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現代アートのグローバリゼーションとアーティスト・イン・レジデンス
第2回 現代アートのグローバリゼーションとカルチュラル・デモクラシー Part 1
文: 菅野幸子

2025.03.29
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クンストラーハウス・ベタニエンの最初の建物 / 画像出典: Künstlerhaus Bethanien - history

1-1. 現代のAIRの原点~クンストラーハウス・ベタニエン

第1回では、アーティスト・イン・レジデンスの起源について書いたが、第2回目は、第2次世界大戦後、急速に発展してきた現代的な意味でのアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)というシステムを取り上げる。

AIRは、アーティストのキャリア形成のためのフェローシップ、すなわち自己研鑽のための留学制度として誕生したが、第2次世界大戦後は、文化芸術が社会に開かれていくプロセス、特に1950年代から70年代にかけて欧州で展開されたカルチュラル・デモクラシー(Cultural Democracy)と呼ばれる運動と深く関わっている。それを象徴するのが、1975年に創設されたベルリンのクンストラーハウス・ベタニエン [*1](Künstlerhaus Bethanien)(以下、ベタニエン)である。当時、ベタニエンの創設者のミヒャエル・へルター [*2](Michael Haerdter)とアーティスト仲間たちは、成果としての作品を展示する美術館ではなく、作品の創作過程を支援するアトリエの確保、アーティストたちの国際的な集まりの場として、破壊される予定だった教会直営の病院でもあった建物を国際的なアーツ・センターとすることを西ベルリン市(当時)[*3] に提案し、2年もの長きにわたり市と粘り強く交渉を続け、1975年、スタジオ、多目的ホール、居住空間を備えた総合芸術センターとして開館させることに成功したのだった [*4]。そして、すべての現代アートを包含するベタニエンの活動は次第に国内外で注目されるようになったのだった。その後、NYのPS1[*5] のAIRやシュトゥットガルトのアカデミー・シュロス・ソリチュード(Akademie Schloss Solitude) などのモデルとなった。ベタニエンでは、従来の美術館などに展示される完成された作品よりも、現代アートにおいてはむしろそのプロセスを重視していたのであって、新しい価値観を提示していたのである。

Galya Feierman for Künstlerhaus Bethanien, 2024

この背景には、1970年代において欧米で広まっていた既存の芸術の定義や価値を再構築する試み、すなわち、文化の民主化運動が大きく関わっていた。1970年代といえば、フェミニズム、学生運動、反戦運動、環境問題、コミュニティ運動など様々など既存の価値観を問う様々な運動が展開され、これ以前の既成概念の社会的価値観が大きく揺らぎ始めた時期である。1968年の5月革命に端を発し、社会の変革を求める若者たちが時代をリードし、オルタナティブな文化を生み出し、ロックやパンクを通じて社会や既存の価値観に異議を唱え、これまでにない先駆的かつ実験的な文化芸術が試行錯誤された時期でもある。これ以前、アートといえば、オペラ、クラッシク音楽、バレエ、美術館に展示される名作など特定の階層が華やかな文化施設で受動的に鑑賞するハイ・アートのことを指していたのだが、この時代、社会的階級に縛られることない多様な表現を許容する現代アートが盛んになり、誰もが自由に文化芸術に触れ、表現できる権利を有しているという考え、すなわち、カルチュラル・デモクラシーという概念が世界に広がった時期でもあった。それゆえ、評価の定まったハイ・アートを提示するのではなく、自由な表現の場、プロセスを重視する場としてのアーツ・センターが欧州域内に数多く設立されるようになっていた。さらに、アーティストたちも自らが様々な運動をおこし、関わるようになっていたのであり、文化芸術を一般の人々に開いていくコミュニティ・アーツ運動なども展開されるようになっていた時代だった。

このような社会的・歴史的背景において、ドイツは第2次世界大戦に敗れ、ドイツという国家、そしてその首都だったベルリンも含めて東西に分断され、それぞれ異なるプロパガンダを掲げていた特殊な背景もあり、西ベルリンに位置していたベタニエンは、民主主義や自由の象徴として、海外からアーティストを招き滞在させていたのだった。日本からは演出家の太田省吾や舞踏家の大野一雄らも招かれていた。現在のベタニエンは、2010年に移転し、新たな体制で運営されているが、AIRは継続して実施されている。

Galya Feierman for Künstlerhaus Bethanien, 2024

前出のへルターは、1993年に創設された国際的なAIRのネットワーク組織 Res Artis [*7] の立ち上げにも関わっていた。AIR同士でのアーティストの交換と連携、情報やノウハウの共有を目指したのだった。Res Artisには、現在、世界80ケ国、650団体が登録している。2019年、京都芸術センターで「創造的遭遇」と題されたRes Artisの国際会議が開催され、世界中からAIR関係者が京都に集い、熱い議論が交わされた [*8]。


[*1] クンストラーハウス・ベタニエン(2025年2月25日閲覧)。
[*2] ミヒャエル・へルター(2025年2月25日閲覧)。
[*3] 1990年、西ベルリンと東ベルリンはベルリンとして統一された。
[*4] クンストラーハウス・ベタニエンの歴史(2025年2月25日閲覧)。
[*5] 1971年に創設された先駆的なオルタナティブ・スペースで、2000年にMoMAと合併したため、現在はMoMA PS1と呼ばれている。MoMA PS1(2025年2月25日閲覧)。
[*6] アカデミー・シュロス・ソリチュード(2025年2月25日閲覧)。
[*7] Res Artis(2025年2月25日閲覧)。
[*8] AIR_J>(2025年2月25日閲覧)。


1-2. 現代におけるAIRの意義

筆者は、国際交流基金在籍当時、クンストラーハウス・ベタニエンの創設者であるヘルター氏が来日される機会に、急遽、AIRに関するシンポジウムを企画した。同氏の基調講演の中で、特に印象に残っているのが、以下の7項目にわたるAIRの意義についての話である。

(1)グローバリゼーションが進展している現在にあって、時代のキーワードを具現化した場であること。そのキーワードとは、「移動性(mobility)」「グローバル性(globality)」「一過性(temporality)」の3つである。

(2)トランスナショナルな場であり、共同作業が創出される場であること。すなわち、すべてのアートは、国や固有の文化にとらわれることなく、国や文化の差異や枠を乗り越え、コミュニケーションや交流に刺激を与える力を持っているということ。それゆえ、AIRは、異なる文化背景を持つアーティストたちが集まるトランスナショナルな場でなければならないということ。

(3)アーティスト、観客、そして地域との間に、対話と出会い、相互作用を絶えず生成している場であること。

(4)アートに関する最新の研究や情報が、世界中から集まるシンクタンクであること。

(5)ビジュアル・アーツをはじめ、ニューメディア、映像、写真、演劇、ダンス、文学など芸術のあらゆる分野のアーティスト、研究者、キュレーターが集い、分野を超えた創造や刺激を生み出す場であること。

(6)アーティストにとっては、世俗から隔絶され、創造に集中できる修道院のような場であること。同時に、常に展覧会やパフォーマンスが催され、一般の人々にも開かれている市場でもあること。

(7)AIRの存在は、当該地域に対する「文化的保障」となりうること。すなわち、その地域が世界と文化的に繋がり、世界に開かれているということを保障しているということ。それゆえ、強力なグローバルなネットワークが生まれる場となること。

へルター氏が指摘していたことは、まさに現代アートの世界におけるAIRの本質に他ならない。ゴッホやゴーギャンを取り上げるまでもなく、アーティストたちは、古来より新たなインスピレーションと創造を求めて文化と文化との間を渡り歩くコスモポリタン的な存在とも言われてきた。現代においては、AIRというシステムに支えられ、アーティストたちのあらゆるボーダーを超えた移動は加速し、必然ともなっているということである。

1-3. AIRとグローバリゼーション

グローバリゼーションという大きな時代の流れの中にあり、他方、文化摩擦や宗教対立、紛争が顕在化している現在、どの国においても、一つの国家、地域の中には多様な文化や民族が混在する多文化社会になっている。AIRというシステムには、文化芸術を通じて、都市や地域の創造力を高め、異なる文化背景を持つアーティスト同士が一つの場所で出会い、互いに刺激しあい、切磋琢磨しながらも、異なる個性や文化に対する理解を深める過程のモデルを見ることができるのであって、まさに現代の社会が求めるモデルでもある。当然、相反して誤解や争いの原因ともなる危うさも孕んでいるが、友情、信頼、共感、理解、尊敬はこの危うさを克服してこそ生まれ、強化されるのである。

そして、文化や価値観を均一化にするのではなく、固有の文化や価値観を尊重し、いかに互いにリスペクトをもって理解しあえるかを模索する方法へ。それゆえ、絶えず異なる文化間に生み出される対立や軋轢の繰り返しである現代社会においてこと、異なる文化間を渡り歩き、新たな価値観を生み出してきたアーティストの存在とそれを可能とするAIRの可能性はますます高まっている。

そして、それは、国内のAIRにも言えるのかもしれない。閉塞感が蔓延している日本社会において、様々な壁を打ち破り、既存の価値観を破壊し創造していくのは、他の地域からやってきたアーティストやクリエーターたちであり、これもまた時代の要請なのかもしれない。

Res Artis Meeting 2019 京都「創造的遭遇-アーティスト・イン・レジデンスの再想像」
画像出典: AIR_J:日本全国のアーティスト・イン・レジデンス総合サイト




菅野幸子(かんの・さちこ)
AIR Labアーツ・プランナー/リサーチャー
ブリティッシュ・カウンシル東京、国際交流基金を経て現職。グラスゴー大学美術学部装飾芸術コースディプロマ課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究(文化経営学専攻)後期博士課程満期退学。博士(文学)。専門領域はアーティスト・イン・レジデンス、英国の文化政策、国際文化交流。主な著作として、「現代アートとグローバリゼーションーアーティスト・イン・レジデンスをめぐってー」(『グローバル化する文化政策』佐々木雅幸・川崎賢一・河島伸子編著、勁草書房、2009年)他、共同編集として『アーティスト・イン・レジデンス:まち・人・アートをつなぐポテンシャル』(菅野幸子・日沼禎子編、美学出版、2023年)。