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大阪に本格的な美術館が?!——「美の響演 関西コレクション」展
浅田 彰

2013.04.06
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大阪に本格的な美術館ができた——というのは、むしろ4月1日にふさわしいジョークだろうか。実のところ、私が語ろうとしているのは、関西の6つの美術館

国立国際美術館(N)
大阪市立近代美術館建設準備室(O)
京都国立近代美術館(K)
滋賀県立近代美術館(S)
兵庫県立美術館(H)
和歌山県立近代美術館(W)

の名品を集めた「美の響演 関西コレクションズ」展——けっこう見応えのある、しかしもちろん一時的な展覧会のことだ。企画の性格からして、全体を貫くテーマがあるわけではないし、各々の館にもスター級の作品は残しておかないといけないから、「美の饗宴」と呼べるほど名品が揃っているわけでもない——だから「美の響演」なのだろうか。とはいえ、展覧会としてはなかなかの充実ぶりで、コレクションをもとにいつもこの程度の常設展が見られる(それに加えて企画展を見られる)、そんな美術館があるとすれば素晴らしいだろうと思わずにいられなかった。

とくに印象的だった部分をアト・ランダムにあげてみれば;

入口に高く掲げられたバーバラ・クルーガーの「私を覚えていて(Remember Me)」(W)は、「覚えていて」も何も今回初めて見たのだが、展覧会のエンブレムとしても効果的だ。

マティスの「鏡の前の青いドレス」(K)は、京都で見慣れた作品だが、しばしばガラス・ケースに入っていたりする、それが今回ダイレクトに照明を当てられているのを見ると、ずいぶん印象が違う。

最初の方の彫刻の中に、注目すべきものがある。

レイモン・デュシャン=ヴィヨンの「ボードレール」像(H)を、兄のジャックとレイモンをモデルにしたマルセル・デュシャンのエッチング「チェス・プレーヤー」(N)と並べて見るのは、なかなか面白い。
ジャコメッティの「石碑㈵」(H)、そしてとくに「鼻」(O)はやはり圧倒的だし、ブランクーシの「空間の鳥」(1925年作、ただしこれは死後1982年再鋳造のもの:S)と、アルプの「植物のトルソ」(O)を、とくに台座に注目して比較してみるのも面白い(とくにブランクーシの場合、台座が重要なのだが、これも再制作なのだろうか)。

モーリス・ルイスのステイニングによる大作三点(S、N、O)が三方の壁を占めるコーナーはやはり美しいとしか言いようがないし、対照的に色彩を記号的に扱うドナルド・ジャッドのアルミニウム・ボックス(W)が通路側のもうひとつの壁にかけてある、そのコントラストも興味深い。

企画展としてはまとまりがないにせよ、常設展でこうした印象的なコーナーがいくつかあれば、それだけで美術館を訪れる価値があると言ってよい。それにしても、こうしてほんの一端に触れるだけでも、大阪市立近代美術館建設準備室のコレクションがときどき公開されるだけで公衆の目に触れない場所に長く死蔵されている、これは大きな損失だと改めて痛感させられた。後で触れるようにいろいろな議論はあるものの、早い時期に公衆がそれに触れる恒久的な場がつくられることを強く希望する。

その前に付け加えておくが、この常設展のような企画展だけではなく、国立国際美術館自体の企画展もなかなか見応えがある。

「ピカソの版画と陶芸」展は、コレクションから版画や陶芸を集めた小規模な展示だが、無数の作品を残した巨大な芸術家の軌跡を、いわば周辺部分から、初期(とくにドライポイントの「サロメ」[1905])から後期にいたるまでざっと見通す機会としては悪くない。

さらに、「塩見允枝子とフルクサス」展は、音楽や詩の領域で重要な位置を占める彼女の作品を核としてフルクサス関係の資料がまとめて展示されており、芸術的にはともあれ、歴史的にたいへん興味深い。ジョージ・マチューナスがフルクサスを歴史的に位置づけたダイアグラム(京都国立近代美術館蔵)をつぶさに見れば、少なくともこの時期までの前衛が歴史の流れをいかに重視していたかがよくわかる。他方、やや周辺的なところでは、リチャード・ハミルトンの「鏡の送り返し」(タイトルの示すとおりデュシャンにまつわる作品)が展示されているのが印象的だった。また、おそらくこの展覧会とは別なのだろうが、外のロビーに展示された藤本由紀夫の「THE MUSIC (FRAMES)」は、音楽をオブジェにした作品であり、この展覧会との関連で見ることもできる。間を通り抜けられるように平行に設置された2枚の透明アクリル板。それぞれの両面に9個つずつ計18個、2枚あわせて計36個の小さなオルゴールが取り付けてあり、ネジを巻くと12音音列とおぼしき音が鳴る。他方、これらのオルゴールは、ランダムとおぼしき位置に配置されている。シェーンベルクからブーレーズらにいたるセリー(音列)主義とケージの偶然性——つまり20世紀音楽の二つの原理を最小限のしかけで見事に統合して示す、しかも観客が体験して楽しい傑作だ(強いていえば、コンセプトがあまりに明快に表現されているのでゲームのように見えてしまうのが難点かもしれないが、その軽さはアーティストが意図的に選び取ったものだろう)。2011年に ShugoArts の個展で見て感心したこの作品と思わず再会することができただけでも、大阪まで来た価値はあった。そう、個人的に言えば、この作品を見るためだけにでも、国立国際美術館を訪れる価値はあると思う——そのついでに関西一円の美術館の名品をざっと見渡すことがもできるのだし…。

ついでに言えば、中之島を離れ、天王寺公園まで行くと、大阪市立美術館で「ボストン美術館 日本美術の至宝」展が開催されている(昨年4月から全国を巡回した展覧会の最後の開催地だ)。フェノロサらが明治初期に収集した、いまではとても手に入れることのできない名品揃いのコレクションで、やはりこれがこの美術館のコレクションだったら素晴らしいだろうと思わずにいられない。しかも、東京では内覧会でさえ押すな押すなの盛況だったのが嘘だったかのように、大阪では会場ははるかに空いていて、平日の夕方ともなると展示ケースひとつをひとりじめにして見られるくらいだ。ボストンに帰ってしまったらなかなか見る機会はないだろうから(そもそもボストン美術館の日本美術コーナーはコレクションのごく一部を展示するスペースしかない)、いまのうちにぜひ見ておくことを勧める。

ここでミュージアムからいったん離れて、たとえば図書館を見るなら、蔵書の電子データ化とネットでの公開が進んできていることに気付かされる。振り返ってみれば、海外留学のひとつの目的は、現地の図書館でなければ読めない貴重な文献を読むことだったのだから、それが自宅からアクセスできるようになりつつある、これは革命的な変化とさえ言えるだろう。

アートやデザインの作品についても、同じようにネットで見られるものの範囲はどんどん増えている。しかし、それで得られるのは作品の情報であって、作品を体験するにはやはり現物を見に行くべきだ——というのはいまや時代遅れの古い考え方だろうか。そもそも、その論法でいけば、「美術館に移された宗教美術を見るのは本当の体験とは言えず、元々の信仰の場——たとえば教会や寺社で見るべきだ」ということにもなるだろう。とはいえ、現在ネットでやりとりできる情報のレヴェルに比して、やはり現物を目の前にして得られる情報の量は圧倒的に多い(「体験」という言葉をあえて使わないとしても)。その意味で、ミュージアム(美術館・博物館)はこれからも重要な存在であり続けるだろう。

その場合、一方では、そこさえ訪れればかなりまとまった作品群に触れることのできる大規模な美術館(パリのルーヴル、オルセー、ポンピドーのような)、他方ではそこを訪れること自体が忘れがたい体験となるような小規模な美術館が重要性を増す半面、中途半端な公共美術館の類は淘汰されていくのではないか。私は、橋下徹(前大阪府知事・現大阪市長)の右翼ポピュリズムに全体として批判的だが、大阪に中途半端な公共美術館をこれ以上つくっても仕方がないという判断は基本的に正しいと言わざるを得ない。なかなか建築に至らない大阪市立近代美術館と、天王寺公園にある大阪市立美術館を統合する形で、新しい美術館をつくってはどうか、という提案も面白いのではないかと思う。中之島の国立国際美術館の北側に確保されている市立近代美術館予定地にそういう総合的な美術館ができれば、観客は両方を一度に訪れることができるわけだ。そこに今回の「ボストン美術館」展と「美の響演」展をあわせた質と量のコレクションをもつ美術館があったとしたら、確かに見ものだろう。しかし、ひとつだけ大きな問題がある。確率は低いものの、大規模な南海トラフ地震が起こったとしたら、津波はやすやすと水門を超えて中之島を呑み込み、地下の建築である国立国際美術館などは完全に水没してしまうだろう。しかし、そのレヴェルの津波ともなると、現在の大阪市立美術館や大阪府庁舎を統合美術館にしたとしても、やはり被害にあう可能性が高い。考え直してみれば、すべてを集積した巨大なミュージアムに内外の観客を集めるという発想自体、近代のパラダイムの一環として根底的に見直す必要があるのかもしれない。