すべてのものはいつも変わり続けている
対談:宮永愛子×朝吹真理子 聞き手:小崎哲哉
2012.09.15
対談:宮永愛子(アーティスト)×朝吹真理子(小説家)
(聞き手:小崎哲哉)
片や、2001年の初個展以降国際的に活躍し、この秋には大阪の国立国際美術館で大規模個展が予定されている要注目アーティスト。片や、大学院在学中の2010年にBunkamura ドゥマゴ文学賞を史上最年少で、続いて芥川賞も受賞した文壇期待の小説家。活躍する場は異なるが、互いに評価し合うふたりの表現者が、胸襟を開いて話し合った。
——媒体はアート、小説と異なりますが、おふたりの作品世界には相互に通じ合うものがあるように感じています。まずは、お互いの表現への感想から聞かせて下さい。
●宮永作品と朝吹作品の類似点
朝吹 宮永さんの作品すべてに共通していることだと思うのですが、最初は儚く美しく、透明性が高い印象を受けるんだけれども、じっと見ていると最初の印象とは真逆な、物質としての重量がぎっしりあるとわかってくる。物質の総量はいつまでも変わらないんだけれども、形態が変化してゆく。時間の推移を感じますが、そこにはそれぞれの時間の長さがあるのではなくて、瞬間瞬間がただそこに現れているだけ。例えばナフタリンの作品であれば、変化を視認可能な状態にまで速度が落とされている。そういうところがすごく面白いと思います。
宮永 よく「どうして儚くて脆い、なくなってしまう作品を作るのか」と言われますし、キャッチーな言葉なのか「消滅するアート」なんて言われることもあります。でも私自身は「消滅」させる気持ちはまったくなくて、作品はただ変わっているだけです。すべてのものはいつも変わり続けている。本当に、自分たちが見ているすべてのものがそうであると思っているんです。アートというと、変わらないものがよいというか、芸術作品を作る人は「変わらない」という前提で何かを形にすることがほとんどかもしれませんが、アートの本質はそういうものじゃないという気がします。できれば自分は本質的なアートを探りたいし、挑戦したいという気持ちがあって。私の作品はマーケットからはちょっと遠いのかもしれないですけど(笑)、だからといって「儚い」という現象だけを見せているのでは意味はなくて、繊細なんだけれども、大胆さがなければアートとしては成立しない。最初は、皆さん現象に注目して驚かれるようですが、いま一度作品の前に立って、それがいまどういう状態にあるのか、自分の暮らしている身の回りと合わせて考えてみるともっと楽しみ方が広がると思います。
私から朝吹さんに聞きたいのは、本の世界の、薄紙をかぶせていくような言葉の運び方について。朝吹さんは、言葉を重ね合わせていくことで、世界を広げていきますよね。
朝吹 小説を作るというよりも、言葉というものを使って、イメージを紙に凝着させる感覚で日々書いています。
宮永 やっぱりそうなんだ。すごくよくわかります。私も作品に題名を付けるときなど、どんなふうにしたら成り立つのか、言葉の運び方や並び方を気にするほうなんです。何ページにも及ぶ長いお話になったときには、私はそんなに言葉を続けていけないですけど。薄紙をかぶせていくような作業を、質を保ちながら続けていくというのは本当にたいへんですよね。何を基準に言葉を選んで、どういう風に頭の中がなっているのかなと思って。
朝吹 読み終えた後に何にも覚えてなくて、読んだことも忘れちゃうような作品を作ることがいちばんの理想なんです。読んだ瞬間だけが通り過ぎていって、何もなくなっちゃうような、ほとんど白紙と一緒というような。
宮永さんの作品に「景色のはじまり」という、キンモクセイの葉っぱを大量に集めたインスタレーションがありますよね。あのキンモクセイの巨大な布の、1枚の葉っぱの繊維と他の葉っぱの繊維同士が綿密に絡み合っていくところは、言葉をひとつずつ結び合わせて押し広げていく感じにすごく近いかもしれません。写真で見ると羽衣みたいで、すぐ破れちゃうように見えるんだけど、実際に近づいてトンネル状になっているところをくぐってみたりすると、ちょっとやそっとじゃ壊れない強靱さを感じました。
宮永 あの作品の大きさは、およそ4m×15m。葉っぱの枚数は65,000枚くらい。みんなのお庭のキンモクセイの葉っぱで出来ているんですが、木に生えている状態で見ると「ただの葉っぱだな」って思えるだけでしょう。だけど、1枚1枚の葉脈をじっと凝視すると、Google マップの地図みたいに見えてくる瞬間があって。
●不安定だからこそ均衡状態が保たれる
——今回の『Lady Dior As Seen By』展に出展している作品について聞かせて下さい。
宮永 ナフタリンを素材に用いて、「Lady Dior」のバッグがナフタリンに置き換えられているという作品です。ナフタリンは、防虫剤として衣替えのときなどに衣類と一緒にタンスにしまうもので、常温で昇華して消えてゆくという性質を持っています。型を取って、ナフタリンに置き換えたバッグは、樹脂で封入してあるので形は変わりませんが、鞄に付いているチャームは何にもコーティングしていないので、バッグと一緒に入れた透明なケースの中で、毎日変わり続けています。変わってどこに行っちゃうのかっていうと、ケースの周りにきらきらした結晶がよく見たら付いていると思うんですが、その結晶に変わっていっている。つまり、ディオールのチャームのフォルムは失われていくんですけれども、それは消えてなくなってしまっているのではなくて、形を変えて結晶になっているんです。
タイトルは「Waiting for Awakening」。目覚めを待っているという意味です。実は、ケースの底に小さな空気穴があって、本当だったらチャームのように日々常温の中で変わっていくんですけれども、いまはその空気穴は閉じられています。穴を開ければ、本当に少しずつですが、バッグはバッグの痕跡の形に変わっていきます。いまは白いバッグですが、何十年もかけて、今度は半透明のバッグに変わってゆく。そのときのことを私は「眠りから覚める」というようにイメージしています。つまり、いまLady Diorのバッグは、作られたときの記憶とディオールの伝統とともに眠っている。そういう作品です。
朝吹 ナフタリンがだんだん結晶の状態へと拡散していく時間は、正確に操ることができると聞きました。それは、1週間なら1週間、1年なら1年で昇華させられる、かなり主体的にコントロールできるものですか。
宮永 厳密に1週間ぴったりにと言われると、いろんな状況があるからそこまではお約束できないですね。でも例えば、大きな会場で展覧会を開くときと、コレクターさんがお持ちになってお家で何十年も一緒に居るための変わり方とは変えてあります。展覧会では、初めて私の作品に触れたお客さんが段階をいろいろ見られるように、作品によって変化の速度を変えています。会期がこれくらいだから、最後はこんなふうになるようにしようとか考えて。コレクターさんの場合には、1週間でもう形が見えなくなって結晶ばかりになっちゃったというのでは早すぎるだろうし、生活の中で作品とともに生活するときには一緒に流れていく時間はとても大切で、たぶんアートのいちばんの醍醐味はそこだと思うし。
朝吹 陶器の貫入(かんにゅう)の音を聴かせる作品もありますね。あれも、いつまでも鳴るようにコントロールしているんですか。
宮永 貫入のひびの入った器というのは、皆さんがお使いになるときには、普通すでにひびが入りきって、安定している状態。でも、私の調合している釉薬は、いつまでも不安定なんだけど、不安定で均衡しているというのがポイントです。それが私のいちばん好きなところで、すべてに通じているんですけど、不安定な均衡というものをとても大切にしています。こっちでひびが入ったら、こっちは安定して、でも少し経つと、反対側でひびが入る。小さな器の中が、宇宙や地球みたいに変化し続けている。
——宮永さんは京都で代々陶芸をしている家に生まれたので、自家薬蘢中の技術ですよね。
宮永 生まれは自分で選べないでしょ。たまたまそこに生まれただけなんですが、焼き物は日々、目にしていました。どうして陶芸家にならなかったのかよく聞かれますけど、陶芸の形より、その周りにある気配や、そこに流れている時間のほうに興味があったんです。
朝吹 気配……。土をこねて、それでものが形成されるときには、結局物質の総量は変わらないのに、まさに「不安定な均衡」がありますよね。陶土は、常に加減されてくねくねするものだし、すぐつぶれちゃうし、不安定だからこそ常に均衡状態が保たれている。人体も同じで、絶えず入れ替わっていて、数年経ったら全部が全然違う細胞になっているという実に不安定なものなんだけれども、それが入れ替わり続けるということが、唯一人体を人体のままにしておくことができる。均衡であることは、常に不安定にしておくことでもあるんですね。
——生物学者でフェルメール愛好家の福岡伸一さんが『動的平衡』という本を書いていますね。簡単に言うと、生物は常に、非常に危ういバランスの上に立っているけれども、危うくなければ逆にバランスが取れないという、パラドキシカルな状況にあると。
宮永 貫入の音が聞こえた瞬間は「流れ星に出会ったような感じ」っていうのかな。耳を澄ましている間に音が聞こえたら「あ、いま聞こえたね」ってなるんですけど、音が聞こえなくても、音が聞こえるかもしれないと思って耳を澄ましているときに体験する、形のない世界が形を持ち始める感覚。そういう感覚が好きなんです。
私のやっていること、何でもそうなんですけど、特別なことは何もなくて。大学生のころも、よく「台所作家か」って言われていました。彫刻科出身なんですけど、あるとき炊飯器を持ってきて、その中で砂糖の結晶とかを作ってみたりして。「お前は台所作家だな」って先生に言われました。
——傍目にはご飯を炊いているようにしか見えない(笑)。
宮永 でも、これちょっとどうなのかなって思ったことを試してやっていくことが好きだったので、やっぱりそこがすべての「景色のはじまり」というか。みんな、遠くを見て「あっ」て思ってるんだけど、実は手元の近くのところから自分の世界は始まっていると思います。
●始まりはあるけれど終わりはない
——10月の中旬から始まる国立国際美術館には、どんな作品を出すんでしょうか。
宮永 今回(『Lady Dior As Seen By』展)出展した作品の続きみたいなことに挑戦したいと思っています。日常目にする大きなもので、ぜひ封入してみたいものがありまして。そのためには、どうしてもあのサイズの鞄を作る必要があった。あのバッグも、実は樹脂の重さは20kgくらいあるんです。
自分の作品の精神というものを、いま一度正確に伝えたいという思いがあって。自分がどういうイメージで、どういう世界で、どんなふうに弱さと強さを同期させているのかということが、明確に伝わるようなものを作りたいんです。ただ、自分にとって挑戦したことのない未知の世界なので、どういうふうになるのかまだわかりません。でも、それに挑戦することによって、また新しいステージが見えそうな気がします。
あとは、先ほど話したキンモクセイの葉脈の作品、「景色のはじまり」。
——「景色」は宮永さんにとって重要なキーワードであるようですね。
宮永 2007年に海外に行くチャンスがあったんです。海外で生活してみると、日本の中はとっても距離感が近いように感じられて。京都と東京もそうだし、帰国した後に作品のために塩を採取しにいった五島列島も、「じゃあ明日行きます」と言って動けるくらいの距離に思えるようになりました。そうやって様々な景色を見ていく内に、それぞれは本当に遠いんだけど、自分の足下からすべて繋がっていると実感したんです。海が島を隔てていて、土地は互いに分かれているように見えているけれど、本当は底のほうでは繋がっている。だから、1周すれば自分の足下にまた帰ってくるって思える瞬間があって。それ以来いろいろなところへ出かけることが気軽に感じられるようになり、作品もここでしか作れない、ここでしか駄目なんです、というのではなく、どこへでも行けますというふうになれました。
いまは、日本の裏側の景色はどんなになっているのかな、と思ってアメリカから中南米のほうに行ったりしています。自分のいまいるところの裏側がどうなっているのかを見ることによって、いろいろなものがどんなふうにバランスを取って世界が成り立っているのかなと考えたりして。国立国際美術館の展示でも、その経験が活かせればと思っています。
朝吹 宮永さんのブログにボリビアの写真がアップされていますよね。あの写真を見たときに、空の景色と海景とが完全に鏡面状態になっていて、空中のようにも見えるし、海が上に続いているようにも見える。海だって、我々が「海だ」と思って見るけれど、実は水が自由に動いていて、分子にばらけているわけでしょう。空や、写真に写っている景色も、結局はばらせばすべて原子。そこに隔たりがないというと変ですけど、あの写真は、いま宮永さんが言った「全部が繋がっている」という話や、結晶の話に繋がっている。宮永さんがいまここに来たかったっていう感じも伝わって、すごく興奮しました。
宮永 あれはウユニ塩湖っていうところなんですけど、標高3,600mにある塩の湖です。日本の裏側の景色を見たいという、単純にそういう理由もあったんですが、塩湖が自分の作品に似ているという気もしていました。
山の中にある岩塩は「海の化石」だって私は思っているんです。地殻変動などで海水が陸地に閉じ込められ、水分が蒸発して岩塩になる。ウユニ塩湖は、アンデス山脈が隆起したときに、山の上に取り残された海水が干上がって出来た湖なんですが、海の化石になるちょっとだけ前の段階なんです。それってどういうことなのか、見てみたいなっていうのがあって行ってみたんです。海の化石は自然が山の中に封入したものですが、自分は故意にそういう封入をする。
——宮永さんの作品も、小さくても、中には非常にスケールの大きな時間が込められている、そういうことなんですね。
宮永 そうじゃないと、つまらないじゃないですか。本当に小さなきっかけで世界は広がってきます。
朝吹 宮永さんの話を伺っていて、すごく面白いのは、始まりはあるんだけど、絶対終わりがないんですね。
宮永 生まれて初めて作った作品がそういうタイトルでした。「はじまりはあっておわりはない」。
人っていうのは、そんなにすぐに変われないものですね。しかも私は器用な人間ではないので。最初に思った感情をずっと引っ張って、糸を縒るような感じで暮らしています。私はそういう世界にずっと生きているんだと思います。
※この対談は2012年4月22日、東京・銀座の『Lady Dior As Seen By』展会場で行われました。
みやなが・あいこ
1974年、京都市生まれ。京都造形芸術大学美術学部彫刻コース卒業後、東京藝術大学美術学部修士課程修了。2006年に渡米し、07年には文化庁新進芸術家海外留学制度により渡英した。08年、『釜山ビエンナーレ2008』に出展。09年には第3回shiseido art egg賞を受賞し、資生堂ギャラリーで個展『地中からはなつ島』を開催。10年にはパリ日本文化会館で関根直子との二人展『ドゥーブル・リュミエール』に参加した。12年10月13日より12月24日まで、国立国際美術館で大規模個展『なかそら-空中空-』を開催する。
あさぶき・まりこ
1984年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(近代歌舞伎専攻)。大学院在学中、文芸誌『新潮』編集長に勧められて小説を書き始める。2009年、処女作の「流跡」を『新潮』に発表し、小説家デビュー。同作で10年、第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を史上最年少で受賞する。11年、3作目となる「きことわ」で第144回芥川賞を受賞。
(聞き手:小崎哲哉)
片や、2001年の初個展以降国際的に活躍し、この秋には大阪の国立国際美術館で大規模個展が予定されている要注目アーティスト。片や、大学院在学中の2010年にBunkamura ドゥマゴ文学賞を史上最年少で、続いて芥川賞も受賞した文壇期待の小説家。活躍する場は異なるが、互いに評価し合うふたりの表現者が、胸襟を開いて話し合った。
——媒体はアート、小説と異なりますが、おふたりの作品世界には相互に通じ合うものがあるように感じています。まずは、お互いの表現への感想から聞かせて下さい。
●宮永作品と朝吹作品の類似点
朝吹 宮永さんの作品すべてに共通していることだと思うのですが、最初は儚く美しく、透明性が高い印象を受けるんだけれども、じっと見ていると最初の印象とは真逆な、物質としての重量がぎっしりあるとわかってくる。物質の総量はいつまでも変わらないんだけれども、形態が変化してゆく。時間の推移を感じますが、そこにはそれぞれの時間の長さがあるのではなくて、瞬間瞬間がただそこに現れているだけ。例えばナフタリンの作品であれば、変化を視認可能な状態にまで速度が落とされている。そういうところがすごく面白いと思います。
宮永 よく「どうして儚くて脆い、なくなってしまう作品を作るのか」と言われますし、キャッチーな言葉なのか「消滅するアート」なんて言われることもあります。でも私自身は「消滅」させる気持ちはまったくなくて、作品はただ変わっているだけです。すべてのものはいつも変わり続けている。本当に、自分たちが見ているすべてのものがそうであると思っているんです。アートというと、変わらないものがよいというか、芸術作品を作る人は「変わらない」という前提で何かを形にすることがほとんどかもしれませんが、アートの本質はそういうものじゃないという気がします。できれば自分は本質的なアートを探りたいし、挑戦したいという気持ちがあって。私の作品はマーケットからはちょっと遠いのかもしれないですけど(笑)、だからといって「儚い」という現象だけを見せているのでは意味はなくて、繊細なんだけれども、大胆さがなければアートとしては成立しない。最初は、皆さん現象に注目して驚かれるようですが、いま一度作品の前に立って、それがいまどういう状態にあるのか、自分の暮らしている身の回りと合わせて考えてみるともっと楽しみ方が広がると思います。
私から朝吹さんに聞きたいのは、本の世界の、薄紙をかぶせていくような言葉の運び方について。朝吹さんは、言葉を重ね合わせていくことで、世界を広げていきますよね。
朝吹 小説を作るというよりも、言葉というものを使って、イメージを紙に凝着させる感覚で日々書いています。
宮永 やっぱりそうなんだ。すごくよくわかります。私も作品に題名を付けるときなど、どんなふうにしたら成り立つのか、言葉の運び方や並び方を気にするほうなんです。何ページにも及ぶ長いお話になったときには、私はそんなに言葉を続けていけないですけど。薄紙をかぶせていくような作業を、質を保ちながら続けていくというのは本当にたいへんですよね。何を基準に言葉を選んで、どういう風に頭の中がなっているのかなと思って。
朝吹 読み終えた後に何にも覚えてなくて、読んだことも忘れちゃうような作品を作ることがいちばんの理想なんです。読んだ瞬間だけが通り過ぎていって、何もなくなっちゃうような、ほとんど白紙と一緒というような。
宮永さんの作品に「景色のはじまり」という、キンモクセイの葉っぱを大量に集めたインスタレーションがありますよね。あのキンモクセイの巨大な布の、1枚の葉っぱの繊維と他の葉っぱの繊維同士が綿密に絡み合っていくところは、言葉をひとつずつ結び合わせて押し広げていく感じにすごく近いかもしれません。写真で見ると羽衣みたいで、すぐ破れちゃうように見えるんだけど、実際に近づいてトンネル状になっているところをくぐってみたりすると、ちょっとやそっとじゃ壊れない強靱さを感じました。
宮永 あの作品の大きさは、およそ4m×15m。葉っぱの枚数は65,000枚くらい。みんなのお庭のキンモクセイの葉っぱで出来ているんですが、木に生えている状態で見ると「ただの葉っぱだな」って思えるだけでしょう。だけど、1枚1枚の葉脈をじっと凝視すると、Google マップの地図みたいに見えてくる瞬間があって。
●不安定だからこそ均衡状態が保たれる
——今回の『Lady Dior As Seen By』展に出展している作品について聞かせて下さい。
宮永 ナフタリンを素材に用いて、「Lady Dior」のバッグがナフタリンに置き換えられているという作品です。ナフタリンは、防虫剤として衣替えのときなどに衣類と一緒にタンスにしまうもので、常温で昇華して消えてゆくという性質を持っています。型を取って、ナフタリンに置き換えたバッグは、樹脂で封入してあるので形は変わりませんが、鞄に付いているチャームは何にもコーティングしていないので、バッグと一緒に入れた透明なケースの中で、毎日変わり続けています。変わってどこに行っちゃうのかっていうと、ケースの周りにきらきらした結晶がよく見たら付いていると思うんですが、その結晶に変わっていっている。つまり、ディオールのチャームのフォルムは失われていくんですけれども、それは消えてなくなってしまっているのではなくて、形を変えて結晶になっているんです。
タイトルは「Waiting for Awakening」。目覚めを待っているという意味です。実は、ケースの底に小さな空気穴があって、本当だったらチャームのように日々常温の中で変わっていくんですけれども、いまはその空気穴は閉じられています。穴を開ければ、本当に少しずつですが、バッグはバッグの痕跡の形に変わっていきます。いまは白いバッグですが、何十年もかけて、今度は半透明のバッグに変わってゆく。そのときのことを私は「眠りから覚める」というようにイメージしています。つまり、いまLady Diorのバッグは、作られたときの記憶とディオールの伝統とともに眠っている。そういう作品です。
朝吹 ナフタリンがだんだん結晶の状態へと拡散していく時間は、正確に操ることができると聞きました。それは、1週間なら1週間、1年なら1年で昇華させられる、かなり主体的にコントロールできるものですか。
宮永 厳密に1週間ぴったりにと言われると、いろんな状況があるからそこまではお約束できないですね。でも例えば、大きな会場で展覧会を開くときと、コレクターさんがお持ちになってお家で何十年も一緒に居るための変わり方とは変えてあります。展覧会では、初めて私の作品に触れたお客さんが段階をいろいろ見られるように、作品によって変化の速度を変えています。会期がこれくらいだから、最後はこんなふうになるようにしようとか考えて。コレクターさんの場合には、1週間でもう形が見えなくなって結晶ばかりになっちゃったというのでは早すぎるだろうし、生活の中で作品とともに生活するときには一緒に流れていく時間はとても大切で、たぶんアートのいちばんの醍醐味はそこだと思うし。
朝吹 陶器の貫入(かんにゅう)の音を聴かせる作品もありますね。あれも、いつまでも鳴るようにコントロールしているんですか。
宮永 貫入のひびの入った器というのは、皆さんがお使いになるときには、普通すでにひびが入りきって、安定している状態。でも、私の調合している釉薬は、いつまでも不安定なんだけど、不安定で均衡しているというのがポイントです。それが私のいちばん好きなところで、すべてに通じているんですけど、不安定な均衡というものをとても大切にしています。こっちでひびが入ったら、こっちは安定して、でも少し経つと、反対側でひびが入る。小さな器の中が、宇宙や地球みたいに変化し続けている。
——宮永さんは京都で代々陶芸をしている家に生まれたので、自家薬蘢中の技術ですよね。
宮永 生まれは自分で選べないでしょ。たまたまそこに生まれただけなんですが、焼き物は日々、目にしていました。どうして陶芸家にならなかったのかよく聞かれますけど、陶芸の形より、その周りにある気配や、そこに流れている時間のほうに興味があったんです。
朝吹 気配……。土をこねて、それでものが形成されるときには、結局物質の総量は変わらないのに、まさに「不安定な均衡」がありますよね。陶土は、常に加減されてくねくねするものだし、すぐつぶれちゃうし、不安定だからこそ常に均衡状態が保たれている。人体も同じで、絶えず入れ替わっていて、数年経ったら全部が全然違う細胞になっているという実に不安定なものなんだけれども、それが入れ替わり続けるということが、唯一人体を人体のままにしておくことができる。均衡であることは、常に不安定にしておくことでもあるんですね。
——生物学者でフェルメール愛好家の福岡伸一さんが『動的平衡』という本を書いていますね。簡単に言うと、生物は常に、非常に危ういバランスの上に立っているけれども、危うくなければ逆にバランスが取れないという、パラドキシカルな状況にあると。
宮永 貫入の音が聞こえた瞬間は「流れ星に出会ったような感じ」っていうのかな。耳を澄ましている間に音が聞こえたら「あ、いま聞こえたね」ってなるんですけど、音が聞こえなくても、音が聞こえるかもしれないと思って耳を澄ましているときに体験する、形のない世界が形を持ち始める感覚。そういう感覚が好きなんです。
私のやっていること、何でもそうなんですけど、特別なことは何もなくて。大学生のころも、よく「台所作家か」って言われていました。彫刻科出身なんですけど、あるとき炊飯器を持ってきて、その中で砂糖の結晶とかを作ってみたりして。「お前は台所作家だな」って先生に言われました。
——傍目にはご飯を炊いているようにしか見えない(笑)。
宮永 でも、これちょっとどうなのかなって思ったことを試してやっていくことが好きだったので、やっぱりそこがすべての「景色のはじまり」というか。みんな、遠くを見て「あっ」て思ってるんだけど、実は手元の近くのところから自分の世界は始まっていると思います。
●始まりはあるけれど終わりはない
——10月の中旬から始まる国立国際美術館には、どんな作品を出すんでしょうか。
宮永 今回(『Lady Dior As Seen By』展)出展した作品の続きみたいなことに挑戦したいと思っています。日常目にする大きなもので、ぜひ封入してみたいものがありまして。そのためには、どうしてもあのサイズの鞄を作る必要があった。あのバッグも、実は樹脂の重さは20kgくらいあるんです。
自分の作品の精神というものを、いま一度正確に伝えたいという思いがあって。自分がどういうイメージで、どういう世界で、どんなふうに弱さと強さを同期させているのかということが、明確に伝わるようなものを作りたいんです。ただ、自分にとって挑戦したことのない未知の世界なので、どういうふうになるのかまだわかりません。でも、それに挑戦することによって、また新しいステージが見えそうな気がします。
あとは、先ほど話したキンモクセイの葉脈の作品、「景色のはじまり」。
——「景色」は宮永さんにとって重要なキーワードであるようですね。
宮永 2007年に海外に行くチャンスがあったんです。海外で生活してみると、日本の中はとっても距離感が近いように感じられて。京都と東京もそうだし、帰国した後に作品のために塩を採取しにいった五島列島も、「じゃあ明日行きます」と言って動けるくらいの距離に思えるようになりました。そうやって様々な景色を見ていく内に、それぞれは本当に遠いんだけど、自分の足下からすべて繋がっていると実感したんです。海が島を隔てていて、土地は互いに分かれているように見えているけれど、本当は底のほうでは繋がっている。だから、1周すれば自分の足下にまた帰ってくるって思える瞬間があって。それ以来いろいろなところへ出かけることが気軽に感じられるようになり、作品もここでしか作れない、ここでしか駄目なんです、というのではなく、どこへでも行けますというふうになれました。
いまは、日本の裏側の景色はどんなになっているのかな、と思ってアメリカから中南米のほうに行ったりしています。自分のいまいるところの裏側がどうなっているのかを見ることによって、いろいろなものがどんなふうにバランスを取って世界が成り立っているのかなと考えたりして。国立国際美術館の展示でも、その経験が活かせればと思っています。
朝吹 宮永さんのブログにボリビアの写真がアップされていますよね。あの写真を見たときに、空の景色と海景とが完全に鏡面状態になっていて、空中のようにも見えるし、海が上に続いているようにも見える。海だって、我々が「海だ」と思って見るけれど、実は水が自由に動いていて、分子にばらけているわけでしょう。空や、写真に写っている景色も、結局はばらせばすべて原子。そこに隔たりがないというと変ですけど、あの写真は、いま宮永さんが言った「全部が繋がっている」という話や、結晶の話に繋がっている。宮永さんがいまここに来たかったっていう感じも伝わって、すごく興奮しました。
宮永 あれはウユニ塩湖っていうところなんですけど、標高3,600mにある塩の湖です。日本の裏側の景色を見たいという、単純にそういう理由もあったんですが、塩湖が自分の作品に似ているという気もしていました。
山の中にある岩塩は「海の化石」だって私は思っているんです。地殻変動などで海水が陸地に閉じ込められ、水分が蒸発して岩塩になる。ウユニ塩湖は、アンデス山脈が隆起したときに、山の上に取り残された海水が干上がって出来た湖なんですが、海の化石になるちょっとだけ前の段階なんです。それってどういうことなのか、見てみたいなっていうのがあって行ってみたんです。海の化石は自然が山の中に封入したものですが、自分は故意にそういう封入をする。
——宮永さんの作品も、小さくても、中には非常にスケールの大きな時間が込められている、そういうことなんですね。
宮永 そうじゃないと、つまらないじゃないですか。本当に小さなきっかけで世界は広がってきます。
朝吹 宮永さんの話を伺っていて、すごく面白いのは、始まりはあるんだけど、絶対終わりがないんですね。
宮永 生まれて初めて作った作品がそういうタイトルでした。「はじまりはあっておわりはない」。
人っていうのは、そんなにすぐに変われないものですね。しかも私は器用な人間ではないので。最初に思った感情をずっと引っ張って、糸を縒るような感じで暮らしています。私はそういう世界にずっと生きているんだと思います。
※この対談は2012年4月22日、東京・銀座の『Lady Dior As Seen By』展会場で行われました。
みやなが・あいこ
1974年、京都市生まれ。京都造形芸術大学美術学部彫刻コース卒業後、東京藝術大学美術学部修士課程修了。2006年に渡米し、07年には文化庁新進芸術家海外留学制度により渡英した。08年、『釜山ビエンナーレ2008』に出展。09年には第3回shiseido art egg賞を受賞し、資生堂ギャラリーで個展『地中からはなつ島』を開催。10年にはパリ日本文化会館で関根直子との二人展『ドゥーブル・リュミエール』に参加した。12年10月13日より12月24日まで、国立国際美術館で大規模個展『なかそら-空中空-』を開催する。
あさぶき・まりこ
1984年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(近代歌舞伎専攻)。大学院在学中、文芸誌『新潮』編集長に勧められて小説を書き始める。2009年、処女作の「流跡」を『新潮』に発表し、小説家デビュー。同作で10年、第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を史上最年少で受賞する。11年、3作目となる「きことわ」で第144回芥川賞を受賞。
(2012年9月15日公開)