映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼
浅田 彰
その探求は晩年にも止むことがない。多民族化したローマを揺れるキャメラで描く『シャンドライの恋(原題:囚われし者)』(1999)や、病気で車椅子生活になってから若者たちの現在に迫った『孤独な天使たち(原題:僕と君)』(2012)は、老匠の作品とは思えぬ若々しさで観客を驚かせた。1968年5月革命を描いた『ドリーマーズ』(2003)だけは、つまらぬ原作(ギルバート・アデアによる)を選んで失敗しているのだが。
1968年の50周年に訃報に接して思い出すのは、晩年の彼のその若々しさだ。しかし、「今後ベルトルッチに匹敵する映画作家が登場するだろうか」と自問したとき、「前衛の爆発を超えて歩み続けた彼の足跡自体が答はイエスだと示している」と確信しながらも、「ベルトルッチの死でわれわれは映画のラスト・エンペラーを失ったのではないか」という思いを禁ずることができない。
坂本龍一が病いを克服して発表した傑作『async』(2017)には、『シェルタリング・スカイ』で原作者ボウルズが人生の無常を語る声(「人生ははかない、たとえばこれから死ぬまでに満月を見るということが何度あるだろうか…」)とその各国語訳をフィーチャーした「fullmoon」という曲がある。その終盤に出てくる深いメランコリーを湛えたイタリア語は実はベルトルッチの声だ。その諦念に対し、アルセニー・タルコフスキー(映画監督アンドレイの父)が永劫回帰のヴィジョンをうたった詩(英訳)をフィーチャーする「Life, Life」が応える。いまはこの二曲を聴き返し、ベルトルッチの映画を見返しながら、前衛の爆発(ある意味での「映画の終わり」)から出発してなおかくも豊かな映画の数々を残したその歩みを反芻するばかりである。
〈注〉
ゴダール
ゴダールとベルトルッチの関係は複雑なもので、四方田犬彦も指摘する通り、最近のアザナヴィシウス監督『グッバイ・ゴダール!』(2017)のような表面的なとらえ方ではまったく不十分である。ゴダールについてはとりあえず浅田彰『映画の世紀末』を参照されたい。
パゾリーニ
大学生のときパゾリーニの最初の映画『アッカトーネ』(1961)の助監督を務めたのが1941年生まれのベルトルッチの映画製作の第一歩であり、大学を中退して撮ったパゾリーニの原作による『殺し』(1962)が監督としてのデビュー作、その後の第二作が『革命前夜』である。パゾリーニについては浅田彰『映画の世紀末』の四方田犬彦との対談を参照されたい。
ベルクとブーレーズ
シェーンベルクからベルクへの展開/転回と、1968年の前衛の爆発からの転回(広い意味でポストモダン・ターンと言ってもよい)は、半世紀近く離れており、後者を前者になぞらえるのは実は無理がある。ただ、たとえば補助線としてブーレーズを考えてみてはどうか。戦後の前衛音楽をリードしていた時代のブーレーズは、「シェーンベルクは死んだ、ヴェーベルン万歳!」(「(前)国王は死んだ、(新)国王万歳!」という慣用句を踏まえた表現)という宣言で明らかなように、シェーンベルクを正しく継承し発展させたのはヴェーベルンだと考え、自らもその延長線上に位置付ける一方、ベルクの音楽は折衷的だと批判していたが、1960年代終わり頃から世界的な指揮者として演奏活動を活発化させ、かつて「オペラ劇場を爆破せよ」と言っていたにもかかわらず(この発言が記録に残っていたため、2001年9月11日の同時多発テロのあと、世界的巨匠となっていたブーレーズはスイス警察にテロ容疑者として拘束されたことがある)バイロイトでヴァーグナーの『ニーベルングの指環』(シェロー演出)を指揮したりもするうちに、ベルクを高く評価し、盛んに取り上げるようになる。これをブーレーズのポストモダン・ターン(たんなる作曲から演奏への重心の移動だけではなく)と考えるなら、それをベルトルッチの足跡を考える上でのひとつの補助線とすることはできるだろう。
1900
イタリア語で「クワトロチェント(400)」と言えば「1400年代」つまり「15世紀」を指すように、「ノヴェチェント(900)」は「1900年代」つまり「20世紀」のことであり、それを「1900年」と訳すのはミスリーディングである。実際、映画『1900』は「ヴェルディが死んだ」という叫びで始まるが、それは1900年ではなく20世紀最初の年である1901年のことだ。ちなみに、ベルトルッチがオペラに特別な思い入れをもっていることは『ルナ』(1979年)を見れば明らかである。
坂本龍一
若き日の坂本龍一が直面したのも、ジョン・ケージやナムジュン・パイク(白南準)、高橋悠治、(最近亡くなった)小杉武久らの前衛音楽の実験の後で一体どうするか、という問題だった。そのひとつの道がテクノ・ポップ(YMO)へのスピン・アウトであり、もうひとつの道が大島渚監督『戦場のメリークリスマス』(1983)に始まる映画音楽だった。なお、坂本龍一が参加したベルトルッチのアジア三部作のもう一篇『リトル・ブッダ』(1993)も、子どもを主役とする「子どものための仏教絵本」といった趣きの佳作である。そのあとベルトルッチは坂本龍一とマニエリスムの作曲家ジェズアルド(大貴族で、妻と不倫相手を殺したことで知られる)を主人公とする映画を撮る予定だったが、病気のため実現できなかったのが残念でならない。もうひとつ付け加えておくと、後で触れるように坂本龍一はアルバム『async』(2017)でベルトルッチの朗読を使っているが、それより前、オペラ『LIFE』(1999)でも、終盤「救いとは何か」という問いに対するさまざまな人々の回答をフィーチャーする場面で、「救いがないことが救いだ」という主旨のべルトルッチの回答をロバート・ウィルソンに朗読させている。
『孤独な天使たち(原題:僕と君)』
この映画ではデイヴィッド・ボウイの「Space Oddity」(1969)のイタリア語版(1970)がフィーチャーされるが、これにはオリジナルの歌詞とはまったく違う「孤独な少年少女よ、どこに行くのか」といった歌詞がついている。イタリアのバンドが勝手に歌詞を変えて録音したものが広まり、レコード会社がイタリアの市場を侵食されるのを防ぐためボウイにその曲をカヴァーさせた、という経緯らしい。2009年に出た『Space Oddity 40th Anniversary Edition』に初めて公式に収録された。ちなみに、カナダの小学生たちが歌う「Space Oddity」(1976-77年に録音され、2000年に再発見されて翌年抜粋版CDがリリースされた『The Langley Schools Music Project』に含まれる)というのもあり、トッド・ヘインズ監督が子どもを主人公に撮った佳作『ワンダーストラック』(2017年)でフィーチャーされている。(同じブライアン・セルズニックの原作をマーティン・スコセッシが映画化した『ヒューゴの不思議な発明』[2011年]も、子どもの映画に豊かな文化史的内容を盛り込んだ佳作であり[とくにメリエスの特撮映画の復権というテーマは3D映画というフォーマットにふさわしい]、同年のアザナヴィシウス監督『アーティスト』などよりアカデミー作品賞にふさわしかったと思う。)
アルセニー・タルコフスキー
ベルナルド・ベルトルッチの父アッティリオが詩人だったように、アンドレイ・タルコフスキーの父アルセニーも詩人だった。『async』の「Life, Life」で朗読されるのは、英訳詩集『Life, Life』の一篇だが、「Life, Life」というタイトルの詩は別の一篇であり、この詩自体は冒頭の「そしてこれを私は夢見た、そしてこれを私は夢見る」をタイトルの代わりとしている。『async』に収録されたデイヴィッド・シルヴィアンの朗読からの浅田彰による試訳を掲げておく。
そしてこれを私は夢見た、そしてこれを私は夢見る、
そしていつかまたこれを私は夢見るだろう。
そしてすべては繰り返され、すべてはまた体現されるだろう。
私が夢の中で見たすべてを、あなたは夢見るだろう。
一方ではわれわれ自身から、他方では世界から、
波が次々に浜辺に打ち寄せる。
ひとつひとつの波に乗っているのは星、人、鳥、
夢、現実、死――次から次へと連なって。
ひとつの日付などに用はない:私はあった、ある、あるだろう。
生は驚きの中の驚き、そしてこの驚きに
私は跪いて我が身を捧げる、
ひとり鏡の間で己が反映に囲まれた孤児のように。
玉虫色を帯びて強度を増した町々、海々。
目に涙を浮かべた母が子を膝に抱く。
なお、『async』のリリースに伴って、ワタリウム美術館での「設置音楽」展(2017-04-04~05-28)に続きNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)で「設置音楽2:IS YOUR TIME」展(2017-12-09~2018-03-11)が開催されたが、東日本大震災で津波をかぶったピアノを「ピアノの死骸」ではなくむしろ「自然によって調律し直されたプリペアード・ピアノ」と捉え返したインスタレーション(坂本龍一+高谷史郎)で、ピアノが世界各地の地震波に従って一見アト・ランダムな音をぽつりぽつりと鳴らす中、近くに置かれたラジオが時々「fullmoon」を流し始め、広大な暗室の中を各国語が飛び交う瞬間は、圧巻だった。
(このコラムの短縮版は2018年11月30日の朝日新聞に掲載された。)