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時代劇を換骨奪胎した現代劇『CHAIN/チェイン』
文:成実弘至

2022.03.14
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福岡芳穂監督作品『CHAIN/チェイン』©北白川派
映画の冒頭、刀を握りしめた武士の群れがビルの街を駆け回り、激しく斬り結ぶ。悲鳴を上げる町人たちは黒いアスファルトの路上を逃げ惑い、待ち伏せする一派が潜んでいる店も今の蕎麦屋のようだ。現在の京都に出現した髷姿の若者たち――。この光景に私たちは軽い戸惑いを覚える。それが新鮮だからではない。むしろどこかで見た設定を思わせるからだ。例えば、よくあるタイムスリップ、タイムトラベルもの。あるいは時代劇製作の舞台裏を描くバックステージもの・・・。そのような手垢のついたストーリーをまた目にすることになるのか、という思いが頭をもたげる。しかし、予想は物語が進むにつれて裏切られていくだろう。登場人物たちはやがて江戸時代の風景のなかに収まっていくのだが、ときどき不意に現代の都市に召喚される羽目になり、その不条理を寡黙に耐える、そんな場面が何度も示されるからだ。私たちは次第に、異なる時間、異なる空間を往還することがこの映画のテーマだと気づくことになる。

映画『CHAIN/チェイン』は、幕末の勤王の志士たちの内紛を縦軸に、佐幕と倒幕にゆれる武士たちの運命を、町人や社会の底辺にいる人びとを交えて描いた時代劇である、とひとまずは言うことができる。冒頭のシーンは、新撰組を脱退して御陵衛士を結成した伊東甲子太郎が粛正され、その亡骸を引き取りに来た仲間たちも待ち伏せしていた隊士に惨殺された史実「油小路の変」を、実在の場所のうえで再現したものだという。時代劇というフィクションはその時代らしい背景・時空間をそれなりに整えるのが演出の基本だから、そこに異なる時代を差し込むことは大きな違和感をもたらす。そのリスクをあえて取るのは、映画が現代と過去をつなぐ意思を明らかにするからだ。

つけ加えると、本作は京都芸術大学で教える映画人と学生たちが共に映画作りをする「北白川派」プロジェクトの第八作でもある。映画製作を通して新旧世代が交流し、なにかを伝えあう場から生まれた作品ということだ。北白川派には京都を舞台にするルールがあるわけではないらしいが、地元で撮影される場合が多く、京福電鉄沿線の街の物語を虚実まじえて浮き上がらせた鈴木卓爾監督の『嵐電』のような作品も生まれている。本作もまた令和と慶応を行き来する若者たちの姿によって、この街に折り重なる歴史性をテーマにしており、京都をめぐる映画といっていいだろう。

かつての同志を闇討ちし、その死体を餌に対抗するグループを殲滅する新撰組の酷薄さに迫った本作は、京都を舞台にした幕末映画の系譜に連なっている。主人公が悲惨な最期をむかえる残酷時代劇である加藤泰の『幕末残酷物語』、大志を抱いた若者の末路をざらざらしたモノクロ画面にとらえた篠田正浩の『暗殺』や黒木和雄の『竜馬暗殺』、新撰組というホモソーシャルな集団が性愛によって崩壊していく大島渚の『御法度』など、数多くの映画がこの時代の血なまぐさい青春群像を、時代劇の定型を崩しながら活写してきた。これら過去の作品と比べると、本作に登場する志士たちにはどこか優しさが感じられる。彼らの多くは歴史書の脚注にひそんでいるような存在であり、丹波哲郎演じる清河八郎の傲岸さからも原田芳雄の坂本龍馬の獰猛さからも遠いところにいる。若者たちをつき動かしているのは天下を支配しようという野心でも破滅へと向かう本能でもなく、歴史が自分にあてがった役割をなんとか遂行しようとする懸命さのようである。さもなければ「100年後の日本がよくなっているといいな」「侍も天皇もいないほうがいい」云々とつぶやいたりしない。自らの命を賭して未来に希望をつなげようとするところが、幕末時代劇の人物らしからぬ彼らの優しさと見えるのだ。

本作には町人たちも登場するが、とくに興味を惹かれるのは五条大橋の下で春をひさぐ街娼や、侍に阿片を売りつける女など、希望のない世界を生きている女性たちの存在である(男娼もいるが)。世の中に絶望し、刹那的に生きて死んでいく彼女たちの叫びは、武士たちのつぶやきよりも強い印象を残す(脚本には女子学生たちが参加して、人物造形に貢献したという)。

幕末の女性映画といえば、例えば五所平之助の『蛍火』は、寺田屋旅館の若女将が龍馬に恋心を抱くが、いろいろな事件の果てに思慕を絶ち、自分の運命を引き受けるという物語で、女性の哀しさと強さが際立つ作品であった。しかし、厭世的という点では、禁門の変を背景に武士たちによって日常が壊されていく祇園の芸妓たちを描いた石田民三の『花ちりぬ』のほうが、本作の女性像に近いのかもしれない。旅館や妓楼に閉じ込められ外に出ることのできない女性たちの諦念と比べると、本作の男性たちへの怨嗟にはどこか現代的な息づかいが感じられる。とはいえ、本作の女性が添え物でしかなく、その表現もやや平板なのは惜しいところだ。

福岡芳穂監督は本作のことを時代劇ではなく「時間劇」だと述べている。特定の時代を舞台にした物語ではなく、その虚構性を自覚しながら、この街に生きた人びとを時間を超えて再現する試みということである。そう考えると、本作は時代劇のあり方を大胆に換骨奪胎した現代劇なのであろう。ここで福岡が聴き取ろうとするのは、歴史の片隅にひっそりとたたずんでいる優しい若者たち、歴史から忘却された女性たちの声である。ヴェンダースのベルリンの天使たちは、かの大都市に生活する市井の人びとに寄り添い、心のなかにつぶやかれる喜びや悲しみや諦めやらに耳を傾け記録していた。同じように、本作も時代の奔流のなかで多くのものが失われてきた京都という街にかつて存在した人びとのつぶやきに繊細であろうとする。『CHAIN/チェイン』は福岡監督が描いた「新しい天使」なのである。


なるみ・ひろし
文化研究。京都女子大学教授

『CHAIN/チェイン』は全国順次公開中。公式サイトはwww.chain-movie.com