REALKYOTO FORUMREVIEWS & ARTICLES

微笑む力(トリシャ・ブラウン・ダンスカンパニー公演レビュー)
文:岡﨑乾二郎

2016.07.05
SHARE
Facebook
Twitter

トリシャ・ブラウン・ダンスカンパニー『Trisha Brown: In Plain Site』
2016年 京都国立近代美術館(撮影:守屋友樹 提供:KYOTO EXPERIMENT事務局)


岡﨑乾二郎

そこが、どんなに白くニュートラルな空間に見えたとしても、美術館がニュートラルな空間であるとは今や誰も信じてはいまい。ニュートラルな空間に見えるのは意匠であり演出にすぎず、特定の時代(つまり現代)の趣向を反映しているだけである。のみならず、それは、このようにニュートラルであると見せかけることで、そこが公共性を代表していると誇示しようとする特定の政治的立場が行う演出にすぎない。つまり欺瞞である。

さらには、この見かけ上の公共性=中立性を維持することを理由に、この「中立性」を破綻させる可能性のある、いかなる表現もあらかじめ排除できる、というロジックまでが組み立てられ、事実、排除もされる。以上がだれもが目撃している現在の文化の状況である。

槇文彦によって1986年に設計された京都国立近代美術館の建築はいわゆるポストモダン様式に位置づけられるが、多元性を包含することを目指したというポストモダン思潮が、結果として、なんでもかまわず差異を許容し流通させる市場主義と結びついてしまったことはよく知られている。市場の中で差異はアノニマスな消費の量(人気)に換算され、ついには徴をもたない(無印)ニュートラルな定型へと収斂していく。市場主義と結びついたポストモダンは、本来、現在を突き刺す痛み、つまり現在という場に決して回収できないものであったはずの差異から、その痛み=毒を抜きとり、どこか懐かしい記憶の感触として、市場=舞台の平板な背景へと溶融させてしまったわけである。

現在性を展示する美術館、すなわち現代美術館がはじめて誕生したのは、このポストモダンの時代だったことに注目すべきである。そこで現在は、あらかじめ歴史化つまり様式化され、あるいはいかなる歴史も様式として共時的に消費できるようになったのである。

第二次大戦後、一時的に再開されたように見えた線的に展開する歴史の進行は1970年代にはもう誰も信じなくなった。60年代から新たな展開をはじめた前衛芸術の仕事は、総じて、ひとつの場所や時間に回収される文化への疑いからさらに進んで、統一された時間や場所に穴をあけ、異質な場を持ち込むこと、生成させることにこそ集中していた。

トリシャ・ブラウンの仕事も同様だった。ダンスとは、いかなる場所で行われようと、ただ一連の身体の所作によってのみ(既存の場の秩序に)、異なる別の場所と時間を成立させることだったからである。

単純な動作を積み重ね展開するアキュムレーションの仕草は、いかなる場所であれ(観客がいようといまいと)成立しうる。いいかえれば、それは固有の任務(タスク)、規範を備えた動作であるゆえに場所に縛られず自律的でありえる。サイト・スペシフィックという語は誤解されている。場所の特殊性に沿うのではなく、その場が備えている、そこに存在する事物や行動を束縛している条件、規則に関わらず、自律した規則をもった行為がそこに介入されることが重要なのである。結果として異なる規則つまり法をもった複数の場の衝突と葛藤が現れ、このコントラストこそがその場が潜在的にもっていた特性を際立たせる。ここに現れるのはもっとも原初的な政治的葛藤だといえるだろう。

京都国立近代美術館のロビーで上演されたトリシャ・ブラウン・ダンスカンパニーの公演は、80年以降の主なカンパニーの作品がプロセニアム・ステージへと移行する以前の演目の集成のようにも見えた。トリシャ本人が出演できなかったにせよ、こうした可能性あふれる実験的な仕事を今、日本で目撃することができるのは稀有な機会である(正確には、『Set and Reset』のようにステージ用の作品の中からミニマムな動作のエレメントを選び出し、オフ・ステージの作品として再構成されたものも含まれる)。

そこにあったのは奇妙な風景だった。当然、観客は鑑賞料を払っているが、観客が見ているのは、粛々と自分たちに科した任務(タスク)を遂行していくダンサーたちである。自らの任務に徹するダンサーたちのその潔癖さは(その清潔すぎるほどの身なりの白さも相まって)、そのダンサーたちの周りを、ただ野次馬よろしく、うろうろつきまとい、見守るだけの(何の任務ももたない)観客たちに、無言の圧力と緊張を与えている(きっと与えていたはずだった)。

トリシャ・ブラウン・ダンスカンパニー『Trisha Brown: In Plain Site』
2016年 京都国立近代美術館(撮影:守屋友樹 提供:KYOTO EXPERIMENT事務局)


実のところ電気配線や洗濯物を畳んだりする労働行為とほぼ同様ともいえるだろう機能的所作を、観客は注視させられていたともいえるが、ゆえに(にもかかわらず)、これらの所作は観客に見せることだけを目的にした行為とは異なって力=凛とした美しさをもつ。行為は観客なしにも遂行されうるのに対し、それを見つめる観客は自らの意志で見つめていることを意識させられるからである。この非対称性が、観客たちに自らが窃視しているかのような一種の居たたまれなささえ抱かせる。

が、その効果はおそらく1970年代にこれらの作品が遂行されたときほどではなかったかもしれない。その時代、いかなる場であっても観客に構わず、ある行為を遂行することは、文字通りに非対称的な立場、それぞれが従っている別の法、政治的場を露にさせることだった。家族が食事しているときに家政婦が雑巾がけをする際、家族と家政婦は互いに相手の存在を気にしない。がここで起っていることはその家政婦にその労働を命じているはずの家族が、反転して、その行為が自分たちのルーズ(規範なし)な行動の及ばない、自律性=完結した強度を備えていることを見せつけられる、ということなのだ。
「わたしの行為は、それ自身の法に厳格に沿っているのだ」という、相容れない法の毅然とした提示。それは自己統治と抵抗がいかに行われるかの原理を示している。

トリシャ・ブラウンの稀有な才能は、その提示、抵抗をいとも優美な微笑みとともに行ったことである。たとえば『Locus Quartet Variation』は、同じ動作を繰り返す女性ダンサーを男性ダンサーが移動させ、そのつど不自然な角度で床に彼女たちの身体を置く。が女性ダンサーはいかなるポーズを強いられようと同じ動作をやめることなく続け、つまりこの作品はジェンダーによって強いられる、行為の非対称性をはっきり明示している。あるいは名作『Spanish Dance』は、ディランの声に合わせて、女性たちのみのダンサーがつぎつぎと運動をまさにフィジカルなコンタクトによって伝導させ、芋虫のような自律的な運動をみせるユーモラスな作品である。がその生成される運動に身を委ねる、彼女たちが微笑んでいるのを、見せつけられるとき、疎外されるのはそれをただ見つめるほかない観客であった。そこで生産的に自覚されるはずの居心地の悪さを、いにしえのポストモダンの建築空間でどれくらい自覚されえただろう。

『Locus Quartet Variation』
トリシャ・ブラウン・ダンスカンパニー『Trisha Brown: In Plain Site』
2016年 京都国立近代美術館(撮影:守屋友樹 提供:KYOTO EXPERIMENT事務局)


『Spanish Dance』
トリシャ・ブラウン・ダンスカンパニー『Trisha Brown: In Plain Site』
2016年 京都国立近代美術館(撮影:守屋友樹 提供:KYOTO EXPERIMENT事務局)


かつて筆者がトリシャ・ブラウンと恊働する機会をえたとき(『 I love my robots.』(2007))、プレミア公演の後のアフタートークで会場からこんな質問がでた。『あなたたちジャドソン・チャーチ派はかつて政治的な含意を有していたが、それは現在失われてしまったのか』。トリシャは笑みを浮かべて『ダンスをしているとき、私は何も考えません』と答えた。が、その潔癖かつ徹底した答えに比べて筆者は『ロボットは人間とみなされていない、ことにおいて、すでに政治的に差別された存在であるといえると思う。こうしたコミュニケーションの非対称性がこの作品でトリシャと共有しているコンセプトだった』と野暮に答えてしまった。いまではこう反省する。これではトリシャの魅力を損ねてしまう。トリシャはどこであっても優美に微笑むことができる、それを支える確信こそが、政治的抵抗の源そのものだったと気づいたからである。

 
 
おかざき・けんじろう
1955年東京生まれ。造形作家、批評家。1982年パリ・ビエンナーレ招聘以来、数多くの国際展に出品。2002年にはセゾン現代美術館にて個展。同年「ヴェネツィア・ビエンナーレ第8回建築展」(日本館ディレクター)、現代舞踊家トリシャ・ブラウンとのコラボレーションなど、つねに先鋭的な芸術活動を展開。

 
 
トリシャ・ブラウン・ダンスカンパニー公演『Trisha Brown: In Plain Site』は、2016年3月19日〜21日に、京都国際舞台芸術祭Kyoto Experiment 2016の招聘により、京都国立近代美術館で開催されました。

(2016年7月6日公開)