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特別寄稿
ファーレ立川の岡﨑乾二郎作品の撤去について
文:福永 信

2022.10.23
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岡﨑乾二郎《Mount Ida イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている)》(1994)
ファーレ立川岡﨑乾二郎作品が撤去されるかもしれないと聞いた。寝耳に水で、大変驚いた。作家サイド、ファーレ立川のアートプランナーである北川フラム/アートフロントギャラリーの担当者、また設置場所である立川髙島屋S.C.の担当者に問い合わせたが*1 、撤去は事実とのことだ。理由は、来年2023年1月31日をもって立川髙島屋S.C.の「百貨店区画」が閉店、秋のリニューアルでは「(仮)マルシェ広場」を設置予定であり、岡﨑作品の場所はない。よって撤去、移設の方向で現在検討がファーレ立川アート管理委員会と立川髙島屋S.C.の間で進んでいるという。工事時期は未定だが、2月1日以降は工事の仮の囲いがなされる予定だ。というわけで、ぜひ、それまでの間に実際に足を運んで作品を見てほしい。

39歳の岡﨑乾二郎による《Mount Ida イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている)》(1994)は、ファーレ立川のパブリックアート作品である。立川髙島屋S.C.のある建物の裏手、地下駐車場の換気口のカバーとしてのフェンスであり、内部には植物が植えてある。ファーレ立川は、立川駅周辺の市街地整備の再開発を中心に展開し、ベンチや車止めなど用途を兼ね備えた作品が109点、周囲の環境を取り込みながら設置されている。人々の移動が個々の作品を結びつけ、緩やかに連携するキュレーションが魅力だ*2 。当然、ひとつの作品が欠けることは、全体に大きな影響を及ぼす。岡﨑の作品は、しかも、その構想の根幹をなすものである(プロジェクトの構想の一部は岡﨑の発想が源泉になっているという)。ファーレ立川は日本のパブリックアートの歴史において重要な位置にあると断言していい。そんなプロジェクトの中の作品を撤去しようというのだからいい度胸というか、大きな問題だ。広く告知し、パブリックな場で、議論されてしかるべきだろう*3

「撤去」の話し合いは、作品の所有者である立川髙島屋S.C.サイドと、ファーレ立川アート管理委員会の間でなされた。後者は、ファーレ立川の維持管理を行なっている組織だ。両者の間に、作家の意見をヒヤリングし伝達する立場としてアートフロントギャラリーの担当者が入り、検討を重ねた(6月中旬から10月現在まで6回ほど)。所有者からの撤去の提案には抗い難いものがあるというのが現実で、店舗計画にそぐわない以上、「残す」選択肢は最初から限りなくゼロに近かったようだ。そのため、協議はすぐに「移設」の可能性の検討に入り、それに対して作家側も、担当者を通じ書面で、解体するのなら3Dデータでの保存といった著作物としての権利を守る条件を提示してほしいなどの提案を行なった。立川髙島屋S.C.サイドもそれを受け入れている。現在は移設先の検討に入っているというが、立川市内では適当な場所が見つかっていないものの、解体は避けられそうであり(ただし、予断は許さない。移設先が見つからなければ撤去=解体となる)、関係者の尽力に頭が下がる思いだが、2点ほど今回の件でひっかかったことがある。以下にそれを書く。

ひとつは、情報のなさである。ファーレ立川は伝説的な存在であり、その構成要素である作品がその場からなくなるというのはビッグな事件だ。早い段階から情報が広く知られるべきだった。だが情報はなかった。私は偶然、関係者から「撤去されてしまうようですね」と聞き(10月上旬)、びっくりして、作家サイドに問い合わせたという流れだ。なぜ情報がないのか。それは撤去について、最終的には「合意」していないから、ということが原因のようだ。上記の話し合いにおいて、撤去については事実上合意して話は進んでいるが、正式に決定していないため、外へ情報を出せない、というわけだ。これでは工事の直前になって情報が出ることになりかねない。パブリックアートは、その名の通り、パブリックであるのだから、単なる「所有物」ではない。所有者の意見だけが通るものではないし、30年近く、環境そのものとなり、人々に馴染んで、多くの人生と共にあった作品である。換気口のフェンスとしてデザインされているのだから「移設」されると、用途を兼ね備えていたという大事な要素も抜け落ちてしまう。移設前に見るためにも、撤去反対の意思表示をしたいファーレ立川のファンや市民のためにも、情報はできるだけ早い方がよかった。

もうひとつは、作家と、橋渡し役のアートフロントギャラリーの連携がうまくいってないのではないかという懸念である。作家本人と同月16日に電話で話したが、その際、解体の可能性にも触れながら、だが、それだと壊すことを容認することになり、前例を残してしまうことになる、だから簡単にオーケーとは言えない、そう岡﨑は語っていた。つまり、まだストップをかけることができる、撤去=解体もしくは移設を覆すことができると作家側は思っていたわけだ。正式に合意していないのだから当然だ。しかし、アートフロントギャラリーの担当者は、撤去の撤回の可能性については全く現実味を感じていないようだった。「合意」していないにもかかわらず、である。撤去が覆ることは所有者がそう思わない限りない、という態度で一貫しており、「あくまでオブザーバーなので」とか「ニュートラルな立場なので」と担当者は電話口で言った(ニュートラル? アートプランニングをした立場ではないか?)。立川髙島屋S.C.サイドの所有権については強く主張するが、著作権に関しては特に何も言わないことにも違和感が残った。作家と認識がズレていることに対しても私の介入(?)によって気づいたようで、両者の方向性が噛み合っていないと思えてならなかった。

岡﨑のこの彫刻作品は、人間が入れず、鳥や猫、昆虫などの動物が入れる植物園もしくは庭としても構想されている(鳥がついばむ植栽が選ばれている)。夏には葉を茂らせた木々の枝が勢いよくフェンスからはみ出ることで、作者が考えた、奇妙にねじれ切断された形を変えてしまう。切断面のような形をまるで傷を癒すかのように無効にしてしまう光景は、本当に美しい。だがその姿はもう見られない(植物も一緒に「移設」するのだろうか。動物は置いてけぼりだろうか)。動物のための、と言ったが、人間だって負けてない。くつろいだり、お弁当を食べたり、お昼寝をしたり、待ち合わせに使ったり、すっかり愛されている場所になっているのであって、「(仮)マルシェ広場」にぴったりではないか。商業的な観点からしてもこんなに「温まった」場所はないだろう。残すべきだと私は思う。

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(注)
*1  作家サイドには、10月15日にメールで問い合わせ、その後、本文にも書いたように電話で話し、また数日をかけて数度のメール、再度電話のやり取りをした。立川髙島屋S.C.には10月18日、お問い合わせ窓口から4項目の質問を送信、20日に立川髙島屋S.C.の所有管理会社である東神開発株式会社の担当者からお返事をもらった。アートフロントギャラリーにも同日の18日、お問い合わせフォームからほぼ同じ内容の質問を送信、21日に電話で担当者に1時間以上、ご対応いただいた。「ファーレ立川の岡﨑乾二郎作品の撤去について」はこれらのやり取りを元にして書かれている。記して感謝いたします。

*2  ウェブサイトを見ると、正式名称は「ファーレ立川アート」のようだが、ファーレ立川アートプロジェクトと言われることも多い。だが、単に「ファーレ立川」と呼ばれるのが一般的だろう。筆者は本欄の前身であるREALKYOTOのブログで「21年目のファーレ立川」と題し、本作などを紹介したことがある。

*3  北川フラム著『ファーレ立川パブリックアートプロジェクト 基地の街をアートが変えた』(現代企画室/2017)によれば、「建物の改築・解体の際にそこに設置された美術作品をどうするかについては、所有者の一方的な判断で作品の保存・撤去が決定されることを避けるために、所有者と作家とプランナー(引用者注:本作の場合は、立川高島屋S.C.サイドと岡﨑乾二郎と北川フラム/アートフロントギャラリー/ファーレ立川アート管理委員会)の三者が話し合って決定する」とある。なお、本書はファーレ立川の成り立ちを、予算面を含め具体的に振り返っていて興味深い。本プロジェクトのアートプランナーとして奮闘した著者は、当時まだ40代後半。パブリックアートという、既成概念に縛られまくった領域をフレッシュなアイデアで打開し、真に構想するとはどういうことか、模索していた。その思考の一端に本書で触れることができる。キュレーターを目指す人は必読だ。著者自身もこの機会に再読すべきと思う。

ふくなが・しん
小説家