無人劇と無観客無配信ライブ(承前)
小崎 哲哉
前回のブログに、あごうさとしの「無人劇」と山本精一の「無観客無配信ライブ」について書いた。「『無人劇』が『無観客無配信ライブ』よりも勝る点がひとつあって、それは公演が有料であることだ」とも書いたが、山本精一はなんと無観客無配信ライブの「後売りチケット」を販売し始めた(難波ベアーズのウェブサイト)。
「無観客配信ライブ」ではなく「無観客無配信ライブ」であり、「前売りチケット」ではなく「後売りチケット」である。「無人劇」と同じくらいコンセプチュアルで、マジに素晴らしいと思う。早速購入したので、届いたらきちんと額装して、我が家の数少ないアートコレクションに加えるつもりだ。付言すれば、価格は購入者が自ら付けることになっている。コレクターとしての度量が問われる。ところで、同じブログに書いた、ドイツのモニカ・グリュッタース文化相の発言が、案じていたとおり日本のネット上に拡散している。文化芸術シーンを国として支えようとする姿勢は文句なしに素晴らしいし、その意味では拡散も悪くないのだが、問題はニューズウィーク日本版が記事タイトルに入れた「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」という文言。これはちょっとどうかなあ、と思う。
前回「『生命維持に必要』は意訳しすぎだと思う」と書いたが、原文は「Künstlerinnen und Künstler sind gerade jetzt nicht nur unverzichtbar, sondern geradezu lebenswichtig」。当該の原語は「lebenswichtig」だ。「lebens」は英語の「life」に当たり、全体では「vital」と訳されうる言葉だから誤訳とは言い切れない。でも、普通は「重要な」とか「不可欠な」くらいの意味で使われるはずであり、「芸術家はいま、不可欠であるばかりか絶対に重要なのです」とか、「芸術家はいま、必要であるばかりか絶対に不可欠なのです」と訳されるのが妥当なところだと僕は考える。
「生命維持に必要不可欠」というと、集中治療室や人工呼吸器を連想するだろう。翻訳家や編集部は、おそらくそこまで考えて、あえてこの訳語を採ったのだと思う。それでも個人的には違和感がある。せめて「生命維持」ではなく、「生きるために」くらいにすればよかったのではないだろうか。