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文化時評15: ストリップ・スカルプチャー・カルイザワ
墓標としてのモニュメント
文:清水 穣

2023.08.23
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©︎ 2023 Gerhard Richter / Wako Works of Art
photo: ToLoLo studio
過去30年に渡って、ゲルハルト・リヒターのプライマリー・ギャラリーの1つとして、日本でのリヒター芸術の受容に貢献してきたWako Works of Artが、リヒター作品を常設展示する小さな専門美術館「リヒター・ラウム Richter Raum」を、軽井沢に開いた。そのまま英語に訳せばRichter Roomだが、ドイツ語のRaumは部屋というよりは空間であり、宇宙空間をも意味するから、Richter Raumとは、リヒター作品の空間であり、リヒター芸術の小宇宙ということである。

©︎ 2023 Gerhard Richter / Wako Works of Art
photo: ToLoLo studio

リヒターと日本の関係は1968年、デビュー間もない時期にまで遡る。まだ国際的に無名だったリヒターが、初めてヨーロッパの外でグループ展に参加したのが、新潟県の長岡現代美術館であった。これは、長岡市出身の実業家・銀行家の駒形十吉が収集したコレクションを展示するため建設した私設美術館で、「現代」を冠する美術館の魁であった(1979年閉館)。1964年の開館と同時に、時代に先駆けた国際的な現代美術賞を企画し、1968年の第5回展(最終回)には日本人作家8人と西ドイツ作家7人が招待された。西ドイツ作家の人選を行ったのは針生一郎で、この時点でリヒターを選んだ慧眼に驚かされる1 。リヒターがセオドロン賞を受賞して、ニューヨークで他の受賞作家たちとともにグループ展に参加するのは翌69年(グッゲンハイム美術館が会場、5月24日〜6月29日)だが、同年、日本では早くも東京国立近代美術館の「現代世界美術展—東と西の対話」(1969年6月12日〜8月17日)に参加している。

その頃から最近の個展(2022年)にいたるまで、日本はリヒターにとって、新しい試みを最初に発表する場のひとつでありつづけてきた。長岡現代美術館での絵画とオブジェの同時展示、立ち並ぶガラスのオブジェ「Standing Glass Panes」とストリップの組み合わせ展示、ガラス作品の最後を飾る豊島のインスタレーション2 、「ビルケナウ」以降の新しいアブストラクト・ペインティング、そして今回のRichter Raumの目玉、高さ5mの屋外オブジェ「ストリップ・スカルプチャー・カルイザワ」にいたるまで、すべて日本で初公開された。「Standing Glass Panes」シリーズのひとつをいち早く購入したのも日本人コレクターだ。

©︎ 2023 Gerhard Richter / Wako Works of Art
photo: ToLoLo studio

展示作品と、最新の屋外モニュメントについては、小冊子が販売されているので、そちらを参照されたい。ただ、ここ軽井沢に実際に設置された姿を見る前に書かれたディーター・シュヴァルツの解説を、実際の鑑賞経験から補っておこう。もともとストリップのシリーズは、第2期のアブストラクト・ペインティングの最も純化された姿として、あるアブストラクト・ペインティングを繰り返し鏡像展開し、2の累乗分割(鏡1枚ごとに2分割、リヒターは鏡を12枚立てて4096分割している)した結果の極細のストリップを、水平方向に反復して得られるイメージである。つまりストリップの中には、実は見えない鏡が立ち並んでいる。形式的には、リヒターの全作品は、絵画をその最終的な本質としてのレイヤーに還元することで成立しており、レイヤーに見立てた透明なガラス板が墓標のように立ち並ぶ作品が「Standing Glass Panes」のシリーズであるから、ストリップとガラス立体はいわば兄弟作品 ―第2期アブストラクト・ペインティングの極相― と言える3

ストリップはいわば圧縮されたアブストラクト・ペインティングであり、屋内で鑑賞され、ガラスに覆われないむき出しの色の帯が、観る者を強烈に吸い込む(アブソープティヴな)効果を伴っていた。「ストリップ・スカルプチャー」は、それを縦方向の立体に仕立て直したもの(現時点までで3点制作)で、それらを踏まえた「ストリップ・スカルプチャー・カルイザワ」は、初めての屋外作品として、保護用のガラス ―豊島のガラス作品にも用いられた、国内最高品質のガラス― に覆われている。それは、ストリップとガラス立体が、鏡とガラスが合体したモニュメントなのである。

もうひとつのモニュメント、「無益に捧げ」られた豊島の「14 Standing Glass Panes」は、リヒター芸術の極相を、14の留(十字架の道行きの諸段階)に倣うかのように、14枚のガラス板で表現したもので、リヒターのイメージのなかでは、それは極東の無人島で、誰に見られることもなく(=無益に)、日々刻々と変化する周囲の自然を、ひたすらレイヤーに変換し続ける装置であった。上から見れば十字形をしている「ストリップ・スカルプチャー」も、やはり一種の墓標であろう。

大勢が訪れる軽井沢のRichter Raumの庭に設置されて、決して「無益」ではない墓標、その効果は不思議なものである。まず当然、鑑賞者や周囲の景色が映りこむので、ストリップ全体に透明感が加わり、色の帯のあいだに奥行きが生じて、アブソープティヴな効果が増すと同時に、その反映・反射には鑑賞者をはねつける効果もあり、この相反する2つの効果の相克が、天気によって、空の色や木々の色によって、さらにストリップの各部分の色相によって変化し続けるのだ。

Richter Raumがギャラリーにとって1つの到達点として実現されたことは言うまでもないだろうが、ここはただリヒターの常設展示館であるにとどまらない。コリンナ・ベルツ監督のドキュメンタリー『Gerhard Richter Painting』(2011年)を見た人なら気がつくかもしれないが、Richter Raumは、細長い開口部、正方形の窓、森に囲まれた環境など、リヒターのアトリエの特徴を自由になぞって設計されている。美術館より、もう一段階私的な、親密な空間で作品を鑑賞できる。

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(注)
1 リヒターは1968年の絵画「波トタン板Wellblech」(CR193)と、オブジェ「管Röhren」(CR59)を出品した。2002年に新潟県立近代美術館「長岡現代美術館賞回顧展」を開催した際に出版したカタログに、この第5回展の記録写真が載っている。

2 《豊島のための14枚のガラス、無益に捧げる》。愛媛県豊島(とよしま)の、リヒター自身のデザインになる建物内に、単独で設置され、瀬戸内の美しい光景を人知れず、日々映し続けている。アクセスや開館時間などは現代アートプラットフォームへ:
https://gendaiart.hp.peraichi.com/ または
https://www.kamijima.info/sightseeing/richter/

3 そのことがはっきりと示されていたのが、ストリップとガラス立体を組み合わせた2011年のマリアン・グッドマン・ギャラリー(パリ)での個展であった。

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しみず・みのる
批評家。同志社大学教授

Richter Raum/リヒター・ラウムは事前予約制。
https://www.richterraum.jp/