瀬戸内国際芸術祭(1-2)
浅田 彰
2013.03.21
女木島
昨日、大竹伸朗から聞いていたので、まずは女木島に向かう。この島の小学校(休校中)の校庭に、大竹伸朗が「女根/めこん」と題するオブジェをつくったというのだ。
前回、この小学校はさまざまなギャラリーのブースが並ぶ「福武ハウス」として使用されていた(今回、「福武ハウス」は小豆島の小学校を西沢立衛が改装して夏会期にオープンする予定である)。校庭には杉本博司のインスタレーションが展開されていたのだが、直島の護王神社(「家プロジェクト」のひとつ)や、ベネッセハウス・パーク棟の中庭を囲むコーナーの完成度とは対極的に、デュシャンをパロディしたジョークの連発といった感じで、確かに面白いには違いないものの、悪ノリという印象を禁じ得なかった—その悪印象は、まだ校庭に植物やケージが雑然と残っており、高温多湿のなか蚊に悩まされた、それゆえのバイアスだろうか。
今回は、一転してすっきりと整理された校庭に、宇和島で手に入れたという赤い巨大なブイが聳え立ち、それを植木鉢がわりに、椰子が植えられている。時間がたてば、椰子も他の植物も成長して、この「女根」に多彩な表情を与えていくことだろう。他方、周囲も蛍光塗料などを用いて思いっきりポップな色彩で仕上げられ、日本的な湿度は一掃されている。設備小屋の屋根の上で銀色のワニが「女根」に向けて大きく口を開いているのも面白い。総じて、「女根」というタイトルから連想されるかもしれない猥褻感は少しもなく、爽快そのものという印象である。大竹伸朗は、直島に、傑作「はいしゃ」(「家プロジェクト」のひとつ)に続き、銭湯「I♥湯」(これについては『美術手帖』2009年12月号に評を書いた)もつくっているが、後者の各所に配されたエロティックな図像が少しも猥褻感を感じさせない、その延長と言えばいいだろうか。そもそも、女木島・男木島を高松と結ぶ雌雄島海運のフェリーが「めおん」と呼ばれている(「雌」「雄」が「めん」「おん」)くらいだから、その文脈で言えば「めこん」というのはごく自然なタイトルであり、猥褻な印象を受けるとすれば、それは都会人の偏見なのだ。この校庭を見た後は、学校を出て、「めこんデルタ」に生える陰毛と見えなくもない浜辺の松林の方に回り、忠魂碑(すでに萎びきった「男根」?)と「女根」が並び立つ様子を見ておくのも一興である。
この作品には、「I♥湯」同様、大竹伸朗の絵付けしたタイルも使われているが、それを作った常滑では「INAXライブミュージアム」で大竹伸朗の「焼憶」展が開かれている(6月9日まで)。さらに、7月13日からは丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、7月17日からは高松市美術館で展覧会が開催される予定だから、夏会期にもぜひ瀬戸内を訪ね、ついでに「女根」の成長(?)を見に行かなければならない。
さて、これで主要な目的は果たしたわけだが、せっかく女木島まで来たのだから、バスで山に登り、山頂近くの鬼ヶ島大洞窟を訪ねることにした。そう、この島は、吉備から桃太郎が鬼退治にやってきた鬼ヶ島のモデルと言われているのだ(ベネッセ・コーポレーションの本社が岡山にあることを思えば、福武總一郎は現代の桃太郎というところか)。実は、洞窟にもフィリップ・アルタスのヴィデオ作品が展示されており、カタツムリの動きをなかなか面白く表現している(ウィリアム・ケントリッジの「ユビュ王」での三脚の動きを思い出した)のだが、それより何より、洞窟の中に鬼のフィギュアが所狭しと展示されていて、アートどころの騒ぎではない。それこそ、ヤノベケンジにでもこの洞窟をまるごと作品化してもらえば面白かったのではないか。
洞窟を出て、桜のつぼみが膨らむ山頂の公園を訪ねると、鷲ヶ峰展望台から360度の絶景を楽しむことができる。それにしても、目と鼻の先(フェリーで15分の距離)に高松がありながら、まったくの別世界なのだから、島というのは面白い。
港の近くに戻ってくると、ドビュッシーの「喜びの島」を奏でるピアノの音が響いてくる。その響きを追って MEGI HOUSE に入ると、午後のコンサートのためピアニストがリハーサルをしているところだった。リハーサルなのだから、演奏の質は問うまい。広い縁側に横になり、雨模様で寒かった昨日とは一転して初夏を思わせる陽射しを浴びながら、ピアノの音に耳を傾ける。島を駆け回ったあとの、贅沢な休息の一時だった。
男木島
女木島を見たのだから、男木島を見ないわけにはいかない。
フェリーを下りると、港から漁港の方に進み、男木小中学校(休校中)を目指す。会田誠をはじめとする昭和40年生まれのアーティストたちが、学校全体を使った展示を行っているのだ。Public School Showa 40 ——略して「PSS40」である。実のところ、女木小学校で展開される大竹伸朗のポップな展示と比べ、こちらではいささか湿った楽屋落ちを見せられるのではないかと危惧していたのだが、嬉しいことにこの予想ははずれた。たとえば校長室では、男木校長(パルコキノシタ)がドイツとウクライナと日本の子どもたちに描かせたオオタカの絵にコメントを付して展示している、これがなかなかいい(ウクライナのマトリョーシカ人形もかわいい)。かと思うと、日本地図を五色のゴム紐で縛った看板(ボンデージの舞台/対象となった日本?)のかかる「移動に注意を要する教室」に入ろうとすると、教室中に紐がはりめぐらされており、柔軟性に自信のある観客はそれをかいくぐって卓球台でプレイするよう芸術的体育教員(松蔭浩之)から促される(この紐は校庭にまで延長されて張られている)。壁に日本の立体地図が大きく展示されているのも効果的だ。実際、この学校は備品が充実していて、近くの理科室でも模型類や実験器具類を見ているだけで面白い。そこは「音楽実験室」になっていて、有馬純寿が、かつての生徒たちも聴いただろう学校周辺の物音の録音、あるいは残されていた金管楽器を松蔭浩之が演奏した録音などを編集したものが、多様なサウンドスケープを作り出している。その他、学校を舞台とするこの展示では、すれっからしに見えるアーティストたちが、「小学校からやりなおせ」という教訓をわがものとして、「アートとは何か」という問いにけっこう正面から取り組んでいるようで、好感をもって見ることができた。会期中には会田誠もここで滞在制作をするという。やはりここは「女根」に対抗して「男根」を制作するのがお約束かと思うのだが、どうだろう。
男木島には他にも多数のアート作品が展示されており、曲がりくねった坂道を歩きながらそれらに出会うのは楽しい経験だ。3年前に見た作品と再会するのも懐かしく、とくに各所に点在する眞壁陸二の路地壁画プロジェクトは、カラフルでありながらもはや島の景観に溶け込んでいるところが素晴らしい。この芸術祭では、パスポートにスタンプを押していく形式をとっているが、スタンプを集めることを自己目的化するのではなく、気の向くままに路地を散策し、たまたまアート作品に出くわしたら覗いてみるくらいでいいのではないか。芸術祭がなければ訪れる機会がなかっただろう島の景観は、それ自体でわれわれに多くを語ってくれる。
小豆島
女木島や男木島に比べて、小豆島ははるかに広く、本当は1日かけて回る必要がある。しかし、それは後に回すとして、まずは、島の東南端、『二十四の瞳』の分教場にも近い坂手港のヤノベケンジの作品を見ておくことにした。実のところ、関西からは、16年ぶりに復活したジャンボフェリー(ヤノベケンジの「ジャンボ・トらやん」が乗っているらしい)が神戸港から坂手港に着くので、ここから出発してもよかったのだが、今回は高松から出発したので、たまたまここが最後になった。
まず目を引くのは、港の突堤近くに聳え立つ「ザ・スター・アンガー」だ。回転する球体の上に龍が乗って周囲に牙をむいている。金属で覆われたそれらの表面が夕日を反射して眩しい。それ以上に、ドラゴンの凶暴きわまりない表情は、旅人をぎょっとさせるだろう。
さらに、港から坂を上って、神社の裏手まで行くと、巨大な井戸のごときものが設置されている。毎正時になると、この井戸からおどろおどろしい音が響き、やがて、頭に斧のつきささった巨大な怪物が8メートルほども伸び上って、口から大量の水を吐き出すのだ。題して「ANGER from the Bottom」。かつて自然の恵みを汲み取る場所であり、井戸端会議の舞台でもあった井戸は、近代化の果てにごみ捨て場として使われ、やがて忘れられてしまったが、そうした人間の暴力と忘却に対する自然の怒りが、いま地底から回帰してくる、というわけだ。実のところ、この「ANGER from the Bottom」は北野武(ビートたけし)との共作である。NHK BS Premium で放映された「たけしアート☆ビートSP」の取材のため京都造形芸術大学を訪れたたけしは、ヤノベケンジの主催するウルトラファクトリーにとくに興味を示し、自分もそこで何か作りたいと言い出した。そのコンセプトをヤノベケンジが料理して、この作品ができたというわけだ。実は井戸から響くあの音も、たけしの唸り声をコンピュータ処理したものなのである。番組の撮影のため、この作品は小豆島に運ばれる前に東京都現代美術館で短期間展示された。先に述べた作品のコンセプトは、このとき作者二人が述べたものだ。とくに、ヤノベケンジが、この作品を原発震災後の文脈に位置付けながら、「きずなやいやしを強調するのはいい。しかし、怒りを忘れているとしたらおかしいのではないか。北野武監督が『アウトレージ』シリーズで炸裂させた怒りと暴力がいまこそ大事だと思った」という主旨の発言をしたのは忘れがたい。東北の被災地でも展示された「サン・チャイルド」で、傷ついた子どもになお未来への希望を託して見せたヤノベケンジが、「ザ・スター・アンガー」と「ANGER from the Bottom」で容赦なく怒りを炸裂させる姿は、スリリングな見ものである。
ちなみに、東京現代美術館でのお披露目に長谷川祐子とともに立ち会った私は、「フォンダシオン・カルチエや東京オペラシティ アートギャラリーなどで展示されてきたたけしのアート作品は、ギャグの小道具、つまりは洒落なのであり、たけし自身そんなものを美術館が喜んで受け入れる状況自体を洒落として皮肉な目で楽しんでいる。しかし、ヤノベケンジに煽られて作品がここまで巨大化・本格化すると、もはや洒落にならない。そもそもアートとは洒落にならないものなのだ」という主旨のコメントを述べた。しかし、実は、洒落に類するプロジェクトもいま同時に進行中だ。京都を訪れたたけしは、私にギャグの道具としてつくられたあるオブジェの写真を示し、これを美術史的に位置づけて評価する一文を草してほしい、と言ってきた。このオブジェを解説つきで美術館に売り込み、拒否されたらその理由を書面で収集して、それをすべてあわせて作品にしたい、というのである。その話を杉本博司にしたら、彼も自発的に一文を草し、彼と私の解説つきでこのオブジェを森美術館の「Love」展(4月26日-9月1日)に出すよう提案、案の定拒否されたので、杉本博司をキュレーターとして白金アートコンプレックスで開催される「Memento Mori」展(4月13日~5月18日)に、「ANGER from the bottom」に関するヤノベケンジのスケッチなどと並べて出品されることになっている。「Memento Mori(死を忘れるな)」というタイトルは、「Love」展がエロスをテーマとしているのに対し「タナトスを忘れるな」という意味をもっているが、むろん「森(美術館)を忘れるな」という意味も併せ持っている。こんな悪い冗談に巻き込まれてしまった以上、私にも女木小学校の校庭でかつて杉本博司の展開したデュシャンピアン・ジョークに苦言を呈する資格はすでに無かったのかもしれない。
そんなことを考えながら坂手港に戻り、もうひとつの見ものと向かい合った。港の建物の壁一面にヤノベケンジの破壊と再生の神話を描いた巨大な壁画である。そこには、今回の二つの作品に描かれた凶暴なモンスターも描かれているが、大洪水のあと虹の彼方に見えてくるはずの再生も仄めかされている。考えてみれば、ヤノベケンジは原発震災より前の2010年に富山の発電所美術館で展開した「ミュトス」展の頃から、そういう神話を語り続けてきたのだ。坂手港に出現したのは、その新たなステップ——再生に至るのに避けては通れない「怒り」と「暴力」のモニュメントなのである。
実は、これら坂手港の作品は、椿昇がディレクターを務める「坂手港+醤の郷」プロジェクトの一部であり、醤油の産地として知られる近隣地域でいくつもの試みが進行中なのだが、それらを見て回るのは次の機会に譲らねばならない。小豆島では他の地域にもアート作品が散在している。そもそも、今回私が見たのは小豆島を含めても西側の5島(と高松港)に過ぎず、他の7島(と宇野港)には足を踏み入れてさえいない。だが、最初に言った通り、瀬戸内には瀬戸内の時間があるので、一気にすべてを見て回ろうなどと思わず、できる時にできる範囲で見て回ればいいのだ。近い将来、またこの瀬戸内の島々を再訪する機会を楽しみにしながら、私は夕暮れの小豆島を離れることにした—最後に半月に向かって吠える龍の凶暴な横顔を一瞥した後で。
3月21日
昨日、大竹伸朗から聞いていたので、まずは女木島に向かう。この島の小学校(休校中)の校庭に、大竹伸朗が「女根/めこん」と題するオブジェをつくったというのだ。
前回、この小学校はさまざまなギャラリーのブースが並ぶ「福武ハウス」として使用されていた(今回、「福武ハウス」は小豆島の小学校を西沢立衛が改装して夏会期にオープンする予定である)。校庭には杉本博司のインスタレーションが展開されていたのだが、直島の護王神社(「家プロジェクト」のひとつ)や、ベネッセハウス・パーク棟の中庭を囲むコーナーの完成度とは対極的に、デュシャンをパロディしたジョークの連発といった感じで、確かに面白いには違いないものの、悪ノリという印象を禁じ得なかった—その悪印象は、まだ校庭に植物やケージが雑然と残っており、高温多湿のなか蚊に悩まされた、それゆえのバイアスだろうか。
今回は、一転してすっきりと整理された校庭に、宇和島で手に入れたという赤い巨大なブイが聳え立ち、それを植木鉢がわりに、椰子が植えられている。時間がたてば、椰子も他の植物も成長して、この「女根」に多彩な表情を与えていくことだろう。他方、周囲も蛍光塗料などを用いて思いっきりポップな色彩で仕上げられ、日本的な湿度は一掃されている。設備小屋の屋根の上で銀色のワニが「女根」に向けて大きく口を開いているのも面白い。総じて、「女根」というタイトルから連想されるかもしれない猥褻感は少しもなく、爽快そのものという印象である。大竹伸朗は、直島に、傑作「はいしゃ」(「家プロジェクト」のひとつ)に続き、銭湯「I♥湯」(これについては『美術手帖』2009年12月号に評を書いた)もつくっているが、後者の各所に配されたエロティックな図像が少しも猥褻感を感じさせない、その延長と言えばいいだろうか。そもそも、女木島・男木島を高松と結ぶ雌雄島海運のフェリーが「めおん」と呼ばれている(「雌」「雄」が「めん」「おん」)くらいだから、その文脈で言えば「めこん」というのはごく自然なタイトルであり、猥褻な印象を受けるとすれば、それは都会人の偏見なのだ。この校庭を見た後は、学校を出て、「めこんデルタ」に生える陰毛と見えなくもない浜辺の松林の方に回り、忠魂碑(すでに萎びきった「男根」?)と「女根」が並び立つ様子を見ておくのも一興である。
この作品には、「I♥湯」同様、大竹伸朗の絵付けしたタイルも使われているが、それを作った常滑では「INAXライブミュージアム」で大竹伸朗の「焼憶」展が開かれている(6月9日まで)。さらに、7月13日からは丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、7月17日からは高松市美術館で展覧会が開催される予定だから、夏会期にもぜひ瀬戸内を訪ね、ついでに「女根」の成長(?)を見に行かなければならない。
さて、これで主要な目的は果たしたわけだが、せっかく女木島まで来たのだから、バスで山に登り、山頂近くの鬼ヶ島大洞窟を訪ねることにした。そう、この島は、吉備から桃太郎が鬼退治にやってきた鬼ヶ島のモデルと言われているのだ(ベネッセ・コーポレーションの本社が岡山にあることを思えば、福武總一郎は現代の桃太郎というところか)。実は、洞窟にもフィリップ・アルタスのヴィデオ作品が展示されており、カタツムリの動きをなかなか面白く表現している(ウィリアム・ケントリッジの「ユビュ王」での三脚の動きを思い出した)のだが、それより何より、洞窟の中に鬼のフィギュアが所狭しと展示されていて、アートどころの騒ぎではない。それこそ、ヤノベケンジにでもこの洞窟をまるごと作品化してもらえば面白かったのではないか。
洞窟を出て、桜のつぼみが膨らむ山頂の公園を訪ねると、鷲ヶ峰展望台から360度の絶景を楽しむことができる。それにしても、目と鼻の先(フェリーで15分の距離)に高松がありながら、まったくの別世界なのだから、島というのは面白い。
港の近くに戻ってくると、ドビュッシーの「喜びの島」を奏でるピアノの音が響いてくる。その響きを追って MEGI HOUSE に入ると、午後のコンサートのためピアニストがリハーサルをしているところだった。リハーサルなのだから、演奏の質は問うまい。広い縁側に横になり、雨模様で寒かった昨日とは一転して初夏を思わせる陽射しを浴びながら、ピアノの音に耳を傾ける。島を駆け回ったあとの、贅沢な休息の一時だった。
男木島
女木島を見たのだから、男木島を見ないわけにはいかない。
フェリーを下りると、港から漁港の方に進み、男木小中学校(休校中)を目指す。会田誠をはじめとする昭和40年生まれのアーティストたちが、学校全体を使った展示を行っているのだ。Public School Showa 40 ——略して「PSS40」である。実のところ、女木小学校で展開される大竹伸朗のポップな展示と比べ、こちらではいささか湿った楽屋落ちを見せられるのではないかと危惧していたのだが、嬉しいことにこの予想ははずれた。たとえば校長室では、男木校長(パルコキノシタ)がドイツとウクライナと日本の子どもたちに描かせたオオタカの絵にコメントを付して展示している、これがなかなかいい(ウクライナのマトリョーシカ人形もかわいい)。かと思うと、日本地図を五色のゴム紐で縛った看板(ボンデージの舞台/対象となった日本?)のかかる「移動に注意を要する教室」に入ろうとすると、教室中に紐がはりめぐらされており、柔軟性に自信のある観客はそれをかいくぐって卓球台でプレイするよう芸術的体育教員(松蔭浩之)から促される(この紐は校庭にまで延長されて張られている)。壁に日本の立体地図が大きく展示されているのも効果的だ。実際、この学校は備品が充実していて、近くの理科室でも模型類や実験器具類を見ているだけで面白い。そこは「音楽実験室」になっていて、有馬純寿が、かつての生徒たちも聴いただろう学校周辺の物音の録音、あるいは残されていた金管楽器を松蔭浩之が演奏した録音などを編集したものが、多様なサウンドスケープを作り出している。その他、学校を舞台とするこの展示では、すれっからしに見えるアーティストたちが、「小学校からやりなおせ」という教訓をわがものとして、「アートとは何か」という問いにけっこう正面から取り組んでいるようで、好感をもって見ることができた。会期中には会田誠もここで滞在制作をするという。やはりここは「女根」に対抗して「男根」を制作するのがお約束かと思うのだが、どうだろう。
男木島には他にも多数のアート作品が展示されており、曲がりくねった坂道を歩きながらそれらに出会うのは楽しい経験だ。3年前に見た作品と再会するのも懐かしく、とくに各所に点在する眞壁陸二の路地壁画プロジェクトは、カラフルでありながらもはや島の景観に溶け込んでいるところが素晴らしい。この芸術祭では、パスポートにスタンプを押していく形式をとっているが、スタンプを集めることを自己目的化するのではなく、気の向くままに路地を散策し、たまたまアート作品に出くわしたら覗いてみるくらいでいいのではないか。芸術祭がなければ訪れる機会がなかっただろう島の景観は、それ自体でわれわれに多くを語ってくれる。
小豆島
女木島や男木島に比べて、小豆島ははるかに広く、本当は1日かけて回る必要がある。しかし、それは後に回すとして、まずは、島の東南端、『二十四の瞳』の分教場にも近い坂手港のヤノベケンジの作品を見ておくことにした。実のところ、関西からは、16年ぶりに復活したジャンボフェリー(ヤノベケンジの「ジャンボ・トらやん」が乗っているらしい)が神戸港から坂手港に着くので、ここから出発してもよかったのだが、今回は高松から出発したので、たまたまここが最後になった。
まず目を引くのは、港の突堤近くに聳え立つ「ザ・スター・アンガー」だ。回転する球体の上に龍が乗って周囲に牙をむいている。金属で覆われたそれらの表面が夕日を反射して眩しい。それ以上に、ドラゴンの凶暴きわまりない表情は、旅人をぎょっとさせるだろう。
さらに、港から坂を上って、神社の裏手まで行くと、巨大な井戸のごときものが設置されている。毎正時になると、この井戸からおどろおどろしい音が響き、やがて、頭に斧のつきささった巨大な怪物が8メートルほども伸び上って、口から大量の水を吐き出すのだ。題して「ANGER from the Bottom」。かつて自然の恵みを汲み取る場所であり、井戸端会議の舞台でもあった井戸は、近代化の果てにごみ捨て場として使われ、やがて忘れられてしまったが、そうした人間の暴力と忘却に対する自然の怒りが、いま地底から回帰してくる、というわけだ。実のところ、この「ANGER from the Bottom」は北野武(ビートたけし)との共作である。NHK BS Premium で放映された「たけしアート☆ビートSP」の取材のため京都造形芸術大学を訪れたたけしは、ヤノベケンジの主催するウルトラファクトリーにとくに興味を示し、自分もそこで何か作りたいと言い出した。そのコンセプトをヤノベケンジが料理して、この作品ができたというわけだ。実は井戸から響くあの音も、たけしの唸り声をコンピュータ処理したものなのである。番組の撮影のため、この作品は小豆島に運ばれる前に東京都現代美術館で短期間展示された。先に述べた作品のコンセプトは、このとき作者二人が述べたものだ。とくに、ヤノベケンジが、この作品を原発震災後の文脈に位置付けながら、「きずなやいやしを強調するのはいい。しかし、怒りを忘れているとしたらおかしいのではないか。北野武監督が『アウトレージ』シリーズで炸裂させた怒りと暴力がいまこそ大事だと思った」という主旨の発言をしたのは忘れがたい。東北の被災地でも展示された「サン・チャイルド」で、傷ついた子どもになお未来への希望を託して見せたヤノベケンジが、「ザ・スター・アンガー」と「ANGER from the Bottom」で容赦なく怒りを炸裂させる姿は、スリリングな見ものである。
ちなみに、東京現代美術館でのお披露目に長谷川祐子とともに立ち会った私は、「フォンダシオン・カルチエや東京オペラシティ アートギャラリーなどで展示されてきたたけしのアート作品は、ギャグの小道具、つまりは洒落なのであり、たけし自身そんなものを美術館が喜んで受け入れる状況自体を洒落として皮肉な目で楽しんでいる。しかし、ヤノベケンジに煽られて作品がここまで巨大化・本格化すると、もはや洒落にならない。そもそもアートとは洒落にならないものなのだ」という主旨のコメントを述べた。しかし、実は、洒落に類するプロジェクトもいま同時に進行中だ。京都を訪れたたけしは、私にギャグの道具としてつくられたあるオブジェの写真を示し、これを美術史的に位置づけて評価する一文を草してほしい、と言ってきた。このオブジェを解説つきで美術館に売り込み、拒否されたらその理由を書面で収集して、それをすべてあわせて作品にしたい、というのである。その話を杉本博司にしたら、彼も自発的に一文を草し、彼と私の解説つきでこのオブジェを森美術館の「Love」展(4月26日-9月1日)に出すよう提案、案の定拒否されたので、杉本博司をキュレーターとして白金アートコンプレックスで開催される「Memento Mori」展(4月13日~5月18日)に、「ANGER from the bottom」に関するヤノベケンジのスケッチなどと並べて出品されることになっている。「Memento Mori(死を忘れるな)」というタイトルは、「Love」展がエロスをテーマとしているのに対し「タナトスを忘れるな」という意味をもっているが、むろん「森(美術館)を忘れるな」という意味も併せ持っている。こんな悪い冗談に巻き込まれてしまった以上、私にも女木小学校の校庭でかつて杉本博司の展開したデュシャンピアン・ジョークに苦言を呈する資格はすでに無かったのかもしれない。
そんなことを考えながら坂手港に戻り、もうひとつの見ものと向かい合った。港の建物の壁一面にヤノベケンジの破壊と再生の神話を描いた巨大な壁画である。そこには、今回の二つの作品に描かれた凶暴なモンスターも描かれているが、大洪水のあと虹の彼方に見えてくるはずの再生も仄めかされている。考えてみれば、ヤノベケンジは原発震災より前の2010年に富山の発電所美術館で展開した「ミュトス」展の頃から、そういう神話を語り続けてきたのだ。坂手港に出現したのは、その新たなステップ——再生に至るのに避けては通れない「怒り」と「暴力」のモニュメントなのである。
実は、これら坂手港の作品は、椿昇がディレクターを務める「坂手港+醤の郷」プロジェクトの一部であり、醤油の産地として知られる近隣地域でいくつもの試みが進行中なのだが、それらを見て回るのは次の機会に譲らねばならない。小豆島では他の地域にもアート作品が散在している。そもそも、今回私が見たのは小豆島を含めても西側の5島(と高松港)に過ぎず、他の7島(と宇野港)には足を踏み入れてさえいない。だが、最初に言った通り、瀬戸内には瀬戸内の時間があるので、一気にすべてを見て回ろうなどと思わず、できる時にできる範囲で見て回ればいいのだ。近い将来、またこの瀬戸内の島々を再訪する機会を楽しみにしながら、私は夕暮れの小豆島を離れることにした—最後に半月に向かって吠える龍の凶暴な横顔を一瞥した後で。
3月21日