対談:マチルド・モニエ×乗越たかお——フランスと日本のコンテンポラリーダンス
司会:小崎哲哉 構成:REALKYOTO編集部
2016.05.29
司会:小崎哲哉
構成:REALKYOTO編集部
コンテンポラリーダンス界の重鎮、マチルド・モニエが、2013年の日本初公演以来2年ぶりに来日した。過去の作品の再演について、日仏ダンスシーンの違いについて、さらにはダンス教育や観客を増やすための秘訣について、「ヤサぐれ舞踊評論家」を自称する批評家とたっぷり語っていただいた。
——私は、あいちトリエンナーレ2013のパフォーミングアーツ統括プロデューサーを担当した際に、モニエさんに初来日していただきました。フランスのみならず世界のダンスシーンの重鎮でありながら、モニエ作品はそれまで日本では上演されていなかった。素晴らしい公演を拝見できてうれしかったし、非常に光栄でもありました。
モニエさんは、1994年から20年近くモンペリエ国立振付センター(CCN)のディレクターを務められ、2年前に国立ダンスセンター(CND)のディレクター(総合演出監督)に就任されました。その後、CNDの改革を意欲的に行っています。
今日は、振付家、そしてダンサーとしての活動について、またCNDでのお仕事について話していただきたいと思います。乗越たかおさんが対談相手なので、日本とフランスのコンテンポラリーダンスの共通点や違いを考えることにもなるでしょう。
乗越さんと私はおよそ10年前からのつきあいです。「ヤサぐれ舞踊評論家」と自称していて、フランス語では何というのかわかりませんが(笑)、個人的に最も信頼する批評家です。イタリア、イスラエル、韓国などによく足を運んでいて、世界のダンスシーンに精通している。また、ダンスフェスティバルのプログラミングを行うこともある。あいちで上演されたモニエさんの作品は彩の国さいたま芸術劇場で、また別の作品を韓国で観ていらっしゃいます。その作品については、後ほど映像で紹介することにしましょう。
では、最初にモニエさんに、今回の来日の目的について伺いたいと思います。
モニエ 私たちにとって重要なのは日本との協力関係を作り、さらに発展させることです。フランスは常に日本のダンスを受け入れてきましたし、実際に多くの日本人ダンサーが暮らしています。だから日本のアーティストや、ダンスに関連する大学やNPO組織の方々と会って、パートナーシップを築きたいと思って来日しました。
CNDは新たな政策を打ち出し、国際的な活動を展開しようとしています。振付のプラットフォームでもよいので、アーティストはフランスに招聘したいと思っています。今回はまず福岡に行ってワークショップ、映像上映と講演会を行いました。今日はここ京都にいますが、明日からは東京に行く予定です。
●再演、再振付が意味すること
——では、あいちトリエンナーレで上演された《ピュディック・アシッド》と《エクスタシス》の中から、《エクスタシス》の一部をご覧いただきましょう。2作品は連作で、前者が1984年に、後者は翌年の1985年に初演され、その後2011年にモニエさん自らが再度振付して再演されました。ビジュアルはもちろん、両作品でクルト・ヴァイルやバーナード・ハーマンの曲が非常に効果的に使われていて、本当に素晴らしい作品でした。ハーマンはヒッチコックの《サイコ》などの音楽を作った人です。
乗越 彩の国さいたま芸術劇場で上演した際は舞台が大きかったので、その中を照明で小さく区切って使っていたのが印象的でした。
モニエ 観ていただく映像は、あいちでの再演ではなく、1985年に撮影されたオリジナルのものです。踊っているのはジャン=フランソワ・デュルールと私です。
(ビデオ上映)
——我々が日本で観たのは初演から4半世紀後のバージョンというわけです。乗越さん、一昨年さいたまで観た体験も合わせて、あらためて感想を聞かせて下さい。
乗越 80年代というのは、日本で「コンテンポラリーダンス」という言葉が出始めた時期なんです。そのころの作品を観ていくとわかりますが、本当に色々な挑戦や実験がされていて、拡散的に様々なスタイルが出てきたものを総称して「コンテンポラリーダンス」と言っていた。けれども、いまの若い人はコンテンポラリーダンスをただひとつのジャンルというかスタイルであるかのように捉えがちなんですね。
だから、この時代の弾けるような実験的なことは、いまから見ると非常に眩しい輝きを持っています。いま観てもまったく古びていない。むしろこの時代にしか持ち得なかったきらめきを、いまの若い世代が再認識するようになったのだと思います。
現在中心になっている30代〜40代のディレクターは、実際にはこうしたものを観ていないわけですね。映像でしか観ていないので「自分たちが観たい」と。マスターピースとかアーリーピースなどと言いますが、80年代にコンテンポラリーダンスを作ってきた巨匠の作品を、いまならちゃんと本人の監督のもとで観ることができる。コンテンポラリーダンスも誕生以来30年ほど経ちますけど、実際に踊り継いでいく、次の世代につなげていくというような時代になってきています。
この作品も84年、85年に振り付けられたものを、2011年にモニエさんご自身が再振付をされた。それが非常に意味のあることです。コンテンポラリーダンスは「新しいもの、新しいもの……」という「新しいものレース」になっていき、古いものをどんどん捨てていって、積み重ならないままにちょっと息切れしてしまったりするところがあります。ですから、こういったものは単に懐かしむというのではなくて、先人が積み重ねたものをさらに次の世代に分厚く躍り継いでいくという意味があると思うんです。
——モニエさんご自身は、ほぼ25年ぶりに初期作品を再振付することに、どんな意義を見出していたのでしょうか。
モニエ 自分の作品を観直すことは、再発見であると同時に、何か退行するような、複雑な思いがする行為です。しかしダンスの場合は小説とは異なり、進化があります。新しいダンサーと仕事をするからです。そこで、必ず新たな再解釈をすることになり、作品に新しい視線を持ち込むことができる。同時に、例えば《エクスタシス》と《ピュディック・アシッド》が時を超えることができるか、いまもう一度観せる意味があるのかどうかを問い直すことにもなります。それが、再演のいわば挑戦課題です。作品の深み、その有効性を見ることができるかどうか。それは歴史、時間だけが証明できることです。
すべての作品を再演することはないだろうと思います。この2作はかなり抽象的であって、だから再演が可能だったし、現在でもある種のふさわしさを持っています。他の作品は現代ではそこまで適切ではないだろうし、いずれにしろ同じような形で再演することはなかったでしょう。ある意味で歴史のある作品を再演することは重要だと思います。
再演を怖れてはなりません。再演で失われるものがあると怖れる向きがありますが、何かが失われたとしてもそれは重要ではありません。私はシャンゼリゼ劇場で観た、ニジンスキーの《春の祭典》のジョフリー・バレエ団による再演をよく思い出します。皆が「オリジナルではない」「ニジンスキーのものではない」と言いましたが、現代の観客にとっては映像ではなく作品を舞台で観ること、そして新たな解釈を観ることが重要なのです。
忘れられる部分があり、失われる部分があるにしても、ダンスが再演されることは重要です。我々はこのように作品を観直す仕事をしなければなりませんし、ダンサーたちには過去の作品を踊る機会をも与えるべきでしょう。
●何が残って何が失われるか
乗越 モニエさんは、過去の作品を再制作されるときに、若い人に振り付けたことがあるかと思います。その際に何か感じることはありましたか。
モニエ 比較をしてはいけないと思います。いまのダンサーは別の技術を持っているのですから。日本人でもフランス人でも、ヨーロッパ人でもアフリカ人でもそうでしょう。どの国のダンサーも、技術が違うから必ず独特の長所を持っている。それこそがまさに面白いと思う点です。
興味深いのは、何が残って何が失われるかということです。同じように再演をすることは絶対にできません。作品が変わっていくことが面白いのであって、変形したとしても構わない。それは、再演を妨げるものではありません。ベートヴェンのソナタや、あるいはバッハの作品と同じです。別の楽器、別の身体が演奏していくわけですから、そうした変形や困難を受け入れるべきでしょう。そのような「変化」「進化」を受け入れて、作品の中でその進化を考慮すべきだと思うのです。
現在の身体は昔の身体ではないし、技術も違っています。この作品を若いダンサーに振り付けた際には、ピナ・バウシュの技法、例えば丸い腕の動きを取り入れました。ドイツの技法の一部とアメリカのテクニックを導入し、ふたつの技術の一種の統合を行ったわけです。今日、これらふたつの手法はあまり伝えられていません。マース・カニンガムの技術ももう習わなくなったし、ドイツの流派もエッセンを除くともはやほぼ存在していません。ダンサーは他の技術を身につけている。だから、それらを統合していかなければならないと思うのです。
乗越 例えばバレエであれば《白鳥の湖》には様々な人のバージョンが多数あり、それが作品の可能性をより広げていったり、解釈が深まっていったりということがあると思います。将来的にモニエさんの作品を他の人が自分の解釈を加えながら上演したいとしたら、どうしますか。
モニエ 受け入れると思いますし、受け入れるべきだと思います。まさにその点がクラシックバレエの面白いところです。例えば《白鳥の湖》に新たな出演者が出ると、作品の新たなビジョンが広がり、作品に対する別の説明や手がかりを私たちに与えてくれます。若いダンサーが今日《白鳥の湖》をどう観るのかを示すことは、作品を現代の視線で新たに読み解くことになるからです。コンテンポラリーダンスにおいても同じです。ですからダンサーを信頼しなければならないと思います。
ダンスには口承の伝統があり、そのために伝達が難しいことがよく知られています。今日フランスなどにおいて、ダンスの譜面を作るための多大な努力がなされています。ただし、ダンスを記譜し、読めるようになるには最低でも2年間の勉強が必要です。私はダンス譜を読めません。フィリップ・ドゥクフレも、振付家の大半もそうです。でも同時に、ダンス譜が振付の文化にますます入ってきていることは意識しています。ビデオ録画に加えて、振付を譜面に記録することが多くなってきています。作品の再演のために、昔は無かった適切なツールを持つようになってきているわけです。
——それではここで、もう少し新しい作品も観せていただきましょう。
乗越 《Soapera》というタイトルは“Soap”と“Opera”の合成語なんですね。その意味は観るとわかると思います。
(ビデオ上映)
モニエ 舞台は濡れています。水と石鹸をたくさん使っていますから。長い試行錯誤の果てに偶然に泡の作り方を発見しましたが、泡をどう取り扱ったらよいかを理解するのに、さらに半年かかりました。通常の石鹸よりも強く、肌を攻撃するので、石鹸だけのところに落ちると肌が荒れて目も痛くなります。私も石鹸アレルギーになりましたし、ダンサーたちは泡の中で常に濡れていて寒く、とても厳しい環境での仕事でした。ダンサーを保護することを考え、いつも同じ状態の泡が出るようにコントロールするために、科学者の助けを借りて研究や分析を行い、徐々に安定させることができるようになりました。
いま観ていただいた部分は開始から20分経ったところで、ひとつの世界が出来ています。泡が丸くなり、世界の誕生のように見える。ダンサーは下に隠れていて泡を動かしています。見えるのは泡の動きだけですが、ダンサーたちは自分たちの動きが何を生み出すのか、背中の上に何が載っているのかわからない。それがとても面白い。そこで出来る形は儚い、一時的な彫刻であって、自分たちでコントロールはできないのです。
——あいちトリエンナーレ2013で、彫刻家の名和晃平さんが発表したインスタレーションにちょっと似ていますね。《Soapera》のほうが名和さんの作品よりも古く、コンセプトは違うし、ダンサーは出て来ないインスタレーションだから偶然の一致なのですが、名和さんに教えたらものすごくびっくりしていました(笑)。
●日仏ダンスシーンの違い
——乗越さん、日本のコンテンポラリーダンスシーン、それと本場であるフランスあるいはヨーロッパ、世界のダンスの状況をお話しいただければと思います。
乗越 日本のコンテンポラリーダンスが特殊なのは「1980年代に突然始まった」ということです。その前にあったモダンダンスとか伝統舞踊とかをまったく切り離した形で突如始まった。80年代の後半から日本はバブル経済で、企業にいっぱいお金があったので「冠公演」をやったんですね。自社の名前を冠してよそからいろんな舞台作品を呼ぶ。ちょうどそのとき、ヨーロッパではコンテンポラリーダンスと呼ばれる新しい波、ヌーヴェル・ダンスと言われていたものが出てきていたので、これを大量に日本に呼んだんです。
だから、アジアの中でも日本のダンサーだけは突出して早くコンテンポラリーダンスに触れることができた。いま、中国や韓国がすごくがんばってますけど、彼らが本格的にやり始めたのは2005年以降のことなんです。だから、日本のダンサーは20年先んじて衝撃を受けて、「俺もやりたい!」と思う人たちがいっぱい出てきたわけです。
ところが90年にバブル経済が弾けてしまうと、さすがに外から呼んでくるお金はない、でも新しいことを始めた若い人たちがいっぱいいる。そこで今度は彼らを育てることにお金を使うことになった。結果的に、外に向かっていたお金が内側に向かって、割といい感じになってきたんですね。
そこで重要な役割を果たしたのが、バニョレ国際振付コンクールというコンクールです。さらに、舞台芸術のフェスティバルがいくつか出来てきて、それが世界とつながっていって、どんどん日本から出ていける状況になってきた。ただ、アジアにはマーケットが無かったので、ヨーロッパかアメリカに行くしかなかった。そこで、ダムタイプや勅使川原三郎や山海塾などは、ヨーロッパをベースにするようになりました。
ヨーロッパの場合には、一度評価されればフェスティバル同士が連携を取ってヨーロッパ・ツアーができて、それで食っていけるという面があります。日本の場合にはまわりにマーケットが無かったのでそれが非常に難しく、ある意味ガラパゴス的な発展をしています。これには良い面と悪い面がある。良い面は、どうせ儲からないんなら好きなことをやろうということで、非常にバラエティに富んだスタイルが出てきている。悪い面は、マーケットをそれほど意識しないがゆえに競争力が弱い。CNDの場合には教育などにも力を入れてらっしゃるので、その辺りをお聞きしたいですね。
モニエ CNDはフランス国家に所属し、90名の専従職員のいる大きな機関で、90パーセントの資金が国庫から来ています。CNDの使命は、まずは「クリエーション(創作)」。次に「アーカイブ」で、新しいダンスのシネマテークとなっています。世界から集めた1万本以上のダンスのフィルムやビデオがあり、専門家や一般のためのリソースセンターとなっています。ダンス譜もあって、最も古いものは1920年代の最初のラバノテーションです。ほかにも多数の写真、手紙、その他の資料も備えています。
もうひとつの使命は「教育/訓練」で、毎年6月に「CAMPING」というプログラムを組んでいます。今回の来日もそのためなのですが、世界中から250名のアーティストを招いて、国際的なワークショップ、パフォーマンス、プロフェッショナルに出会うイベントを開催するんです。アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの学校P.A.R.T.S、ベルリン大学、ロンドンのザ・プレイスなどの教育機関を招聘し、デザインやビジュアルアートの学校にも参加してもらいます。「CAMPING KIDS」という子供向けのプログラムもあり、5~10歳の子供向けの哲学の講演会を開催し、ジャン=リュック・ナンシーに来てもらいました。来年は音楽学校も招いて、現代音楽とのコラボレーションを行う予定です。領域横断的ということですね。
今年は、欧米やインドの著名なアーティストのほか、ヒップホップ、ジャズダンス、さらにはバロック舞踊を教えている若いアーティストを招きます。バロックですから、いわば私たちの伝統舞踊ということになります。来年は日本のアーティストにも教えに来ていただきたいと思っています。室伏鴻さんをお招きしたかったのですが、残念なことに亡くなられました。偉大な教育者だった鴻さんのことを私たちは高く評価しています。
「CAMPING」の開催中には、各学校が毎晩、国立シャイヨー劇場、パリ市立劇場など、パリ中の劇場で自分たちの作品を公開します。最後の晩には、すべての学生を招いて、即興をテーマとしたパフォーマンスを行います。来年のワークショップは、例えば「ダンスと健康」をテーマにしたり、批評家を招いて「ダンス批評」を取り上げたり、法的な側面や行政との関係についてのワークショップを開催したいと考えています。
フランスでは、すでにパリ以外の都市でミニ「CAMPING」を開催しました。アーティストが互いに意見交換し、交流し、プロの人々に出会う国際的な場があること、そして世代間での伝達が重要です。80歳の人が20歳のダンサーに会うことは意義深い。いつか日本でも開催できる日が来るかもしれません。
●「開かれた出会いの場」
——ひとことで言うと「開かれた出会いの場」であるということでしょうか。ちなみに、CNDの建物は7,000平米あるそうです。年間予算は、昨年の数字ですが1,000万ユーロ、日本円だと13〜14億円くらいですね。
乗越 CNDのような立派な施設がない所でも、ヨーロッパでは一応、ダンスハウスなど、拠点になるようなものあるんです。しかし、日本にはそういったダンスの中心と言えるものは基本的には無い。いま拝見していて、まず1万本のビデオというのに非常に驚いたんですが、日本の場合はその映像の市販自体があまりされません。作られないんです。音楽著作権協会っていう悪の組織(笑)があって、ビデオを作ろうとすると価格が2倍、3倍になってしまうので作れない。そして日本の助成金は基本的に初演のときにしか出ないので、2次利用は対象外になってしまうんですね。
だからいま、若い人が昔のものを知りたいと思っても、知る手段が無い。30年前にフランスでどんなダンスがあったかを知ることはできても、10年前に日本でどんなダンスがあったかを知ることは非常に難しいのが現状です。NHKの『芸術劇場』にはあって、彼らは「これはオンデマンドで公開してますよ」と言うんですけど、本当に良いものは「対象外」にして結局観れない。逆にCNDに行ったほうが日本の古い映像があるかもしれないですね。権利はどうやってクリアされているんでしょうか。
モニエ フランスでは舞踏がたいへん人気なので、私たちは定期的に日本のアーティストや舞踏専門の批評家を招聘したり、舞踏の映画やモンタージュの上映をしたりしています。今年は3回舞踏のイベントを行ったのですが、毎回大盛況で満席でした。舞踏が日本のダンスのすべてではないということはもちろん知っていますが、日本のダンスの一部であるということは確かです。
「権利」の問題は非常に複雑です。映画を上映するには、普通は上映許可を求め、権利料を払わなければならないことになっています。ところが、周知のようにいまでは同じものをYoutubeで無料で観られる。そこで、私たちはアーティストたちに2年/3年/5年という長期の権利を譲渡するよう交渉することを検討しています。上映回数に基づいて権利料を支払い、カタログを作り、一般の人たちはアーティストに権利料を払わずに、低料金でモンタージュ映像を買い取れるようにするのです。
教育向けの映像のカタログも作成するつもりです。CNDで行ったマスタークラスの映像を普及させるためです。シモーヌ・フォルティや室伏鴻らが来て授業をしたことがありますが、私たちは撮影もインタビューも行っています。アーカイブされているので、ある振付家のこれまでの教育活動すべての記録を編集することもできるでしょう。その都度作家や映像作家と交渉しなければならないから、かなりの時間がかかるでしょうが。
とはいえ、ダンスの分野ではまだされていなかった仕事なので、必ずやりとげなければなりません。同様の試みはアメリカですでに始まっていますが、完全なカタログはまだ完成していない。ニューヨーク公共図書館でもオンラインアクセスが可能なカタログはなく、毎回個別に再交渉が必要なのです。
乗越 アーカイブ自体が日本には無いですからね。
——強いて言えば、慶応大学の「土方巽アーカイヴ」くらいでしょう。
乗越 あれは国立ではなく、助成金も不安なことになりつつあったりするので、本当に孤軍奮闘しているような現状ですね。
日本とフランスの文化予算を比べると、2012年のデータでは日本が1,036億円、国家予算に対する割合が0.11パーセントなんですね。対するフランスの割合は1.09パーセント。単純にいうと10倍くらいあります。フランスの人口は日本の半分くらいしかないので、これを人口ひとり当たりで比べるとさらに大きな差になります。
ことダンスに関して言うと、国立の芸術大学にダンス科というものがほとんど無い。国立大学にふたつあるんですが、ふたつとも女子大です。これが意味しているのは、日本という国では、ダンスはアートではなくて若い女子の趣味である、というのが基本姿勢だということなんですね。ただ、「ダンス・コース」というような形で、京都精華大学などが現役のダンサーを招いたりして、動きが変わってきてはいます。
●振付は教育できるか
乗越 CNDでは教育が大きな柱としてありますが、振付は基本的に教育できるものなのかどうか、伺いたいと思います。
日本では基本的に「教育」というものが無かった、その代わりに町々にものすごい数の民間のバレエ学校があったんですが、コンテンポラリーを習いたいというときには、各カンパニーのワークショップを受けるくらいしか方法が無かったんです。でも、ここ数年は、少しそれが変わってきていて、様々な学校でダンスクラスを持つようになった。けれどもその結果として、コンペティションなどで若手の作品を観ても、多くが可もなく不可もなくというか、文句は付けられないけど、面白くも何ともない。要は、彼らはクリエーションを学校のクラスでしかやってない。でもそれは点数を取ることが目的で、教授に評価されるために作るわけです。つまり、自分はこの作品で社会に立ち向かっていくんだという本来のクリエーションとは決定的に違う。ダンスの教育の重要性は認識していますが、CNDの場合、そういう真のクリエーションに繋がるような教育を、どう考えてらっしゃるんでしょうか。
モニエ CNDには学校はありませんが、お話ししたように継続教育を行っています。私は20年間校長としてエグゼルズというモンペリエの学校を運営しました。実験的な学校で、多くの振付家を養成しました。海外からの留学生も多く、韓国、アフリカ、南米など様々な国から来ていましたが、日本人はごくわずかで、20年間で確か2人だけだったと思います。日本人の多くは、ピナ・バウシュの学校、エッセンの学校、ロンドンのザ・プレイスに行くと聞いています。何か別のネットワークがあるのでしょう。
エグゼルズでは、ダンサーに振付のテクニックを教えるのではなく、むしろ芸術的なバックグラウンドを持たせることを重視しました。アーティストが、アーティストとしての自分自身を発見し、自らの探求を進めることの手助けをするのです。若いダンサーは自分が何をしたいのか、自分の美意識はどのようなものなのかを十分に把握していません。そのようなアプローチにおいて彼らを支えることが重要です。
もちろん、技術や理論の授業もありましたが、それでも教育の多くの部分は、いわばメンターとしてのアプローチでした。アーティストである学生が、自分自身のプロジェクトを行う際に助言をするのです。文学や哲学や社会学を用いて、プロジェクトをさらに豊かなものにする、あるいはダンスやリソースに関して指導をする。理論上、また同時に稽古場や舞台において、プロジェクトの実現に付き添うのです。彼らが自分自身の作品を作るための指導です。エグゼルズは、いまはクリスチャン・リゾが私の後継者として校長を務めています。学生たちは2年間の在学中、ソロやデュオなど絶えず多くの作品を作るように訓練を受けます。修士号取得後はヨーロッパの別の学校に行くこともできます。
その結果、今日ヨーロッパで活動しているアーティスト1世代が巣立っていきました。アフリカで活動している人もいて、サリア・サヌーとセイドゥ・ボロは、振付センターをアフリカのブルキナファソに創設しました。私たちの教育は、ダンスの思想を伝え、普及させ、それをさらに他の人々に教え、フェスティバルや空間を作ることにつながっています。アーティストを、自分の仕事だけに閉じこもらず、いかにネットワークや様々な出会いを生み出せる存在にするか。そうしたことをエグゼルズで教えていました。
乗越 僕自身、教育を技術寄りに考え過ぎていたということが、いまわかりました。「メンター」という考え方も勉強になりました。日本の教育では採点が重視されがちですけども、教育のことはもっと違う視点で考えていく必要があるでしょうね。
——僕はダンス教育の現場は知りませんが、美大など自分が知っているファインアートの教育を見ていると、美術史はともかくとして、文学や哲学など、アーティスティックな教養がどれほど教えられているのかという疑問が湧いてきます。いまのお話のように「教える」というより「付き添う」というスタンスが有効なんじゃないかなと思いました。
乗越 本当にそうです。しかし実現するのは簡単ではないでしょうね。あえて見守る判断、どの方向に向かって気づかせていくかの判断など、「付き添う側」に相当な経験と自信が要求されますよね。
●コンテンポラリーダンスのファンを増やすには?
——モニエさんはあるインタビューで「これからは財政的なパートナーも増やしていきたい」とおっしゃっています。CNDは民間からの寄付にも依存しているんでしょうか。あるいはこれから、民間からの出資や寄付などを拡大しようとしているんでしょうか。
モニエ 確かにフランスでは文化予算は大きく、国家予算の全体の1パーセント弱を占めています(編集部注:2015年度は0.87%)。しかし、文化予算は数年前から下がり始めていて、特にスペイン、イタリア、ギリシャでは文化的な動きがほとんど見られないほどです。逆に、ドイツ、ベルギーや、スウェーデン、ノルウェーといった北欧は、文化面でダイナミックに発展を続けています。
今日では私たちも、民間の資金を集めるよう要請されるようになりました。多くはファッション業界や銀行ですが、民間のメセナによる協力を求めています。エルメスが私たちのメセナで、ソニア・リキエルが私たちのファッションデザイナー。BNPパリバ銀行からも支援をいただいています。国家以外の機関や企業からも資金調達ができると示すことは、CNDの運営が円滑であるという証明にもなります。かなりの努力と緊張を強いられることですし、メセナ企業の大半はダンスの支援は望みません。「ダンスは利益の上がる投資ではない。ビジュアルアートのような収益はもたらさない。ダンスには剰余価値がない」とメセナ企業は考えています。彼らが支援するのは、教育や職業訓練、社会文化活動などです。そこで、私たちも子供向けのプログラムや、貧困女性の援助団体や病院向けのプログラムであれば、資金が若干得られます。けれどもダンスそのものは、メセナ活動の真の対象にはなっていません。
それでも、いまでは新しい動きが見えてきました。例えばルイ・ヴィトン財団美術館や、MoMA(ニューヨーク近代美術館)やポンピドゥー・センター、ジュ・ド・ポームなどの美術館が、ダンスを導入し始めています。美術館でダンスを見せること、振付家が活動するようになったことは新しい重要な傾向です。今後何年かの内に、多くのアーティストが美術館に新しいネットワークを見つけるようになるでしょう。ただし、振付家のギャラはビジュアルアーティスト一般に比べると30分の1。美術館ではあまり評価されていません。でも、それも変わりつつあり、新しい面白いことが起きていると思います。
乗越 オランダで何十年と続いていたインスティテュートが閉鎖される一方、北欧などが豊かだというのは理由があるんです。コンテンポラリーダンスで後発組の国々は、いまさらクラシックバレエやオペラでパリ、ベルリン、ミラノには敵わないということはわかっている。けれども、コンテンポラリーのような新しい分野なら話は別で、ひとつの輸出産業として国がバックアップしているんです。外務省などが後についてやっていることが多いですね。アメリカでは、寄付をした分、免税になるという税制があり、日本の場合にはそういうものが無いという状況です。
——日本とヨーロッパでは状況はだいぶ異なりますが、いずれにせよ新しい観客層を開拓するのはなかなかたいへんそうですね。
モニエ コンテンポラリーダンスに観客を惹き付けるにはどうすれば良いか、というのは難しい問いです。秘訣があるとは思いませんし、国ごとに状況が違うでしょう。
観客に訴えるには複数のレベルがあると思います。まず、通常の広報活動があり、一方、私たちが「サンシビリザシオン(関心を持たせること)」と呼んでいる活動がある。劇場のほうから観客に対して働きかける、本当のアプローチの努力です。学校・大学などに赴いて出会いの機会を作ります。劇場の中だけではなく、他の場所に行ってダンスについて語る場を設けるのです。
20年前から、劇場はそういう努力をしてきました。劇場外で映画を上映し、ダンスについて語り、プログラムを紹介したり、NPOと協力してワークショップを開催したりしています。これは長期的な努力で、ダンスは固定の場所に書き込まれているわけではなく、色々な場所に行けると伝えなければならないのです。息の長い仕事で、ようやく少しずつその成果が生まれつつあります。何年もかけて、新たな別の種類の観客が劇場に来られるように努力を続けるのです。観客の獲得は常に闘いです。新しい手段を発明し続けなければなりません。観客も変わっていくので、80年代に成功したやり方をそのまま続けていくわけにはいかないのです。ファッションブランドとのコラボレーションなど、領域横断を重視していますが、それも観客誘致につながります。
料金面での努力も必要です。なるべく安く抑えるのです。完全に入場無料にするか、あるいは極めて低料金の活動を多く行っています。
乗越 コンテンポラリーダンスの客を増やそうという視点はもうやめたほうがいい。そもそもコンテンポラリーダンスが滅びるなら滅びていいよ、と思っています。大事なのは「ダンスそのもの」です。ダンスというものは人間の根本的な本能や衝動に基づいているので、絶対に滅びないんですよ。だから、目の前の流行り廃りがあるだけで、良いダンスは必ずどこかにあるはず。それを見つけて観客につなげる、というのが劇場の役目だと思います。コンテンポラリーダンスといわれるものも、始めのころには「こんなのは流行りだ、すぐ消えて無くなるんだ」と言われて、フランスでも初めは国の助成は出なかった。ヒップホップもそうで「こんなのは流行りだ」と言われてた。でもそれぞれ重要なものになってきてるじゃないですか。だから、行き詰まったものをもう一度なんとかしようとするよりも、いま、若い人が自分の体で感じて新しい試みをしているダンスは絶対にいっぱいあるから、それを見つける努力と観客につなぐことを、劇場はぜひやっていただきたいと思います。
モニエ 私が日本に来たのは、日本とフランスの文化の間には、お互いに魅了しあう関係があると思うからです。私たちは日本文化に対して多大な敬意を持っており、日本とのコラボレーションを行いたいと思っているのです。日本のアーティストは私たちにとって重要な流れを示していて、ヨーロッパのコンテンポラリーダンスに大きな影響を及ぼしたひとつの流れとなっています。私たちはこの分野における日仏間の交流を続けるべきだと考えています。
ヴィラ九条山はいま、日本とフランスのコラボレーションを促進しようとしています。日本人とフランス人のアーティストの「デュオ」プロジェクトをレジデンスに受け入れるようになりました。まさにそのような精神において、CNDは日本のアーティストを迎えることを望み、それが必要だと考えています。様々なことが可能でしょう。
ダンサーを目指す方には、まずご自分自身であることを望みます。誰かほかの人やほかの世代の真似をするのではない、自分自身であることが重要です。新しい世代、あなたの世代が自分自身の言語を見つけることが重要でしょう。別の世代に対して違反をすることが若い世代、昔の世代に対して反逆をするのが新しい世代です。それを期待しています。驚かせてほしいと思っています。未来はあなたの手にあって、私たちの手にあるのではない。ですから、あなたが作り出すものであること、あなた自身が発明すること、未来のダンスを作っていただきたいと思います。
(2015年7月25日、アンスティチュ・フランセ関西 – 京都にて)
Mathilde Monnier
フランスをはじめ、国際的にコンテンポラリーダンス界の先導者として活躍。進化し続ける自身の作品を発表することで、世界中のダンスシーンを発展させてきた。1994 年、モンペリエ国立振付センターの芸術監督に就任、様々な分野のアーティストとのコラボレーションを実現し、フランスのオータム・フェスティバルやパリ市立劇場をはじめ、様々な場所で20 を越える振付作品を上演。2014 年より、パリのフランス国立ダンスセンター(Centre National de la Danse)で総合演出監督を務めている。その作品は、あいちトリエンナーレ2013において日本で初めて披露された。
のりこし・たかお
作家・ヤサぐれ舞踊評論家。株式会社ジャパン・ダンス・プラグ代表。06 年にNY ジャパン・ソサエティーの招聘で滞米研究。07 年イタリア『ジャポネ・ダンツァ』の日本側ディレクター。現在は国内外の劇場・財団・フェスティバルのアドバイザー、審査員など活躍の場は広い。著書は『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『どうせダンスなんか観ないんだろ!?』『ダンス・バイブル』など多数。朝日新聞、ダンスマガジン、シアターガイド等に幅広く執筆。現在、月刊誌Danza でコラム「誰も踊ってはならぬ」を好評連載中。
(2016年6月10日公開)