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1988年『Art & Critique』5号より転載
〈DRAWING〉「美に至る病へ」へのプロローグ
文:森村泰昌

2016.04.15
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 「風と共に去りぬ」は、私の最も好きな映画のひとつである。
 この映画をはじめて眼にしたのは中学生の頃だったと思う。その時は「スカーレットというのは、なんとわがままな女性なんだ」と憤慨したものだ。
 その後、何故か幾度となく映画館やTVでこの映画を観ることになる。
 私は決して映画狂とはいえないが、映画を観る機会は少なくない。“ゴダールはタルコフスキーより数段素晴しい”と言い切るくらいの自分流の映画論は持っている。しかし映画「風と共に去りぬ」は、そのような論理の世界とは別格のところで輝いている。
 “好き”という感覚はコトバにならないものらしい。出逢う対象がどんなものか、ということと同じくらい、出逢った時間や場所や状況それからその後のドラマの進展が、つまり偶然とも運命ともどちらとも言えそうな何ものかが悪戯をしかけ、私達を押しとどめることのできない感情の虜にしてしまう。スカーレットにとってバトラーは、その文字通り“絵に描いた”ような実例である。

 私にとっての「風と共に去りぬ」は、スカーレットにとってのバトラーと同じ関係にある。“嫌い”から“好き”に至り、現在私はその感情に“恋”と名づけても抵抗はない。

 

F氏所蔵の「安奈淳
(ベルサイユのバラ・オスカル)」
等身大ポスター
(掲載誌面より)

2

 現在(1988年2月)、宝塚歌劇でも「風と共に去りぬ」が上演されている。4度目のリバイバルである。その手のものに詳しい友人のF氏に聞いてみたところ、彼は今回の宝塚版「風と共に去りぬ」には消極的な態度を示した。当時の“鳳蘭”や“麻実れい”のバトラーを知っている者にとって、今回の“主役格4名の配役交替制”という演技力を要求される新機軸も、強いキャラクターを欠いた宝塚歌劇団の現状の反映としか思えないのだろう。実際、例えば “鳳蘭” にバトラー以外の役は似つかわしくない。違う公演ではアシュレーも演ずるなどというアイデアは最初から考える人すらいないのだ。(註)

 F氏との宝塚歌劇についての談話の結末は、“ある計画”への夢をはぐくむことで落ちついた。その計画とは“「私」が「スカーレット=ビビアン・リー」になる作品”という計画だった。
 F氏には私の新作でメイクを担当してもらっていた。制作を続けるうちに“「私の顔」でも何人かの「有名女優」になれる”と、二人で勝手に決めこんでいた。そしてその証しとして手はじめに「スカーレット=ビビアン・リー」が選ばれたのだ。
 これはもしかすると、永年抱き続けてきた“恋”の成就を意味するのかも知れない。

 

3

 F氏との談話から数日後、別の友人のS氏より4冊の「ファイル」を見せてもらった。
1950年代を中心に日本で封切られた、当時の洋画のパンフレットの実物をファイルし
たものだった。パンフレット総数は200冊を越えていた。
 ファイルの持ち主はS氏ではない。Oさんという女性である。というか正確には彼女のお父さんである。ファイルはS氏がOさんより借りうけたものだった。有名無名の映画の
数々、そのスティール写真、解説文、魅惑的な邦題、モノクロ写真から作り出したカラー刷りの表紙写真とその特異なレイアウト……。S氏と私は、パンフレットの表紙だけでもすべて写真で記録しておく、ということで意見が一致した。たくさんの映画を観るだけでなく、そのパンフレットを完璧に保存しておくとは、Oさんのお父さんは偉い、ということでも意見が一致した。Oさんというのは或る美術系の学校のデザイン科の学生である。そして私とS氏は実は彼女の“先生”にあたる。私とS“先生”は、このファイルの提出を“重視”した。ファイル提出の好印象がOさんの成績になんらかの影響がある、ということは十分考えられることである……。

 

4

 このファイルのどこがどう“面白い”のかを一口で説明するのは難しい。“好き”というのと同様“面白い”ものとは、どんなものでもそれを“面白い”と思う人にのみ“面白い”のだから。“面白い”ものは人々に平等になにが“面白い”かを見せびらかすわけではない。恩寵を受けた者か、あるいはなにかある儀式をかいくぐった者にだけ“感じられる”といった、いささか秘儀めいたナニカなのだ。決して閉鎖的ではないが媚を売るような気配は全く無い。“好き”“面白い”……つまり“わかる”ということは、そのようにコトバ以上のナニカなのである。

 

5

 表1は200冊余りあるパンフレットの1冊、その巻末広告の一部である。
 “近日公開”とある「バラの肌着」は、私の好きなローレン・バコールと、グレゴリー・ペックの初顔合わせ、という代物で“肌着”と言い切れる邦題のセンスが新鮮だ。
 “北野劇場”での“実演”とある、ロカビリー旋風、西条凡児と漫才ショー、ペギ一葉山のラテンアメリカショー、あるいはOSミュージックの「楽器を鳴らせ」ヌード・ロカビリーなどを眼にしたS氏はトニー谷やアキレタボーイズの話をやりだしたので、私もハッパムトシ、アヒル艦隊、玉川カルテット、横山ホットブラザーズ、タンペイクラブなどで応酬した。

表1(Oさんのお父さん所蔵のパンフレット巻末広告より)
(掲載誌面より)


 「シェーン」、「ダイアルMを廻せ」、「旅情」、「七年目の浮気」…など名画と呼ぶにふさわしい映画のパンフレットも数々残されている一方、現在ではたぶん見られない(かもしれない)だけにかえって空想世界に耽溺しうる映画もかなりある。ここでは2つだけ紹介しておきたい。

 ひとつ目は「ザ・チャップマン・レポート」というものである。「“キンゼイ報告、女性に於ける性生活”のレポートが作成されたプロセスにヒントを得て現代女性の典型的な性生活を暴露したこの映画」と解説にある。ジェーン・フォンダが“性生活をレポートされる4人の女”の1人で出演しているところから見て、この映画は私が知らないだけで、実は“有名”なのかも知れぬ。

 Oさんのお父さん所蔵の映画パンフレット
「ザ・チャップマン・レポート」
(掲載誌面より)


 ふたつ目は「総天然色・世界のセクシーナイト」という邦題のイタリア・ドキュメント・フィルム。フランスの絵描き娘“シェリー・ド・モンパルナス”の“特技”、アラビアのダンサー“アミラー”の奴隷の踊り、マダム・アルテュールの店(ゲイの店)に出演のマスロワ、クリスチーヌ、シルバン、ミカエリ連、日本人アクロバットダンサーのトキコ・ワタナベ、ベトナムのキム嬢の「桃の花」踊り……、世界各国のストリッパーがゾクゾク紹介されるというようなものらしい。
 こうした紹介を読んだ人は次のように説明づけるかもしれない。
 「彼はレトロ趣味なんだ」とか「ああいうのをキッチュ好みというんだよね」とか。
 文化現象を定義づけるこれらのコトバ(レトロ、キッチュなどの…)は、ナニカを分類し、またどうして“面白い”のかを解説するのには便利な道具ではある。しかし大きな誤解
を生む元凶となる場合もある。
 S氏と共に楽しんだ200冊余りの映画パンフレット、その私にとっての“面白さ”とはレトロとかキッチュには無関係といっていい。あえて言うと、レトロとかキッチュとかを
どれだけ離れてそれらを考えられるか、というところに“面白さ”がある。だから事態は全く倒立しているのである。

Oさんのお父さん所蔵の映画パンフレット
「私の夫(ハズ)は二人いる」 (掲載誌面より)


6

 ここにもう1人というか1組の友人について記しておきたい。
 私のまた別の友人I氏とMさんは、今、“少年隊”に熱中している。彼らの家に行くと少年隊のレコードを次々聴かせてもらえる。十分なサービスのきいたレコードジャケットも見せてもらえる。ライヴビデオ、TV出演の録画の数々も説明つきで観せてもらえる。頼めばMさん自選のベストアルバムをカセットに録音もしてくれる。そして彼らは最近“光GENJI”と“少年忍者”にも手を伸ばし始めた。

Mさん所蔵の「ヒガシ(少年隊レコードの付録)」
セミヌード  (掲載誌面より)


 F氏と話し込んだ、映画「風と共に去りぬ」や宝塚歌劇団。S氏と一緒に見た200冊余りの映画パンフレット。I氏及びMさんを通して知った少年隊や光GENJI。それらは私が“面白い”と感じ、またどう“面白い”のかという点でとぎれ目なく続く一連の“ナニカ”である。“面白宇宙系”の惑星群として互いに引きあっているのだ。
 だが私の“面白い”と思っているものは無論ここでとりあげたものに尽きるわけではない。というか“面白い”ものに関しては、逆に出来得る限り無節操でありたいと考えてい
る。どれ程無節操になれるかが、“宇宙系”の成立条件だとさえ考えている。
 そしてそれでもなおかつ何故か1つのまとまりを持ってくるとすれば、それこそ実に“面白い”と言えるのではないだろうか。

1988年2月1日

 
(註)
宝塚版「風と共に去りぬ」バトラー役は他には榛名由梨、麻月鞠緒らが演じている。ちなみにスカーレットは順みつき、遥くらら、汀夏子、安奈淳など。今回はバトラー、アシュレー役を平みち、杜けあき、スカーレットを一路真輝、神奈美帆となっている。

 

『A&C』(Art & Critique) No.5

(1988年3月1日 京都芸術短期大学芸術文化研究所[編])

より再掲


【SMALL ARCHIVE 森村泰昌】 『A & C : Art & Critique』は1987年7月〜1994年2月まで、京都芸術短期大学(現・京都造形芸術大学)が刊行していた芸術批評誌です。いまでは入手が難しいこの雑誌から森村泰昌関連記事を選び、OCRで読み取って、小さなアーカイブを作ってみました。
 転載を許諾して下さった森村氏をはじめとする執筆者の方々と、『A & C』誌元編集担当の原久子氏、京都造形芸術大学のご協力とご厚意に感謝申し上げます。なお、記事はいずれも原文のママであることを申し添えます(明らかな誤字は訂正しました)。

(REALKYOTO編集部)

CONTENTS ▶『Art & Critique 5』
〈DRAWING〉「美に至る病へ」へのプロローグ(文・森村泰昌)1988年

▶『Art & Critique 8』
〈TOPICS〉ベニス・ビエンナーレ——ベニス・コルデリア物語
(文・石原友明、森村泰昌)1988年


▶『Art & Critique 9』
〈CROSSING〉森村泰昌展「マタに、手」(レビュー・建畠晢/篠原資明)1989年

▶『Art & Critique 15』
〈CROSSING〉森村泰昌・近藤滋「ART OF ARTS, MAN AMONG MEN.」
(レビュー・山本和弘)1991年


▶『Art & Critique 15』
〈NOTES〉 森村泰昌[1990年 芸術のサバイバル](構成・原久子)1991年
 小池一子 井上明彦 松井恒男 塚本豊子 飯沢耕太郎 長谷川祐子
 横江文憲 山野真悟 南條史生 中井敦子 斎藤郁夫 岡田勉
 藤本由紀夫 石原友明 山本和弘 尾崎信一郎 アイデアル・コピー
 富田康明 近藤幸夫 篠原資明 一色與志子 南嶌宏


▶『Art & Critique 19』
〈INTERVIEW〉 森村泰昌(構成・原久子)1992年

 

(2016年5月3日公開)