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3月25日の「芦屋の近代 現代のとりくみ」展
福永 信

2018.04.10
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もう終わってしまったので事後報告になるが、伊藤存伊達伸明中村裕太と一緒に「一日だけの展覧会」をやった(企画は芦屋市立美術博物館学芸員 大槻晃実)。「芦屋の近代 現代のとりくみ —当館コレクションより」と題した展覧会で、一日中ギャラリートークをすることにしたのだが、これがやってみておもしろかった。

会場2で出品作であるハナヤ勘兵衛「造船所」関係資料について語る伊達。
この展覧会では、会場1と会場2に合計32作品を展示し、それ以外のスペースに15作品ほど展示した。
同時開催の歴史展示室「昔のくらし—昭和のころの衣・食・住」展にも
4人の「昭和のころの」私物を持ち込み、解説を付した。


写真でこうしてみると、普通のギャラリートークとそう変わらないかもしれない。しかし一日中(というか10時開館から17時の閉館まで)トークするというのはなかなか大変である。一日中ギャラリートークをするためには、①展示作品数がトークに一日かかるほど異様に多いか、②展示作品数はそれほど多くないが、1作品あたり、かなり長くトークするか、③同じ作品を繰り返し何度もトークするか、この①から③のどれかでないといけないわけであるが、いずれにしても、ヘンな体験である(お客さんにとっても、僕らにとっても)。我々の選んだ道は③であるが、具体的にどうやったかというと、トーナメント式に、2点ずつ組み合わせてトークした。

吉原治良「漁夫(仮題)」と仲田好江「楽譜のある静物」を前にトークする
伊藤、中村、伊達、福永(前列、右から)。


我々はまず、全部の展示作品を選び、それらの解説を学芸員と手分けして書き、トークするための組み合わせを決めた。1回戦は、会場1と会場2の全展示作を2点ずつセットにしてトークする。そのどちらか一方が勝ち、2回戦に進むことになる。トーナメント式なので、3回戦、準決勝と進む。

ところで、「2回戦に進む」といっても、勝ち負けはどう決まるのか。我々が慎重に検討した「勝ち負け」の基準は、作品の優劣ではなく、「トーク」の勝ち負けというものである。我々がどんなトークが披露できるのか、が問われているわけである。作品を見るのに面白い「見方」を提示できた方が勝ち。2作品をじっくり見ながらトークを10分間やって、決まり手を導き出す。「決まり手」とは、一言でその作品の魅力を言い切るキャッチコピーみたいなもの。乱暴といえば乱暴な話であるが、ハッキリと断言することがこの場合大事なのである。「決まり手」が、そのトークの内容を集約しているわけである。

児玉多歌緒によるスケッチ帖3冊(1918、1919、1921)と吉田稔郎「作品」(1965)のギャラリートーク。
初戦は素材の新しさとそこに込められたユーモアを読み取った福永が中心になって語り、2回戦に進んだ吉田作品だったが、風景の細部まで同じ目線で均等に埋める児玉作品の観察力を指摘する伊藤に圧倒され、「決まり手」は「メヂカラ」となった。


事前に、とりくみのすべては、我々が決めていた(入場するときに配布した資料に、「作品解説」と共に全ギャラリートークの「時間割」を掲載した。つまり、トーナメントとは名ばかりで、実はとりくみの「結果」を最初から仕込んでいたわけである)。また、トークでの決まり手もあらかじめ決めていた。なぜ最初から全部、「結果」が決まっていたのか。それはこの企画が、「小出楢重のガラス絵をどう見せるか」から始まっているからである。ガラス絵は、ガラスに直接描いていくわけで、描くプロセスが通常の絵とは全く異なる。手順が逆さまなのだ。我々のこの「一日だけの展覧会」のとりくみや決まり手も、それにならって、ガラス絵的に「最初から決めておく」ことになったのである。我々は前日に、ギャラリートークのリハーサルをやっており、当日のトークは、アドリブや逸脱も多かったが、基本的には念入りに準備されたものだった。

小出楢重のガラス絵「裸女(赤いバック)」(1930)を、長谷川三郎の書「眼横鼻直」(1956頃)と
並べてトーク中の伊藤。ガラス絵は展示ケースの中に水平に置かれているので写真ではわからないが、
金色の額縁と手頃なその大きさから、福永は「これはいい灰皿になる」とアドリブでコメント。


「とりくみ」「決まり手」というからには、当然のことながら、相撲が下敷きになっている(芦屋市立美術博物館の方に、拍子木を打ってもらったり、呼出役をやっていただいたりもした)。当日は、春場所の千秋楽だったが、実は、この千秋楽に合わせて開催日を決めたのである。

2回戦、3回戦、準決勝、決勝と勝ち進んでいくが(上述のようにその「勝敗」はあらかじめ決めていたのだが)、そのたびに我々は何度も同じ作品をトークすることになる。これが面白い。我々がやりたかったのは、この「何度も語る」である。同じ作品を何度も語ることで、同じ作品が、その都度ちがうように見えてくる可能性が出てくる。単純に、同じ作品を何度も語ることで、思いもつかなかった、ヘンな言葉が出てくるだろう、という予感もあった。

トークが白熱しすぎて松田豐の動く作品「CRU-CRU-BOX」(1966)が
お客さんに見えづらくなる事態も。右の白髪一雄「捷行」とのとりくみ。


これはすでに甘酸っぱい思い出なのであるが、美術館側は当初、我々の「トーナメント方式でトークをする」というアイデアに対して「作品に勝ち負けをつけるのはやめてほしい」と難色を示した。むろん実際に作品に勝ち負けがあるはずがないのは当然のことであるし、「トーナメント方式のトーク」というルールがバカバカしいことは我々も重々わかっている。我々のギャラリートークでの「勝ち(=価値)基準」は、主観的なものであって、バカバカしくも「勝ち」と言い切ることで、このトーナメントのゲーム性をちゃんと示したかった。遊戯的な側面を強調することで、美術という制度(ルール)への意識に繋げたかったのである。何しろ、ゲームは厳格なルールがなければゲームにならないからだ。我々は結構しぶとく「勝ち負け」にこだわったのだが、美術館としては、「それはわかるが、勝ち負けという言葉だけが一人歩きすると困る」というわけであった。「勝ち」とか「負け」とかいう言葉は断固NGだというのである。私は「美術館よ、強情だな」と思ったが、美術館から見たら、我々が強情に映っただろう。結局このやりとりの勝ち負けは、美術館側に軍配が上がったのだが(トーナメント表の図示は認められなかったが、ギャラリートーク自体をトーナメント方式で行うことは問題ないということだった)、このやりとりでなんというか気になったのは、「美術館よ、気にしすぎではないか」ということである。言葉に関して、「美術館よ、過敏すぎやしませんか」と思う事例を近年よく見かけるが、その小さい版を見た感じだ。我々4人に声をかけるくらいの素晴らしい見識と敏感なアンテナを持った美術館なのだから、もっと堂々としていてくれないか。というのが率直な感想だ。「過敏であること」と「敏感であること」はまるで異なる事態であり、履き違えるのは愚かなことである。我々の事例などかわいいものであると思うが、普段からコツコツと稽古することが大事であってそれを怠っているといざという時、美術館よ、結びの一番というような、大勝負で負けることになるぞと思った次第。

ところで相撲には休場というものが付き物だが、我々のこの展示でも予期せぬ事態が訪れた。松田豐の動く作品「CHO-CHO-PI 」(1966)、「CRU-CRU-BOX」(1966)、「STAGE-41」(1989)を出品する予定だったのだが、「CHO-CHO-PI 」と「STAGE-41」のモーターが故障しており動かないことが直前に判明したのである。そこで急遽、松田豐に代わって、芦屋市立美術博物館の所蔵から、別の作者の作品に「友情出品」してもらうことにした。今井祝雄「白のイベントⅠ」(1965)、「白のイベントⅡ」(1965/1993年に再制作)と聴濤襄治「WORK-2-7-68」(1968)である。どちらの作品も素材に「モーター」を使用していることから、このたびの友情出品が実現した。動力を用いる作品のメンテナンスの難しさに直面したわけだが(これも近年よく問題になる、アーカイヴの厄介さだろう)、今井、聴濤両作品を見てもらう機会を得られて、結果としては良かったと思う。ただ、痛恨だったのは、さっきから言っているように我々のトーナメントは八百長なので、すでに勝敗が決まっており、このハプニングに対応できず、「休場なのに勝ち進む」というおかしな自体になってしまったことであった。

トークは会場1と会場2を行ったり来たりしながらおこなわれたが、写真は会場1の様子。
手前に今井作品。白いラバーの表面が、ツンツンと元気に上下運動し、観客の視線を釘付けにした。
真ん中で田中敦子作品と向き合っている銀色の電子レンジみたいな頭の直方体の作品が聴濤作品。
モアレを起こす円形の映像が見られる。田中作品に目くらましで挑んだ。


さて、この展覧会でやりたかったのはもうひとつあって、それはトーナメント方式でギャラリートークをやるなら自然に出てくることだが、「開館中の作品の展示場所の移動」である。通常、作品の展示場所は固定されるが、それを動かしたい。なぜなら、2回戦、3回戦と進む過程で、ギャラリートークし続けるためには、遠く離れた作品が、横に並ぶ必要が出てくるからである。従って、展示作品は必要に応じて、移動しなければならない。今回これが実現できたのはよかった。

2回戦で小出楢重のガラス絵「裸女(赤いバック)」と対戦した長谷川三郎「眼横鼻直」は、
第1回戦では、このように展示ケースの中にあった。
対戦相手は(写真には写ってないが)元永定正のシルクスクリーン作品である。
長谷川の書は、正面から見ると何も見えないが、横から見ることで、側面に展示してあるのがわかる。
段ボール箱は、ご愛嬌だ。


面白かったのは、作品をとりはずして、掛け替えることで、当初の展示風景が、徐々に崩れていくことである。開館すぐの展示風景が、時間が経過するにつれて、変化していく。午後に来たお客さんと、朝から見ているお客さん(何名かいらっしゃったようだ)では、同じ作品を見ながらも違った印象を得たことだろうと思う。

左の松井正「オリャンタイ・タンボ」(1985)、右の堀尾貞治「作品1966.1.21」(1966)を語る。
これは第2回戦であるが、第1回戦では、堀尾作品は、別の壁の、もっと高い位置に展示されていた。


そして第3回戦では、堀尾作品は、別の壁の、もっと低い位置に展示される。
観客は、様々な視点から作品を鑑賞することができる。


中村の提案で、吉田稔郎「アカ」(1955)を壁から外して間近に見た。
この一日だけの展覧会は、作品の重さを目撃する機会でもあったわけだ。


と、我々4人は「一日中ギャラリートークをやりたい」とか、「展示作品を動かしたい」とか、思いつきを言えばいいだけであるが、それらを実現するのは、美術館の皆さん、学芸員さん、そしてカトーレックさんである。展覧会で作品が、壁にかかっているのは、「誰かが」それを壁にかけたからであり、その「誰か」は展覧会の会期中は、姿を見せない。「誰か」とは学芸員であり、美術作品の取り扱い専門業者である。特に今回のような、「ギャラリートーク」や「展示」といった、美術館そのものの「制度」(ルール)を展覧会という土俵に乗せることは、彼女ら、彼らの理解と信頼がなければ実現しなかった。今回の展覧会では、彼女ら、彼らの仕事ぶりをライブで見られたことになるが、「展示する彼女ら、彼ら」こそ、この「一日だけの展覧会」の重要な「展示」だったかもしれない。なぜなら、展示作品の作者は生きていたり死んでいたりまちまちだが、展覧会は、今、生きている人間にしか作ることができない、そのことを(そんな簡単なことでありながら普段は意識しないようなことを)、「何の解説もなしに」、言葉抜きで、感じることができたからだ。

「決勝戦」を演じる土俵を前にする我々4人。
時計回りに、福永、伊藤、中村、伊達。行司は、打出小槌遺跡から埴輪(レプリカ)にお願いした。
土俵は、寺田遺跡の土器片。


ガラス絵風に、最後にオープニング。
この直後に「ただいまをもちまして閉館いたします」のアナウンスが流れ、場内は拍手と失笑に包まれた。


(写真提供:芦屋市立美術博物館)