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日本でイレズミを語ること——研究者・大貫菜穂との対話から
文:米林空

2026.06.10
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歌川国芳《通俗水滸伝豪傑百八人之一個 浪裏白跳張順》江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵
画像出典:東京国立博物館研究情報アーカイブズ(https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0036257)

「イレズミのある方の入場はお断りいたします」——日本の公衆浴場やプール、フィットネスジムといった、肌を露出する場所で、こうした掲示を目にすることは珍しくない。この一文は、皮膚に図像を刻んだ人物が、いまなお公共空間へのアクセスを制限されうることを端的に示している。
ところが他方で、日本の伝統的なイレズミ「ほりもの」と視覚的・系譜的に深く結びついていると指摘されてきた絵師歌川国芳をめぐっては、近年も各地で大規模な展覧会が企画されている。関西では大阪中之島美術館で開催された「歌川国芳展―奇才絵師の魔力」(2024)が記憶に新しい。
本来、国芳の作品が広く鑑賞の対象となっているのなら、共通する画題を多く持つほりものもまた、同じように受け止められてもよいはずだ。しかし実際には、紙の上に表現された図像はアートとして鑑賞され、皮膚に刻まれた図像は公共空間からの排除を招くという、非対称な扱いが生じている。

もちろん、ほりものは浮世絵をそのまま移し替えたものではない。身体の曲面や部位に応じた構成、ほりもの特有の図柄の背景をなす「額」、さらに施術者や受け手の意図によって、図像は再構成される。しかし、そのような違いを踏まえても、両者のあいだに連続性があることは否定しがたく、「受容」と「排除」という相反する扱いを説明するには不十分だと思われる。

私はこのねじれた状況にずっと引っかかっていた。江戸期の刑罰としての入墨、明治期の大規模な禁止令、1991年の暴力団対策法成立以降の社会的変化とその影響など、イレズミが負のイメージと結びついてきた歴史的経緯を踏まえれば現在の扱いを説明することは可能かもしれない。しかし、そうした歴史的経緯を踏まえてなお、私はこの状況を単に当然のものとして受け入れることができなかった。

というのも、2000年代に生まれた私にとって、イレズミは自己表現や身体装飾としての「おしゃれでかっこいい」存在として映っていたからだ。その感覚と現実の社会的な扱いとの落差が、イレズミへの関心の出発点だった。
このねじれを解きほぐすために、私はイレズミを美学・芸術学および現代思想の視点から研究する大貫菜穂(おおぬき・なほ)先生に話を聞くことにした。大貫先生は、絵画や造形芸術と身体との直接的な関係を問い直すことを広義の研究課題とし、そのアプローチとしてイレズミや身体改造(body modification)を長年にわたって研究してこられた。「紙の上では受容、皮膚の上では排除」——このねじれは、いったいどこから来るのだろうか。その問いをもって、話をうかがった。


語られなかったイレズミ——学術的空白と、情報過多の時代

——研究を始めた当時、イレズミをめぐる学術研究・メディア・当事者の語りを見て、どこに課題や空白を感じましたか。

研究を始めた2005年頃は、日本のほりものと歌川国芳の関係性は、彫師の方々の語りや雑誌などで言われてはいたんです。ただ、研究が極めて少なかった。もっと言うと、イレズミに対する美術的研究が国内ではゼロに近かったんです。要は、知りたいことが知れないから、自分でやるしかない、という状況でした。


——イレズミをめぐる環境は研究を始めた頃と現在を比較してどのように変化したと思いますか。

研究を始める少し前、1990年代終わりから2000年代初頭は、雑誌がすごく活況な時代でした。そんな中で、彫師のインタビューも、雑誌を見れば一定のフォーマットに沿った形で、比較的しっかり掲載されていたんです。
それに対して現在、いちばん大きく変わったのはSNSの発達だと思います。彫師が直接作品をインスタグラムに載せて集客するモデルがある程度確立され、情報へのアクセスは格段に良くなったし、彫師側も商売がしやすくなったと思います。一方で、画像が加工されていない保証はないし、実物が写真映えと同じかどうかも別です。さらに、インスタグラムの四角い規格だと、身体に対する作品のサイズ感もわかりづらく、特に大きな作品は全体像で捉えづらい。これは構造的な問題としてあります。イレズミは「入れて終わり」ではなく、入れてから何年も、むしろ死ぬまで付き合うものです。入れた5年後にどうなるか、といったことは、結局目利きじゃないとわからず、さらに言うと彫師本人でも100%の確証は難しい。そのようなものだからこそ、情報が増えた一方で、見極めの難しさも増したと言えます。


身体に刻まれることの固有性——生きているカンバス、割り切れない感情

——絵画や彫刻など他の美術表現と比較したとき、イレズミの固有性はどこにあると考えますか。

イレズミは本人が嫌になって消さない限り、不可逆的に身体と共にある表現だと言えます。ただ、それ以上に決定的なのは、カンバスが「生きている」こと、これがいちばん大きな固有性だと思います。生命活動をする身体に施されるという点で、他の表現とは全然違う。
加えて、技法としての固有性もあります。絵画は、絵を「彫る」という前提がありません。私は美学が専門なので、芸術論の枠組みで考えると、絵は基本的に「描く」もの、つまりドローイングやペインティングです。イレズミは、既存の絵画理論の延長線上にはない手段で像をつくっている、と言えます。


——図像が紙から皮膚へ移ることで、意味づけはどう変わると思いますか。歴史的背景や社会的文脈も踏まえて伺いたいです。

日本の伝統的なイレズミが見本とする浮世絵は、いわゆる民衆のための表現で、大衆芸術です。国芳の絵は検閲をくぐり抜ける工夫が多く、現在の評価でもその点が取り上げられます。そういう意味では、国芳の「検閲をかいくぐりながらも大衆の味方である」という位置づけと、イレズミが「お上から見た時に好ましくないもの」とされがちな側面は、似ているとも言えます。

ところが、現代日本のイレズミには、歴史的な意味づけの変化が何重にも重なっています。1991年に暴力団対策法が成立し、「暴力団」という言葉が社会的な文脈として強くなっていき、イレズミに対するネガティブイメージも再編されたと考えています。もちろん、それ以前のイレズミも「品の良いもの」と見られていたわけではありません。ただ、もっと民に近い存在だったのではないかと思います。
例えば、任侠映画は1960年代から70年代にかけて人気ジャンルとして隆盛し、その後80年代から90年代にかけては実録路線に形を変えながら支持され続けた。多くの観客が積極的にイレズミを入れたかっこいい登場人物を見たがったわけです。つまり、イレズミや任侠的イメージが「かっこいいもの」として受容される土壌は長く存在していた。実際、私の個人的な経験で言っても、物心がついた時からテレビでは『名奉行遠山の金さん』が毎週流れていましたし、銭湯ではイレズミを普通の光景として見もしました。それに、家族からこの研究に反対されたことはありませんでした。理由の一つとして、曾祖父の家に出入りしていた庭師の背中に、彫りかけの墓石の図柄があった、という話が家の中に残っているんです。曾祖父はその庭師に「その墓石、いつ完成するんや。お前が死ぬまでに完成するんか。死ぬのが先か、完成するのが先か、どっちや」と冗談めかして言っていたのを、母は見ていた。そうした具体的で様々な記憶があると、イレズミは「遠い世界の異物」ではなく、生活の中に存在していたものとして想起されます。結果として日本では、イレズミに対する「拒否感」と「憧れ」が並立している。

浮世絵は過去のものとして歴史的距離があるからこそ、受容されやすい。ところがイレズミは、いまこの社会の身体に刻まれるものです。浮世絵と似たように本来は民に近かったのに、どんどん「社会的距離」が遠くなっていった。それでも、反対の感情と同時に「かっこいい」という感情も残り続ける。だからこそ、イレズミはすごく曖昧で割り切れない感情で受容されています。 


アートと呼ぶことの効用と限界——枠組みを借りることで、何がこぼれ落ちるか

——近年「タトゥーアーティスト」という呼称や「アーティスト」と自称する彫師が増えていることについて、背景にどんな変化があると考えていますか。

私が一つの起点として考えているのは、アーノルド・ルービンの『Marks of Civilization』(1988年)です。ここで「タトゥー・ルネッサンス」という見取り図が示され、後のタトゥーシーンの理解にも影響していると思います。

重要なのは、フラッシュワークからクライアントワークへと移行した、ということです。とりわけ欧米圏を念頭に置くと、もともとはフラッシュ(下絵)があって、お客さんが「これ」と選んだものを、そのままトレースして彫るのが一般的でした。これは船乗り文化の系譜などとも結びついていると言われます。ただ、そこから、お客さんに合わせて絵を起こす、あるいはフラッシュがあっても体格差や要望に合わせて手を加える、サイズを調整する、といった形で、フラッシュワークから「お客さんありき」のクライアントワークへと変わっていった。その結果として、「タトゥーアーティスト」という言葉が成立しやすくなったのだと思います。
ただ一方で、「タトゥーイスト」という呼称は今でも現場では普通に使われています。そういう意味では、「タトゥーアーティスト」という言い方には、量産されたプロダクトから、唯一の作品を彫ることに「アート」の含意が入ったことと、箔をつける、あるいはブランディングとして機能している面もあると思います。


——イレズミを「アート」の文脈で語ることはどんな意味をもたらすと考えますか。

アーノルド・ルービンは序章あたりで「タトゥーに対して人々は曖昧な判断をしない。好きか嫌いかのどちらかだ」と書いています。肯定か否定かに振れやすく、「どうとも思わない」という人は少ないはずだ、というところから議論を始めています。
その前提のもと、彼は「文明の印としてタトゥーを美術史的に見るべきだ」という立場で、古代の事例から「タトゥー・ルネッサンス」以降までを見取り図として提示しています。
そうした枠組みを踏まえると、「タトゥーは日常的なものだ」と言われることが多いアメリカでも80年代末の時点では、現代日本と似たような緊張関係があったのだと分かります。だからこそ、アートに接近させて語ることには、価値を見過ごされているものに「語るべき価値」を付与する作用はあるのだと思います。


——その「語るべき価値の付与」にはどんな副作用があると感じますか

アートという枠組みにイレズミを閉じ込めて良いのか、という点は常に考えています。むしろ私の疑問は「アートという枠組みを借りないと語れないのか」というところにあります。
私はイレズミを中心に、身体改造全体も研究していますが、この領域にはすごい技術がたくさんあります。その中で、イレズミの固有性はかなりはっきりしています。
だからこそ、もしも、「アート」という枠を借りないと語れないとなったときに、その特質を十分に説明しうるのか、という疑問が出てくる。単に、ハイアート/ローアートのような区分に当てはめようとすると、そもそもそういう話ではなくなってしまう。アルス(ars)という語源的な意味、つまり「技術・技芸」として語るならまだしも、今日の「アート」という言葉が持つ社会的・文化的な文脈では、当てはめることで逆に制限が生まれる。もともとその枠に収まらないはずのものなのではないかと思っています。


20年越しの問い直し

大貫先生が研究を始めた動機は「知りたいことが知れないから、自分でやるしかない」というシンプルかつ根本的なものだった。学術的な蓄積が乏しいなかで、自ら道を切り開くしかなかったのだろう。
しかし、インタビューを通じてより印象的だったのは、研究を始めてから約20年を経た現在、大貫先生がその出発点を問い返すような地点に立っていることだった。「アートという枠組みを借りないと語れないのか」——イレズミの学術的な語りの少なさを動機に大貫先生は研究を始めたが、その歩みの先で、今度は「語るための枠組みそのものが、語れる範囲を限定してしまうのではないか」という懐疑と向き合っている。
もちろん「アート」として語ることの意味を、大貫先生は否定しなかった。偏見を和らげ、見過ごされているものに「語るべき価値」を付与する。それは実際に機能する。

しかし、近代西洋において「技術・技芸(ars)」から切り離される形で成立した「アート(fine art)」概念は、その成立過程そのものに、ハイアート/ローアートという序列を抱え込んでおり、「アートとして語る」行為は、イレズミを序列の中に置くことでもある。不可逆的に身体と共にあること、生きた皮膚をカンバスにすること、絵を「彫る」という絵画理論にない技法——これらはその序列とは、そもそも別の次元にあるのだと強調されていた。
アートとして語ることで、イレズミ本来の特質を覆い隠すなら、救われるのは「アートとして認められたイレズミ」だけであり、それ以外はより暗い場所に追いやられ、認められたイレズミすら本来の文化と切り離されていくのかもしれない。それが、インタビューを通じて私が聞き取った懐疑の核心だった。


割り切れなさを抱えたまま

取材前の私は「紙の上では受容、皮膚の上では排除」というねじれに引っかかっていた。そして自らの原体験を引き付けて、その状況は見直されるべきだと考えていた。とりわけ、ほりものは国芳と共通する画題を多く持つのだからアートとして置かれるべきだ、と論を傾けていた。

しかし、大貫先生の語りはそのねじれを別の角度から照らし出した。問題は画題の共通性の有無ではなく、支持体の存在様式にあるという見立てだ。紙の上の浮世絵は歴史的距離のなかで相対化して鑑賞されるが、皮膚の上のイレズミは「カンバスが生きている」という固有性ゆえに、現在の価値観に晒され続ける。そして、その「現在の価値観」とは一枚岩ではなく、拒否と憧れが並立した曖昧な感情がある。冒頭で「排除」と一括りにしたものの内実も、それほど単純ではなかったのだ。

そう捉え直すと、アート化による位置付けの更新を求めた私の解法は、二重に的を外していたとわかる。ひとつは、排除を成立させているのが画題ではなく支持体の生きた実存性である以上、アートの棚に移し替えても生きた身体はそこから抜け出せない。もうひとつは前述のとおり、アートの枠そのものがイレズミの固有性を切り落としてしまうことだ。必要だったのは受容と排除の二項の内側で居場所を探すことではなく、割り切れないまま現実そのものを記述する言葉を持つことかもしれない。

振り返れば、私にとってイレズミは「おしゃれでかっこいい」ものとして立ち現れていた。その感覚は、社会に現存する負のイメージとズレていたからこそ、問いの出発点になった。大貫先生にとっても、「遠い世界の異物」として出会ったわけではなかったのだと思う。
イレズミは、アートとして美術館に飾られるべきものでも、公共空間から排除されるべきものでもなく、もっと生活の近くにあったものなのかもしれない。人の皮膚にあり、家族の記憶のなかにあり、冗談や気まずさ、あるいは後悔や恐れと一緒に語られるもの。制度やメディアの言葉によって一義的に定義される以前に、すでに人びとの生活のなかで、さまざまな距離感を伴って存在していた。

庭師の背中の墓石は、墓石という図柄そのものとしてだけではなく、それを彫られて生きている庭師と、それを見て冗談を言う曾祖父との関係性の中ではじめて意味をもつはずだ。図柄も、距離感も、関係性も、ひとつとして同じものはない。
その多義性を一つの枠に押し込もうとする身振りこそが、私が根本的に引っかかっていたものだったのかもしれない。にもかかわらず、私が最初に立てた問いは、その構造を免れていなかった。いま私がすべきなのは、イレズミを何らかの価値ある枠組みによって擁護することではないのだろう。

それでも、「イレズミのある方の入場はお断りいたします」この掲示はいまだ私の日常に存在する。その前に立つとき、私はまだ何と言えばいいかわからない。擁護する言葉も、告発する言葉も、どこかで枠に押し込める動きを伴う。言葉を選ぼうとするほど、言葉が遠ざかる。けれど、その沈黙は掲示への同意とは違う意味を持つと信じたい。


執筆者プロフィール

米林空(Sora Yonebayashi)
京都芸術大学アートプロデュース学科に在籍し、絵画と身体の関係を中心に、メディアの差異がイメージの意味や機能をいかに変容させるのかを研究している。とりわけ歌川国芳《通俗水滸伝豪傑百八人之一個》と日本伝統刺青「ほりもの」の関係に着目し、支持体と技法の転移が、図像に向けられた願望をどのように変容させるかを、メディア論・表象文化論の観点から分析している。これまでにArt Collaboration Kyotoのキッズプログラムで鑑賞ワークショップの企画・運営、DOUBLE ANNUALでのアートプラクティショナー、アート・コミュニケーション研究センターでの運営アシスタントなどに携わってきた。