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維新派の『MAREBITO』
小崎 哲哉

2013.11.10
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某月某日

岡山で中原浩大展を観た同じ日。犬島で維新派の『MAREBITO』を観劇した。

写真(すべて):井上嘉和


これまでの犬島公演とは違う、キャンプ場のある海水浴場が会場。瀬戸内海に両腕を伸ばすような形で突堤が造られていて、右腕に当たるほうの手前に舞台と客席が設けられている。もちろん、劇団員による手造りの木組み劇場で、例によって酒食が楽しめる屋台村も併設されている。島へ渡る船の本数が少なく、残念ながら今回はビール1杯しか飲めなかった。しかし舞台は、その不満を補って余りあるものだった。

何よりも場所がよい。芝居に使われる空間は上述の木組み舞台、突堤、浜、そして腕のような突堤に抱かれる形の入江だけだが、背景には瀬戸内海が、上を仰げば大きな秋空が広がっている。午後5時半。劇の開始とともに壮大な落日シーンも始まった。客席から見ると舞台は南に位置していて、つまり夕陽は上手に落ちる。完全に水平線に没する少し前に、舞台の斜め右上に宵の明星が現れた。

この空間配置が、手練れの演出家・松本雄吉の深いたくらみによるものだと気付くのに時間はかからなかった。『MAREBITO』の物語を構成する要素は、蛭子伝説、流離と母親への思慕、移民、琉球弧、ヤポネシア、ニライカナイに代表される西方浄土など。ここ数年の旧作と大きく変わってはいない。ただ、今回は特に最後の西方浄土信仰を強調したかったのか、わずかの例外を除いて役者は必ず上手、すなわち西に向かって進んでゆく。その先には夕陽が沈みゆく海原が、オレンジ色に染められて広がっているのだ。

終盤近くには本水が舞台面を覆い尽くし、役者は水の中で互いと、自身と、そして水と絡み合い、もつれ合う。人は海から生まれ、太陽に生かされている。波に乗り、風を利用して、島から島へ、陸から陸へと移動する。太陽と水によって人の営みは続いてきた。そのことを体感させる優れた演出であり、優れた空間設定だった。前日まで訪れていた台湾を想い出し、海はつながっているという当たり前のことを実感した。

およそ2時間後に上演が終わったとき、すでに陽は落ちきっていた。宵の明星は、島影の彼方にまさに没しようとしている。芝居は明日も、この同じ場所で上演されるだろう。陽はまた昇り、そして落ちゆくことだろう。人の営みも同じように続いてゆく。西方へ向かい始めるその日まで。

松田正隆×松本雄吉『石のような水』は11/28-30に京都芸術劇場 春秋座で上演される。