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クマのプーさん展の図録がいい
福永 信

2019.06.10
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こういうこともあるのかと感心するのだが、大阪でやってるクマのプーさん展(あべのハルカス美術館、6月30日まで)は展覧会よりも図録がよくできている。『クマのプーさん』の作者2人が、どんなふうに本を作っていったか、その流れもよくわかるが、それだけではない。ミルンの書く文の特徴が分析され、シェパードの描く絵の細かな技巧が指摘される。文と絵の組み合わせが、クマのプーさんと名付けられた1冊の本の1ページ、もしくは見開きを、どのように構成するのか、そのレイアウトをめぐる2人の共同作業についても記される。むろん展示でもそれはわかるのだが、図録の方がより丁寧なのである。

「クマのプーさん展」公式図録、2019年、玄光社


2人の作者が子供向け詩集『クリストファー・ロビンのうた』を刊行するのが1924年、これはプーさんの原点だ。1926年には短編連作『クマのプーさん』、1927年に詩集『クマのプーさんとぼく』、その翌年に『プー横町にたった家』を刊行した。今さら驚くのだけれども、我々を魅了するプーさんの世界はこの4冊がベースである。その後、どんどん各国に翻訳され(石井桃子訳『熊のプーさん』は1940年刊行。展示では特別出品として石井の「ミルン自伝」のための翻訳ノートも公開されている)、ディズニーでアニメ化され、絵がバージョンアップしたり、劇映画になったり、様々な形でクリエイションは続くが、それでも、プーさん達は、42歳の劇作家と45歳の画家の手によって、今から90年以上前、この世に転がり落ちてきた。そして、たった4冊で完全な地図を作り上げたのだった。

図録がよくできていると思うのは、作者2人の創作の手つきを、ちゃんと読者にレクチャーしてくれることだ。ライト・ヴァース(愉快な詩の形式)の得意なミルンの言葉あそびの深い森にずんずん分け入ったかと思えば、なんでもかんでも見て描くきまじめなリアリスト、シェパードの草稿から、絵が息をし始める瞬間をとらえようとする。掲載されているのは、印刷原稿としてのいわゆる「原画」ではない。下描き、スケッチがほとんどである。でもそれが幸いしていると思う。なぜならシェパードが、現実と空想を、同時に見つめながら、紙の上にその両方を重ね、鉛筆で描き出す思考の痕跡が下描き、スケッチには残されているから。

展覧会のメインの展示も、このシェパードによる下描き、スケッチだった。そもそも、ヴィクトリア&アルバート博物館にシェパード本人から寄贈されたのが、そんな下描きや資料で、270点にも及ぶが(原画というべきペン画の大半はコレクターに売却されたそうだ)、図録はそれら博物館のコレクションの研究成果としてある。図録の著者アンマリー・ビルクロウとエマ・ロウズ(これまた2人組なのが微笑ましい)は、同館の保存管理のセクションに在籍しているという。

むろん展覧会と共にあるのが図録である。図録は「Winnie-the-Pooh [『クマのプーさん』の原題]Exploring a Classic(古典を探検する)」と題され、同題の展覧会は2017年から母国イギリス、巡回先としてアメリカの2都市、そして今年東京、大阪にやってきたというわけだ(日本での展覧会名は「クマのプーさん展」)。ロンドンでの展示風景がヴィクトリア&アルバート博物館のウェブサイトで見られる。図録の表紙には『クマのプーさん 原作と原画の世界 A.A.ミルンのお話とE.H.シェパードの絵』とも付記されている。あべのハルカス美術館の会場冒頭で、200点越えの展示を銘打っていたが、半分は資料であり、シェパードによる直筆は90点ほど、図録の方が、点数も充実している(ミルンの手書きの原稿やミルンの文章を分析した章は、展示ではほとんどばっさりカットされている)。

この図録がいいのは、展覧会にありがちな長文の論考の場所などちっとも用意してないところだ。図録業界では、長文の論考は定番のような存在であるようだが、そんなの嘘であり、そうじゃないやり方はたくさんある。本書のようにコラムほどの短さで書くとか。というか、この「コラムをたくさん書く」の方が、労力がかかって論考よりも大変なのだ。考えたこと、調べたことを長々と書くのじゃなく、コンパクトに、わかりやすく、ワクワクする言葉で書くのは、お金はかからないが時間のかかる作業だからだ(翻訳も大変だったろう)。でも我々読者にはそれがありがたい。図版と共にちょいちょい面白コラムが出てくるんなら、つい、読んでしまう、ということになる。めんどくさくて読むつもりなんかなかったのに、目に飛び込んでいきて、つい、ミルンとシェパードは同じ出版社に勤務していたが時期は入れ違いだったとか、最初ミルンは、シェパードの絵のことを評価せず「この男の絵のどこがいいんだ? 彼は見こみゼロだよ」と同僚に言っていたとか(もっとも、このエピソード自体、ミルン自身が伝えたものだが)、少年のモデルは、ミルンの息子クリストファーだけじゃなくてシェパードの息子グレアムの面影もあり、「挿絵のクリストファー・ロビンには、グレアムとクリストファーの両方が投影されているのかもしれません」とか、『クマのプーさん』第8話で、シェパードが間違って大きな絵を描いてしまい、2ページ分、ページが急遽増えたが「ミルンはこの素晴らしい絵を生かしたいと考えました。そして、その挿絵に合わせてイーヨー、クリストファー・ロビン、プーがイーヨーのしっぽについて交わす、滑稽で、話の本筋にはあまり関係のない会話をつけ足したのです」。読者を絵の世界に向かわせるためのあの手この手はまだまだあり、シェパードの技法についても読みどころだ。展覧会は、この図録の参考程度のものだと思うが、図録を見たらぜひ行ったらいいと思う。シェパードの鉛筆のタッチはほんと素晴らしいから。

ところでそんな私は、ここんところずっと「図録を書き下ろす」というフシギな仕事で苦労してきたが持ち前のガッツで乗り切ってきた。いやミルンが楽しんで原稿を書いていたように私も楽しんで書いた力作なのであるが、今ちょうど再校も終わり、最後の最後、完全に校了する前の誤字チェックをやっている合間にこれを書いている。クマのプーさん展は児童書の挿絵の展覧会と言えるが、私が図録を書いた展覧会は絵本の原画の展覧会だ。『絵本原画ニャー! 猫が歩く絵本の世界』という題で、私が考えたタイトルだが、図録も同じ題名である。「絵本の原画の図録」ということでいちばん悩んだのは印刷したらそりゃあもう「原画」じゃないんじゃよということである。原画は印刷前のオリジナルだから原画なんでそれを印刷して本にしたら誠にお気の毒なことにそれはすでに違うもんじゃ。さて、そんなら何が原画展の図録にはできるのか?を考えに考えたのが『絵本原画ニャー! 猫が歩く絵本の世界』の図録ということになる。展覧会は7月6日スタート。図録は豪華付録付きで尾道市立美術館で販売開始でございます。