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ウィリアム・ケントリッジの『冬の旅』
文:浅田 彰

2019.10.23
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Festival d’Aix-en-Provence 2014 ©P.Berger/artcomart.


浅田彰

今年の高松宮殿下記念世界文化賞は、絵画部門でウィリアム・ケントリッジ(南アフリカ)、彫刻部門でモナ・ハトゥム(パレスチナ)に授与された。選考過程に多少ともかかわりをもつ者の言うべきことではないかもしれないが、客観的に見てとてもいい人選と言えるのではないか。ただ、ヒロシマ賞では受賞者の展覧会が広島市現代美術館で開かれるのに対し(2017年には第10回ヒロシマ賞を受賞したモナ・ハトゥムの展覧会が開かれた)、世界文化賞では展覧会や演奏会は開かれない、それが残念だと思っていたら、京都造形芸術大学・春秋座で Kyoto Experiment の一環としてケントリッジの演出するシューベルトの『冬の旅』の上演に触れる機会に恵まれたのは幸いだった。

ケントリッジはアニメーションで有名だが、最初、演劇を志していただけに、ショスタコーヴィチの『鼻』(それに関連するインスタレーション作品が京都国立近代美術館に収蔵されている)、そしてベルクの『ヴォツェック』や『ルル』といったオペラの、映像を駆使した演出は、なかなか面白いものだった。だが、シューベルトの連作歌曲となるとどうだろう? シューベルトからヴォルフにいたるロマン派の歌曲は、無限に広がる空間の中での絶対の孤独を焦点とするものであり、ドラマティックな演出や映像はかえって邪魔になるのではないか? 幸いにして、この危惧は外れた。

舞台正面にはさまざまなメモの類を張った壁が立っており、その上に映像が投影される。普通、ピアノは聴衆から見て横向きに置かれるが、ここではピアニストが壁に向かうよう斜めに置かれていて、そのためやや小型に見える。そう、ロマン派の詩人や作曲家は、広大な空間の中にいたわけではなく、メモに埋まった狭いスタジオの中で無限の空間を夢見て創作し、友人たちに聴かせては議論を重ねていたのだ。ケントリッジはそのような空間にシューベルトを置き戻して見せるのである。

Festival d’Aix-en-Provence 2014 ©P.Berger/artcomart.


マティアス・ゲルネは、現在最高のシューベルト歌手のひとりであると同時に、そうしたケントリッジの演出にぴったりの役者でもあると言えるだろう。20世紀後半、ドイツ歌曲に関してディートリヒ・フィッシャー=ディースカウに敵う歌手はいなかった。豊かな声、広い知識と深い解釈… ただ、ひとり冬の荒野を横切ってゆく薄命の若者の孤独を体現するにはあまりに余裕綽々としている、それが彼の欠点と言えば欠点だった。逆に、いかにもイギリス人らしい長身痩躯をもって、そのような若者を神経症的なまでに鋭く演じてみせるのが、現代のイアン・ボストリッジである。それはきわめて印象的なパフォーマンスなのだが、純粋に音楽に没入しようとするとき、役者の自意識のようなものが邪魔にならないでもない。その点、ゲルネは、やや声量を抑え、音楽だけで世界を完結させようとしない、かといって過度にドラマティックにもならないという、絶妙なバランスを見せてくれた。また、ピアノ伴奏を担当したマルクス・ヒンターホイザーは、作曲家であるだけに、作曲家が譜面を試し弾きしているような雰囲気をどこかに残している(指がもつれる瞬間もないわけではなかった)、それもまたケントリッジの演出にうまくはまっていた。

Festival d’Aix-en-Provence 2014 ©P.Berger/artcomart.


こうしてみると、ケントリッジが『冬の旅』全24曲をアニメーションで表現するという手法を取らず(それでは安っぽい説明になってしまいかねない)、これまでのさまざまな作品の断片に新しい断片も加えてコラージュ風の作品にした、それも正しい選択だったと思われる。一曲一曲の内容と付かず離れず、むしろ、『冬の旅』というリーダーツィクルス(英語ならソング・サイクル)から終曲のライアー(手回しオルガン、英語ならハーディ・ガーディ)に象徴される回転のイメージを取り出してアニメーションで展開するなど、ケントリッジならではの舞台は、全部を解読しようとすると音楽の邪魔になるかもしれない、しかしそもそもそのような意図を感じさせない、むしろ音楽を立体的にふくらませるもうひとつの伴奏としてうまく機能していたと言えるだろう。

これほど贅沢なパフォーマンスが京都での一夜限りの上演だったというのはもったいない話ではある。しかし、ゲルネのクラスの歌手は数年先までスケジュールが埋まっているし、ヒンターホイザーもザルツブルク音楽祭のディレクターとして多忙を極めていて、むしろケントリッジの世界文化賞受賞に合せて京都公演が実現できたのが幸運だったと言うべきだろう。京都国立近代美術館の学芸課長だった河本信治のおかげで、京都では、2009年の同館でのケントリッジ展のほか、2015年の「Parasophia:京都国際芸術祭2015」と前年のプレイヴェント(『時間の抵抗』)でも、ケントリッジ作品を見ることができた。その記憶に、この興味深いリサイタルの記憶を付け加えることができるのを素直にうれしく思い、いずれオペラ公演を見る機会があれば、と勝手な期待を膨らませている。

 
あさだ・あきら
京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。

(2019年10月28日公開)

 


KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2019【ウィリアム・ケントリッジ「冬の旅」】は2019年10月18日、京都芸術劇場 春秋座にて上演されました。