トランプから/トランプへ(2)リンドバーグとトランプ
浅田 彰
とはいえ、威嚇の応酬より外交交渉の方が望ましいことは確かだ。歴史を遡ってみれば、ヒトラーの罪のひとつは、あまりに非常識な確信犯だったがゆえに、「好戦的な狂犬と目されていたチャーチル(注)が正しく、前任者チェンバレン英首相の対独宥和政策は初めから間違っていた」という見方を絶対化してしまったことだろう。政治は結果が問われるものである限り、第二次世界大戦を勝ち抜いたチャーチルとルーズヴェルト米大統領が正しかったことになるのは仕方あるまい。だが、宥和は常に誤りなのか。
そういう観点から読んで面白いのが、A・スコット・バーグによる伝記『リンドバーグ』(邦訳・角川文庫)である。1927年に大西洋横断単独無着陸飛行を成し遂げた英雄の人生は、その後も波乱に満ちていた。愛児が誘拐され死体で発見された事件。人工心臓開発への貢献。しかし、最も意外なのは、彼が第二次世界大戦への参戦に反対する運動の代表格だったこと、その運動のスローガンが「アメリカ・ファースト」だったことだろう。
そこには、第一次世界大戦を「すべての戦争を終わらせる戦争」にしようとしたウィルソン米大統領の理想主義の残響(カズオ・イシグロの『日の名残り』[邦訳・ハヤカワ文庫]で描かれる貴族的エリートたちの対独宥和「アマチュア外交」にも通ずる)があると同時に、その理想への幻滅からくる戦間期アメリカの孤立主義・保護主義・移民制限との共鳴もある。いずれにせよ、参戦への反対は戦後に想像するよりはるかに強く、ルーズヴェルトがそれを克服する(対してリンドバーグが人気を失う)には、ナチス・ドイツの戦線拡大、そして何より日本の真珠湾攻撃を待たねばならなかったのである。(ちなみに5月に亡くなったフィリップ・ロスの『プロット・アゲンスト・アメリカ』[原著2004年刊、邦訳・集英社]はリンドバーグが1940年にルーズヴェルトの三選を阻んで大統領になる歴史改変小説だ。)
「アメリカ・ファースト」を叫ぶトランプがリンドバーグを意識しているとは思えない。だが、トランプ時代の世界を考えるのに1930年代の歴史の復習は不可欠だろう。では今回も宥和は誤りなのか? これまでの経過を見る限り、金正恩はヒトラーのような狂信的確信犯ではなく、核を使いかねない狂人(そうであればこそ核の威嚇が効く)の振りこそすれ、実際は保身と体制存続を目指す現実主義者だと思われる。イランとの核合意から離脱したトランプが北朝鮮との核合意を本当に成し遂げられるのか疑いだせばきりがないが、ここは「宥和にチャンスを与える」べき局面なのではないだろうか。
トランプは9月29日の集会で金正恩と自分は「恋に落ちた」(!)と告白した。その「恋」が破れ、「可愛さ余って憎さ百倍」にならないことを祈るばかりだ。
注 チャーチル
ジョー・ライト監督『Darkest Hour(ウィンストン・チャーチル)』(2017年)は、ゲイリー・オールドマンにアカデミー主演男優賞、辻一弘にメイクアップ賞をもたらした。たしかにメイクアップは驚異的なものだったが、チャーチルにもっと似た俳優はいくらでもいるので、わざわざオールドマンをチャーチルに似せる必要はなかったということは指摘しておくべきだろう。
この映画がアカデミー賞をとったとき、保守系の『ワシントン・ポスト』紙(2018年3月10日号)にインド連邦議会下院外務委員会委員長シャシ・タルールのチャーチル批判が載ったのには興味を惹かれた。チャーチルはインドを含む植民地で非人道的な差別と弾圧を繰り返した白人至上主義の帝国主義者であり、第二次世界大戦中もドレスデンの無差別爆撃をはじめとする非人道的な手段に訴えた「大量殺人者」だ、という主張は、チャーチルをヒトラーになぞらえるといった行き過ぎがあるものの、決して的外れではない。むしろ、日本で同様なチャーチル批判がほとんど見られなかったことの方が問題だろう。
むろん、日本の極右の中には、太平洋戦争の責任はルーズヴェルトにある、真珠湾攻撃も彼の謀略によるものだ(とすれば、まんまとその謀略に引っかかった日本の指導部の責任が問われるべきなのだが)、という類の主張を繰り返す人々がおり、チャーチルやルーズヴェルトを批判してチェンバレンなりリンドバーグなりを再評価することには極右を利する危険が伴うことを忘れるわけにはいかない。それにしても、自らの戦争犯罪を反省しつつアメリカの戦争犯罪を糾弾すべき立場にある日本で、チャーチルをひたすら「偉人」として礼賛するイギリス映画が無批判に礼賛されるというのは、これまた歴史健忘症の兆候なのではあるまいか。
付記 核戦争
北朝鮮が米韓に勝利できないことは明白だが、短期的には通常兵器だけでも許容範囲をはるかに超える被害を与える能力をもっていることも確かだ。さらに核攻撃が実行されるとなると、いったいどうなるのか?
最近のシミュレーションとして、北朝鮮の核ミサイルの専門家ジェフリー・ルイスの『北朝鮮の合衆国への核攻撃に関する2020委員会報告』(Dr.Jeffrey Lewis, “The 2020 Commission Report on the North Korean Nuclear Attacks against the United States”, WH Allen : 未邦訳)を簡単に紹介しておこう。2020年に北朝鮮が核攻撃に踏み切ったと想定し、事後にアメリカ議会の委員会(「9.11委員会」のような)がまとめた報告書という体裁をとった一冊である。
非核化交渉が袋小路に入り、再び緊張が高まるなか、プサンからウランバートルに飛ぶLCCエア・プサンのエアバス(セウォル号と似て修学旅行生を満載)が、機材の不具合で意図せず北朝鮮の空域を侵犯、ちょうどそのあたりで米軍の爆撃機が北の探知性能を試す飛行を繰り返していたので、そういう米軍機と誤認されて北に撃墜される。対して、セウォル号沈没のときのパク・クネ大統領の無為無策(いわゆる「空白の7時間」)を繰り返したくないムン・ジェイン大統領が北の空軍司令部と金正恩の居所に6発の通常ミサイルを撃ちこむ限定的な報復攻撃を実施。北は(直前のトランプのツイートなども影響して)それをアメリカによる金正恩暗殺の試みと誤認し、在韓米軍基地のほか、東京の防衛省と在日米軍基地(横田、厚木、横須賀、三沢、岩国、佐世保、嘉手納、普天間)、そして在グアム米軍基地に核ミサイル攻撃を敢行、日韓で140万人が死ぬ。それからいろいろあり、アメリカが金正恩の避難所などを攻撃したのをうけて、最終的には北がアメリカにも17発の ICBM を発射、アラスカの迎撃システムは十分に機能せず、うち7発がワシントン、ニューヨーク、パルムビーチ(フロリダ)、サンディエゴ、真珠湾に着弾し、140万人が死ぬ。(その前にトランプが北朝鮮のみならず中国にも核ミサイルを発射しようとし、核のボタンを収めた「フットボール」を武官と取り合うシーンもあるが、最終的にトランプは核のボタンから隔離され、アメリカは核ミサイルを発射せずに終わる。)
荒唐無稽な話と思いたいところだが、専門家だけに細部がリアル。リアル・タイムの交信記録や、事後の生存者の証言を並べる形式も、説得力を増している。著者が毎年広島で軍縮会議に出ているというだけあって、アメリカの被爆地に降る「黒い雨」の描写もなかなかの迫力だ。
で、最後に「いわゆる2020委員会はまったくの魔女狩りであり、ディープ・ステイト(深層に隠れた闇の国家)のフェイク・ニュースのさらなる一例だ」というトランプの声明が配されて終わる。それがまた本物らしさを増すというのが、この異様な時代の兆候と言うべきなのかもしれない。
(このコラムの短縮版は2018年10月6日の日本経済新聞に「半歩遅れの読書術」として掲載された。)