トランプから/トランプへ(1)コーンとトランプ
浅田 彰
2018.10.06
ドナルド・トランプがアメリカ大統領になる前に日本人の抱いていたイメージは「TVでも成功した大富豪」というものだろう。しかし、大富豪といっても、石油財閥のロックフェラー家、あるいは経済情報チャンネルで財を成したマイケル・ブルームバーグ(ニューヨーク市長も務めた)やIT革命を主導したビル・ゲイツ(引退後の今では慈善事業で世界を変えようとしている)などと並べて考えてはいけない。トランプは、あくどい手口を使いながら不動産業で成り上がり、カジノ経営に手を出して失敗、しかしリアリティTVプログラム「Apprentice」で人気を博し、それを梃子に大統領にまでのし上がった、筋金入りの香具師なのである。
トランプが自ら繰り返してきた武勇伝は「ニューヨークのクイーンズ区などで不動産業を営んでいた父親フレッド(1905-1999)から借りた100万ドルを元手に独力で大成功を収め、その100万ドルはとっくに利子をつけて返済した」というものだ。それが事実と違うことは昔から指摘されてきたが、10月2日に『ニューヨーク・タイムズ』が発表した詳細な調査レポートによると、トランプは父親から現在の価値で少なくとも4億1300万ドルを受け取ったほか、現在の価値で1億4000万ドルの貸付を受けほとんどを返済しなかった、という。さらに、こうした贈与は両親の節税・脱税策の一環であり、子どもたちの側も贈与税・相続税の節税・脱税を行なった結果、両親が子供たちに譲渡した金額は10億ドル以上に上り、本来の課税額は5億5000万ドルのはずだったところ、実際にはその5%程度の5220万ドルしか払っていない、というのだ。今後この脱税疑惑を税務当局がどう扱うのかはさておき、トランプがアトランティック・シティのカジノの資金繰りに窮したときでさえ、父親が350万ドル相当のカジノのチップを買って支援したというのだから、「己の才覚だけで大成功を収めた一匹狼」という彼の自己イメージはまったくの虚偽ということになる。
この調査レポートをはなれて付け加えれば、もうひとつ興味深いのは、自分の資産を過大に見せて『フォーブス』誌の長者番付ベスト400に潜り込み、その信用で巨額の貸付を引き出して事業を拡大した、つまり、偽りの大富豪のイメージを捏造することにより大富豪に成り上がったという再帰的な手法だろう。TVを使って大富豪の辣腕経営者というイメージを全米に浸透させたのも、その自然な延長だったのである。
こういう荒技を繰り返してきたトランプは、つねに数多くの係争や訴訟を抱えており、悪名高い弁護士たちの世話になってきた。その中でも特筆すべきは、父親の不動産業を助け、若いトランプにとってメンターのような存在でもあったロイ・コーン(1927-1986)である。日本ではあまりなじみがないかもしれないが、アメリカでこの弁護士の悪名を知らぬ者はない。コーンは、まず、ジョセフ・マッカーシー上院議員の「赤狩り」の尖兵として名を成した。たとえば、ソヴェト連邦のスパイとして検挙されたローゼンバーグ夫妻のうち妻のエセルまで死刑にしたのは彼の剛腕によるところが大きいと言われる。やがて、マッカーシーの没落後ニューヨークに移ったコーンは、政財界の裏を知り尽くした大物フィクサーとして活躍する。トランプの父フレッドが頼ったのはそういう人物であり、直接その薫陶を受けたのが息子ドナルドだったのである。そのエッセンスを一言で言うなら「逆ギレ倍返し戦術」ということになるだろう。何があっても絶対に自らの非を認めない。批判されたら相手を倍以上も非難し返し、訴えられたら相手を訴え返す。平気で嘘を垂れ流しながら、マス・メディアからそれを指摘されると「お前たちこそフェイク・ニュースだ!」と逆ギレする戦術は、その頃から一貫している。
ちなみに、トランプにとってのコーンの重要性は、トランプがロシアの協力を得て大統領選に勝ったという疑惑――いわゆるロシアゲート疑惑などをめぐるFBIの捜査に苛立ったトランプが「俺のロイ・コーンはどこだ?」と繰り返したという話からも推測できる。司法長官に任命したジェフ・セッションズがコーンの役割を果たしてFBIの捜査を強引に中止してくれるかと思いきや、セッションズは自らもロシアゲート疑惑に関わっていることが報じられたためこの一件には関与しない(たとえば中立的立場から公正な判断を下すことができないと思われる裁判官を忌避するように「自らを忌避する[recuse oneself]」)という常識的な判断を下した。そのセッションズの「裏切り」を、彼は許すことができないのだ。それにしても、トランプの弁護団は目まぐるしく入れ替わり、いまや自ら防御線を破る失言ばかり繰り返しているルドルフ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長が指揮を執っているのだから、コーンを懐かしむトランプの気持ちもわからないではない。
ところで、コーンの悪名を知らぬアメリカ人はいないと言ったが、一度は誰もが忘れかけていたコーンの名を再び鮮烈に印象付けたのはトニー・クシュナーがAIDS危機の渦中の20世紀末アメリカを描いた『エンジェルス・イン・アメリカ』(1989-1992)である(HBOのTVドラマ版もあって、アル・パチーノがコーン役を演じている)。そこでは、男娼たちと放蕩の限りを尽くしてきたコーンは、AIDSを発症して死の床についているのだが、「同性愛者は負け犬だ、私は負け犬ではなく有力な弁護士だ、だから私は同性愛者の病気であるAIDSで死ぬのではなく、肝臓ガンで死ぬのだ」と言い張るのをやめない。そこからの連想で言えば、「LGBTをはじめとするマイノリティの存在と権利を承認する多文化主義は、民主党の言うようなアメリカの未來を開く活力源ではなく、アメリカを内側から蝕むガンであり、根絶せねばならない」というのがトランプを支持する右派の人々の本音なのだが、妻を同伴していないときは女性と同席しないという狂信的キリスト教徒のマイク・ペンス副大統領ならともかく、モスクワのホテルで娼婦たちの「黄金のシャワー」を楽しむ姿をヴィデオに撮られプーチン大統領におさえられたと噂されるトランプ(元イギリス対外情報部[MI6]職員のクリストファー・スティールがトランプの弱点をリストアップした「スティール文書」のなかで最もスキャンダラスなエピソード――ただし反トランプ陣営の依頼で生のデータを集めただけの「スティール文書」は信頼性に欠けることを忘れてはならない)が「退廃と倒錯のガンとの闘い」の先頭に立つ姿は、まさにコーンの愛弟子と言うにふさわしいだろう。
付け加えて言えば、ゲイであるにもかかわらず右翼の大物としてゲイをはじめとするマイノリティを弾圧した人物としてロイ・コーン以上に有名なのは、1924年に司法省内の捜査局局長となり、連邦捜査局(FBI)と改称された後も、1972年の死に至るまで長官として君臨し続けたJ・エドガー・フーヴァーである。彼は、ニュース映画などを通じ、マフィアとの闘いの陣頭指揮をとるイメージで組織と自己の宣伝に努めたが、それ以上に重要なのは、指紋をはじめとする科学的捜査法を重視し、そのデータをファイリング(いまで言えばデータベース化)することで、警察の近代化を推進したことだ(チャールズ・リンドバーグの愛児誘拐事件は悲劇に終わったが、そういう科学的捜査法の実例としてFBIを有名にした)。その延長上で合法・違法を問わず多くの対象を盗聴、膨大な盗聴テープを含む秘密ファイルを「保険」として歴代の大統領を脅し留任を承諾させたと言われる。フーヴァーが死んだとき大統領だったニクソンは何とか彼の秘密ファイルを入手しようとするが、マーク・フェルト副長官をはじめとするFBI幹部が秘密ファイルを廃棄しニクソンの野望を挫く。やがてニクソン自身がウォーターゲート・ビルの民主党本部を盗聴するなどフーヴァー的な手法を濫用したことが明るみに出て1974年には大統領辞任に追い込まれるのだが、そのとき『ワシントン・ポスト』紙記者ボブ・ウッドワードらに情報を漏らした「ディープ・スロート」は近年になってフェルトであると明らかにされた。この物語で言えば、フーヴァーの暗い伝統はニクソンに受け継がれたものの、良心的な警察官僚と粘り強いジャーナリストらによって絶たれた、ということになるだろう(いまそれを継ぐ善玉役を期待されているのが、トランプのロシアゲート疑惑を捜査する特別検察官になった元FBI長官ロバート・モラーである)。しかし、事態はそう簡単ではない。ロイ・コーンからドナルド・トランプにつながる線は、アメリカの闇の部分がいまも根強く生き残っていることを、別の角度から如実に物語っている。しかし、ここでもトランプ一流の捻りを忘れてはいけない。彼自身がフーヴァーやコーンの闇を引き継いでいるにもかかわらず、トランプは「FBIを筆頭とする闇の深層国家(deep state)がロシアゲート疑惑などをでっちあげて大統領である私を不当に追い落とそうとしている、私はその魔女狩りの被害者なのだ、FBI長官ジェイムズ・コミーを辞めさせた私には理がある、モラー特別検察官の捜査も早く終わりにすべきだ」と叫び続けているのである。「おそるべし、逆ギレ倍返し戦術」と言うほかはない。
〈参考文献にかわる映画〉
クリント・イーストウッド監督『J・エドガー』(フーヴァーを主人公とする)
ピーター・ランデズマン監督『ザ・シークレットマン(原題 Mark Felt)』
マイク・ニコルズ監督『エンジェルス・イン・アメリカ』(TVドラマ版)
トランプが自ら繰り返してきた武勇伝は「ニューヨークのクイーンズ区などで不動産業を営んでいた父親フレッド(1905-1999)から借りた100万ドルを元手に独力で大成功を収め、その100万ドルはとっくに利子をつけて返済した」というものだ。それが事実と違うことは昔から指摘されてきたが、10月2日に『ニューヨーク・タイムズ』が発表した詳細な調査レポートによると、トランプは父親から現在の価値で少なくとも4億1300万ドルを受け取ったほか、現在の価値で1億4000万ドルの貸付を受けほとんどを返済しなかった、という。さらに、こうした贈与は両親の節税・脱税策の一環であり、子どもたちの側も贈与税・相続税の節税・脱税を行なった結果、両親が子供たちに譲渡した金額は10億ドル以上に上り、本来の課税額は5億5000万ドルのはずだったところ、実際にはその5%程度の5220万ドルしか払っていない、というのだ。今後この脱税疑惑を税務当局がどう扱うのかはさておき、トランプがアトランティック・シティのカジノの資金繰りに窮したときでさえ、父親が350万ドル相当のカジノのチップを買って支援したというのだから、「己の才覚だけで大成功を収めた一匹狼」という彼の自己イメージはまったくの虚偽ということになる。
この調査レポートをはなれて付け加えれば、もうひとつ興味深いのは、自分の資産を過大に見せて『フォーブス』誌の長者番付ベスト400に潜り込み、その信用で巨額の貸付を引き出して事業を拡大した、つまり、偽りの大富豪のイメージを捏造することにより大富豪に成り上がったという再帰的な手法だろう。TVを使って大富豪の辣腕経営者というイメージを全米に浸透させたのも、その自然な延長だったのである。
こういう荒技を繰り返してきたトランプは、つねに数多くの係争や訴訟を抱えており、悪名高い弁護士たちの世話になってきた。その中でも特筆すべきは、父親の不動産業を助け、若いトランプにとってメンターのような存在でもあったロイ・コーン(1927-1986)である。日本ではあまりなじみがないかもしれないが、アメリカでこの弁護士の悪名を知らぬ者はない。コーンは、まず、ジョセフ・マッカーシー上院議員の「赤狩り」の尖兵として名を成した。たとえば、ソヴェト連邦のスパイとして検挙されたローゼンバーグ夫妻のうち妻のエセルまで死刑にしたのは彼の剛腕によるところが大きいと言われる。やがて、マッカーシーの没落後ニューヨークに移ったコーンは、政財界の裏を知り尽くした大物フィクサーとして活躍する。トランプの父フレッドが頼ったのはそういう人物であり、直接その薫陶を受けたのが息子ドナルドだったのである。そのエッセンスを一言で言うなら「逆ギレ倍返し戦術」ということになるだろう。何があっても絶対に自らの非を認めない。批判されたら相手を倍以上も非難し返し、訴えられたら相手を訴え返す。平気で嘘を垂れ流しながら、マス・メディアからそれを指摘されると「お前たちこそフェイク・ニュースだ!」と逆ギレする戦術は、その頃から一貫している。
ちなみに、トランプにとってのコーンの重要性は、トランプがロシアの協力を得て大統領選に勝ったという疑惑――いわゆるロシアゲート疑惑などをめぐるFBIの捜査に苛立ったトランプが「俺のロイ・コーンはどこだ?」と繰り返したという話からも推測できる。司法長官に任命したジェフ・セッションズがコーンの役割を果たしてFBIの捜査を強引に中止してくれるかと思いきや、セッションズは自らもロシアゲート疑惑に関わっていることが報じられたためこの一件には関与しない(たとえば中立的立場から公正な判断を下すことができないと思われる裁判官を忌避するように「自らを忌避する[recuse oneself]」)という常識的な判断を下した。そのセッションズの「裏切り」を、彼は許すことができないのだ。それにしても、トランプの弁護団は目まぐるしく入れ替わり、いまや自ら防御線を破る失言ばかり繰り返しているルドルフ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長が指揮を執っているのだから、コーンを懐かしむトランプの気持ちもわからないではない。
ところで、コーンの悪名を知らぬアメリカ人はいないと言ったが、一度は誰もが忘れかけていたコーンの名を再び鮮烈に印象付けたのはトニー・クシュナーがAIDS危機の渦中の20世紀末アメリカを描いた『エンジェルス・イン・アメリカ』(1989-1992)である(HBOのTVドラマ版もあって、アル・パチーノがコーン役を演じている)。そこでは、男娼たちと放蕩の限りを尽くしてきたコーンは、AIDSを発症して死の床についているのだが、「同性愛者は負け犬だ、私は負け犬ではなく有力な弁護士だ、だから私は同性愛者の病気であるAIDSで死ぬのではなく、肝臓ガンで死ぬのだ」と言い張るのをやめない。そこからの連想で言えば、「LGBTをはじめとするマイノリティの存在と権利を承認する多文化主義は、民主党の言うようなアメリカの未來を開く活力源ではなく、アメリカを内側から蝕むガンであり、根絶せねばならない」というのがトランプを支持する右派の人々の本音なのだが、妻を同伴していないときは女性と同席しないという狂信的キリスト教徒のマイク・ペンス副大統領ならともかく、モスクワのホテルで娼婦たちの「黄金のシャワー」を楽しむ姿をヴィデオに撮られプーチン大統領におさえられたと噂されるトランプ(元イギリス対外情報部[MI6]職員のクリストファー・スティールがトランプの弱点をリストアップした「スティール文書」のなかで最もスキャンダラスなエピソード――ただし反トランプ陣営の依頼で生のデータを集めただけの「スティール文書」は信頼性に欠けることを忘れてはならない)が「退廃と倒錯のガンとの闘い」の先頭に立つ姿は、まさにコーンの愛弟子と言うにふさわしいだろう。
付け加えて言えば、ゲイであるにもかかわらず右翼の大物としてゲイをはじめとするマイノリティを弾圧した人物としてロイ・コーン以上に有名なのは、1924年に司法省内の捜査局局長となり、連邦捜査局(FBI)と改称された後も、1972年の死に至るまで長官として君臨し続けたJ・エドガー・フーヴァーである。彼は、ニュース映画などを通じ、マフィアとの闘いの陣頭指揮をとるイメージで組織と自己の宣伝に努めたが、それ以上に重要なのは、指紋をはじめとする科学的捜査法を重視し、そのデータをファイリング(いまで言えばデータベース化)することで、警察の近代化を推進したことだ(チャールズ・リンドバーグの愛児誘拐事件は悲劇に終わったが、そういう科学的捜査法の実例としてFBIを有名にした)。その延長上で合法・違法を問わず多くの対象を盗聴、膨大な盗聴テープを含む秘密ファイルを「保険」として歴代の大統領を脅し留任を承諾させたと言われる。フーヴァーが死んだとき大統領だったニクソンは何とか彼の秘密ファイルを入手しようとするが、マーク・フェルト副長官をはじめとするFBI幹部が秘密ファイルを廃棄しニクソンの野望を挫く。やがてニクソン自身がウォーターゲート・ビルの民主党本部を盗聴するなどフーヴァー的な手法を濫用したことが明るみに出て1974年には大統領辞任に追い込まれるのだが、そのとき『ワシントン・ポスト』紙記者ボブ・ウッドワードらに情報を漏らした「ディープ・スロート」は近年になってフェルトであると明らかにされた。この物語で言えば、フーヴァーの暗い伝統はニクソンに受け継がれたものの、良心的な警察官僚と粘り強いジャーナリストらによって絶たれた、ということになるだろう(いまそれを継ぐ善玉役を期待されているのが、トランプのロシアゲート疑惑を捜査する特別検察官になった元FBI長官ロバート・モラーである)。しかし、事態はそう簡単ではない。ロイ・コーンからドナルド・トランプにつながる線は、アメリカの闇の部分がいまも根強く生き残っていることを、別の角度から如実に物語っている。しかし、ここでもトランプ一流の捻りを忘れてはいけない。彼自身がフーヴァーやコーンの闇を引き継いでいるにもかかわらず、トランプは「FBIを筆頭とする闇の深層国家(deep state)がロシアゲート疑惑などをでっちあげて大統領である私を不当に追い落とそうとしている、私はその魔女狩りの被害者なのだ、FBI長官ジェイムズ・コミーを辞めさせた私には理がある、モラー特別検察官の捜査も早く終わりにすべきだ」と叫び続けているのである。「おそるべし、逆ギレ倍返し戦術」と言うほかはない。
〈参考文献にかわる映画〉
クリント・イーストウッド監督『J・エドガー』(フーヴァーを主人公とする)
ピーター・ランデズマン監督『ザ・シークレットマン(原題 Mark Felt)』
マイク・ニコルズ監督『エンジェルス・イン・アメリカ』(TVドラマ版)