文化時評19:The Third Gallery Aya『東恩納裕一展』
「不気味なもの」としての昭和、その終わらない回帰。東恩納裕一の芸術
文:清水 穣
2023.12.15
1980年代から90年代にかけて国際的デビューを果たした日本人作家たち、つまりポストコロニアルな波がアートワールドに到来したとされる1989年(『大地の魔術師展』)より前の世代は、欧米・白人・男性から見た「非欧米・有色・女子供」に自らアイデンティファイし、それを演出することで国際的な知名度を得た。その方法は、象徴的なステレオタイプ −「ヒノマル、ヒロヒト、ヒロシマ」(PC日本の3H)あるいは「フジヤマ・ハイテク・JK(女子高生) 」(日本土産にFHJK!)− に訴えかけるというものであり、当然ながらそれは ―他人の目に映った自己にアイデンティファイするのだから― 自虐的な様相を帯びていた。
彼らよりわずかに遅れてデビューした東恩納裕一は、そうしたシンボルを一切使わない点で新鮮であった。彼はむしろ日本社会の見えない、目立たない細部に目を向けた。あからさまに政治的なアートとは、実際の政治を単純化したものである。リアルな政治は、目に見えない権力関係のネットワークを通して機能し、そのネットワークのなめらかな作動を誰も意識しないこと、つまり誰もが現状を空気のように「自然」に感じていることが、政治の理想的状態である。本質的に政治的なアートは、この状態を対象とし、隠れた政治を露わにする。東恩納が注目した対象は、戦後日本の中流階級の室内に溢れる「ファンシー」趣味と蛍光灯の白い光であった。
日本の住宅の大部分が、四畳半と卓袱台に代表される和風の長屋建築から、LDKを基準とする建売洋風建築へと変わっていった昭和の高度成長期、その室内に「ファンシー」という形容詞がつく一連のグッズや意匠が見られないことはなかった。小さな家に取ってつけたような出窓、レースのカーテン、プラスティックの造花、フリル付きカバーのかけられたティッシュボックス、欧米デザイナー(ピエール・カルダン!)によるラグにタオルにスリッパ……などは、当時の日本人にとって「欧米」風のディテールだった。が、実際にはそれらは欧米でも(言葉通りの)ファンシーでもなく、日本にしか存在しない、和製英語のような存在であった。つまり、「ファンシー」はオリジナルのコピーではなく、オリジナル不在のシミュラークルに他ならなかった。そして、そういう家のLDKはたいてい、天井に取り付けられた蛍光灯の白い光に照らされていた。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』が戦前の古き良き日本の暗がりであったなら、蛍光灯の白い光は、敗戦後の民主主義日本の、中流階級を代表する明るさであった。
東恩納はそれらを、フロイトの言う「不気味なもの das Unheimliche」と見なす。すなわち、戦後日本人が無意識下へと抑圧したものが、「ファンシー」「白い光」として回帰しているのだ、と。抑圧したもの、それは言うまでもなく「敗戦」であり、また明治以来、近代化=脱亜入欧=欧米白人男性になろうと努めてきた日本人が被った決定的な否定(「おまえは白人ではない!」)であった。東恩納はそれを過剰な白い光のオブジェ(「ファンシー」な装飾としての輝くシャンデリア)や、原爆の放射線によって広島や長崎の壁に焼き付いた黒い影を連想させる、スプレーペインティングによって表現してきたのである。 白い蛍光灯のオブジェには、和製シミュラークルとしての初期作品を越える要素があった。暗黙の政治性が、そこでは従来とは異なる革新的なオプ・アートと出会っていたのである。東恩納のオプ・アートは、一見自然に思える環境に対する政治的介入として現れた。「自然」を、何らかの政治や制度を潜ませている環境と見なし、そのなかのひとつの性質(例えば白さ)を誇張したり、全体の明暗を反転させたりする(その環境のネガを作る)ことで、そこに潜むものを炙り出すのである。ある空間に対する誇張化、反転、歪曲が、新たなオプ・アートを構成する。そこでは不気味なものと美がユーモラスなバランスを保っている。
それまで所属していたギャラリーから離れ、コロナの数年間を経て、本展は作家にとって久しぶりの個展となった。上に論じたレギュラーの作品に加え、新たな傾向として、色彩の後退と、布のオブジェが挙げられる。前者は一時的なものであろうが、後者は、近年のインスタレーションの成果であろう。作家は、まさにファンシーで白い光の下にあった空間、すなわち、半世紀を経て老朽化し、かつての住人の気配や痕跡を遺しながらも今では誰も住んでいない、昭和の洋風建築での展示を数回に渡って行った。住人不在の家では、テーブルや家具に、埃よけの布が掛けられていることが多い。布の皺やドレープは、それが包み、また隠していた身体や物体や空間、つまり不在の過去を引き寄せる。西洋の伝統的な彫刻や絵画に見られる偏執的なドレープ描写、リュシアン・フロイドのアトリエに積まれた布地、ヴォルフガング・ティルマンスの「ファルテンヴルフFaltenwurf」のシリーズなどを連想させながら、作家は布を積み、布を置く。布置、布教、頒布、流布、布告、発布…「広がり」「広げる」意味に「布」の字が用いられるのは、反物を広げるイメージゆえであろうか。漢字文化圏の「布」に、印欧語文化圏では何が対応するのだろうか。
いうまでもなく、2023年現在、昭和の高度成長期を彩った趣味はもはや存在しない。しかし平成なら平成の、令和なら令和の「ファンシー」や「白い光」が存在するだろう。なぜなら、われわれは、相変わらず昭和の条件下に、すなわち、同じ憲法、同じ天皇制、同じ日米地位協定の下に、生きているからである。抑圧された「昭和」は回帰し続けるだろう。そしてそれを追い続けてきた作家の着目点は、いま、空間から皮膚(触感)へと移行しつつあるのかも知れない。 ——————————–
しみず・みのる
批評家。同志社大学教授 『東恩納裕一展』は、The Third Gallery Ayaで、2023年12月23日まで開催中。
日本の住宅の大部分が、四畳半と卓袱台に代表される和風の長屋建築から、LDKを基準とする建売洋風建築へと変わっていった昭和の高度成長期、その室内に「ファンシー」という形容詞がつく一連のグッズや意匠が見られないことはなかった。小さな家に取ってつけたような出窓、レースのカーテン、プラスティックの造花、フリル付きカバーのかけられたティッシュボックス、欧米デザイナー(ピエール・カルダン!)によるラグにタオルにスリッパ……などは、当時の日本人にとって「欧米」風のディテールだった。が、実際にはそれらは欧米でも(言葉通りの)ファンシーでもなく、日本にしか存在しない、和製英語のような存在であった。つまり、「ファンシー」はオリジナルのコピーではなく、オリジナル不在のシミュラークルに他ならなかった。そして、そういう家のLDKはたいてい、天井に取り付けられた蛍光灯の白い光に照らされていた。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』が戦前の古き良き日本の暗がりであったなら、蛍光灯の白い光は、敗戦後の民主主義日本の、中流階級を代表する明るさであった。
東恩納はそれらを、フロイトの言う「不気味なもの das Unheimliche」と見なす。すなわち、戦後日本人が無意識下へと抑圧したものが、「ファンシー」「白い光」として回帰しているのだ、と。抑圧したもの、それは言うまでもなく「敗戦」であり、また明治以来、近代化=脱亜入欧=欧米白人男性になろうと努めてきた日本人が被った決定的な否定(「おまえは白人ではない!」)であった。東恩納はそれを過剰な白い光のオブジェ(「ファンシー」な装飾としての輝くシャンデリア)や、原爆の放射線によって広島や長崎の壁に焼き付いた黒い影を連想させる、スプレーペインティングによって表現してきたのである。 白い蛍光灯のオブジェには、和製シミュラークルとしての初期作品を越える要素があった。暗黙の政治性が、そこでは従来とは異なる革新的なオプ・アートと出会っていたのである。東恩納のオプ・アートは、一見自然に思える環境に対する政治的介入として現れた。「自然」を、何らかの政治や制度を潜ませている環境と見なし、そのなかのひとつの性質(例えば白さ)を誇張したり、全体の明暗を反転させたりする(その環境のネガを作る)ことで、そこに潜むものを炙り出すのである。ある空間に対する誇張化、反転、歪曲が、新たなオプ・アートを構成する。そこでは不気味なものと美がユーモラスなバランスを保っている。
それまで所属していたギャラリーから離れ、コロナの数年間を経て、本展は作家にとって久しぶりの個展となった。上に論じたレギュラーの作品に加え、新たな傾向として、色彩の後退と、布のオブジェが挙げられる。前者は一時的なものであろうが、後者は、近年のインスタレーションの成果であろう。作家は、まさにファンシーで白い光の下にあった空間、すなわち、半世紀を経て老朽化し、かつての住人の気配や痕跡を遺しながらも今では誰も住んでいない、昭和の洋風建築での展示を数回に渡って行った。住人不在の家では、テーブルや家具に、埃よけの布が掛けられていることが多い。布の皺やドレープは、それが包み、また隠していた身体や物体や空間、つまり不在の過去を引き寄せる。西洋の伝統的な彫刻や絵画に見られる偏執的なドレープ描写、リュシアン・フロイドのアトリエに積まれた布地、ヴォルフガング・ティルマンスの「ファルテンヴルフFaltenwurf」のシリーズなどを連想させながら、作家は布を積み、布を置く。布置、布教、頒布、流布、布告、発布…「広がり」「広げる」意味に「布」の字が用いられるのは、反物を広げるイメージゆえであろうか。漢字文化圏の「布」に、印欧語文化圏では何が対応するのだろうか。
いうまでもなく、2023年現在、昭和の高度成長期を彩った趣味はもはや存在しない。しかし平成なら平成の、令和なら令和の「ファンシー」や「白い光」が存在するだろう。なぜなら、われわれは、相変わらず昭和の条件下に、すなわち、同じ憲法、同じ天皇制、同じ日米地位協定の下に、生きているからである。抑圧された「昭和」は回帰し続けるだろう。そしてそれを追い続けてきた作家の着目点は、いま、空間から皮膚(触感)へと移行しつつあるのかも知れない。 ——————————–
しみず・みのる
批評家。同志社大学教授 『東恩納裕一展』は、The Third Gallery Ayaで、2023年12月23日まで開催中。