日はまた昇るか?
小崎 哲哉
2018.06.15
京都造形芸術大学のギャラリー・オーブで、ちょっと変わった展覧会が開催されている(『Ordinary Children of the 20th Century』展。6/17まで)。2012年以降に着任した11人の教員によるグループ展。それだけならどこの芸術大学でもありそうだが、ひとつだけ珍しい点がある。教員が学生だったころと現在の作品をともに展示しているのだ。
池田光弘、大庭大介、勝又公仁彦、河野愛、鬼頭健吾、小金沢健人、高橋耕平、彦坂敏昭、見増勇介、八木良太、山本太郎……。出展しているのはいずれも、いまや日本のアートシーンを支える中堅人気作家である。その彼ら彼女らが、いわゆる若描き(立体や映像やインスタレーションもあるから「若づくり」?)の作品を、自らが教えている学生を含む観客にさらけ出す。これはなかなか勇気の要る企画だと思う。
この展示を、現役の学生はどのように捉えたのだろうか。僕はこの大学の大学院で教えているので、院生20人ほどを連れて同展を観に行って感想文を書かせたところ、概ね好評だった。出展作家たちの原点とも言うべき「若描き」の延長線上に現在の活動や作品がある。そのことを知ってもらおうという企画者の思いは、十分に伝わったのではないか。会場にいた「先生」を捕まえて、創作の意図やコンセプトを聞き出した者もいた。
作品についてひとつだけ書いておきたい。山本太郎の「京都文芸復興万歳図屏風」である。同作は2000年に卒業制作としてつくられた四曲一隻の金屏風絵で、左手に旭日旗の模様が、右手に当時の京都造形大理事長、徳山詳直氏の肖像が複数描かれている。1999年に大学の校是として「京都文芸復興」を唱えた氏は、詰め襟の服を着て、日の丸の鉢巻きを締めている。この作品について、ある院生が以下のように指摘した。
「歴史的に日本は第二次大戦の中心にあり、その日本を象徴するのが’ライジング・サン’のフラグ、旭日旗だ。この作品のキャプションには旭日旗に対する言及はなかった」「作家は旭日旗の歴史的な意味を知っているのか」「旭日旗は第二次世界大戦まで日本の陸軍と海軍で軍旗として使われており、文様は日本の軍国主義を象徴するほど多くの国で敏感な素材だ。もし、デザイン的な要素だけで旭日旗を使用したら、それもまた歴史的な認識の問題ではないかと思った」(原文のママ)
この院生は東アジアの国からの留学生である。疑問と指摘はもっともだが、実はこの作品は、当時の「大学当局が進めた短大廃止方針などに『学生不在だ』と反対」して制作した「皮肉いっぱいの」ものだと山本自身が過去に明かしている(2006年7月16日付『京都新聞』)。本展のキャプションには、本人が「卒業前の大学に対する様々な気持ちを込めた」と書いている。「様々な気持ち」はしかし、2018年の若い観客には伝わらなかった。
山本はキャプションに、背景事情や「様々な気持ち」を記すべきだったろう。会期終了が迫っているからもう無理かもしれないが、とはいえ、いまからでも遅くはない。上述の院生が山本の授業を受けているかどうかは確認していないが、同じキャンパス内にいるのだから、誤解を解き、他の学生や院生も巻き込んで議論を深めることはできる。芸術大学の学内展の、これも利点のひとつであると思う。
※追記(2018年6月16日)
昨日のブログ更新・公開後に、山本太郎氏からご連絡をいただいた。氏の了承を得て、抜粋転載する。
——–(転載開始)——–
実は展覧会運営サイドからもかなり早い時期から「説明文などが必要だと思う」という打診がありました。ご指摘のように現在掲示している文章では「卒業前の大学に対する様々な気持ち」となっていて、詳細がわからないからです。(あの解説については文字数制限があり、それ以上は表記できなかったことも付け加えておきます。)
その打診を受け、自分が説明文を一度書いたところ内容があの場にはそぐわない、という企画者の判断があり、文章を修正することになりました。その依頼を受けて文章をマイルドに修正したもの(自分ではあの場に掲示しても大丈夫な範囲だと判断したもの)をお送りしました。
しかし、修正版もさらに修正してほしいという企画側からの方針があり、それでは自分が伝えたいことがどちらにしても伝わらないと自分は思ったので、文章による作品解説の設営を見送りました。
その後6月14日(木)17:00〜アーティストトークがあり、その場であの作品についての詳しい解説を行う形になりました。
——–(転載終了)——–
公開されなかった説明文2バージョンも、氏の了承を得て以下に転載する。
1)京都文芸復興万歳図屏風について
山本太郎
この作品は自分が京都造形芸術大学を卒業するときに描いた。その当時は大学の理事長が先代の徳山詳直先生だったが、自分達が4年生のときに短大を廃止し四大のみの大学にすることが決定した。その短大を廃止するという発表が学内(学生)優先ではなく、学外に向けてのプレスの発表の方が先だったことに対して一部の学生で大学側と理事長に抗議した。この作品はその一連の流れの中で制作されたものである。
その時代の学内の雰囲気が、理事長の鶴の一声で皆が思考停止になり同じ方向を向いてしまっているように学生ながら感じられた。それは戦前・戦中の日本のような多様な意見を許さない空気に似ているのではないかという思いから学徒動員の学生のような理事長クローンが日章旗の中で同じ方向を向くというこの作品となった。
18年前に描いた作品だが、今日本全体がこうした空気に少し包まれつつあることが少し心配でもあるし、18年ぶりに戻ってきたこの大学も表向きは自由な雰囲気ながら昔よりさらに自由度がなくなっていて教員としてやりづらさを感じている。
2)京都文芸復興万歳図屏風について
山本太郎
一つのコミュニティーの中で強力なリーダーが長い時間変わらずにトップに立ち続けると、その下にいる人達は次第に自分で考えることをやめて、リーダーと同じ方向を向き、同じような顔つきになっていくことがある。
それは日本の戦前・戦中の多様な意見を許さない空気に似ている。戦中の学徒動員の学生のようなクローン人間達が日章旗の中で同じ方向を向くというこの作品で、そうした思考が均一化したコミュニティーを客観的に見たときの可笑しみを表現した。
池田光弘、大庭大介、勝又公仁彦、河野愛、鬼頭健吾、小金沢健人、高橋耕平、彦坂敏昭、見増勇介、八木良太、山本太郎……。出展しているのはいずれも、いまや日本のアートシーンを支える中堅人気作家である。その彼ら彼女らが、いわゆる若描き(立体や映像やインスタレーションもあるから「若づくり」?)の作品を、自らが教えている学生を含む観客にさらけ出す。これはなかなか勇気の要る企画だと思う。
この展示を、現役の学生はどのように捉えたのだろうか。僕はこの大学の大学院で教えているので、院生20人ほどを連れて同展を観に行って感想文を書かせたところ、概ね好評だった。出展作家たちの原点とも言うべき「若描き」の延長線上に現在の活動や作品がある。そのことを知ってもらおうという企画者の思いは、十分に伝わったのではないか。会場にいた「先生」を捕まえて、創作の意図やコンセプトを聞き出した者もいた。
作品についてひとつだけ書いておきたい。山本太郎の「京都文芸復興万歳図屏風」である。同作は2000年に卒業制作としてつくられた四曲一隻の金屏風絵で、左手に旭日旗の模様が、右手に当時の京都造形大理事長、徳山詳直氏の肖像が複数描かれている。1999年に大学の校是として「京都文芸復興」を唱えた氏は、詰め襟の服を着て、日の丸の鉢巻きを締めている。この作品について、ある院生が以下のように指摘した。
「歴史的に日本は第二次大戦の中心にあり、その日本を象徴するのが’ライジング・サン’のフラグ、旭日旗だ。この作品のキャプションには旭日旗に対する言及はなかった」「作家は旭日旗の歴史的な意味を知っているのか」「旭日旗は第二次世界大戦まで日本の陸軍と海軍で軍旗として使われており、文様は日本の軍国主義を象徴するほど多くの国で敏感な素材だ。もし、デザイン的な要素だけで旭日旗を使用したら、それもまた歴史的な認識の問題ではないかと思った」(原文のママ)
この院生は東アジアの国からの留学生である。疑問と指摘はもっともだが、実はこの作品は、当時の「大学当局が進めた短大廃止方針などに『学生不在だ』と反対」して制作した「皮肉いっぱいの」ものだと山本自身が過去に明かしている(2006年7月16日付『京都新聞』)。本展のキャプションには、本人が「卒業前の大学に対する様々な気持ちを込めた」と書いている。「様々な気持ち」はしかし、2018年の若い観客には伝わらなかった。
山本はキャプションに、背景事情や「様々な気持ち」を記すべきだったろう。会期終了が迫っているからもう無理かもしれないが、とはいえ、いまからでも遅くはない。上述の院生が山本の授業を受けているかどうかは確認していないが、同じキャンパス内にいるのだから、誤解を解き、他の学生や院生も巻き込んで議論を深めることはできる。芸術大学の学内展の、これも利点のひとつであると思う。
※追記(2018年6月16日)
昨日のブログ更新・公開後に、山本太郎氏からご連絡をいただいた。氏の了承を得て、抜粋転載する。
——–(転載開始)——–
実は展覧会運営サイドからもかなり早い時期から「説明文などが必要だと思う」という打診がありました。ご指摘のように現在掲示している文章では「卒業前の大学に対する様々な気持ち」となっていて、詳細がわからないからです。(あの解説については文字数制限があり、それ以上は表記できなかったことも付け加えておきます。)
その打診を受け、自分が説明文を一度書いたところ内容があの場にはそぐわない、という企画者の判断があり、文章を修正することになりました。その依頼を受けて文章をマイルドに修正したもの(自分ではあの場に掲示しても大丈夫な範囲だと判断したもの)をお送りしました。
しかし、修正版もさらに修正してほしいという企画側からの方針があり、それでは自分が伝えたいことがどちらにしても伝わらないと自分は思ったので、文章による作品解説の設営を見送りました。
その後6月14日(木)17:00〜アーティストトークがあり、その場であの作品についての詳しい解説を行う形になりました。
——–(転載終了)——–
公開されなかった説明文2バージョンも、氏の了承を得て以下に転載する。
1)京都文芸復興万歳図屏風について
山本太郎
この作品は自分が京都造形芸術大学を卒業するときに描いた。その当時は大学の理事長が先代の徳山詳直先生だったが、自分達が4年生のときに短大を廃止し四大のみの大学にすることが決定した。その短大を廃止するという発表が学内(学生)優先ではなく、学外に向けてのプレスの発表の方が先だったことに対して一部の学生で大学側と理事長に抗議した。この作品はその一連の流れの中で制作されたものである。
その時代の学内の雰囲気が、理事長の鶴の一声で皆が思考停止になり同じ方向を向いてしまっているように学生ながら感じられた。それは戦前・戦中の日本のような多様な意見を許さない空気に似ているのではないかという思いから学徒動員の学生のような理事長クローンが日章旗の中で同じ方向を向くというこの作品となった。
18年前に描いた作品だが、今日本全体がこうした空気に少し包まれつつあることが少し心配でもあるし、18年ぶりに戻ってきたこの大学も表向きは自由な雰囲気ながら昔よりさらに自由度がなくなっていて教員としてやりづらさを感じている。
2)京都文芸復興万歳図屏風について
山本太郎
一つのコミュニティーの中で強力なリーダーが長い時間変わらずにトップに立ち続けると、その下にいる人達は次第に自分で考えることをやめて、リーダーと同じ方向を向き、同じような顔つきになっていくことがある。
それは日本の戦前・戦中の多様な意見を許さない空気に似ている。戦中の学徒動員の学生のようなクローン人間達が日章旗の中で同じ方向を向くというこの作品で、そうした思考が均一化したコミュニティーを客観的に見たときの可笑しみを表現した。