『中原浩大 自己模倣』展
小崎 哲哉
2013.10.21
某月某日
岡山県立美術館で『中原浩大 自己模倣』展を観る。しかし、これは「アート展」だろうか?
レゴで作った有名な作品や、美少女フィギュアを使った作品の嚆矢とされる「ナディア」がある。21年前に僕も体験した「デートマシン」の再制作版がある。某美術館で展示を断られたという日の丸をモチーフにした壁画もある。公式ウェブサイトによれば「80-90年代に発表されて以後、ほとんど展示される機会のなかった作品が、展覧会の一つの柱」だそうで、150点ほどの「作品」が(順不同で)並べられている。だから確かに「アート展」と呼んでもいいのだろう。とはいえ、その呼び名に違和感があることも事実だ。
だって、例えば「フリーザーの使用」(1991-94)は業務用冷凍庫に作家の好きなものを入れた作品だが、中身が空っぽのオリジナルの横に、「再制作」されたという新しいものが並べられている。それはよいとして、それ以外に新品の冷凍庫がなぜか2台陳列されている。作家によれば「同じ型の製品がまだ残っていたから、学芸員に呆れられたけど大人買いした」とのこと。意味がわからない(笑)。
展覧会名の「自己模倣」は意味深だが、ひとつには2010年の夏に作品倉庫が焼けたことが理由だという。そのために修復と再制作を行うのが今回の企画のひとつの眼目で、会期中にいくつかの作品があらためて作成された。それもよいとして、「プラモデルの展示」なる展示が「再制作」と名付けられ、ガラスケースの中に収まっている。中にあるのは、男の子心を大いにそそる宇宙船や原発(!)などのプラモデル。それも封を開けていない箱のままで、eBayやヤフオクなどで買い集めたのだという。正確には「再収集」と呼ぶべきこれらが、過去の「作品」の「再制作」として、その他の「作品」とともに展示されている理由・根拠は何か。
さらに、「子どもの作ったドット地図」がある。「僕が子どもに作った3つのレゴ」(レプリカ)と「それを分解して子どもが作り返したレゴ」(オリジナル)からはまだしも「作品っぽさ」が感じられるが(つまり、何かコンセプトがあるように思えなくもないが)、「子供が角をかじった箱」や「子どもの作ったオムツ落書き」となるとどうなのか。「作品の署名性」なんていう言葉が、疑問とともにむくむくと頭をもたげてくる。だが同時に、陽光がさんさんと射し、気持ちのよい風が流れる草原を走り抜けるときのような、何とも言えない解放感が体中にあふれてもくる。人はここまで自由になれるのか!
いや、これはすごい。よく知られているように、中原は1993年にヴェネツィア・ビエンナーレの若手作家部門『APERTO』に参加して以来、思うところがあるのだろう、いわゆるアートシーンとは距離を取り続けている。でも、ここまで自由になっているのは本当にすごいことだと思う。比較するのが馬鹿げていることを承知で言えば、デュシャンよりもウォーホルよりもはるかにすごい。現代アートの父とポップアートの巨匠の素晴らしさは、言うまでもなく「アート」の概念を圧倒的に拡大したことだが、当然ながらふたりの巨人はアーティストであり、したがって常に「アート」の内部にいた。中原は作家であることや「アート」には、もはやまったくこだわっていないように見える。
この展覧会は公立美術館という制度の枠組内で企画され、開催されている。また、中原は高校時代から『美術手帖』を愛読し、つとに1980年代に彫刻に新たな素材を導入し、シミュレーショニズム的な、あるいはリレーショナルアート的な作品群を時代に先駆けて多数作成した。『APERTO』参加以前から、関西ニューウェーブやジャパニーズネオポップの旗手として注目され、村上隆ら同時代の、あるいは後世の作家に大きな影響を与え、いまは母校の京都市立芸大で教鞭を執っていて、人も知るアート史通・理論通でもある。だから「何を言っているんだ。もちろんアートだ」という向きもあるだろう。
だが93年以降の中原は、「アート」を完全に突き抜けているのだと思う。アート史も、理論も、批評も、もちろんマーケットも、関心の埒外にあるのではないか。いや、子供のころからアートは好きだったのだから(マーケットは除いて)関心は残っているかもしれない。しかしそれは「絵を描くのが好き」「プラモデルを作るのが好き」「楽しくなる作品であれば、それを観るのは好き」というレベルなのではないか。「アートである/ない」の区別にさえ関心がない、まったくの自然体ではないかと想像する。
昨年10月、伊丹市立美術館で『コーちゃんは、ゴギガ?——中原浩大Drawings 1986-2012』展を開催した際に、中原は長年の友人でもあるアーティスト、石原友明と対談した。その折に近年撮り続けているツバメの写真について問われ、「ツバメの観察という体験が主で、写真を美術作品として発表するのは従」と明言している。ここ数年、ギャラリーや美術館など、アートの制度内における発表の機会が増えたのは、たまたまそこが自分の暮らす世界に近いということが理由であって、実はどこでもよかったのだろう。
自分が関心を抱いたことのみに思いを馳せ、好きなものを描いたり、買ったり、集めたりする。気が向けばそれらを、子どものように無邪気に発表することもある。それが「アート」であろうがあるまいが、そんなことはどうでもいい。そうした心境は俗世を離れた仙人のそれであるだろう。仙境に遊ぶ中原をまねることは凡人にはできない。けれども、同時代にこうした仙人がいると知ると、誰であれ心温まり、心励まされるに違いない。
『中原浩大 自己模倣』展(岡山県立美術館) 2013.9/27 – 11/4
REALKYOTO PICKS
『中原浩大 自己模倣』公式ウェブサイト
岡山県立美術館で『中原浩大 自己模倣』展を観る。しかし、これは「アート展」だろうか?
レゴで作った有名な作品や、美少女フィギュアを使った作品の嚆矢とされる「ナディア」がある。21年前に僕も体験した「デートマシン」の再制作版がある。某美術館で展示を断られたという日の丸をモチーフにした壁画もある。公式ウェブサイトによれば「80-90年代に発表されて以後、ほとんど展示される機会のなかった作品が、展覧会の一つの柱」だそうで、150点ほどの「作品」が(順不同で)並べられている。だから確かに「アート展」と呼んでもいいのだろう。とはいえ、その呼び名に違和感があることも事実だ。
だって、例えば「フリーザーの使用」(1991-94)は業務用冷凍庫に作家の好きなものを入れた作品だが、中身が空っぽのオリジナルの横に、「再制作」されたという新しいものが並べられている。それはよいとして、それ以外に新品の冷凍庫がなぜか2台陳列されている。作家によれば「同じ型の製品がまだ残っていたから、学芸員に呆れられたけど大人買いした」とのこと。意味がわからない(笑)。
展覧会名の「自己模倣」は意味深だが、ひとつには2010年の夏に作品倉庫が焼けたことが理由だという。そのために修復と再制作を行うのが今回の企画のひとつの眼目で、会期中にいくつかの作品があらためて作成された。それもよいとして、「プラモデルの展示」なる展示が「再制作」と名付けられ、ガラスケースの中に収まっている。中にあるのは、男の子心を大いにそそる宇宙船や原発(!)などのプラモデル。それも封を開けていない箱のままで、eBayやヤフオクなどで買い集めたのだという。正確には「再収集」と呼ぶべきこれらが、過去の「作品」の「再制作」として、その他の「作品」とともに展示されている理由・根拠は何か。
さらに、「子どもの作ったドット地図」がある。「僕が子どもに作った3つのレゴ」(レプリカ)と「それを分解して子どもが作り返したレゴ」(オリジナル)からはまだしも「作品っぽさ」が感じられるが(つまり、何かコンセプトがあるように思えなくもないが)、「子供が角をかじった箱」や「子どもの作ったオムツ落書き」となるとどうなのか。「作品の署名性」なんていう言葉が、疑問とともにむくむくと頭をもたげてくる。だが同時に、陽光がさんさんと射し、気持ちのよい風が流れる草原を走り抜けるときのような、何とも言えない解放感が体中にあふれてもくる。人はここまで自由になれるのか!
いや、これはすごい。よく知られているように、中原は1993年にヴェネツィア・ビエンナーレの若手作家部門『APERTO』に参加して以来、思うところがあるのだろう、いわゆるアートシーンとは距離を取り続けている。でも、ここまで自由になっているのは本当にすごいことだと思う。比較するのが馬鹿げていることを承知で言えば、デュシャンよりもウォーホルよりもはるかにすごい。現代アートの父とポップアートの巨匠の素晴らしさは、言うまでもなく「アート」の概念を圧倒的に拡大したことだが、当然ながらふたりの巨人はアーティストであり、したがって常に「アート」の内部にいた。中原は作家であることや「アート」には、もはやまったくこだわっていないように見える。
この展覧会は公立美術館という制度の枠組内で企画され、開催されている。また、中原は高校時代から『美術手帖』を愛読し、つとに1980年代に彫刻に新たな素材を導入し、シミュレーショニズム的な、あるいはリレーショナルアート的な作品群を時代に先駆けて多数作成した。『APERTO』参加以前から、関西ニューウェーブやジャパニーズネオポップの旗手として注目され、村上隆ら同時代の、あるいは後世の作家に大きな影響を与え、いまは母校の京都市立芸大で教鞭を執っていて、人も知るアート史通・理論通でもある。だから「何を言っているんだ。もちろんアートだ」という向きもあるだろう。
だが93年以降の中原は、「アート」を完全に突き抜けているのだと思う。アート史も、理論も、批評も、もちろんマーケットも、関心の埒外にあるのではないか。いや、子供のころからアートは好きだったのだから(マーケットは除いて)関心は残っているかもしれない。しかしそれは「絵を描くのが好き」「プラモデルを作るのが好き」「楽しくなる作品であれば、それを観るのは好き」というレベルなのではないか。「アートである/ない」の区別にさえ関心がない、まったくの自然体ではないかと想像する。
昨年10月、伊丹市立美術館で『コーちゃんは、ゴギガ?——中原浩大Drawings 1986-2012』展を開催した際に、中原は長年の友人でもあるアーティスト、石原友明と対談した。その折に近年撮り続けているツバメの写真について問われ、「ツバメの観察という体験が主で、写真を美術作品として発表するのは従」と明言している。ここ数年、ギャラリーや美術館など、アートの制度内における発表の機会が増えたのは、たまたまそこが自分の暮らす世界に近いということが理由であって、実はどこでもよかったのだろう。
自分が関心を抱いたことのみに思いを馳せ、好きなものを描いたり、買ったり、集めたりする。気が向けばそれらを、子どものように無邪気に発表することもある。それが「アート」であろうがあるまいが、そんなことはどうでもいい。そうした心境は俗世を離れた仙人のそれであるだろう。仙境に遊ぶ中原をまねることは凡人にはできない。けれども、同時代にこうした仙人がいると知ると、誰であれ心温まり、心励まされるに違いない。
『中原浩大 自己模倣』展(岡山県立美術館) 2013.9/27 – 11/4
REALKYOTO PICKS
『中原浩大 自己模倣』公式ウェブサイト