グレン・グールド没後30周年
浅田 彰
2012.11.08
グレン・グールドのアニヴァーサリーを記念して京都府民ホール Alti で「グレン・グールド・トリビュート」と題する催しが開かれ、グールドを追ったヴィデオ・ドキュメンタリーの作家ブリュノ・モンサンジョンをメイン・ゲストに2日間にわたって映像上映・トーク・演奏などが行われた。私はグールド研究者の宮澤淳一との対談に参加したものの、プログラム全体を見たわけではない。しかし、あらためてグールドについてさまざまな発見があったし、グールドについて考え直す良いきっかけを与えられたと思う。考えてみれば、没後30周年というと過去の人のように思えるが、生誕80周年——つまり生きていればまだ80歳なのだから、グールドはまだまだわれわれの同時代人なのだ。
宮澤淳一との対談であらためて問題になったのは、グールドの「コンサート・ドロップアウト」をどう考えるか、ということだ。よく知られているように、グールドは1964年にコンサートからの撤退を表明した。コンサートの聴衆は、演奏家の妙技を、あるいはまた失敗を期待し、そういう観点から演奏家を競わせる。ローマの闘技場にも似たその圧力が演奏を歪めてしまう、というのだ。それに対し、グールドは、スタジオ(そして最終的には自室)の孤独と自由の中で生み出される純粋な音楽がレコードや放送などのメディアを通じてそのまま聴衆に伝わる可能性に賭けた。われわれがいまもグールドのレコードやヴィデオに感動し続けているのは、彼がその賭けに勝った証しに他ならない。
しかし、初期のグールドにとって、コンサートはもっぱら否定的な体験だったのか。珍しくグールドのコンサート活動に焦点を当てた中川右介『グレン・グールド』(朝日新書)を見ても、必ずしもそうとは思えない。最も象徴的なのは、スターリン批判の翌年、1957年に行われたソ連への演奏旅行だ。西側では1955年に録音され翌年にリリースされたバッハの「ゴルトベルク変奏曲」のレコードがグールドを一躍有名にしていたが、ソ連では彼はまだ無名に近く、モスクワでの最初のコンサートは、前半は半分くらいしか聴衆がいなかったらしい。だが、驚嘆した聴衆が長いインターミッションの間に情報を伝えた結果、後半は満席、熱狂した聴衆に応えてグールドは何度もアンコールを弾いている。さらに、モスクワとレニングラードの音楽院では、ソ連で批判されていた新ウィーン楽派の音楽(ベルク、ウェーベルン、クシェネク)を解説つきで演奏し、ここでも長々とアンコールに応じている(録音が残されている)。グールドがそれを無意味な見世物と考えたとはとても思えない。だが、翌1958年、アメリカのヴァン・クライバーンがモスクワで開催された第1回チャイコフスキー・コンクールで優勝し、いわばソ連に勝ったチャンピオンとして凱旋、レコードがベスト・セラーになるという事件が起こり、ただでさえあまり注目されていなかったグールドのソ連訪問の記憶をかき消してしまう。コンサートはふたたび俗っぽい競争に巻き込まれ、グールドの理想から遠ざかってしまうのだ。グールドのコンサート・ドロップアウト宣言は、そういう文脈の中で理解すべきものだろう。
もうひとつ、長らくコンサートの舞台から遠ざかり、グールドと同じCBSから時々レコードを出すだけだったウラディミール・ホロヴィッツが、1965年にコンサート・ホールにカム・バックして「ヒストリック・リターン(歴史的復帰)」と騒がれたとき、グールドが「ヒステリック・リターン」というパロディを制作していることも注目される。後で述べるように、グールドがスクリャービンなどを録音するようになったのも、ホロヴィッツを意識してのことではないか。
いずれにせよ、こうしてコンサートを拒否し、スタジオに籠ったグールドには、トロントの同時代人マーシャル・マクルーハンのメディア論を体現したようなところがある。その関係についても、あらためて議論になった。よく知られているように、マクルーハンは「メディアがメッセージである」(「メディアは…」という訳はミスリーディングだ)と唱え、メディア(媒介)の形が文化や社会を大きく変えていくと考えた。たとえば、中世の装飾写本は文字通りのイルミネーテッド・ブックであり、教会でステンド・グラスから射し込む光や音楽や香の匂いの中で繙かれるとき、マルチメディア・パフォーマンスの一環として機能した。対して、グーテンベルクが活版印刷を発明し、ルター訳聖書が普及する時代になると、本はリニアな黙読によって内面化されるべきものとなる。ところが、電子メディアが一般化すると、人々はふたたびマルチ・メディア体験を共有するようになるだろう。暴力的に単純化すれば、『グーテンベルクの銀河系』(1962年)で提示されたマクルーハンのメディア史観とは、こうしたものだ。一方で、グールドは、メディアに注目するこうしたマクルーハンの見方をかなりの程度まで共有し、電子メディアを多用することで実践してみせたと言える。しかし、他方で、マクルーハンのヴィジョンがカトリック的であるとすれば、「最後のピューリタン」(ジョージ・サンタヤナの小説のタイトル)を自認していたグールドのヴィジョンはむしろプロテスタント的と言うべきだろう。確かに、グールドは、レコードの延長上で、リスナーが自由にリミックスできる音楽キットのようなものを夢想したりもしているが、インタラクティヴなマルチメディア体験の共有といったものに本当に関心をもっていたとは思えない。彼にとって大切だったのは、コンサート・ホールの圧力から自由な場所で自分が本当に正しいと思う演奏を行い、それを歪曲なしにリスナーに届けることだった。その意味では、グールドにとってのレコードは、グーテンベルク的な本の方に近いのかもしれない。スタジオの孤独と自由の中で、グールドの身体は解放され、2本の腕、いや10本の指が自由に走り出す。しかし、それがアナーキーにつながることはない。むしろ、そのような自由こそが、楽譜を徹底して研究し、最も適切と思われる演奏解釈を実践する余裕を生み出すのだ。実際、かつてエキセントリックとも言われたグールドの演奏解釈は、ゲテモノとして飽きられるどころか、聴くほどに深みを増し、意外にオーセンティックに聴こえるようになってくる。だからこそ、没後30周年のいまも、われわれはグールドを聴き続けているのではなかったか。
まず、『The Schwarzkopf Tapes』。20世紀最高のドイツ・リート歌手の一人に数えられるエリザベート・シュヴァルツコップとのリヒャルト・シュトラウスの録音で、「オフィーリアの3つの歌」はすでにグールドのシルヴァー・ジュビリー・アルバムに収録されていたが、今年、未公開だった他の3曲も含めてリリースされた。私はシュヴァルツコップをライヴでも録音でも何度となく聴いてきたが、「オフィーリアの3つの歌」はその中でも絶頂のひとつに数えていいと思っていたし、今回リリースされた3曲もそれに勝るとも劣らぬ出来栄えだと思う。たしかに、大歌手が極度の集中の中で名人芸の限りを尽くしている傍らで、例によってハミングしながら歌と同じくらいスリリングな伴奏を展開するグールドは、いつも通りの野性児であって、どちらかといえば保守的なドイツ人女性だった大歌手が居心地の悪い思いをしたことは想像に難くない。しかし、まさにそのことがこの演奏をおそろしくテンションの高いものにしているのだ。このプロジェクトがうまくいって本格的なディスクに結実していたら、それはシュヴァルツコップにとっても最高の1枚になったと思われるだけに、プロジェクトの中断が残念でならない。われわれとしては、この奇蹟的な録音が残されただけでもよしとするべきだろう。
そしてもうひとつがスクリャービンとシベリウスの作品を収めた『The Acoustic Orchestrations』。グールドが、ピアノの近くから遠くまで、さまざまなマイクで録音したテープを編集して、「聴覚的オーケストレーション」(あるいは「聴覚的コリオグラフィ」)を目指していたことに注目したもので、とくにスクリャービンのピアノ・ソナタ第5番の録音は貴重だ。1970年に収録された4組のマイクの録音がCD−ROMにそのまま収録されており、プロデューサーのポール・テベルジュがそれらを改めてミックスしたものがCDに収録されている。どのようなミックスであるかもCD−ROMで見ることができるし、望むなら自分で新たなミックスを試みることもできる。グールドの夢想したインタラクティヴな音楽キットの一例とも言えるだろう——私は技術の専門家ではなく、今回のミックスについても、多少不自然なところはあるものの、総じて満足すべきものだとしか言えないが。むしろ、上に述べた議論との関連でも、私にとって重要なのは、このようなメディアの形態より、グールドの演奏解釈そのものだ。スクリャービンは、グールドの批判対象であるホロヴィッツ(ロシアで子ども時代にスクリャービンに演奏を聴かせたことがあるという)の得意なレパートリーで、ソナタ第5番もライヴ録音が残っている。晩年のホロヴィッツの例に漏れず、音楽の構造は崩壊寸前だが、太陽のプロミネンスのように輝かしく変幻する音色、そして独特のアゴーギクは、聴衆をエクスタシーへと誘わずにおかないだろう。他方、グールドの演奏はそれよりはるかに遅く、どこまでも明晰だ。上で示唆したように、ホロヴィッツの「ヒストリック・リターン」を「ヒステリック・リターン」と揶揄したグールドは、ホロヴィッツお得意のレパートリーをあえて取り上げ、わざと対極的な演奏を呈示したかったのかもしれない。そうだとしても、しかし、ロマン主義の極限にあって無調の淵に足を踏み出そうとするスクリャービンの音楽は、いつかグールドを本気にさせたのではないか。たしかに、グールドのスクリャービンに、ホロヴィッツのようなディオニュソス的エクスタシーはない。だが、大きな歩幅で歩む左手のアルペジオに乗って、ゆっくりと、しかし大きく歌い上げられるロマンティックな動機は、やはり聴く者をエクスタシーへと誘うのだ——ただしアポロン的なエクスタシーに。繰り返すが、グールドによるマルチ・トラックの実験はいまも注目に値する。だが、われわれがそれを聴こうとするのは、結局のところ、そこに刻まれた音楽が圧倒的に素晴らしいからなのである。
(付け加えておけば、グールドの演奏で、第3主題のいくつかの箇所——126小節以下と136小節以下——の和音は、私の手元にある楽譜とも標準的な演奏とも違っている。グールドのことだから綿密なエディション・クリティックと周到な読みを踏まえているはずだとは思うのだが、少なくともスクリャービンに関しては、スタジオでの最初の演奏はボロボロで、その場で連習を重ねていったというから、バッハ演奏などとは事情が違うような気もする。スクリャービンに詳しい方の教示を待ちたい。)
さて、この実験とも関連して取り上げておきたいのは、ベルギーの絵本作家ガブリエル・ヴァンサンの『Un jour, un chien(アンジュール ある犬の物語)』に基づく二階健のアニメーション『アンジュール』のサウンドトラック『Glenn Gould meets Un jour, un chien』である。素材としてグールドの録音が使われているのだが、とくに注目すべきはテーマ曲になっているバッハ/グノーの「アヴェ・マリア」だ。周知のとおり、グノーは、バッハの平均律クラヴィア曲集第1巻第1曲の前奏曲を伴奏がわりに使い、そこに「アヴェ・マリア」のメロディを乗せた。問題は、その際、グノーが原曲の第22小節の後に原曲には存在しない1小節を挿入していることだ。むろん、グールドによる原曲の録音にその小節は含まれない。そこで、ゼンフ・スタジオがグールドの録音のデータ処理によって不在の1小節(そして序奏として反復される冒頭の4小節)を加えたものをMIDIピアノで演奏できるようにし、そこに宮本笑里がヴァイオリンでグノーのメロディを乗せ、プロデューサーの坂本龍一がシンセサイザーで音を添えるという、時を超えたコラボレーションが展開されたのである。結果は、愛らしいフィルムにぴったりの、実に生き生きした音楽となった。初めて聴いた人は、これがそのようにして合成された音楽だとはとても思えないのではないか。
それで思い出したのだが、ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)とギードゥレ・ディルヴァナウスカイテ(チェロ)が、ヴィクトリア・ポリェーヴァによって彼らのために書かれた「ガルフ・ストリーム」という曲を演奏するのを大阪で聴いたことがある。
http://www.officemusica.com/kremertrio_report.html
グノーの「アヴェ・マリア」の旋律を平均律クラヴィア曲集ではなく無伴奏チェロ組曲第1番冒頭の前奏曲と合わせ、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番のシャコンヌにシューベルトの「アヴェ・マリア」を合わせるという、意表をついたアイディアによるポストモダンな戯れ。他愛もないパズルといえばそれまでだが、清潔な演奏のせいもあって、なかなか印象的だった。そのクレーメルも、このアニヴァーサリーに『器楽の技法——グレン・グールドへのオマージュ』というCDをリリースしている。2010年のクロンベルク・フェスティヴァルのために委嘱されてポリェーヴァをはじめとする現代の作曲家たちがバッハを元に作った曲を、クレーメルとクレメラータ・バルティカの面々が演奏していくという趣向だ。グールドがピアノでやったことを、管弦楽でやってみようというのだろう。率直にいって、グールドがバッハの原曲を弾いて生み出した独自の表現に比べると、 バッハとのつながりは間接的で、全体に遊戯的な色彩が強くなっている。それなら「ガルフ・ストリーム」も収録すればよかったのではないかと思うが、それは含まれていない。こういう試みがなされること自体、それはそれでいいとして、それをグールドに結びつけるというのは、いささか牽強付会と言うべきではないか(最後に収録されたヴィクトル・キーシンの『「ゴルトベルク変奏曲」のアリア』には、グールドの1981年の録音にヴァイオリンが寄り添っていく短いシークエンスがある。詰まるところ、クレーメルはこうしてグールドと「共演」してみたかったのかもしれない)。
しかし、裏を返せば、ピアニストだけではない、すべてのミュージシャンにとって、グールドはいまもそれだけ大きな存在であり続けているということだろう。繰り返せば、没後30周年というと過去の人のように思えるが、生誕80周年——つまり生きていればまだ80歳なのだから、グールドはまだまだわれわれの同時代人なのだ。残された著作やドキュメンタリー、そして何よりも素晴らしい録音の数々を通じて、この多才な音楽家との対話はこれからも続いていくことだろう。おそらくその対話に終わりはない。
*後記:
宮澤淳一との対談の抜粋が『レコード芸術』2013年3月号に採録された。この対談では、グールド以後、興味深い実験を試みているピアニストとしてファジル・サイやフランチェスコ・トリスターノ(・シュリメ)にも言及し、グールドが自由だからこそピュアでオーセンティックな演奏を行ったのに対し、自由だからといって聴衆を沸かせるパフォ−マンスに走るのは邪道ではないか、といった議論をしている。このブログの2013年2月21日の項でそのトリスターノのコンサートを取り上げているので、参照されたい。
なお、ヴァン・クライバーンは2013年2月27日に死去した。ソ連から凱旋して騒がれた後は伸び悩み、ピアニストとして充実したキャリアを歩むことはなかった。
2012年11月8日
宮澤淳一との対談であらためて問題になったのは、グールドの「コンサート・ドロップアウト」をどう考えるか、ということだ。よく知られているように、グールドは1964年にコンサートからの撤退を表明した。コンサートの聴衆は、演奏家の妙技を、あるいはまた失敗を期待し、そういう観点から演奏家を競わせる。ローマの闘技場にも似たその圧力が演奏を歪めてしまう、というのだ。それに対し、グールドは、スタジオ(そして最終的には自室)の孤独と自由の中で生み出される純粋な音楽がレコードや放送などのメディアを通じてそのまま聴衆に伝わる可能性に賭けた。われわれがいまもグールドのレコードやヴィデオに感動し続けているのは、彼がその賭けに勝った証しに他ならない。
しかし、初期のグールドにとって、コンサートはもっぱら否定的な体験だったのか。珍しくグールドのコンサート活動に焦点を当てた中川右介『グレン・グールド』(朝日新書)を見ても、必ずしもそうとは思えない。最も象徴的なのは、スターリン批判の翌年、1957年に行われたソ連への演奏旅行だ。西側では1955年に録音され翌年にリリースされたバッハの「ゴルトベルク変奏曲」のレコードがグールドを一躍有名にしていたが、ソ連では彼はまだ無名に近く、モスクワでの最初のコンサートは、前半は半分くらいしか聴衆がいなかったらしい。だが、驚嘆した聴衆が長いインターミッションの間に情報を伝えた結果、後半は満席、熱狂した聴衆に応えてグールドは何度もアンコールを弾いている。さらに、モスクワとレニングラードの音楽院では、ソ連で批判されていた新ウィーン楽派の音楽(ベルク、ウェーベルン、クシェネク)を解説つきで演奏し、ここでも長々とアンコールに応じている(録音が残されている)。グールドがそれを無意味な見世物と考えたとはとても思えない。だが、翌1958年、アメリカのヴァン・クライバーンがモスクワで開催された第1回チャイコフスキー・コンクールで優勝し、いわばソ連に勝ったチャンピオンとして凱旋、レコードがベスト・セラーになるという事件が起こり、ただでさえあまり注目されていなかったグールドのソ連訪問の記憶をかき消してしまう。コンサートはふたたび俗っぽい競争に巻き込まれ、グールドの理想から遠ざかってしまうのだ。グールドのコンサート・ドロップアウト宣言は、そういう文脈の中で理解すべきものだろう。
もうひとつ、長らくコンサートの舞台から遠ざかり、グールドと同じCBSから時々レコードを出すだけだったウラディミール・ホロヴィッツが、1965年にコンサート・ホールにカム・バックして「ヒストリック・リターン(歴史的復帰)」と騒がれたとき、グールドが「ヒステリック・リターン」というパロディを制作していることも注目される。後で述べるように、グールドがスクリャービンなどを録音するようになったのも、ホロヴィッツを意識してのことではないか。
いずれにせよ、こうしてコンサートを拒否し、スタジオに籠ったグールドには、トロントの同時代人マーシャル・マクルーハンのメディア論を体現したようなところがある。その関係についても、あらためて議論になった。よく知られているように、マクルーハンは「メディアがメッセージである」(「メディアは…」という訳はミスリーディングだ)と唱え、メディア(媒介)の形が文化や社会を大きく変えていくと考えた。たとえば、中世の装飾写本は文字通りのイルミネーテッド・ブックであり、教会でステンド・グラスから射し込む光や音楽や香の匂いの中で繙かれるとき、マルチメディア・パフォーマンスの一環として機能した。対して、グーテンベルクが活版印刷を発明し、ルター訳聖書が普及する時代になると、本はリニアな黙読によって内面化されるべきものとなる。ところが、電子メディアが一般化すると、人々はふたたびマルチ・メディア体験を共有するようになるだろう。暴力的に単純化すれば、『グーテンベルクの銀河系』(1962年)で提示されたマクルーハンのメディア史観とは、こうしたものだ。一方で、グールドは、メディアに注目するこうしたマクルーハンの見方をかなりの程度まで共有し、電子メディアを多用することで実践してみせたと言える。しかし、他方で、マクルーハンのヴィジョンがカトリック的であるとすれば、「最後のピューリタン」(ジョージ・サンタヤナの小説のタイトル)を自認していたグールドのヴィジョンはむしろプロテスタント的と言うべきだろう。確かに、グールドは、レコードの延長上で、リスナーが自由にリミックスできる音楽キットのようなものを夢想したりもしているが、インタラクティヴなマルチメディア体験の共有といったものに本当に関心をもっていたとは思えない。彼にとって大切だったのは、コンサート・ホールの圧力から自由な場所で自分が本当に正しいと思う演奏を行い、それを歪曲なしにリスナーに届けることだった。その意味では、グールドにとってのレコードは、グーテンベルク的な本の方に近いのかもしれない。スタジオの孤独と自由の中で、グールドの身体は解放され、2本の腕、いや10本の指が自由に走り出す。しかし、それがアナーキーにつながることはない。むしろ、そのような自由こそが、楽譜を徹底して研究し、最も適切と思われる演奏解釈を実践する余裕を生み出すのだ。実際、かつてエキセントリックとも言われたグールドの演奏解釈は、ゲテモノとして飽きられるどころか、聴くほどに深みを増し、意外にオーセンティックに聴こえるようになってくる。だからこそ、没後30周年のいまも、われわれはグールドを聴き続けているのではなかったか。
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こうした観点から見ても、アニヴァーサリー・イヤーに出たいくつかのディスクはあらためて注目に値するだろう。まず、『The Schwarzkopf Tapes』。20世紀最高のドイツ・リート歌手の一人に数えられるエリザベート・シュヴァルツコップとのリヒャルト・シュトラウスの録音で、「オフィーリアの3つの歌」はすでにグールドのシルヴァー・ジュビリー・アルバムに収録されていたが、今年、未公開だった他の3曲も含めてリリースされた。私はシュヴァルツコップをライヴでも録音でも何度となく聴いてきたが、「オフィーリアの3つの歌」はその中でも絶頂のひとつに数えていいと思っていたし、今回リリースされた3曲もそれに勝るとも劣らぬ出来栄えだと思う。たしかに、大歌手が極度の集中の中で名人芸の限りを尽くしている傍らで、例によってハミングしながら歌と同じくらいスリリングな伴奏を展開するグールドは、いつも通りの野性児であって、どちらかといえば保守的なドイツ人女性だった大歌手が居心地の悪い思いをしたことは想像に難くない。しかし、まさにそのことがこの演奏をおそろしくテンションの高いものにしているのだ。このプロジェクトがうまくいって本格的なディスクに結実していたら、それはシュヴァルツコップにとっても最高の1枚になったと思われるだけに、プロジェクトの中断が残念でならない。われわれとしては、この奇蹟的な録音が残されただけでもよしとするべきだろう。
そしてもうひとつがスクリャービンとシベリウスの作品を収めた『The Acoustic Orchestrations』。グールドが、ピアノの近くから遠くまで、さまざまなマイクで録音したテープを編集して、「聴覚的オーケストレーション」(あるいは「聴覚的コリオグラフィ」)を目指していたことに注目したもので、とくにスクリャービンのピアノ・ソナタ第5番の録音は貴重だ。1970年に収録された4組のマイクの録音がCD−ROMにそのまま収録されており、プロデューサーのポール・テベルジュがそれらを改めてミックスしたものがCDに収録されている。どのようなミックスであるかもCD−ROMで見ることができるし、望むなら自分で新たなミックスを試みることもできる。グールドの夢想したインタラクティヴな音楽キットの一例とも言えるだろう——私は技術の専門家ではなく、今回のミックスについても、多少不自然なところはあるものの、総じて満足すべきものだとしか言えないが。むしろ、上に述べた議論との関連でも、私にとって重要なのは、このようなメディアの形態より、グールドの演奏解釈そのものだ。スクリャービンは、グールドの批判対象であるホロヴィッツ(ロシアで子ども時代にスクリャービンに演奏を聴かせたことがあるという)の得意なレパートリーで、ソナタ第5番もライヴ録音が残っている。晩年のホロヴィッツの例に漏れず、音楽の構造は崩壊寸前だが、太陽のプロミネンスのように輝かしく変幻する音色、そして独特のアゴーギクは、聴衆をエクスタシーへと誘わずにおかないだろう。他方、グールドの演奏はそれよりはるかに遅く、どこまでも明晰だ。上で示唆したように、ホロヴィッツの「ヒストリック・リターン」を「ヒステリック・リターン」と揶揄したグールドは、ホロヴィッツお得意のレパートリーをあえて取り上げ、わざと対極的な演奏を呈示したかったのかもしれない。そうだとしても、しかし、ロマン主義の極限にあって無調の淵に足を踏み出そうとするスクリャービンの音楽は、いつかグールドを本気にさせたのではないか。たしかに、グールドのスクリャービンに、ホロヴィッツのようなディオニュソス的エクスタシーはない。だが、大きな歩幅で歩む左手のアルペジオに乗って、ゆっくりと、しかし大きく歌い上げられるロマンティックな動機は、やはり聴く者をエクスタシーへと誘うのだ——ただしアポロン的なエクスタシーに。繰り返すが、グールドによるマルチ・トラックの実験はいまも注目に値する。だが、われわれがそれを聴こうとするのは、結局のところ、そこに刻まれた音楽が圧倒的に素晴らしいからなのである。
(付け加えておけば、グールドの演奏で、第3主題のいくつかの箇所——126小節以下と136小節以下——の和音は、私の手元にある楽譜とも標準的な演奏とも違っている。グールドのことだから綿密なエディション・クリティックと周到な読みを踏まえているはずだとは思うのだが、少なくともスクリャービンに関しては、スタジオでの最初の演奏はボロボロで、その場で連習を重ねていったというから、バッハ演奏などとは事情が違うような気もする。スクリャービンに詳しい方の教示を待ちたい。)
さて、この実験とも関連して取り上げておきたいのは、ベルギーの絵本作家ガブリエル・ヴァンサンの『Un jour, un chien(アンジュール ある犬の物語)』に基づく二階健のアニメーション『アンジュール』のサウンドトラック『Glenn Gould meets Un jour, un chien』である。素材としてグールドの録音が使われているのだが、とくに注目すべきはテーマ曲になっているバッハ/グノーの「アヴェ・マリア」だ。周知のとおり、グノーは、バッハの平均律クラヴィア曲集第1巻第1曲の前奏曲を伴奏がわりに使い、そこに「アヴェ・マリア」のメロディを乗せた。問題は、その際、グノーが原曲の第22小節の後に原曲には存在しない1小節を挿入していることだ。むろん、グールドによる原曲の録音にその小節は含まれない。そこで、ゼンフ・スタジオがグールドの録音のデータ処理によって不在の1小節(そして序奏として反復される冒頭の4小節)を加えたものをMIDIピアノで演奏できるようにし、そこに宮本笑里がヴァイオリンでグノーのメロディを乗せ、プロデューサーの坂本龍一がシンセサイザーで音を添えるという、時を超えたコラボレーションが展開されたのである。結果は、愛らしいフィルムにぴったりの、実に生き生きした音楽となった。初めて聴いた人は、これがそのようにして合成された音楽だとはとても思えないのではないか。
それで思い出したのだが、ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)とギードゥレ・ディルヴァナウスカイテ(チェロ)が、ヴィクトリア・ポリェーヴァによって彼らのために書かれた「ガルフ・ストリーム」という曲を演奏するのを大阪で聴いたことがある。
http://www.officemusica.com/kremertrio_report.html
グノーの「アヴェ・マリア」の旋律を平均律クラヴィア曲集ではなく無伴奏チェロ組曲第1番冒頭の前奏曲と合わせ、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番のシャコンヌにシューベルトの「アヴェ・マリア」を合わせるという、意表をついたアイディアによるポストモダンな戯れ。他愛もないパズルといえばそれまでだが、清潔な演奏のせいもあって、なかなか印象的だった。そのクレーメルも、このアニヴァーサリーに『器楽の技法——グレン・グールドへのオマージュ』というCDをリリースしている。2010年のクロンベルク・フェスティヴァルのために委嘱されてポリェーヴァをはじめとする現代の作曲家たちがバッハを元に作った曲を、クレーメルとクレメラータ・バルティカの面々が演奏していくという趣向だ。グールドがピアノでやったことを、管弦楽でやってみようというのだろう。率直にいって、グールドがバッハの原曲を弾いて生み出した独自の表現に比べると、 バッハとのつながりは間接的で、全体に遊戯的な色彩が強くなっている。それなら「ガルフ・ストリーム」も収録すればよかったのではないかと思うが、それは含まれていない。こういう試みがなされること自体、それはそれでいいとして、それをグールドに結びつけるというのは、いささか牽強付会と言うべきではないか(最後に収録されたヴィクトル・キーシンの『「ゴルトベルク変奏曲」のアリア』には、グールドの1981年の録音にヴァイオリンが寄り添っていく短いシークエンスがある。詰まるところ、クレーメルはこうしてグールドと「共演」してみたかったのかもしれない)。
しかし、裏を返せば、ピアニストだけではない、すべてのミュージシャンにとって、グールドはいまもそれだけ大きな存在であり続けているということだろう。繰り返せば、没後30周年というと過去の人のように思えるが、生誕80周年——つまり生きていればまだ80歳なのだから、グールドはまだまだわれわれの同時代人なのだ。残された著作やドキュメンタリー、そして何よりも素晴らしい録音の数々を通じて、この多才な音楽家との対話はこれからも続いていくことだろう。おそらくその対話に終わりはない。
*後記:
宮澤淳一との対談の抜粋が『レコード芸術』2013年3月号に採録された。この対談では、グールド以後、興味深い実験を試みているピアニストとしてファジル・サイやフランチェスコ・トリスターノ(・シュリメ)にも言及し、グールドが自由だからこそピュアでオーセンティックな演奏を行ったのに対し、自由だからといって聴衆を沸かせるパフォ−マンスに走るのは邪道ではないか、といった議論をしている。このブログの2013年2月21日の項でそのトリスターノのコンサートを取り上げているので、参照されたい。
なお、ヴァン・クライバーンは2013年2月27日に死去した。ソ連から凱旋して騒がれた後は伸び悩み、ピアニストとして充実したキャリアを歩むことはなかった。
2012年11月8日