸したものとなっていたのだ。2007年の来日公演からは楽譜を見て演奏するようになったこともあって、テンポはますます遅くなり、2010年の来日公演では途中で止まるのではないかと思われることさえ何度もあった(私の聴いたのは東京公演だが、今回の公演パンフレットに掲載された山田亜葵のエッセーによると、最後の福岡公演は「休憩無しで3時間を要するリサイタルとなった」という)。では、中国各地での4公演(今年オープンした磯崎新設計の上海シンフォニーホールや、ポール・アンドルー設計の中国国家大劇院でも開催された)に続き、12月14日に東京のサントリーホールで一度だけ開かれた今回の来日公演はどうだったか。

このツアーでポゴレリッチは「ヴィルトゥオジテ(名技性)」をテーマに

リスト:『巡礼の年・第2年・イタリア』から「ダンテを読んで」(ソナタ風幻想曲)
シューマン:『幻想曲』
ストラヴィンスキー:『「ペトルーシュカ」からの3楽章』
ブラームス:『パガニーニの主題による変奏曲』

という意欲的なプログラムを組んだ。確かに普通のピアニストなら途中で力尽きそうな難曲揃いだが、ポゴレリッチのテクニックをもってすれば越えられないハードルではなく、現にいくつかの箇所を除けばさほど遅い演奏だったわけではない。それを根拠として、プロモーターはポゴレリッチの復活を喧伝したがっているようだ。しかし、むしろ極端に遅いテンポが目立たなくなったことでかえってはっきりしたことがある。ポゴレリッチの演奏は、物理的なスピードがどうあれ、とにかく流れないのだ。「生きられる時間」(ミンコフスキー)としての「持続」(ベルクソン)は寸断され空間化される。そこに広がる「時間の廃墟」に、時には思いのほか混濁した、しかし時には驚異的に美しい音響のオブジェ(聴き/弾き慣れた音型もゲシュタルトとして知覚できず、耳慣れないオブジェと化す)が散乱しているといった風なのだ。ピアニストに導かれてそこを横断してゆくことは、文字通り息詰る、しかしそれだけにスリリングな体験だった。(逆に、やはりテンポが遅いことで知られるヴァレリー・アファナシエフの演奏はどんなに遅くとも流れることをやめない。アファナシエフがブラームスの晩年の小品群[作品116・117・118・119]を続けて弾くリサイタルは現在ライヴで聴くことのできる最も素晴らしいコンサートのひとつだが、かつてそれが京都コンサートホールで開催されたとき木村敏を招いたところ、アファナシエフの演奏をメランコリックと呼ぶ私の用語法は精神医学的には問題があると指摘された[一般的な意味でメランコリックと呼ぶことは許されるだろうが]。その意味では、現在のポゴレリッチの演奏こそメランコリックと呼ぶべきかもしれない。ラルス・フォン・トリアーの『メランコリア』は、粘着性を増して停止しそうになる鬱病の時間を描こうとした作品だが、音楽にヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を選んだため良かれ悪しかれ華麗な映像詩となった。そこでポゴレリッチのピアノが選ばれていたとしたらどうだったろう。)

これは近年のポゴレリッチが楽譜を見て演奏するようになったこととも無縁ではないだろう。むろん、難曲揃いだから指に覚え込ませなければ弾けるはずもないが、彼にとって馴染みの薄い曲目ばかりだったこともあり、明らかにその場で楽譜を見て弾いていると思われる場面が多々あった。ついでに言っておけば、昔からいささかぎごちなかったステージ・マナーはますます儀式化されてきている。休憩をはさんで前半と後半に2曲ずつが演奏されたのだが、ピアニストは2曲の楽譜をもって登場し、2曲目の楽譜を床に投げ落としたかと思うと、1曲目の楽譜を譜面台に置いて弾き始める。基本的に自分でページをめくるが、その余裕がない場面でのみ譜めくり役にめくらせる(そのタイミングが気に入らないらしく譜めくり役に何か指示する場面が何度かあった。相手がポゴレリッチともなると譜めくりも楽ではない)。曲が終わるたび前後左右の聴衆に丁寧にお辞儀をするが、休憩を除いて舞台袖に下がることはない。そして4曲すべてが終わると、自分の椅子と譜めくりの椅子を足でピアノの下に押しやる——アンコールは弾かないという合図なら鍵盤の蓋を閉めればすむだろうに。そうしたステージ・マナーも含めて、これはまさに異色のコンサートだった。

先に結論めいたことを書いてしまったが、それぞれの曲についても簡単に触れておこう。リストの「ダンテを読んで」は、いわばエッセー風の曲で、そもそもまとまりがいいとは言えない。それにしても、ポゴレリッチはそれを何とか音楽的にまとめあげようという意志が端からなく、断片を断片として投げ出してみせる。(アファナシエフがリスト生誕200周年にあたる2011年に彼には珍しくリストの「葬送」[『詩的で宗教的な調べ』から]を弾いたことがあるのだが[注]、終盤、左手のオクターヴが唸りを上げて驀進するのを聴いていると、このコンサートをも「葬送」というテーマで統一してみせたこのメランコリーの人が実はエミール・ギレリスを通じてロシア・ピアニズムの正統を受け継いだピアニストであることに改めて気づかされた。ポゴレリッチとは好対照である。)

続くシューマンの『幻想曲』は、ベートーヴェンに捧げるソナタとして構想されながら、これぞロマン派と言うべき青春の夢が膨らみに膨らんでソナタ形式を突き破ってしまったかのような作品——まさしくリストの言う「ソナタ風幻想曲」だ。第1曲も意表を突いてドミナントで始まってから終わるまで止まることを知らない——はずなのだが、ポゴレリッチはその熱い音の流れさえも凍結した音の静止画の連続にしてしまう。「時間の廃墟」という言葉が頭に浮かんだのは、それを聴いていた時のことだ。しかし、シューマン自身が初期のプログラムで第1曲を「廃墟」と題していることを思えば、この極端に聴きにくい演奏はやがて狂気の淵に沈むことになる作曲家へのひとつの興味深いアプローチと言えるかもしれない(シューマン特有のイロニーとフモールはここには奇妙に欠けているのだが)。とくに、音楽の流れがふと途絶えたあと、低音部から和声の柱を立ち上げてゆくパッセージ(第82小節以下と第274小節以下)は、驚くべきスケールをもって聴衆を圧倒した。続く第2曲は「凱旋門」と題されており、やはり空虚を孕んだ壮大な廃墟として造形される。ただ、鍵盤の中央部から左右両端への飛躍が続いてミスタッチを誘う難所(232小節以下)は、妥協を嫌うピアニストには珍しく無理を避けて軽いタッチで大過なく演奏された。それができるということは、他の箇所の独自の演奏スタイルは確信犯的に選ばれたものだということになるだろう。第3曲は「星座」と題され、転調を重ねながら(ジョン・アダムズ風に言えば転調のたびにゲートをくぐるようにして)ますます広大な空間へ向かってゆく。ここでも、両手が分散和音のアーチを積み重ねてゆくコーダ(130小節以下)のスケールなどは、比類ないものだったと言うほかない。

それと対極的なのが、シューマンのロマン主義を受け継ぎながら、堅固な古典的形式の枠に収めることで「正常化」しようとしたブラームスの作品である。『パガニーニの主題による変奏曲』は、それぞれ主題と14の変奏から成る2巻で構成される(続けて弾く場合、第II巻冒頭の主題は省略されることが多い)。いわば29個の断片が並んでいるようなもので、曲全体のダイナミックな統一を気にせずともそれぞれの断片の鮮やかな演奏を楽しめるわけだ。とくに、主題の装飾音の鋭さ、単音を連ねてスカルラッティ風の指のアクロバットを近代化してみせるI/3(第I部第3変奏;以下同様)やII/6の軽やかさ、I/11 のオルゴールのような響き、はたまたI/13 のグリッサンドの鮮やかさなどは、特筆に値する。これなら一般聴衆向けに録音することもできるのではないか。

以上、リスト、シューマン、ブラームスの作品がロマン派のヴィルトゥオジテを代表するとしたら、ストラヴィンスキーの『「ペトルーシュカ」からの3楽章』は近代のヴィルトゥオジテを代表する作品である。この曲は若き日のポリーニが驚異的なテクニックで弾ききった1971年の録音で有名だ(盟友クラウディオ・アバドと共演したバルトークのピアノ協奏曲の録音などとともにピアノの演奏技術の頂点を示す歴史的モニュメントと言ってよい)。ポゴレリッチの演奏も部分的にはそれに勝るとも劣らぬ切れ味を示すのだが、ポリーニがあくまでエネルギッシュに前進し続けるのに対し、ポゴレリッチはひとつひとつの部分を投げ出すばかりで、それらがひと続きの流れを構成することはない。言うまでもなく原曲はバレエ音楽なのだが、ポゴレリッチの『ペトルーシュカ』は踊れないバレエ音楽なのだ。しかし、バレエの主人公であるペトルーシュカがもともと操り人形だったことを思えば、内発的な「生の躍動」(ベルクソン)を欠いたこの演奏は、案外このバレエ音楽にふさわしいのではないか。

この文章を読んできた読者は、私がポゴレリッチの現在の演奏スタイルに否定的だと思ったかもしれない。実際、それはまともな音楽とは言い難く、とくに初心者には薦められない。だが、確かにどこか異常なこの音楽は、凡百の正常な音楽よりはるかに刺激的なのだ。振り返ってみれば、若き日のポリーニの演奏に圧倒されながら、私は「若き完全主義者は円熟した巨匠となり得るか」という問いを立てずにいられなかった。その後の経過を見ると、答は残念ながら否だったと言わざるを得ない。老境に入って悠然たる「晩年様式」に到達する人もいれば、むしろ忍耐力の衰えからせかせかと急ぎがちになる人もいる。ポリーニの場合は後者であり、しかもその足取りを支えるべきテクニックは衰えてしまった。私は、かつて何度となく聴いたポリーニの演奏の記憶を反芻し、いまなお圧倒的な録音の数々を聴き続けるだろうが、今後ポリーニのライヴを聴きに行くことはおそらくないだろうと思う(他の演奏家も加わったプロジェクトは別として)。他方、前回に続き、今回もまた息の詰まる思いをさせられながら、私はこれからもポゴレリッチのライヴに足を運ぶことになるだろう。マゾヒズム? そうかもしれない。だが、時として拷問のようですらあるその音楽は、耳を楽しませて流れ去るばかりの音楽より、私にとってはるかにスリリングであり、「音楽」とは、また「時間」とは何かという根源的な問題を考えさせてくれる貴重なきっかけなのである。



[注]
2011年11月20日、大阪・いずみホールで開かれたこのコンサートのプログラムは次の通り。

ベートーヴェン:11のバガテル op.119より 第1番、第2番、第3番、第4番
リスト:4つの小品、「悲しみのゴンドラ」第2稿、「暗い雲」
ドビュッシー:前奏曲集第1巻より「帆」「雪の上の足跡」「沈める寺」
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第12番 op.26より 第3楽章「葬送行進曲」
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番 op.35より 第3楽章「葬送行進曲」
ヴァーグナー(リスト編);『パルジファル』より「聖杯への厳かなる行進」
リスト:『詩的で宗教的な調べ』より「葬送」

いずれも素晴らしい演奏だったが、リスト晩年の小品、そしてとくにドビュッシーの前奏曲の演奏は、文字通り比類のない深さと美しさで聴衆を圧倒した。