ゆれる茶会、回る哲学者、破るアーティスト
小崎 哲哉
2013.02.26
某月某日
京都芸術センターの和室に入ると、哲学者の鷲田清一氏がアーティストの吉田暁子さんと一緒に、ぐるぐる回る円盤の上でゆらゆらしている。詩人・キュレーター・批評家の建畠晢氏が席主を務める「ゆれる茶会」。抹茶の味が思い出せないほど超現実主義的な光景だった。種を明かすと円盤はアーティスト高橋悟氏の作品。ちょうど畳2枚分の空間にすっぽり収まるサイズで、「待庵と同じ」とは席主の弁。
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAでは、『もののやりかた』展オープニング。村田峰紀の伝説的なパフォーマンス「ノーコメント」を初めて観る。今回は3冊の辞書をギターに見立て、ボールペンの筆圧ですべての紙を粉砕し尽くすという、本好きには心痛む、というより地獄絵のようなバージョンだった。「んぐえんんぐえんんぐえん〜」と狂ったように唸り続けながら、しかしボールペンが折れると事前に用意したスペアをさりげなく取り出すというクールさが心憎い。最後に残るのはハモの落としのような無残な姿に変わった紙・紙・紙。ペンは本よりも強し。
諸兄の末席でブログに「参戦」します。観たもの、聴いたもの、読んだもの、食べたもの、考えたことなど。不定期随時公開。よろしくお願いします。
京都芸術センターの和室に入ると、哲学者の鷲田清一氏がアーティストの吉田暁子さんと一緒に、ぐるぐる回る円盤の上でゆらゆらしている。詩人・キュレーター・批評家の建畠晢氏が席主を務める「ゆれる茶会」。抹茶の味が思い出せないほど超現実主義的な光景だった。種を明かすと円盤はアーティスト高橋悟氏の作品。ちょうど畳2枚分の空間にすっぽり収まるサイズで、「待庵と同じ」とは席主の弁。
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAでは、『もののやりかた』展オープニング。村田峰紀の伝説的なパフォーマンス「ノーコメント」を初めて観る。今回は3冊の辞書をギターに見立て、ボールペンの筆圧ですべての紙を粉砕し尽くすという、本好きには心痛む、というより地獄絵のようなバージョンだった。「んぐえんんぐえんんぐえん〜」と狂ったように唸り続けながら、しかしボールペンが折れると事前に用意したスペアをさりげなく取り出すというクールさが心憎い。最後に残るのはハモの落としのような無残な姿に変わった紙・紙・紙。ペンは本よりも強し。
諸兄の末席でブログに「参戦」します。観たもの、聴いたもの、読んだもの、食べたもの、考えたことなど。不定期随時公開。よろしくお願いします。