REALKYOTO FORUMREVIEWS & ARTICLES

田中泯 meets 中村達也
文:細川周平

2018.07.03
SHARE
Facebook
Twitter

(c) Yoshie Tominaga


細川周平

一人は着古した乞食服、もう一人は黒い戦闘衣のような作業服、二人が暗い舞台に現れる。一人は好きに居場所を探し、もう一人はドラムスの定位置に座り、試しに叩き出している。踊り手はそれに乗るでも乗らぬでもなく、またドラマーも男を乗せるでも乗せぬでもないが、少しずつ相手を気にしているようで、何もなかったところに細い糸が張られ、それが太くつながっていくように思える。その日の気の流れを定める最初の数分は、静かな緊張に満ちている。既に3度目、10年続くプロジェクトという。二人のパフォーマンスを「見る」というより「居合わせる」という方が実感にかなっている。舞台と客席を含めた「その場」に居合わせている。客席を巻き込む力はそれほど大きかった。

探り合いの後は外からすぐに分かる反応から、そうとはいえない薄そうな反応まで、二人のやりとりは濃淡自在で、結びの糸が伸びたり縮んだりする現場を私たちは目の当たりにする。ドラマーは打撃ごとに時空に「切れ」を作り、踊り手はからだの運動で「流れ」を作る。その融合と対比がこの日にしかない気分や気配を作る。田中泯が下駄をはき、足で踏む打楽器として中村達也に向かう場面があった。足を踏む所作が鈍い木の打撃音に翻訳され、ドラマーがその音と動きに楽器を叩いて反応する。その腕さばきが踊りに見えてくる。踊り手が客席通路を走り回る場面もあった。当然、近寄られて見るからだは迫真的で、感嘆の声が漏れた。ほかにドラムスに煽られて客が両手でリズムを取る「ロックっぽい」数分もあった。彼の昔のバンドのことが思い出された。どれも「分かりやすい」、乗っていきやすい時間帯だ。それがすぎると、二人が距離を取っているような場面がやってくる。しかし二人の気は近づいているようで、何がどう結ばれているのか、観客は目と耳を澄ませなくてはならず緊張を強いられる。気が迫るというのだろう。

(c) Yoshie Tominaga


ドラマーは太鼓とシンバル一式のほかにゴングを持っている。その残響の長い重低音はふだんの「切れ」とは違う音の質で、踊り手の作る「流れ」にちょっかいを出し蛇行を加えるかのようだ。踊り手が戯れに叩き二人の目線が合うのを目撃すると、その場が楽屋になったように妙な気がする。このように二人がふと緊張から抜ける合間がある。踊るのでなく歩き、叩くのでなく腕をほぐして、次の楽章(ムーヴメント)の準備をするような数十秒である。つられて客の息も緩む。コンサートなら、その間は楽曲外の沈黙として何も聞いていない約束なのだが、二人の場合は小休止を取りつつ、既に次に進んでいるようでもある。そしてゆるゆると、あるいは突然の音や身振りで、前と違った調子の楽章が再開される。その「入っていく」感覚は儀式のようだ。

登場から約1時間後、集中が極限に達した瞬間に二人はワアーと叫んで脱力し、パフォーマンスは終わった。観客の大半も同じ脱力感、達成感を共有したに違いない。いったん引き揚げた後、拍手に応えて現れた二人は破顔満面、どこに余力を残していたのか、対決の成功に祝杯をあげるかのようにめちゃめちゃに叩き、動き、叫びまくり、先ほどまでと違う陽気を発散した。その1分間、舞台と同じく明るくなった客席で観客も陽気に当てられ、その場に居合わせた幸福を感じただろう。

満たされた脱力感のなかで思いついた言葉が「気合い抜き」。刀でなく、気で立ち向かう居合い抜きの意味。気は生の基本エネルギーだが、ふだんは意識されない。東洋哲学の領域にあるような深遠な気から、俗人の日常に出入りするあたりまえの気(その気、やる気、本気・・・)まで、各種各様のかたちとレベルで人の営みを統べていると思う。神秘な何かではなくどこにでもある何かだ。からだを美しく見せるだけではない踊りの原点を気の放射に見出した田中泯は、70年代以来デュオを好んできた。相手がいるとふたつの気の摩擦や同調が起きて、当人たちにも観客にも思わぬ結果が生まれるのを楽しみとし、たぶん100人以上の相手と対してきた。ダンサーや音楽家はもちろんだが美術家や詩人もいた。良い相手だと個々の気のありようをはっきりさせるような配分になる。当夜の組み合わせがその一例だった。いつもと変わりないはずの動きに、気の合う相手が乗ってかわして立ち止まる。互いを知り尽くしながら何も知らぬ同士に戻れるのは、稀な気心の組み合わせだ。長年見慣れた踊り手のからだが、気分の違う音に触発されて思わぬ流れに乗っていくのに出会うのは、気持ちの昂ることだった。

(c) Yoshie Tominaga


 
ほそかわ・しゅうへい
1955年生まれ。音楽学者。国際日本文化研究センター教授。単著に『日系ブラジル移民文学1 日本語の長い旅(歴史)』『日系ブラジル移民文学2 日本語の長い旅(評論)』『遠きにありてつくるもの 日系ブラジル人の思い・ことば・芸能』(読売文学賞受賞)、編著に『日系文化を編み直す-歴史・文芸・接触』『民謡からみた世界音楽―うたの地脈を探る』など著書多数。
 

(2018年7月3日公開)



*「芒(のぎ)の植え付け」「踊り場・叩き場/田中泯meets中村達也」(踊り:田中泯、ドラムス:中村達也)は、2018年6月8日、ロームシアター京都 サウスホールにて上演されました。