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ロームシアター京都の騒ぎについて
小崎 哲哉

2020.03.07
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ロームシアター京都(以下「ロームシアター」)の新館長人事問題が新たな局面を迎えている。3月5日に、映演労連フリーユニオン(以下「ユニオン」)と劇団地点(以下「地点」)が、それぞれのウェブサイトで共同声明を出した。「元劇団員への解雇ならびにハラスメントに関する争いが(中略)、元劇団員を含め関係当事者間で解決に至った」というのが要点である。ハラスメントの有無は確定されず、確定されなかったという結果を関係当事者の全員が納得し、共有したということだろう。ユニオンと地点の過去の声明がすべて削除されたことから見て、「争い」の詳細を開示しないことも同意されたと推測する。

2月14日に、16人の舞台芸術関係者が、新館長選定に疑義があるとして、京都市の北村信幸文化芸術政策監とロームシアターの平竹耕三館長(前文化芸術政策監)宛に公開質問状を手渡している(文化芸術政策監は、京都市における文化行政のトップである)。報道によれば、北村政策監は「就任を打診した際に三浦さんから問題を聞かされたが、責任を持って対応すると言ったのを信用した」と説明したそうだ。また、2月28日付の京都市のプレスリリースによれば、「交渉事案が解決されることを前提に就任をお願いして」きたという。「三浦さん」とはもちろん地点代表の三浦基氏のことであり、「問題」が「解決に至った」のだから、新館長人事にいまや瑕疵はなく、これで一件落着……となるのだろうか。

3月3日に『REALKYOTO』に掲載した橋本裕介氏(ロームシアタープログラムディレクター)の寄稿記事と、蔭山陽太氏(THEATRE E9 KYOTO 支配人。前ロームシアター支配人/エグゼクティブディレクター)のインタビュー記事を読む限り、そうはならないだろう。次期館長の選定プロセスと市によるロームシアターの位置付けには看過できない問題点がある。劇場スタッフのモチベーションも相当に下がっている。それが明らかになった以上、特に現場スタッフへの懇切な説明が欠かせない。


僕が新館長人事について知ったのは、ロームシアターが1月10日に配信したプレスリリースによってである。芸術監督ではなく館長というのが釈然としなかったが、最初はなかなか好い人事だと感じた。地点はKYOTO EXPERIMENTはもちろん、その前身の『演劇計画』にも参加している。ロームシアター開館時にはオープニングオペラを三浦氏が演出している。いずれもプログラムディレクターは橋本氏。開館時には蔭山氏が支配人/エグゼクティブディレクターを務めていて、3人は傍目にも素晴らしい仕事仲間に見えた。互いをよく知り、信頼関係にあるコンビが、さらに刺激的な演目を見せてくれる未来を想像した。

驚いたのは、昨年秋に京都市から打診が来た際にも、12月に内定が出たあとも、三浦氏が橋本氏にその事実を伝えなかったことだ。『REALKYOTO』への寄稿記事に書かれているとおり、橋本氏がそれを知ったのは昨年末のこと。氏は京都市音楽芸術文化振興財団(以下「音芸文財団」)の職員という身分であり、決定は市から聞いたというから心中を察するにあまりある。年が明けても三浦氏からの連絡はなく、ふたりが言葉を交わしたのは1月16日の記者会見の直前で、それもわずかな時間だった。その後すぐに三浦氏が海外出張したために、1月中にふたりが話したのは、それが最後だったという。

2月1日にエディター&ライターの島貫泰介氏が企画した「KYOTO EXPERIMENTの10年をみんなでふりかえる」という会があった。先約の別件があってそれには参加できなかったけれど、二次会に顔を出して橋本氏に話を聞いた。当然だが「(三浦氏を信頼していただけに)傷つきました」と語っていた。僕はその翌日に三浦氏に話を聞きに行った。内定を伝えなかった理由を聞いたら「京都市に『(正式発表まで)誰にも言うな』と言われたから」と言う。「外に漏れると、潰されたり、話が流れたりする恐れがあるから」だと。

それはないだろう、と思った。これまで同志として創作と上演を行い、館長に就任したら同僚として一緒に働くことになる相手である。「外」ではなくて「内」だろう。信頼関係があるのだから、ほかに漏らすはずもない。

そのように言ったけれど、納得したかどうかはわからない。だが、すぐに連絡して、その後ふたりで会ったという。よかったとは思うが、遅すぎた感は否めない。


本日3月7日時点で、京都市は舞台芸術関係者の質問状に回答していない。回答が人事の見直しに触れるのかどうかはわからないが、僕はいったんストップをかけるべきだと思う。京都市、三浦氏、ロームシアターのスタッフの間に相互に不信感があって、それがまだ拭い去られていないからだ。

京都市は、橋本氏の「なぜ行政職の館長からアーティストの館長へと舵を切ったのか?」という問いに向き合い、そもそも舵を切るべきかどうかについて職員とともに考えなければならない。蔭山氏の「館長人事は現場の専門職員や事業担当者を含めた大勢で議論して決めるべきだ」という意見を(前向きに)検討しなければならない。そして三浦氏は、橋本氏をはじめとする劇場スタッフに、これまでの経緯と監督になったら何をしたいかを腹を割って話さなければならない。

他方、橋本氏が書いているように「過去4年間の事業評価」が欠かせない。個人的には、KYOTO EXPERIMENTも含めて、橋本氏のプログラムは世界的にもトップレベルだと思う。外部評価を行えばそれは実証されるだろうが、併せて、氏と平竹現館長のディレクションについての内部評価も行うとよい。

いずれも、キーワードは「現場」である。舞台芸術に限らないが、集団で創作する表現において最も重要なのは(観客聴衆を除けば)参加スタッフなのだから当然である。上に書いた4点は、一朝一夕で結論が出るようなものではない。時間をかけて、必要であれば外部の意見も聞いて、じっくりと話し合わなければならない。何ヶ月かかかるかもしれないが、京都市、劇場スタッフ、三浦氏のすべてにとって、それは必要な時間である。その結果、三浦氏の館長就任の話がなくなっても、それは仕方がないことだろう。逆に言えば、三者のすべてが納得すれば、そのときはじめて、氏は晴れて館長職に就けるのだと思う。


ついでに書いておくと、今回の騒ぎは僕には3つの点で違和感があった。ひとつはマスメディアの報道姿勢である。2月14日に上述の公開質問状が明らかにされ、2月19日にはロームシアター2020年度ラインアップ説明会の席上、岡田利規氏や松田正隆氏らが「今回の問題が解決されない場合、公演や催しをキャンセルする可能性がある」と劇場に申し入れていることがわかった。それぞれのタイミングで複数の新聞やウェブ媒体が記事化したが、どれも通り一遍のことしか書いていない。

地点に聞くと、取材は2社から来ただけで、その内1社は電話1本だったという。当然ながら、読者の目を引く「パワハラ」という文字が見出しを飾り、『REALKYOTO』に橋本氏や蔭山氏が書いたり話してくれたりしたような話は報じられていない。もちろんハラスメントは大問題だが、僕は今回の場合、それ以前に上に書いたようなコミュニケーションの不在が本質的で重要な問題だと考える。マスメディアはなぜ足を使わなかったのか。

ふたつ目はロームシアターの公式見解である。ラインアップ説明会の冒頭、足立充宏副館長が「当館の職員は決定過程に関わっていない」と言明した。劇場を運営する音芸文財団の会長である京都市長が推薦し、財団理事長が任命する決まりだというのである。形式としてはそうなのだろうが、非専門家である市長が推薦するには、専門家の助言を必要とする。本人に不祥事でもない限り、最も重きをなすのは現職の館長の助言だろう。

そこで「新館長人事について、これまで平竹館長は何ら説明を行っていない。記者会見を開く予定はないのか」と質問したところ、「最初に申し上げたとおり、当館の職員は館長も含め、誰も決定過程に関わっていない。したがって記者会見は開かない」という答が戻ってきた。そのあとで行った蔭山氏のインタビューで、氏は「現在の文化芸術政策監である北村信幸さんと、前任者である平竹さんからの推挙なしには三浦さんが選ばれる理由もない」と語っている。僕もそう思うし、誰だってそう思うだろう。ロームシアターには本当のことを話してもらいたい。

もうひとつは、平田オリザ氏の2度にわたる声明「三浦基氏のモラルハラスメント問題について」「三浦基氏のモラルハラスメント問題について、その2」である。元劇団員が演劇私塾の教え子で、問題が発生してから折りに触れて相談に乗ってきたそうで、教え子への真摯な愛情ゆえに書かれたものだと察する。

この内、最初の文章は、(氏も名前を連ねている)公開質問状が京都市に手渡される前日に発表された。ここで氏は「パワハラの内容については、一部、音声記録や膨大なメモが残っており、私はおおむね事実である蓋然性が高いと認識しています」と書いている。その上で「ハラスメント自体は、たしかに刑事罰に問えるような案件ではありません。民事であってもパワハラの部分は密室で行われたことですから、その証明が難しいかもしれません。しかし状況証拠は揃いすぎるほどに揃っており、パワハラの有無という観点では、言い逃れは難しいと思います」と結論づけている。

教え子の相談に乗ってきたとはいえ、氏は当事者ではない。当事者ではない者が、団体交渉が行われている最中にこんな文章を公にすべきではない。この文章は、ミスリードとは言わないまでもアンフェアであり、いわゆる「印象操作」的なものだと僕には思える。そして、舞台芸術界では知らぬ者のない重要人物の主張ゆえ、マスメディアやソーシャルメディアの論調に大きく影響を与えたと思う。

上に引いた文章の直後には「これは、まさに伊藤詩織さんの裁判の経緯と相似形をなしています。伊藤さんの裁判では刑事告訴は難しいが、民事では状況証拠から鑑みて伊藤さんの主張は概ね正しいとされました」とまで書いている。これは端的に扇情的な文章だと言わざるを得ない(伊藤詩織さんの名は、情を煽るために極めて有効だったと思う)。関係当事者と平田氏しか見ていない、そして今回の「解決」によって誰も見ることのできなくなった「状況証拠」を、実際に裁判が行われた事例のそれと比較するのは不適切である。

この「状況証拠」が世に出て、三浦氏が裁判で有罪となることもあるのかもしれない。だがそれまでは、いわゆる推定無罪が法治国家の原則である。解雇とハラスメントについての争いが知られるようになってから、地点がコメントを出すのが遅かったこともあり、不安に駆られた人たちがソーシャルメディアに根拠のない推論を書き散らした。その一方で、何人かが「情報を持っていないので判断できない」と記していた。彼ら彼女らの冷静さが、今回の騒ぎの中で僕には救いに感じられた。