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交錯:東南アジアをめぐる思索
歴史を手繰る芸術の身ぶり ①東南アジアをめぐる記憶
文:金井美樹

2025.11.05
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『トゥアの片影』 上演風景
Photo by Meshalini
Courtesy of Five Arts Centre

 幾重にも交差し、もつれ合う車線。都市の記憶をなぞるように続く高架道が、タクシーの後部座席から視界に広がった。小雨の降る夜、車の列は息をひそめ、じっと動きを待っている。私がたどり着こうとするのは、クアラルンプールを拠点に舞台芸術を展開するファイブ・アーツ・センターの新作、『トゥアの片影(Fragments of Tuah)』の上演会場だ。
 ドライバーはお決まりのように「どこから来たのか」と尋ねる。もう2年もここに暮らしているのに、たとえ同じようなアジアの顔立ちをしていても、私はいまだに「よそ者」のままだ。「日本から」と答えると、彼は「どんな音楽が聴きたいか」と、曲選びを私にゆだねてきた。
 窓の外には、いくつものマレーシア国旗が風にたなびいている。マレー系、中華系、インド系、そして先住民族。異なるルーツを持つ人々が笑顔で拳を掲げるポートレートの上に、「ハーモニー」と綴られた巨大なLEDビジョンが現れた。誰もが笑顔で、誰もが等しく「ここ」に属している。そんな象徴的な情景も、タクシーが進むにつれて徐々に遠ざかっていく。そこに、これから向かう公演――マレーシアの伝説の英雄、ハン・トゥアをめぐる物語――の輪郭を重ねた。「ハーモニー」のスローガン、語り継がれる英雄譚。いずれも語られることで実体を得て、繰り返されることで「真実」となっていく。私はドライバーに、「マレーシアの曲が聴きたい」と告げた。

 この国では、8月31日の「独立記念日」と、連邦成立を記念する9月16日の「マレーシア・デー」が、ともに主要な祝日として位置づけられている[*1]。この時期になると、街のいたるところに国旗が掲げられ、祝祭の色が日常を塗り替えていく。美術館やギャラリーでは、国家の歩みや人々の記憶をたどる特別展も開催される。ドライバーも私のリクエストに応えて、情熱と誇りを帯びた愛国歌を次々に流してくれた。

 しばらくして、彼はふと尋ねた。「日本にはどんな歌があるのか」と。「君が代」さえまともに歌えず、日本人としての誇りを謳うような歌も知らない。私はその問いに戸惑うと同時に、気づかされた。街にあふれる国旗に落ち着かない気持ちがあったのは、体験したことのない光景に対する、ある種の困惑だったのだと。
 これほどまでに国旗が日常に入り込む季節も、愛国歌を耳にする習慣もなかった。思い浮かぶ国旗といえば、オリンピックやワールドカップで振られる日の丸だが、それは国家というより選手個人へのエールに近い。敗戦後の日本社会ではナショナリズムの抑制が一つの規範となり、私はその価値観を知らず知らずのうちに内面化してきたのだと思う。

 東南アジアで暮らし始めてから、歴史やアイデンティティについて考えることが多くなった。第二次世界大戦のさなか、この地で本当は何が起きていたのか。これまで手に取ることのなかった書物をひもとき、馴染みのない地を巡り、人々の語りに耳を傾けるなかで、東南アジア、そしてアジアの歴史的な背景について、自分がどれほど無知であったかを思い知らされることがある。
 侵略、植民地支配、独立、紛争――この地域はそうした時代を経て、多民族が共に生きる社会を築いてきた。その過程には日本軍による占領が落とした影もまた、深く刻まれている。痛みと誇りが複雑に絡み合う過去を、私はまだ掴みきれていない。自分の立場を引き受けきれないままに、この土地に身を置いている。そして書き手であることの偏りを思い返すたび、自分の語りそのものに心許なさがつきまとう。
 私たちは、これまでアジアの歴史をどう捉えてきただろうか。語られてきたのは、いったい誰の視点だったのか。今、改めて、その歴史にどう関わっていくのか。
 過去と向き合うことは、ときに無力感や足元の揺らぎを伴う。しかし、それでも歴史教科書に載らなかった記憶に触れることは、あくまで個人的な反省の域を超えていくはずだ。その重みを抱えてなお、アイデンティティを固定的に語ることなく、知らぬ間に繰り返される抑圧のありようや、分断へと誘う二項対立に抗いながら、人はどのように物語を紡いでいけるのだろうか。
 マーク・テ/ファイブ・アーツ・センターの『トゥアの片影』を出発点に、東南アジアで過ごした二年間の経験を通して出会った、歴史や記憶、現代社会への深い洞察に満ちたアート作品について考えてみたい。これらの作品は、私の認識の前提に疑問を投げかけ、世界の見え方を少しずつ変えていった。アートという表現、あるいは手法は、こうした問題領域にどのように関わりうるのか。そしてそれは、人の思考の地平を静かに、しかし確かに広げていくものなのか。その独自のあり方を、作品を読み解きながら浮かび上がらせていきたい。



[*1] 「独立記念日」(8月31日)は、マラヤ連邦(現マレーシアの前身)が1957年にイギリスから独立したことを祝う日であり、「マレーシアデー」(9月16日)は、1963年にマレーシアという連邦国家が成立(マラヤ連邦、北ボルネオ、サラワク、シンガポールが合併(1956年にシンガポールは分離))したことを記念するものである。独立国家の誕生と多地域共存の形成においてどちらも象徴的な意味を帯びている。


本連載について
「交錯:東南アジアをめぐる思索」は、マレーシアを拠点に活動する芸術文化研究者、金井美樹氏による連載です。東南アジアのアートを歴史、地域特性、人々の連帯など多視点で紐解き、現代の東南アジアとアートの関係性について、日本的な視点も交差させながら考えていきます。



執筆者プロフィール

金井 美樹(かない・みき)
芸術文化研究者。アート・ジャーナリズムを通じて現場を記録・分析し、その実践的知見を研究に結び付ける。ロンドン大学ゴールドスミスカレッジにて美術史(20世紀)修士課程修了。約20年間ベルリンを拠点に、欧州20か国以上のアート現場を取材。そのうち2年間は文化庁新進芸術家海外研修員(美術評論)として活動。『美術手帖』『芸術新潮』『ART iT』などの日本のアート誌を中心に、『生活考察』『STUDIO VOICE』などの文化誌にも寄稿。書籍、ウェブサイト、展覧会カタログの執筆・編集を手掛ける。こうした取り組みや展覧会のコーディネートを通じて、ヨーロッパのアートシーンおよびアーティストを日本に紹介してきた。現在はマレーシアを拠点に、研究・執筆に加え、展覧会やワークショップの企画にも関与する。国際美術評論家連盟(AICA)ドイツ支部会員。