“空間”とともに存在する、ある“現象”を創りたい
インタビュー:木藤純子 聞き手・構成:かなもりゆうこ
2014.12.17
インタビュー:木藤純子(アーティスト)
(聞き手・構成:かなもりゆうこ)
光や水や風といった自然の要素をモチーフや素材とし、展示会場の特徴やその場にあるものを捉え、わずかに光を当てて想像力の入口を開かせる……。2014年12月に兵庫県立美術館で個展を開催し、2015年1月にボーダレス・アートミュージアム NO-MAで展覧会企画を行うアーティストに、ひそやかにして潔い表現へ至る視点について、そして様々な作品について伺った。
● “物事が起こる秘密” の魅力
—— 木藤さんはインスタレーション作家ですが、時空間を使った表現への興味はいつごろから芽生えたのでしょうか。
学生時代は洋画専攻だったんです。最初は大学でグラフィックデザインの勉強をしようと思っていたのですが、ファインアートへの興味も捨てきれず、洋画に変更しました。受験時はアカデミックな絵を描いていました。縁あって成安造形大学に入学したのですが、大学の創立初期であったこと、また教授陣が具体の先生が中心だったことも影響したかもしれません。実直にペインタリーな仕事には向かいにくい環境であり、美術学部間の境目なく、いろんなことに興味を持って制作に取り組んでいました。
—— やはりインスタレーションだな、と思った瞬間はあるんですか。
京都に来たことは大きなきっかけではあります。小学校で行われている展覧会 (*1) を観たんです。『SKIN-DIVE』(*2) への先駆けとなるものだったと思うのですが、いわゆる美術館ではないところで行われた展覧会はとても印象的でした。
大きく作品が変わったきっかけとしては、『ドクメンタⅩ』と『ミュンスター彫刻プロジェクト』(*3) のあった1997年、大学3回生のときに『ドクメンタⅩ』と並行して行われていたアンチ・ドクメンタ展 (*4) に制作補助として参加した体験があります。大学の講義の際、出品作家から募集の呼びかけがあり、大学の先輩と共に参加しました。アンチ・ドクメンタ展はカッセルの美術大学の教授が企画した展覧会で、欧米主体の現代美術に対し、第三世界の作家を中心としたものでした。私は主に日本の作家の制作をお手伝いました。例えば、國安孝昌さんの木とレンガを積み上げていくとても大きな立体作品や、現代いけばなの谷口雅邦さん、八木マリヨさんの古着を使った作品などです。屋内のメインの展示会場はおそらく旧刑務所学校だった施設で、そこが滞在場所でもあり、いろんな人種の作家たちが現地制作していく現場や、展覧会が出来ていく過程を見たことは良い経験でした。
また、そのドイツ滞在時に観たミュンスターの野外彫刻展がとても印象深くて。野外彫刻と言ってもいわゆるモニュメンタルなパブリックアート的なものではなく、様々なスタイルの自由な作品です。越後妻有をはじめ、昨今の日本の国際展、アートイベントにも近いと思います。街の中に、過去2回のものも含め、多くの作品が混在し、人々もそれを受け入れていて、生活とアートがつながっている様子を見ました。日本人では曽根裕さんや川俣正さんが参加していました。
—— その後、様々な作品を作ってきて、いま現在、木藤さんにとって、インスタレーションを作ることはどんな意味を持っていますか。
“空間” というよりも、その空間で行われる何か “現象” のようなものを作りたいというほうが近いですね。私の場合、空間に作品を置いたとしても、そこに人が介在しないと本当には作品として成立しないと思っています。人なのか自然なのか、奇跡的な偶然の産物なのか、自分の範疇ではない大きな要素にすごく惹かれますし、解けない謎を感じます。そこに物事が起こる何らかの秘密があるような気がしていて、探求しているのだと思います。
●台風の次の日の空を見るのが好きだった
—— 2011年、国立国際美術館でのグループ展『世界制作の方法』に出品した《Closer》では、どのようなことを意図されましたか。
国立国際は大阪の都市部中之島にある、地下構造のB3Fまで展示室がある美術館で、積み木を敷き詰めたような組み木の床の建造物です。中之島に移転する前は万博公園の大きな広い公園の敷地内に建てられていて、大理石の床でした (*5) 。そのギャップや、さらに様々な特徴も見ていく中で、「地上から地下へと潜っていく、感覚的に意識も潜っていく」「深度」という考えに行きつきました。
私は自分の展示スペースに2つの部屋を作り、その周辺を含めてインスタレーションを行ったのですが、1つの部屋は円形のもので、壁面に蓄光塗料で木々を描きました。もう1つの部屋は四角く長方形、天井には光を透過する薄い布を張り、部屋の隅に円柱を1本立てました。円柱の先は地上に続いているというイメージです。ベンチに座って眺めたり、中に入ったりすることができます。円柱の中は同じく蓄光塗料で木を描いています。円形の壁面や円柱の中は照明が明滅し、明るいときはただの白い壁ですが、照明が消えて暗闇になると木々が浮かび上がります。塗料に溜め込んだエネルギーで形成される光の絵です。2つの部屋を移動する通路の側には、展示室のバックヤードとなる小部屋があり、その中央に1日に1度、天井の通風口から花びらが落ちてきます。この部屋は、地上に枝垂れ桜があり、ちょうどその下に当たる場所なんです。そして、私がこの展覧会に参加するに当たり、自分にとっての “世界制作の方法” の在り方を示したいと思い、最後に《Skypot》 (*6) を置きました。《Skypot》は水を張ったグラスで、覗くと空が見えるという作品なのですが、いつもの写真を使ったものとは少し変えて、覗くと空の映像が見え、さらに鏡を使うことで、映像の合間に映り込んだ鑑賞者自身の顔が映るようにしました。
インスタレーション全体で、意識の奥に潜り、何かに近づくための時間を作っています。作品、つまりは世界を見て感じ、世界を形づくっているのは自分自身であること。“作品を見ること” は “自分の姿を見ること” である、という場を率直に設けることで、展覧会の鑑賞の最後に、見ている本人に帰ってくるという構成にしたいと思いました。
—— それは木藤さんが作品を作るときの姿勢でもあるんでしょうか。
それもあるかもしれないですね。作品ってその人が観るものというか、その人にしか観れないものを観ることですし、その人にとって何が響くかということが大事だと思います。私の作品は、まったくアプローチできない人もいると思います。何か具体的なメッセージをはっきりと伝えるものではない。もちろん私は自分の心に響いたものから作品を作っているわけですが、まずは自分が観たいということもありますし、それを他の人と共有できるのかということや、いったい何に人は惹かれているのかということを、作り出した場や現象というきっかけを通じて、検証しているのだと思います。
—— 水や光や植物という自然物をモチーフや素材として扱っていますが、子供のころから惹かれてきた原風景としてどんなものがあるのでしょうか。
台風の次の日の空を見るのが好きでした。雄大な大自然とまではいかないのですが、海にも山にも比較的近い場所で育ちました。あと、富山でしか見れない風景はやはりあります。雪に乗ったことありますか? 雪の上を歩けるんです。積もった雪が寒暖の差でそのまま凍って固まることが年に1度くらいあるんですよ。いつもと違って、そのままいろんなところに歩いて行けるんです。田んぼの中でもどこでも、いわゆる道じゃない道を歩いて自由に小学校とかに行ける(笑)。
富山から京都に来たということも大きいです。「裏日本」て本当にひどい言い方だと思いますが(笑)、でも冬の間ってほとんど暗いんですよ、グレーの感じですね。冬の帰省のあと富山から京都に戻る途中、山々を越えるとある時点から青空になることが印象的でした。京都で冬の晴れた日に青空を見て、これが表と裏か.……って思いました。《Skypot》はそのようなことも影響しているかもしれないですね。空はもともと好きで、実家の自分の部屋は壁紙が空の模様なんです。10代のときにそうしてもらって、いまもそのままです。でも、いまから思うと京都に来て青空の存在にもっと意識的になったと思います。
● “花咲か婆さん” になってみようと思った
—— 木も繰り返し登場しますよね。東京都現代美術館『MOTアニュアル2011』では写真を使っていて、GALLERY CAPTIONでの展示や、もうすぐ開催される兵庫県立美術館での展示は現地制作で壁面に絵を描いています。
木は好きですね。大きな木を見るとすごく落ち着きます。実家の斜め向いが神社で、そこの木の上には天狗がいるんだと村の人に言われるような、とても大きな木々があって、確かに夜になると怖いんですが、その神社でよく遊んでいました。視界にいつも大きな木があったように思います。でも、あるとき台風が来て、倒れた木と共に切られてしまいました。だからよく遊んでいた風景は無くなってしまいました。
『MOTアニュアル2011』では、最初に展示を自然光で行うという条件を聞きました。何度か行っていましたが、私はもともとこの美術館に自然光の印象がまったくなくて、依頼があってから下見に行ったときに、上を見上げて「こんな窓があったのか」と思いました。
展示した2つの部屋の内、最初に入る1つ目の部屋は天井全体に薄い布が張ってあり、その布の上から透過してくる自然光を感じることができます。その部屋で、まず3つの《Skypot》がお迎えします。見下ろした《Skypot》の中には空があり、見上げた天井の奥にも空があって、両方の空を感じることができます。大きい《Skypot》は青空の写真で、あとの2つはそれぞれ、夕暮れから日没にかけて、夜明けから日の出にかけての映像です。そして、美術館の椅子を部屋を囲うように壁際に置いて、床には紙吹雪の花びらが落ちています。
奥の2つ目の部屋へ入ると、突き抜けた先の高い天井の窓からの自然光で、視界がぱっと明るくなります。この2部屋の構造が教会のようだと言う人もいました。窓を取り囲むように木の影を作っています。自然光での展示という条件をいただいたので、日々やその日の太陽の変化を感じられる作品にしたいと思いました。それに加え、美術の中でのお伽噺、美術にしかできないファンタジーをやってみよう、具体的に言うと “花咲か婆さん” になってみようと思ったんです。
桜の巨木を撮影し、そのイメージを天井の窓ガラスに貼りました。美術館の建物の周りには木が無いんですが、展示室は木々に包まれている感じになります。ときどき上から花びらが降ってきて、部屋の隅にはわずかに木の灰が落ちている。壁から床への、灰を使ったドローイングとも言えるかもしれません。左右両壁面は月齢カレンダーの壁画にしました。蓄光塗料を使ったシルクスクリーンなので、陽が落ちると日中に溜め込んだ光でほのかに光ります。
どちらの部屋も人工照明を使用しない、自然光だけの展示で、美術館としてもチャレンジングだったのではないでしょうか。
—— この前後にGALLERY CAPTIONで、木を使った作品を展示しましたね。
2008年の個展《Vostok》ではギャラリーの中に木々を設置しました。そして、そのときの木の影を壁画として描いたものが2013年の《Vostok》です。ヴォストーク湖は南極の氷底湖で、氷の下なので見ることができません。湖水の状態を守るために掘削はしていなかったんですが、2012年の掘削で湖水にドリルが達しましたが……。2008年のときは「目の前に存在している物事だけではなく、そのもの自体の見えない部分に思いを馳せる」というテーマがあり、ヴォストーク湖の存在に惹かれてこの展覧会タイトルを付けたんです。氷山の一角じゃないですけど、もの自体が持っているかもしれない奥行きに強い関心があったんです。
それで、もしもこのギャラリーが木の内部であったら、というストーリーを考え、1つの部屋に木々を立たせ、もう1つの部屋の真ん中には木の根っ子を配置しました。その根っ子の場所から1本の木がギャラリー全体に広がっていくという想定で、目に見えない仮想の木陰のドローイングを、蓄光塗料で床に描きました。暗くなるとそれが現れます。
2013年には、そのときに出現した木々の影という想定で木炭の壁画を描き、展覧会終了日にそれを水で消していくパフォーマンスをしました。
●ほかの誰でもないその人個人の体験
—— 木藤さんは展示場所の持つ性質を独自の視点で読み解いていますね。一見さりげなく見えて、実は周到に作品をめぐる物語や仕掛けを考えているからこそ、観客はイメージを膨らませることができるのだと思います。作品制作のプロセスではどのようなことを大切にしていますか。
どの展示でも思うのは、その場所でしかできないこと、その場の力を借りるということです。ですので、場を読み解くという過程は大事ですね。展示する場所だけでなく、途中の行程が重要になっているときもあります。例えば兵庫県立美術館だったら、坂を降りて海へ向って行くところでしょうか。それから、ホワイトキューブといってもそれぞれに特色がありますよね。その場所に通って得るインスピレーションと、いま自分が気になっているものを合わせて大事にしています。
—— 例えば《Blue hour》について教えて下さい。
あの作品は、もとは東京の世田谷にあった本多忠次氏の私邸の洋館が岡崎市に移築・展示されるということで、その杮落し展でした。企画された学芸員の方から記憶にまつわる展覧会にしたいと聞いていて、個人の生活の場所であったということもあり、実際に現地に行くまでは少し怖いものを感じていました。作品を作るにはその場所に近づかなければいけないので、最初はすごく抵抗していたところがありましたけど、もう岡崎市に建てられてしまっていて、元の持ち主が思いを込めて作った邸宅が違う場所で歴史を刻んでいくということと、時が経っての改装で、持ち主が意図していたものではなくなっているのではないかという疑問とともに、当時の面影が断片的に見える切なさがありました。それで、ここを夢を形成していくための何かにできないかな、と思ったんです。目覚める前の時間、つまり夢を育む時間と場所ということをテーマにしました。それが《Blue hour》です。
夜明け前の色って一瞬だけですよね。きれいだと思いますし、とても好きです。いつか作品にしたいと思っていましたが、この作品を立ち上げていくとき、しっくり来る気がしたんです。
私の作品の中に自然のものが多いというのは確かにそうです。圧倒的な強度を持っているものだからだと思います。それに対してどうにもならないというある種のあきらめと、心地良さみたいなものがあるのですが、そういうものに触れたときの自由さみたいなものが、作品の中にも現れるといいなと思っています。
—— 観るほうも自然物が扱われていると心の開き方が違って、意味を越えて受け入れたり想像を広げたりする準備ができるんですよね。
なんなんだろう……。例えば、なぜ人は海に向うのか、というような単純な秘密の魅力なんでしょうね。
—— 時間についても自然の移ろいを作品の中に取り入れていますね。1日の陽の光の変化による効果もあれば、今回の兵庫県立美術館では展覧会の開催期間が月齢に合わせてあります。その日、そのときだけの、その場所でしか見られない作品体験の魅力というか。
それは、まさにその人だけの体験だということですね。ほかの誰でもないその人個人のものということです。
—— 昼と夜に違った表情を見せるインスタレーションもたくさん作っています。今年秋の展示《ひるとよる》はどのようなものでしたか。
GALLERY CAPTIONでは何度か展示をしていたんですが、今回は6年ぶりの個展で、もういちど原点に戻ってみようと思いました。このギャラリーは “窓” が印象的なんです。北向きで外光が入ってくる窓なんですが、この “窓” をいっぱい作ろうと思いました。“窓” そのものとも捉えているし、絵というものもやはり “窓” だと思っているんです。
—— どうフレーミングして、つまり「何をどう見るか」ということですね。
そう思います。展示は窓と同じサイズのフレームで額装された平面作品20点が壁に掛かっています。白い紙に透明なインクで印刷されたシルクスクリーンの作品なのですが、暗くなるとそこに海が浮かび上がります。
—— なぜ海を選んだのですか。
「人は何に惹かれるか?」ということで海を選んだ気がします。それぞれの人に思い出というか、何かしら思いのあるものだからでしょうか。
それから “境界” というものがわかりやすいから。でも海と境界の関連は後付けかもしれませんね。《ひるとよる》というタイトルは最初から決めていました。ものごとが変化するときというのはすごく気になっています。日没から夜にかけてとか、夜明けの前の青い空とか、でもそこには何か区切りがあるわけではなくて、反転するし、どちらも内包し合うし、そういうところが気になります。
●美術館に冬の花を咲かせる
—— ささやかでものすごく抑制の効いた表現は木藤さんの作品の特徴だと思いますが、例えば《darkness》は、構成要素がものすごく潔いのに、見る側はざわざわと心にさざ波が立つような、ある種の “気配” さえ感じます。この作品はどのように考えたのですか。
GALLEY RAKUにある出入口のカーテンに光と風を当て、鏡を1枚設置しています。鏡にときどき光が当たって反射しますが、後は完全に暗くした広い空間です。このころ風に興味を持っていましたが……と言っても、実はこれまでにないくらい感覚的に決めていった作品です。観てくれた人も漠然と「良かった……」という感想でした (笑) 。
でもこれは入口を探しているときの感じ……なのかもしれないですね。大きな空間であること。そして光と風だけです。
—— それは何かすごく腑に落ちました。
—— 滋賀県立近代美術館でのグループ展『自然学』での展示について教えて下さい。
出展したのは《Picture》という作品で、私は鑑賞者にいろんな額縁を用意したという感じです。備え付けのガラスの展示ケースにその部屋の状況や鑑賞者自身が映り、その人にしか見えない光景が見える。ガラスケースは対面になっていて、お互いが相互に映り合って、観る人によって動きの軌跡も違う。かすかに揺れる葉っぱ、落ちてくる花びら、《Skypot》、それから美術館の所蔵品の中から入念に選んだバーネット・ニューマンの版画も展示しています。所蔵品を展示したかったのは、選ばれなければ保管庫で眠り続ける作品を、作家の手で目覚めさせたいと思ったからです。
床のコンクリートや備品であるアクリルの展示ケース、そして《Skypot》にときどき水滴が落ちて来るけど、どの瞬間に遭遇するかはわからない。ある意味残酷ですが、そこにリアリティを感じます。その点も重要と思っていて、作品の要素に取り入れたかったんです。
—— 観客が居てはじめて作品が成立するわけですね。今年の3月に催された明倫茶会はいかがでしたか。
あるときに本当に美味しいお抹茶とお菓子をいただいて感銘を受けて、明倫茶会ではお抹茶によるお茶席を選びました。「シンプルにお茶を味わう」ための環境を用意するという意識で、京都芸術センターの西館部分を1日だけ貸し切るような構成にして、2Fの講堂の待合から始まり、大広間の本席へ移動し、そこをお茶室としました。そして、お茶会の参加者だけでなく、誰もが観ることができる展示を1Fの講堂で行いました。展示作品は大きな布による構成で、そこに描かれたイメージが昼間に集めた光で夜に浮かび上がるものです。
5回のお茶席を設けたのですが、各回これほど違うものなのかと驚きました。同じ場所でお茶もお菓子も同じものを用意しているのに、人と回が変わるとまったく状況が変化する。場というものは関係性によって出来ているものだな、と強く感じました。いつも行おうとしているインスタレーションをもっと凝縮した時間で見たような気がして、お茶の文化はすごく総合的なものなのだということが体感を通してわかりました。
—— 最後に近々の展示についてお聞きします。兵庫県立美術館の『Winter Bloom』では会期が月齢に合わせてあり、終了日の翌日に特別展示がありますね。
この展覧会は美術館に冬の花を咲かせるというシンプルなものです。満月に初日を迎え、新月に会期を終えます。余韻を感じるささやかなものを、休館日である会期終了の翌日に美術館の館外から観ることができます。
—— 年明けのボーダレス・アートミュージアム NO-MAでの『切符をもたない旅』はどのようなものになりそうですか。
これはNO-MAの所蔵品を使用して展覧会を構成します。出品作家ではなく演出側に立って、アールブリュットという垣根を感じない、作品本来の魅力に会える場を作ろうとしています。
—— どちらもとても楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。
きどう・じゅんこ
1976年、富山県生まれ。1999年、成安造形大学造形学部造形美術科洋画クラス卒業後、2000年、成安造形大学造形学部造形美術科洋画クラス研究生修了。2010年『panorama -すべてを見ながら、見えていない私たちへ-』(京都芸術センター)、2011年『MOTアニュアル2011 Nearest Faraway|世界の深さのはかり方』(東京都現代美術館)、『世界制作の方法 Ways of Worldmaking』(国立国際美術館) 等に出展。兵庫県立美術館での[注目作家紹介プログラム チャンネル5]『木藤純子 Winter Bloom』は2014/12/6~21(休館日の12/22は屋外から見える特別展示あり)、ボーダレス・アートミュージアム NO-MAでの『切符をもたない旅』は2015/1/23~2/1に開催される。
かなもり・ゆうこ
美術作家。京都在住。REALKYOTO編集スタッフも務める。インスタレーションを中心に、映像やパフォーマンス作品を制作・発表。著書に『ヴァリアント』がある。
—
〈注〉
(*1)『第5回 芸術祭典・京』[造形部門]「小鳥は大空を想像する = L’oiseau enchanteur des cieux」1995年5月18日~31日、元龍池小学校(現・京都国際マンガミュージアム)
(*2)『第9回 芸術祭典・京』[造形部門]「SKIN-DIVE~感覚の回路を開く」1999年5月25日~6月12日、元龍池小学校(現・京都国際マンガミュージアム)
(*3)『ミュンスター彫刻プロジェクト’97』1997年、ミュンスター
『ミュンスター彫刻プロジェクト』は10年に1度、夏の間だけ開催される国際展。
(*4)『Kassel Inside Exhibition』1997年、カッセル
『ドクメンタⅩ』のパラレルイベントとして開催された。
(*5)国立国際美術館は大阪府吹田市の万博記念公園に1977年に設立され、展示室の床がすべて大理石張りであった。2004年に現在の大阪市北区中之島に移転。
(*6)グラスの底を覗くと、空の写真や映像が見える作品シリーズ。
(聞き手・構成:かなもりゆうこ)
光や水や風といった自然の要素をモチーフや素材とし、展示会場の特徴やその場にあるものを捉え、わずかに光を当てて想像力の入口を開かせる……。2014年12月に兵庫県立美術館で個展を開催し、2015年1月にボーダレス・アートミュージアム NO-MAで展覧会企画を行うアーティストに、ひそやかにして潔い表現へ至る視点について、そして様々な作品について伺った。
● “物事が起こる秘密” の魅力
—— 木藤さんはインスタレーション作家ですが、時空間を使った表現への興味はいつごろから芽生えたのでしょうか。
学生時代は洋画専攻だったんです。最初は大学でグラフィックデザインの勉強をしようと思っていたのですが、ファインアートへの興味も捨てきれず、洋画に変更しました。受験時はアカデミックな絵を描いていました。縁あって成安造形大学に入学したのですが、大学の創立初期であったこと、また教授陣が具体の先生が中心だったことも影響したかもしれません。実直にペインタリーな仕事には向かいにくい環境であり、美術学部間の境目なく、いろんなことに興味を持って制作に取り組んでいました。
—— やはりインスタレーションだな、と思った瞬間はあるんですか。
京都に来たことは大きなきっかけではあります。小学校で行われている展覧会 (*1) を観たんです。『SKIN-DIVE』(*2) への先駆けとなるものだったと思うのですが、いわゆる美術館ではないところで行われた展覧会はとても印象的でした。
大きく作品が変わったきっかけとしては、『ドクメンタⅩ』と『ミュンスター彫刻プロジェクト』(*3) のあった1997年、大学3回生のときに『ドクメンタⅩ』と並行して行われていたアンチ・ドクメンタ展 (*4) に制作補助として参加した体験があります。大学の講義の際、出品作家から募集の呼びかけがあり、大学の先輩と共に参加しました。アンチ・ドクメンタ展はカッセルの美術大学の教授が企画した展覧会で、欧米主体の現代美術に対し、第三世界の作家を中心としたものでした。私は主に日本の作家の制作をお手伝いました。例えば、國安孝昌さんの木とレンガを積み上げていくとても大きな立体作品や、現代いけばなの谷口雅邦さん、八木マリヨさんの古着を使った作品などです。屋内のメインの展示会場はおそらく旧刑務所学校だった施設で、そこが滞在場所でもあり、いろんな人種の作家たちが現地制作していく現場や、展覧会が出来ていく過程を見たことは良い経験でした。
また、そのドイツ滞在時に観たミュンスターの野外彫刻展がとても印象深くて。野外彫刻と言ってもいわゆるモニュメンタルなパブリックアート的なものではなく、様々なスタイルの自由な作品です。越後妻有をはじめ、昨今の日本の国際展、アートイベントにも近いと思います。街の中に、過去2回のものも含め、多くの作品が混在し、人々もそれを受け入れていて、生活とアートがつながっている様子を見ました。日本人では曽根裕さんや川俣正さんが参加していました。
—— その後、様々な作品を作ってきて、いま現在、木藤さんにとって、インスタレーションを作ることはどんな意味を持っていますか。
“空間” というよりも、その空間で行われる何か “現象” のようなものを作りたいというほうが近いですね。私の場合、空間に作品を置いたとしても、そこに人が介在しないと本当には作品として成立しないと思っています。人なのか自然なのか、奇跡的な偶然の産物なのか、自分の範疇ではない大きな要素にすごく惹かれますし、解けない謎を感じます。そこに物事が起こる何らかの秘密があるような気がしていて、探求しているのだと思います。
●台風の次の日の空を見るのが好きだった
—— 2011年、国立国際美術館でのグループ展『世界制作の方法』に出品した《Closer》では、どのようなことを意図されましたか。
国立国際は大阪の都市部中之島にある、地下構造のB3Fまで展示室がある美術館で、積み木を敷き詰めたような組み木の床の建造物です。中之島に移転する前は万博公園の大きな広い公園の敷地内に建てられていて、大理石の床でした (*5) 。そのギャップや、さらに様々な特徴も見ていく中で、「地上から地下へと潜っていく、感覚的に意識も潜っていく」「深度」という考えに行きつきました。
私は自分の展示スペースに2つの部屋を作り、その周辺を含めてインスタレーションを行ったのですが、1つの部屋は円形のもので、壁面に蓄光塗料で木々を描きました。もう1つの部屋は四角く長方形、天井には光を透過する薄い布を張り、部屋の隅に円柱を1本立てました。円柱の先は地上に続いているというイメージです。ベンチに座って眺めたり、中に入ったりすることができます。円柱の中は同じく蓄光塗料で木を描いています。円形の壁面や円柱の中は照明が明滅し、明るいときはただの白い壁ですが、照明が消えて暗闇になると木々が浮かび上がります。塗料に溜め込んだエネルギーで形成される光の絵です。2つの部屋を移動する通路の側には、展示室のバックヤードとなる小部屋があり、その中央に1日に1度、天井の通風口から花びらが落ちてきます。この部屋は、地上に枝垂れ桜があり、ちょうどその下に当たる場所なんです。そして、私がこの展覧会に参加するに当たり、自分にとっての “世界制作の方法” の在り方を示したいと思い、最後に《Skypot》 (*6) を置きました。《Skypot》は水を張ったグラスで、覗くと空が見えるという作品なのですが、いつもの写真を使ったものとは少し変えて、覗くと空の映像が見え、さらに鏡を使うことで、映像の合間に映り込んだ鑑賞者自身の顔が映るようにしました。
インスタレーション全体で、意識の奥に潜り、何かに近づくための時間を作っています。作品、つまりは世界を見て感じ、世界を形づくっているのは自分自身であること。“作品を見ること” は “自分の姿を見ること” である、という場を率直に設けることで、展覧会の鑑賞の最後に、見ている本人に帰ってくるという構成にしたいと思いました。
—— それは木藤さんが作品を作るときの姿勢でもあるんでしょうか。
それもあるかもしれないですね。作品ってその人が観るものというか、その人にしか観れないものを観ることですし、その人にとって何が響くかということが大事だと思います。私の作品は、まったくアプローチできない人もいると思います。何か具体的なメッセージをはっきりと伝えるものではない。もちろん私は自分の心に響いたものから作品を作っているわけですが、まずは自分が観たいということもありますし、それを他の人と共有できるのかということや、いったい何に人は惹かれているのかということを、作り出した場や現象というきっかけを通じて、検証しているのだと思います。
—— 水や光や植物という自然物をモチーフや素材として扱っていますが、子供のころから惹かれてきた原風景としてどんなものがあるのでしょうか。
台風の次の日の空を見るのが好きでした。雄大な大自然とまではいかないのですが、海にも山にも比較的近い場所で育ちました。あと、富山でしか見れない風景はやはりあります。雪に乗ったことありますか? 雪の上を歩けるんです。積もった雪が寒暖の差でそのまま凍って固まることが年に1度くらいあるんですよ。いつもと違って、そのままいろんなところに歩いて行けるんです。田んぼの中でもどこでも、いわゆる道じゃない道を歩いて自由に小学校とかに行ける(笑)。
富山から京都に来たということも大きいです。「裏日本」て本当にひどい言い方だと思いますが(笑)、でも冬の間ってほとんど暗いんですよ、グレーの感じですね。冬の帰省のあと富山から京都に戻る途中、山々を越えるとある時点から青空になることが印象的でした。京都で冬の晴れた日に青空を見て、これが表と裏か.……って思いました。《Skypot》はそのようなことも影響しているかもしれないですね。空はもともと好きで、実家の自分の部屋は壁紙が空の模様なんです。10代のときにそうしてもらって、いまもそのままです。でも、いまから思うと京都に来て青空の存在にもっと意識的になったと思います。
● “花咲か婆さん” になってみようと思った
—— 木も繰り返し登場しますよね。東京都現代美術館『MOTアニュアル2011』では写真を使っていて、GALLERY CAPTIONでの展示や、もうすぐ開催される兵庫県立美術館での展示は現地制作で壁面に絵を描いています。
木は好きですね。大きな木を見るとすごく落ち着きます。実家の斜め向いが神社で、そこの木の上には天狗がいるんだと村の人に言われるような、とても大きな木々があって、確かに夜になると怖いんですが、その神社でよく遊んでいました。視界にいつも大きな木があったように思います。でも、あるとき台風が来て、倒れた木と共に切られてしまいました。だからよく遊んでいた風景は無くなってしまいました。
『MOTアニュアル2011』では、最初に展示を自然光で行うという条件を聞きました。何度か行っていましたが、私はもともとこの美術館に自然光の印象がまったくなくて、依頼があってから下見に行ったときに、上を見上げて「こんな窓があったのか」と思いました。
展示した2つの部屋の内、最初に入る1つ目の部屋は天井全体に薄い布が張ってあり、その布の上から透過してくる自然光を感じることができます。その部屋で、まず3つの《Skypot》がお迎えします。見下ろした《Skypot》の中には空があり、見上げた天井の奥にも空があって、両方の空を感じることができます。大きい《Skypot》は青空の写真で、あとの2つはそれぞれ、夕暮れから日没にかけて、夜明けから日の出にかけての映像です。そして、美術館の椅子を部屋を囲うように壁際に置いて、床には紙吹雪の花びらが落ちています。
奥の2つ目の部屋へ入ると、突き抜けた先の高い天井の窓からの自然光で、視界がぱっと明るくなります。この2部屋の構造が教会のようだと言う人もいました。窓を取り囲むように木の影を作っています。自然光での展示という条件をいただいたので、日々やその日の太陽の変化を感じられる作品にしたいと思いました。それに加え、美術の中でのお伽噺、美術にしかできないファンタジーをやってみよう、具体的に言うと “花咲か婆さん” になってみようと思ったんです。
桜の巨木を撮影し、そのイメージを天井の窓ガラスに貼りました。美術館の建物の周りには木が無いんですが、展示室は木々に包まれている感じになります。ときどき上から花びらが降ってきて、部屋の隅にはわずかに木の灰が落ちている。壁から床への、灰を使ったドローイングとも言えるかもしれません。左右両壁面は月齢カレンダーの壁画にしました。蓄光塗料を使ったシルクスクリーンなので、陽が落ちると日中に溜め込んだ光でほのかに光ります。
どちらの部屋も人工照明を使用しない、自然光だけの展示で、美術館としてもチャレンジングだったのではないでしょうか。
—— この前後にGALLERY CAPTIONで、木を使った作品を展示しましたね。
2008年の個展《Vostok》ではギャラリーの中に木々を設置しました。そして、そのときの木の影を壁画として描いたものが2013年の《Vostok》です。ヴォストーク湖は南極の氷底湖で、氷の下なので見ることができません。湖水の状態を守るために掘削はしていなかったんですが、2012年の掘削で湖水にドリルが達しましたが……。2008年のときは「目の前に存在している物事だけではなく、そのもの自体の見えない部分に思いを馳せる」というテーマがあり、ヴォストーク湖の存在に惹かれてこの展覧会タイトルを付けたんです。氷山の一角じゃないですけど、もの自体が持っているかもしれない奥行きに強い関心があったんです。
それで、もしもこのギャラリーが木の内部であったら、というストーリーを考え、1つの部屋に木々を立たせ、もう1つの部屋の真ん中には木の根っ子を配置しました。その根っ子の場所から1本の木がギャラリー全体に広がっていくという想定で、目に見えない仮想の木陰のドローイングを、蓄光塗料で床に描きました。暗くなるとそれが現れます。
2013年には、そのときに出現した木々の影という想定で木炭の壁画を描き、展覧会終了日にそれを水で消していくパフォーマンスをしました。
●ほかの誰でもないその人個人の体験
—— 木藤さんは展示場所の持つ性質を独自の視点で読み解いていますね。一見さりげなく見えて、実は周到に作品をめぐる物語や仕掛けを考えているからこそ、観客はイメージを膨らませることができるのだと思います。作品制作のプロセスではどのようなことを大切にしていますか。
どの展示でも思うのは、その場所でしかできないこと、その場の力を借りるということです。ですので、場を読み解くという過程は大事ですね。展示する場所だけでなく、途中の行程が重要になっているときもあります。例えば兵庫県立美術館だったら、坂を降りて海へ向って行くところでしょうか。それから、ホワイトキューブといってもそれぞれに特色がありますよね。その場所に通って得るインスピレーションと、いま自分が気になっているものを合わせて大事にしています。
—— 例えば《Blue hour》について教えて下さい。
あの作品は、もとは東京の世田谷にあった本多忠次氏の私邸の洋館が岡崎市に移築・展示されるということで、その杮落し展でした。企画された学芸員の方から記憶にまつわる展覧会にしたいと聞いていて、個人の生活の場所であったということもあり、実際に現地に行くまでは少し怖いものを感じていました。作品を作るにはその場所に近づかなければいけないので、最初はすごく抵抗していたところがありましたけど、もう岡崎市に建てられてしまっていて、元の持ち主が思いを込めて作った邸宅が違う場所で歴史を刻んでいくということと、時が経っての改装で、持ち主が意図していたものではなくなっているのではないかという疑問とともに、当時の面影が断片的に見える切なさがありました。それで、ここを夢を形成していくための何かにできないかな、と思ったんです。目覚める前の時間、つまり夢を育む時間と場所ということをテーマにしました。それが《Blue hour》です。
夜明け前の色って一瞬だけですよね。きれいだと思いますし、とても好きです。いつか作品にしたいと思っていましたが、この作品を立ち上げていくとき、しっくり来る気がしたんです。
私の作品の中に自然のものが多いというのは確かにそうです。圧倒的な強度を持っているものだからだと思います。それに対してどうにもならないというある種のあきらめと、心地良さみたいなものがあるのですが、そういうものに触れたときの自由さみたいなものが、作品の中にも現れるといいなと思っています。
—— 観るほうも自然物が扱われていると心の開き方が違って、意味を越えて受け入れたり想像を広げたりする準備ができるんですよね。
なんなんだろう……。例えば、なぜ人は海に向うのか、というような単純な秘密の魅力なんでしょうね。
—— 時間についても自然の移ろいを作品の中に取り入れていますね。1日の陽の光の変化による効果もあれば、今回の兵庫県立美術館では展覧会の開催期間が月齢に合わせてあります。その日、そのときだけの、その場所でしか見られない作品体験の魅力というか。
それは、まさにその人だけの体験だということですね。ほかの誰でもないその人個人のものということです。
—— 昼と夜に違った表情を見せるインスタレーションもたくさん作っています。今年秋の展示《ひるとよる》はどのようなものでしたか。
GALLERY CAPTIONでは何度か展示をしていたんですが、今回は6年ぶりの個展で、もういちど原点に戻ってみようと思いました。このギャラリーは “窓” が印象的なんです。北向きで外光が入ってくる窓なんですが、この “窓” をいっぱい作ろうと思いました。“窓” そのものとも捉えているし、絵というものもやはり “窓” だと思っているんです。
—— どうフレーミングして、つまり「何をどう見るか」ということですね。
そう思います。展示は窓と同じサイズのフレームで額装された平面作品20点が壁に掛かっています。白い紙に透明なインクで印刷されたシルクスクリーンの作品なのですが、暗くなるとそこに海が浮かび上がります。
—— なぜ海を選んだのですか。
「人は何に惹かれるか?」ということで海を選んだ気がします。それぞれの人に思い出というか、何かしら思いのあるものだからでしょうか。
それから “境界” というものがわかりやすいから。でも海と境界の関連は後付けかもしれませんね。《ひるとよる》というタイトルは最初から決めていました。ものごとが変化するときというのはすごく気になっています。日没から夜にかけてとか、夜明けの前の青い空とか、でもそこには何か区切りがあるわけではなくて、反転するし、どちらも内包し合うし、そういうところが気になります。
●美術館に冬の花を咲かせる
—— ささやかでものすごく抑制の効いた表現は木藤さんの作品の特徴だと思いますが、例えば《darkness》は、構成要素がものすごく潔いのに、見る側はざわざわと心にさざ波が立つような、ある種の “気配” さえ感じます。この作品はどのように考えたのですか。
GALLEY RAKUにある出入口のカーテンに光と風を当て、鏡を1枚設置しています。鏡にときどき光が当たって反射しますが、後は完全に暗くした広い空間です。このころ風に興味を持っていましたが……と言っても、実はこれまでにないくらい感覚的に決めていった作品です。観てくれた人も漠然と「良かった……」という感想でした (笑) 。
でもこれは入口を探しているときの感じ……なのかもしれないですね。大きな空間であること。そして光と風だけです。
—— それは何かすごく腑に落ちました。
—— 滋賀県立近代美術館でのグループ展『自然学』での展示について教えて下さい。
出展したのは《Picture》という作品で、私は鑑賞者にいろんな額縁を用意したという感じです。備え付けのガラスの展示ケースにその部屋の状況や鑑賞者自身が映り、その人にしか見えない光景が見える。ガラスケースは対面になっていて、お互いが相互に映り合って、観る人によって動きの軌跡も違う。かすかに揺れる葉っぱ、落ちてくる花びら、《Skypot》、それから美術館の所蔵品の中から入念に選んだバーネット・ニューマンの版画も展示しています。所蔵品を展示したかったのは、選ばれなければ保管庫で眠り続ける作品を、作家の手で目覚めさせたいと思ったからです。
床のコンクリートや備品であるアクリルの展示ケース、そして《Skypot》にときどき水滴が落ちて来るけど、どの瞬間に遭遇するかはわからない。ある意味残酷ですが、そこにリアリティを感じます。その点も重要と思っていて、作品の要素に取り入れたかったんです。
—— 観客が居てはじめて作品が成立するわけですね。今年の3月に催された明倫茶会はいかがでしたか。
あるときに本当に美味しいお抹茶とお菓子をいただいて感銘を受けて、明倫茶会ではお抹茶によるお茶席を選びました。「シンプルにお茶を味わう」ための環境を用意するという意識で、京都芸術センターの西館部分を1日だけ貸し切るような構成にして、2Fの講堂の待合から始まり、大広間の本席へ移動し、そこをお茶室としました。そして、お茶会の参加者だけでなく、誰もが観ることができる展示を1Fの講堂で行いました。展示作品は大きな布による構成で、そこに描かれたイメージが昼間に集めた光で夜に浮かび上がるものです。
5回のお茶席を設けたのですが、各回これほど違うものなのかと驚きました。同じ場所でお茶もお菓子も同じものを用意しているのに、人と回が変わるとまったく状況が変化する。場というものは関係性によって出来ているものだな、と強く感じました。いつも行おうとしているインスタレーションをもっと凝縮した時間で見たような気がして、お茶の文化はすごく総合的なものなのだということが体感を通してわかりました。
—— 最後に近々の展示についてお聞きします。兵庫県立美術館の『Winter Bloom』では会期が月齢に合わせてあり、終了日の翌日に特別展示がありますね。
この展覧会は美術館に冬の花を咲かせるというシンプルなものです。満月に初日を迎え、新月に会期を終えます。余韻を感じるささやかなものを、休館日である会期終了の翌日に美術館の館外から観ることができます。
—— 年明けのボーダレス・アートミュージアム NO-MAでの『切符をもたない旅』はどのようなものになりそうですか。
これはNO-MAの所蔵品を使用して展覧会を構成します。出品作家ではなく演出側に立って、アールブリュットという垣根を感じない、作品本来の魅力に会える場を作ろうとしています。
—— どちらもとても楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。
(2014年11月18日取材/12月18日公開)
きどう・じゅんこ
1976年、富山県生まれ。1999年、成安造形大学造形学部造形美術科洋画クラス卒業後、2000年、成安造形大学造形学部造形美術科洋画クラス研究生修了。2010年『panorama -すべてを見ながら、見えていない私たちへ-』(京都芸術センター)、2011年『MOTアニュアル2011 Nearest Faraway|世界の深さのはかり方』(東京都現代美術館)、『世界制作の方法 Ways of Worldmaking』(国立国際美術館) 等に出展。兵庫県立美術館での[注目作家紹介プログラム チャンネル5]『木藤純子 Winter Bloom』は2014/12/6~21(休館日の12/22は屋外から見える特別展示あり)、ボーダレス・アートミュージアム NO-MAでの『切符をもたない旅』は2015/1/23~2/1に開催される。
かなもり・ゆうこ
美術作家。京都在住。REALKYOTO編集スタッフも務める。インスタレーションを中心に、映像やパフォーマンス作品を制作・発表。著書に『ヴァリアント』がある。
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〈注〉
(*1)『第5回 芸術祭典・京』[造形部門]「小鳥は大空を想像する = L’oiseau enchanteur des cieux」1995年5月18日~31日、元龍池小学校(現・京都国際マンガミュージアム)
(*2)『第9回 芸術祭典・京』[造形部門]「SKIN-DIVE~感覚の回路を開く」1999年5月25日~6月12日、元龍池小学校(現・京都国際マンガミュージアム)
(*3)『ミュンスター彫刻プロジェクト’97』1997年、ミュンスター
『ミュンスター彫刻プロジェクト』は10年に1度、夏の間だけ開催される国際展。
(*4)『Kassel Inside Exhibition』1997年、カッセル
『ドクメンタⅩ』のパラレルイベントとして開催された。
(*5)国立国際美術館は大阪府吹田市の万博記念公園に1977年に設立され、展示室の床がすべて大理石張りであった。2004年に現在の大阪市北区中之島に移転。
(*6)グラスの底を覗くと、空の写真や映像が見える作品シリーズ。