京都みなみ会館 チャップリン・ザ・ルーツ
福永 信
2013.03.02
映画デビュー100年を来年にひかえ、京都みなみ会館で『チャップリン・ザ・ルーツ 傑作短編集・字幕サイレント オリジナル版』が連続上映されている。
全てを見るのは無理だとしても、最終日(3月8日)にも上映されるAプログラムは、見なくちゃだめだ。とくに、そのなかの「子ども自動車競走」は傑作だからだ。
もっとも、このAプログラムは、96年ぶりに発見された「泥棒を捕まえる人」、これがお目当ての人も多いだろう。先に水を差しておくが、あまりおもしろくはない。「チャップリンがいるぞ!」的、資料的な価値は当然あるけれども、昨年の「したまちコメディ映画祭」での初上映でも、今回の映画館における初上映でも、大野裕之さんがトークで「『泥棒を捕まえる人』というのがタイトルなんだけど、何回見てもだれも泥棒を捕まえてないんですよね」とツッコミを入れて笑いを誘うことで、完成という感じもするくらいである。また、同じAプログラムに入っているデビュー作「成功争い」で、例のチョビ髭ではない彼の姿を見るのもわれわれには新鮮な体験にちがいないが、笑えるかといえばこれまた微妙である(ふしぎな髭だが)。
しかし、この「子ども自動車競走」は、すごく可笑しい!
今でも笑えるこのおもしろさはなんだろう。ついこのあいだのような、感情のつながりは、なんだろう。
お話らしきものは、そこにはない。自動車競走のレース場に観客が詰めかけ、自動車がびゅんびゅんコースを走りまわる。サイレント映画だけれども、おそらく現場はものすごい音、歓声、熱気だろうというのが伝わってくる。そして、その迫力を映像におさめようとカメラがまわる。大勢の観客のなかに、チャップリンがまじっている。
チャップリンは、レースのゆくえはそっちのけ、どうやらカメラに興味があるようで、「どきなさい」と言われるのに(聞こえないが言われているのがわかる)、横切ってみたり、わざとまんなかで、スッと立ってみたり、カメラのなかに居座ろうとする。そのたび、カメラマンらに追っ払われるのだが、いったん消えても、また性懲りもなくカメラのなかにもどってくる。そのカメラのなかでちょっと微妙にポーズをつけてみせる姿がおかしい。「どきなさい」って怒られ、退散するさまがおもしろい。われわれはいつの間にか、チャップリンが画面になか、カメラのフレームのなかに出てくるのを今か今かと待っている。わずか数分のこの時間が、もっとつづいてほしいと思う。
映画の大半は、そのカメラが撮影したフィルムという設定のようだが、一方でその撮影しているカメラやカメラマンたちを、別のカメラがとらえる。「別のカメラ」の存在が、このレースを撮影しに来た別の撮影隊のものという設定なのか、この短編映画の三人称的な視点なのか、それは、わからない。そんなどさくさまぎれの「わからなさ」が別に主題としてのさばることもなく、さりげないままなのがいい。演技も、派手なアクションはまるでなく(スピードを競うレースも、ずっと背景に退いたままだ)、お得意の追いかけっこ的なギャグはまったくなく、きわめてひかえめで、シンプルなのに、いや、だからこそ、すごく豊かなものがここには隠れているような、そんなこともそっと、見ているわれわれに感じさせる。
この「子ども自動車競走」で、はじめて、チャップリンは山高帽をかぶって、チョビ髭をつけて、われわれのよく知るチャップリンになったという。デビュー2作目の短編ですでに、ほとんど完成されていたというわけだ。当時、25歳だ。
今さらサイレント映画を撮ることはできない。
いや、技術的には可能だし、近年もあったようだがそれでも、当時と同じ気持ちではありえない。印象画の絵が、もうだれも描けないのと同じように、技術的にという意味ではなく、それはもう作れないもの、終わってしまったものだ。作品だけが、終わらない。
「子ども自動車競走」に登場するまだ「新人」の彼が、この数年後、数々の名作を発表するのを、むろん、われわれは知っている。そして、それは、もう終わったことだ。「独裁者」でサイレント映画から離れ、最後の傑作「ニューヨークの王様」で主演の座からも降りたことをわれわれは常識として知っている。もうそれは古典なのだとなかば諦めてもいるかもしれない。
でも、この小さい作品「子ども自動車競走」を見ていると、ずっとあとの今という場所から、映画の新しい世界を切り開く「新人」の登場に、喝采したい気分になる。われわれは今でも、スクリーンのまんなかに彼がやってくるのを待ち望んでいる。
『チャップリン・ザ・ルーツ 傑作短編集・字幕サイレント オリジナル版』
傑作短編集、全63作品を一挙上映!
監修 大野裕之(日本チャップリン協会会長)
2013年2月23日(土)-3月8日(金)
京都みなみ会館 料金1000円均一
なお、13枚組DVDBOX『チャップリン・ザ・ルーツ』(ハピネット)も発売されている。
全てを見るのは無理だとしても、最終日(3月8日)にも上映されるAプログラムは、見なくちゃだめだ。とくに、そのなかの「子ども自動車競走」は傑作だからだ。
もっとも、このAプログラムは、96年ぶりに発見された「泥棒を捕まえる人」、これがお目当ての人も多いだろう。先に水を差しておくが、あまりおもしろくはない。「チャップリンがいるぞ!」的、資料的な価値は当然あるけれども、昨年の「したまちコメディ映画祭」での初上映でも、今回の映画館における初上映でも、大野裕之さんがトークで「『泥棒を捕まえる人』というのがタイトルなんだけど、何回見てもだれも泥棒を捕まえてないんですよね」とツッコミを入れて笑いを誘うことで、完成という感じもするくらいである。また、同じAプログラムに入っているデビュー作「成功争い」で、例のチョビ髭ではない彼の姿を見るのもわれわれには新鮮な体験にちがいないが、笑えるかといえばこれまた微妙である(ふしぎな髭だが)。
しかし、この「子ども自動車競走」は、すごく可笑しい!
今でも笑えるこのおもしろさはなんだろう。ついこのあいだのような、感情のつながりは、なんだろう。
お話らしきものは、そこにはない。自動車競走のレース場に観客が詰めかけ、自動車がびゅんびゅんコースを走りまわる。サイレント映画だけれども、おそらく現場はものすごい音、歓声、熱気だろうというのが伝わってくる。そして、その迫力を映像におさめようとカメラがまわる。大勢の観客のなかに、チャップリンがまじっている。
チャップリンは、レースのゆくえはそっちのけ、どうやらカメラに興味があるようで、「どきなさい」と言われるのに(聞こえないが言われているのがわかる)、横切ってみたり、わざとまんなかで、スッと立ってみたり、カメラのなかに居座ろうとする。そのたび、カメラマンらに追っ払われるのだが、いったん消えても、また性懲りもなくカメラのなかにもどってくる。そのカメラのなかでちょっと微妙にポーズをつけてみせる姿がおかしい。「どきなさい」って怒られ、退散するさまがおもしろい。われわれはいつの間にか、チャップリンが画面になか、カメラのフレームのなかに出てくるのを今か今かと待っている。わずか数分のこの時間が、もっとつづいてほしいと思う。
映画の大半は、そのカメラが撮影したフィルムという設定のようだが、一方でその撮影しているカメラやカメラマンたちを、別のカメラがとらえる。「別のカメラ」の存在が、このレースを撮影しに来た別の撮影隊のものという設定なのか、この短編映画の三人称的な視点なのか、それは、わからない。そんなどさくさまぎれの「わからなさ」が別に主題としてのさばることもなく、さりげないままなのがいい。演技も、派手なアクションはまるでなく(スピードを競うレースも、ずっと背景に退いたままだ)、お得意の追いかけっこ的なギャグはまったくなく、きわめてひかえめで、シンプルなのに、いや、だからこそ、すごく豊かなものがここには隠れているような、そんなこともそっと、見ているわれわれに感じさせる。
この「子ども自動車競走」で、はじめて、チャップリンは山高帽をかぶって、チョビ髭をつけて、われわれのよく知るチャップリンになったという。デビュー2作目の短編ですでに、ほとんど完成されていたというわけだ。当時、25歳だ。
今さらサイレント映画を撮ることはできない。
いや、技術的には可能だし、近年もあったようだがそれでも、当時と同じ気持ちではありえない。印象画の絵が、もうだれも描けないのと同じように、技術的にという意味ではなく、それはもう作れないもの、終わってしまったものだ。作品だけが、終わらない。
「子ども自動車競走」に登場するまだ「新人」の彼が、この数年後、数々の名作を発表するのを、むろん、われわれは知っている。そして、それは、もう終わったことだ。「独裁者」でサイレント映画から離れ、最後の傑作「ニューヨークの王様」で主演の座からも降りたことをわれわれは常識として知っている。もうそれは古典なのだとなかば諦めてもいるかもしれない。
でも、この小さい作品「子ども自動車競走」を見ていると、ずっとあとの今という場所から、映画の新しい世界を切り開く「新人」の登場に、喝采したい気分になる。われわれは今でも、スクリーンのまんなかに彼がやってくるのを待ち望んでいる。
『チャップリン・ザ・ルーツ 傑作短編集・字幕サイレント オリジナル版』
傑作短編集、全63作品を一挙上映!
監修 大野裕之(日本チャップリン協会会長)
2013年2月23日(土)-3月8日(金)
京都みなみ会館 料金1000円均一
なお、13枚組DVDBOX『チャップリン・ザ・ルーツ』(ハピネット)も発売されている。