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アートと政治のはざまで 、タイに春は訪れたのだろうか。Faisとの再会・チェンマイ・クロニクル
文:三浦宗民

2026.06.07
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何故、タイ行きの飛行機に乗っていたのだろうか。

合計、3度目のタイ渡航。2017年、高校生2年生の頃、バックパッカーの聖地、バンコク・カオサン通りへ。次に2022年、仕事でコーヒー農園へ訪問した。3度目のタイ渡航、向かう先は、古都・チェンマイ。カバンにはカメラフィルム、ポラロイドを大詰め。肩書き、大学院生・アートスチューデントとでも言うべきか。

僕はたまたまスマホに頼って旅をするのが嫌いなので「地球の歩き方」を持っていたが、口伝えで聞いた話によれば90年代には旅のガイドブックなんぞ、なかったという話。変わりゆく世界のリアリティにガイドブックは追いつけるのだろうかと考えながら、いつも旅の行く先はおとなしく、的を得た理由やガイドブックの指針よりも、案外、人に会いにいく口実以上の理由はない気がする

今回の旅では、Kyoto Gathering for Asian Art Students 2025【*1】で出会ったチェンマイ大学芸術学部メディアアート&デザイン学科(Chiang Mai University, Faculty of Fine Arts / Media Art and Design)4年生(2026年2月取材時点)のFais Hadsaram(ファイス・ハッドサラム)に再会した。アートという言語に触れて以降、チェンマイ・ソーシャル・インスタレーションという文脈が根付く場所で学ぶ同世代と、京都という場所で学ぶ私たちには、どのように交差点をつくることができるか 、そんな漠然とした問いを手がかりに、インタビューを行うことにした。 STUDENT’S ARTICLESという枠、言論の場として、設けられるコラムには、この出会いや関係性の空気感、過ごした時間も生きた証言として残していきたい。


選挙と政治

Threadsを開いてみると、嗜好に沿った情報がアルゴリズムに調整され流れ続ける。この情報の洪水、氾濫に意味を見出せず、アプリを削除。2月1日、渡航前に期日前投票を終え、2月3日、チェンマイについた。何かと選挙に関して溢れ出す情報から逃げ出せたと思いきや、チェンマイの古風な街中で遭遇するのは、無数の選挙ポスター。2026年2月8日、日本では、衆議院議員総選挙が行わるのだが、同日、偶然なのか、必然なのか、タイでも下院総選挙が行われる模様だ。
2月7日、Fais Hadsaram(以下:Fais)がチェンマイ大学を案内してくれるということで、校舎へ向かう。最後に会ったのは、京都でCLUB METRO【*2】のイベントに行ったとき以来。

校舎について最初に見えるのは、グラフィティに満ちている壁。京都の大学でこの類の落書きが許される場所は、吉田寮か熊野寮だけではないかと思うのだが。かつて、日本・京都にも存在していたのかもしれない、そんな生々しい、目新しくも懐かしい気になる校舎を歩きながらFaisと話し合った。

チェンマイ大学芸術学部メディアアート&デザイン学科の校舎内の壁面

2025年11月の京都、CLUB METRO付近で、Faisを含むKyoto Gatheringに参加した学生たちと過ごした。
7月の参議院選挙の後であったこともあり、街中にはポスターが貼られていた。政治の話をしている中で、排外主義や「日本人ファースト」というスローガンに対して、どのような雰囲気なのかという質問を受けた。


ソンクラーからチェンマイへ、アートと政治のはざまで声を運ぶ

ーー今、チェンマイでは何を勉強しているの?

チェンマイ大学の芸術学部でメディアアート&デザインを専攻している。タイでメディアアートの分野は、伝統の絵画や彫刻に比べて、新しい分野だと思われている。


ーーどういうきっかけでチェンマイへ、アートを学ぶことになったのかな。

まず、僕は今まで運がよかったと思うよ。タイでアートを勉強するということは、まだまだ難しい点が多い。まず、裕福な家で生まれないと純粋美学だけでアーティストになることは、難しいと思う。僕たちは、サバイバルする必要があるから、グラフィックとかウェブのスキルを身につけるのが結構大事で、メディアアート&デザインでも、それ目当ての学生が多い。ただ、目の前のスキルが単に職能のためだけのものではないということに気づくと、作品をつくらずにはいられなくなるのだと思う。アーティストにとって、誰しもアートに出会う原体験はあって……私は幸いにも出会えたので、運が良い方だと思っている。
今、所属しているゼミのWorathep Akkhabutr (ウォーラテップ・アッカブータ)教授に出会ってアートの深さを知ったんだけど、そもそも出会い以前に、まず、大学へ入って学ぶことが許された環境にいれたことは大きい。母は地元で政府関係の公務の仕事をしていて、教育の重要性を知っている方だった。母は、僕らベビーブームの世代と異なって、才能を広げられるように、子どものころから好きなものに夢中になれるように応援してくれた。高校最後の年は、コロナ・ウィルスの流行によって、学校にいくことができなかったけど、その時間、たくさんのビデオアートの作品、ポートフォリオをつくり、タイの北部にある大学を受験した。実は、母もチェンマイの大学を卒業していて、タイの北部にいくという選択肢が視野にあったので、母の知恵に導かれたことはラッキーだったと思う。
最初、入学したときは、メディアアートというものが、どういうものか全くわからず、漠然とデザインという言葉に惹かれて入学を決めたけど、振り返れば、この選択そのものが、運の良い巡り合わせだったのかもしれない。

インタビューしたFais Hadsaramくん。


ーー出会い、運に導かれて、今、チェンマイにいるのね。元々、地元はどこだった?

僕の地元は、ソンクラー県(Songkhla)ムアンソンクラー郡(Mueang Songkhla)というタイの南部にあって。元々、タイにはアユタヤ(Ayutthaya)、ランナー(Lan Na)、パッターニー(Pattani)など、様々な国があり、20世紀初に、シャム(Siam)王国がそれらを統一するこで、今のタイ王国の地図に定まった。【*3】僕の地元は、地図の線が変わる経験をしている。
シャム王国、今の政府は、色んな発展のためにプロジェクト、近代化に力をいるけど、中には、葛藤を生んでいる政策も多い。特に地元のソンクラーをはじめとして、タイの南部は、言語・文化的に親和性の高いマレーシア領へ編入されたいという意見も多く。実際に、タイ南部では、マラユ(Bahasa Melayu)というマレーシア語系の言葉を話す人々も多くいることが実情だね。
だから、50年以上前から、今まで分離独立運動が起こっていて、山岳エリア―にはゲリラも潜んでいる。どの国においても、政府における不信感というものが一定はあると思うけど、タイも論外ではない。特に、僕の地元では、軍人がテロリストやゲリラだと疑われる人がいたらいたら、軍事キャンプに連れていき監禁をすることもある。これは、今も起きていることだね。


ーー監禁!?それは倫理的に大丈夫なのか。

対立事はどちらが正しいと正解を決められるものではいけど、どんな理由であれ、人道的に許されてはいけない線というのはあると考えている。
私の制作している映像作品のコンセプトにも、このような不条理な現状を作品の要素として取り入れ、映し出したいと思っていて。台湾のフィルムフェスティバルで作品を発表したことがあるけど、タイトルは「Substance(実体)」という内容で、まさに地元の現状を題材にした。

「Substance (実体:สารภาพบาป)」は、イスラーム教の聖典クルアーンやアラブの民間伝承に登場する、人間とは別の「煙のない炎」から創られた目に見えない超自然的な精霊・霊的存在、ジン(Djinn)やその他の非人間的存在にまつわる物語が、コミュニティのレジリエンスや道徳的想像力、そして微細な抵抗の実践を担う媒体としてどのように機能しているのかを考察すると同時に、地域を恒常的な危険地帯として描く国家のステレオタイプにも向き合う映像作品である。


ーーFaisにとって、アートと政治は、どのように絡んでいるか気になる。

まず政治について話す際には、タイの王室に対する評価が重要になるけど、僕としては批判的に捉えたい論点が多いと感じている。現状として2021年以降、タイでは法を用いて、批判的な意見を持つ者に対する抑圧、暴力が本格的に行使されるようになった。たくさん人々が起訴・逮捕され、裁判が進行するあいだ拘束され、デモの鎮圧過程では物理的な暴力も多く発生した。
それは、不敬罪と呼ばれる刑法112条による規制の緩和と強化をめぐる問題で、タイ式の民主主義の課題をあらわにすること。2018〜2020年頃までは、112条の適用は一時的に抑制されていたが、2020年末から2021年にかけて再び積極的に適用されるようになったことが、今に関係している。被告人たちは、自らの事件を正当に弁護する十分な機会を与えられないまま拘束されることもあった。以前、海外から来た友人にタイの政治について尋ねられ、冗談半分で「Collapse(崩壊)」と答えてしまったね。
民主主義において重要なのは、誰もが声を上げることができるということだと思っているけど。現在のタイでは、それが容易ではない。ただアートは、メディウムを通してメッセージを間接的に声を伝えることができる。チェンマイ大学に通う僕の友人の多くは、表現の中で、政治的なエッセンスを組み込んでいて、よく題材にされるのがタイの王室(Royal Family)が進めている開発プロジェクト【*4】のこと。一見すると、社会貢献活動だと思われやすいけど、開発ということが持つ両義性、矛盾は必ず潜んでいるよ。

タイ北部チェンライ県のPha Hi Villageにて、コーヒーチェリーの選別を行う農家。
ロイヤルプロジェクトの一環として、タイ北部ではアカ族(Akha)による換金作物としてのコーヒー生産が1970年代から増加した。


沈黙に一石を投じて、波紋として広がる表現

ーーそうした政治的な不条理に対して直接的に行動を起こすこと(アクティビズム)と、アートや作品をつくることは、どのように関わると思う?

アートは「間接的(indirectly)」に、無意識にとどまるような言葉で伝える。だから時間が経ても誰かの記憶に残り思い出させる力がある。アートは、沈黙している出来事に、一石を投じることができると思うんだ。
不条理な状況に対して直接的に声を上げることは、刑法第112条【*5】に引っ掛かり捕まる危険性を潜んでいる。その中で、僕たちが人々と連帯していくために、コミュニティだけがわかる暗号、コードが必要だと考えている。問題に対して瞬間的に抵抗することが許されないならば、時間が経てからも自発的に問題意識が生まれるように働きかけることも重要で、その意志を投じることがアートがアクティビズムに寄与できる一つの役割かもしれない。
特に、2000年代以降のタイの政治は、総選挙→赤シャツ派の勝利→黄シャツ派の反対運動→国内混乱→クーデター→軍政→新憲法制定→総選挙【*6】という負のサイクルに陥っている。これを「赤シャツと黄色のシャツ」の対立と呼んでいるけど。
街頭では、王室支持を象徴する黄色いシャツを着た反首相派と、首相支持を示す赤いシャツの人々が対峙し、政治的対立は社会全体へと広がった。
もちろん、アートの目的とアクティビズムの目的が衝突することもあって、実際、チェンマイ大学芸術学部の学生の多くが環境、政治、社会の問題を題材に作品を制作しているかといえば、一概にそうはいえない。ただ、一度意識が目覚めてしまうと、根源的な思索は止められない。そうして考え続けて作品をつくってきた仲間も多くいる。「目覚めてしまった感覚」を生み出すことに、アートは一つの役割を果たしているのだと思う。

チェンマイ市内で撮影した公園のオブジェ

ーーこれって、一国の問題にとどまらず、民主主義のあり方そのものに関わる問題を聞いている気がするね。

チェンマイという街は、移民、移住、難民とあらゆる人々が混ざり合う場所であるようにも思える。だから、暮らしの中の民主主義や政治について考えていくと、それは単に街やタイという枠組みにとどまるものではなく、その背後にある力学がアジア全体へと広がる構造的な問題であることにも気づかされる。
例えば、タイの民主主義の歴史の中で取り上げられる血の日曜日事件【*7】は、独裁政権に抗議し、民主化要求と政治犯13人の解放を求めた学生たちのでもだったけど、武装警察が弾圧に動き発砲し、学生側に犠牲者や負傷者が出てしまった。
その学生運動の中心地であったタマサート大学では、香港の当時、学生で民主化運動家である黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏を呼んで「雨傘運動」【*8】に関する講演を企画していたけれど、タイ当局が事前に受け取っていた情報に基づきブラックリストに登録されていたとされ、入国を拒否されたんだ。結局は、タイのバンコク国際空港で拘束され、強制送還された。
そのブラックリストが誰によって、どのような力のもとで作られているのかという問いは、一国の問題にとどまらない。こうした出来事を踏まえると、国家間で共有される政治的な圧力や統治の論理が存在している可能性も見えてくるのかもしれない。
タイの政治状況は、広くはアジアにおける民主主義のあり方とも接続しているように思えた。だからこそ、目の前の不条理に意識を向けることは、より広い地域に暮らす人々の生や自由へとまなざしを向けることとつながるのではないかな。

チェンマイで週に一度だけ開かれるYunnan Flea Market。地元の農家に加え、山岳民族、チェンマイに移り住んだ雲南華僑や雲南ムスリムたちも出店しており、並べられている食材や調味料などのバリエーションが豊かである。羊肉、漬物、納豆なども見つかる。


コミュニティに根ざし、混ざること、知と表現をひらくこと

Faisとの熱い話し合いの後、Fais以外の人にも話を聞きたいと思い、彼のゼミの指導教員でもあるWorathep Akkhabutr教授の研究室を訪れた。

ーータイで芸術を学んだ学生にとって、卒業後に問われるものは何だと思いますか?

卒業後に直面するだろうリアリティは、厳しいものです。私が90年代にキュレーションを始めたときに比べて、技術や経済は発展していますし、アートインダストリー、そのものにアクセスがしやすくなったと思います。しかし、変わらずや機会は不均一に分布しており、実際に多くの学生が、卒業後は、一度、バンコクに出て、何かしら仕事をすることになるでしょう。
私が常に学生たちに話しているのは「文化的な協奏、つまりコラボレーションを続けることが、政治よりも強いメタファーとして社会に働きかける力を持つのは文化である」ということです。だからこそ授業では、卒業生を招き、アーティストとしての卒業後のキャリアについて話してもらっています。彼ら・彼女らの話に共通しているのは、記憶やトラウマ、感情といった目に見えない要素に素直になることが、長い目で見れば、自分を導く指針になるという点です。
卒業後にどのような仕事に就くかは人それぞれであり、その進路は多様です。ただ、タイ全体として見れば、環境、政治、社会をめぐる問題は深刻さを増しています。チェンマイを離れ、バンコクのような都市化が進んだ場所へ移ると、優しさや穏やかさの根源が失われてしまうこともあります。そのような激しい状況の中でこそ、私は学生たちにナレッジ・プロダクション(知識生産)という力を身につけ、自らの立ち位置で実践していってほしいと考えています。
本来、このプロセスは新しい価値を単純に量産するものではありません。知識がどのように「つくられるのか」という過程そのものであり、社会構造やパワーバランスの影響を受けながら形成されていくものです。そしてチェンマイは、そうした構造や力関係を身体的に感じ取ることのできる場所だと思います。ミャンマーからの移民や少数民族、山岳地帯出身の人々が共に暮らし、多様な宗教が混在しながら生活の中に息づいています。かつてはバンコクに憧れた時期もありましたが、チェンマイのように、ナレッジ・プロダクションのプロセスを自らの経験として体感し、実践できる場は貴重だと感じています。

Worathep Akkhabutr教授の研究室にて、突撃訪問だったので、申し訳ない限り。アットホームな空気感が流れていた。

ーー90年代を振り返る展覧会【*9】をタイでもいくつか見る機会がありました。先生ご自身はその後の変化をどのように捉えているのか気になります。

90年代と比べると、私はアートインダストリーに限らず、領域を越えたコラボレーションの重要性をより強く感じています。チェンマイはアートを学ぶ場所として「DIY(Do It Yourself)」の精神が根付いている街だと思います。現在は観光地として、何らかの収入を得る手段もありますし、街としても先人たちの歴史的文脈がしっかりと息づいています。
チェンマイ・ソーシャル・インスタレーションは、表現の場を求めていた若いエネルギーによって、内発的に始まった運動であり、それは90年代のことです。現在ではテクノロジーへのアクセスも広がり、土地の文脈をより広く発信することも可能になっています。
ローカルで生まれる生き生きとした動きを、ローカルに閉じたものにせず、複雑な世界の中でも、一人ひとりが感情を忘れずに関わり続けていくことが重要だと思います。そうしたダイナミックな協奏を続けていくことこそが、先に述べたナレッジ・プロダクションの本質的な実践だと考えています。

・・・

Faisは、この先アートとどのように関わり、サバイバルしていくのかについて、まだ明確な答えを持っていないように思えた。私自身も同じく、その問いに対する答えは正直なところわからず、迷い続けている。だからこそ、こうしてチェンマイにまで迷い込んだのだろう。


ーーアーティストとしてのゴール、今はどんなことを想像しているのかな。

多くの人々は、僕の地元で何が起こっているのかを知らない。メディアアートは、作品としてメッセージを伝えることもできるし、上映という方法を通して複数の場所で見せることもできる。卒業後、アーティストとして活動を続けていけるかは未知数な部分も多いが、それでも作品は見せ続けていきたい。
また、そもそも自分が今このような視点を持つようになった理由に、母の知恵や恩師たちとの出会いがあったからだと思う。教育の役割はとても大きくて、タイ南部のアートは、そのコンテクストをより広く伝えうるポテンシャルがあると思う。これまでタイ政府に対する批判的な視点について話してきたが、プーケットよりも南部では、その問題がより顕著に現れている。今も日常の中に軍の存在を感じ、ゲリラへの備えとして、各検問所には銃を持った重装備の軍人が配置されていて、その結果、地元の住民たちは24時間、監視下に置かれながら生活している。
チェンマイで過ごした時間は、ある意味では学びのための逃避だったとも思うけど、逃げた故に得た経験を地元にしっかり還元したいんだ。地元に帰ること、そして還すこと。このことだけはゴールとして変えずに、これからも持ち続けたいと思う。


ーー地元のコミュニティに持ち帰るようにしたいという意志があることをリスペクトする。忙しいところ、学校案内、インタビューをありがとう!

Kyoto Gathering for Asian Art Students 2025の際に撮影したポラロイド写真。


雲をかすめるような音を残して、飛行機はどこへ向かうのか

2026年2月12日は、Faisに誘われ、チェンマイ大学で行われているイベントへ足を運んだ。

RMITベトナム校 デジタルメディア(インタラクション)講師のパトリック・ハルトノ博士を迎えたワークショップで【*10】音響・視覚体験を生むインスタラクションを限られた時間の中で、制作するという内容。最終日の今日は、メディアアート&デザイン学部の屋上での披露会が行われる。夜の20時からはじまり、22時を過ぎる間で行われた会の中で、学生たちはビールを販売し、片手で飲みながら互いの作品の披露が終わると拍手とエールを送り合う。大学敷地のすぐ隣に空港があるために、手を伸ばす衝動を誘う、飛行機は手が届きそうな気がするほど低く屋上を横切っていく。

飛行機が横切るたびに風が吹き込んでくるのだが、そのエンジン音や風の音も環境音として、屋上に流れる音楽と溶け込んだ。頭の真上を飛行機が通る経験、見方を変えると、これが世界のふつうかもしれない。音楽と飛行機の音に、旅の疲れが遠くに飛ぶ気がした。
真実の輪郭が曖昧になりつつある時代。戦後の時代は終わり、新しい戦前の時代に突入したのかもしれないと感じさせるほど、紛争や独裁、数えきれない問題が反復している。

そんな世界の中で、私たちは混沌を知覚しながら「アート」という言葉を共有しようとする。それがどれほど小さな営みに見えたとしても、その問いを手放したとき、何か大切なものが確実に終わってしまうのではないかと。だからこそ、私たちは、アートという問い、そのかすかな輪郭に触れ続けていたい。

パトリック・ハルトノ博士によるワークショップ、披露会の様子。


※本記事の取材は英語で行われ、記事は日本語で執筆された。


[*1] KYOTO Gathering for Asian Art Students(アジア美術系大学学生会議)は、東南アジアおよび東アジアの学生が集い、アートを通じた相互理解と地域理解を深めるとともに、次世代のアーティストやキュレーターを中心としたネットワークの強化を目的とする、3日間の合宿型イベント。2025年11月12日~14日に開催された。

【*2】CLUB METRO|京都メトロは、1995年に京都でオープンした老舗クラブであり、現存するクラブの中でも京都最長の歴史を持つ。クラブカルチャーの黎明期から独自のブッキングを行い、音楽を中心に映像やアート、ペインティングなど多様な表現を発信してきた。代表的な例として、ダムタイプのメンバーとシモーヌ深雪らによって開始されたパーティー「ダイヤモンドナイト」は、約30年にわたり継続され、2018年には森美術館での展覧会においても紹介された。

【*3】シャム王国(現タイ)は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、欧米列強による植民地化を回避するため、ラーマ5世のもとで近代化改革を進め、中央集権的な国家体制を構築した。この過程で、首都をチェンマイとするラーンナー王国などの周辺地域が段階的に編入され、バンコクを中心とする統治体制が全土へと拡張された。

【*4】ロイヤルプロジェクトは、1969年にラーマ9世によって開始された開発プロジェクトであり、北タイの山岳民族地域における貧困問題およびアヘン栽培に依存した生計構造の転換を目的としている。代替作物の導入や農業支援を通じて、コーヒーや蜂蜜、手織りテキスタイルなどの生産が推進されてきた。

【*5】タイの刑法第112条は「不敬罪」を規定し、国王や王族への誹謗中傷や侮辱に対し、3年から15年の禁錮刑を科す厳しい法律である。インターネット上の投稿も対象となっており、近年は複数の罪状により長期の刑が科される事例も報告されているなど、適用の厳格化が指摘されている。政治的対立と結びついて運用される側面もあり、改正を掲げた野党が違憲判断の対象となり、解党に至る事態も生じた。国際的にも批判が見られ、同条の改正や削除をめぐる議論は続いているが、制度的制約の中で実現には至っていない。

【*6】2000年代以降のタイ政治は、総選挙においてタクシン派(赤シャツ派に支持される政党)が優位を占める一方で、これに反発する王党派・保守層(黄シャツ派)による街頭運動が激化し、政情不安が繰り返されてきた。こうした対立の中で、2006年および2014年に軍事クーデターが発生し、軍政下で新憲法が制定されたのち、再び総選挙が実施されるというサイクルが反復している。

【*7】1973年10月14日、バンコクで民主化を求める学生・市民の抗議に対し軍が発砲し、多数の死傷者が出た(血の日曜日事件)。この民衆運動を契機に民主化が進み、労働運動や学生運動、さらに武装闘争路線をとるタイ国共産党の活動が活発化した。しかし、1976年10月6日には、タマサート大学での学生演劇が王室への不敬とみなされ、右翼勢力が武装して大学を襲撃・発砲し、多くの犠牲者が出る事件が発生した。タイでは、何故かこうした政治的悲劇が10月に集中していると語られることもある。

【*8】雨傘運動(Umbrella Movement)は、2014年9月から12月にかけて香港で展開された民主化要求運動であり、中国政府が制限した選挙制度に反発する学生や市民によって行われた大規模な抗議デモである。参加者は警察の催涙ガスやペッパースプレーから身を守るために傘を使用し、その象徴性から「雨傘運動」と呼ばれるようになった。その影響もあってか、王宮前広場で行われるタマサート大学の学生たちの集会でも、傘を広げて集う光景が見られるようになった。

【*9】チェンマイのMAIIAM Contemporary Art Museumで開催中Araya Rasdjarmrearnsook:The Bouquet and the Wreath、同館の常設展IPHITMAYA COLLECTION:「Feeling in the 1990’s」バンコクの
タイ初の国際現代美術館「Dib Bangkok」の(In)visible Presence。Araya Rasdjarmrearnsook、また、(In)visible Presenceで、展示の3章を構成したMontien Boonma、Navin Rawanchaikulは師弟の関係で、90年代にはじまるチェンマイ・ソーシャルインスタレーションを代表する人物たちである。1990年代、既に国際的に評価をされドイツから帰国したAraya Rasdjarmrearnsookは、当時、チェンマイ大学の教員の中で唯一の女性だった。また、チェンマイ大学を拠点に、多くのアーティストを育成したMontien Boonmaによる作品《Vipassana-Vessel》(1993年)は、教え子だったNavin Rawanchaikulによって、2020年再制作されるなど、(「Artist-to-Artist:Independent Art Festivals in Chiang Mai 1992-98、David Teh and other Authors」参照。)当時の動きやチェンマイ・ソーシャル・インスタレーションという動きそのものの系譜化と、海外に向けた発信が、展覧会を通して行われているように、リサーチからはうかがえた。

【*10】以下、ワークショップに関する投稿になる。
https://www.instagram.com/p/DUkhXDRklwE/

(※上記全URL最終確認2026年4月1日)



インタビュイープロフィール

Fais Hadsaram(ファイス・ハドサラン)
2003年生まれ、タイ・ソンクラー出身。チェンマイを拠点に活動するアーティスト。国家権力やデータによる統制、そして「消失」の可能性を主題に、監視社会における現実と存在の再構築を探究している。映像、インタラクティブ・アート、サウンドを横断しながら、人間がデータや不確定な存在へと変容していく状況を通して、現代社会における権力の論理とアイデンティティの揺らぎを提示する。Contact: Email Twmega25@gmail.com

Worathep Akkabootara(ウォラテープ・アッカブータラ)
1976年、シーサケート生まれ、ウォラテープの関心は、現代美術に関する執筆、リサーチ、キュレーションに及び、特に日常生活の中で生じる社会的ダイナミクスや地方レベルの危機に焦点を当てている。彼は2013年の第55回ヴェネチア・ビエンナーレにおけるタイ館の共同キュレーターを務め、ソムスダー・ピアムスムリットとともに《Safe Place in the Future (?): Dystopia Now Utopia Never》を企画した。キュレーションによる展覧会は、ジム・トンプソン・アートセンター(バンコク、2012年)や、ラサール大学美術デザイン博物館(MACD、マニラ、2013年)などで開催されている。また近年では、シンガポールの「Art & Market」ウェブサイト上で自身のリサーチ・ジャーナル『S.O.E: We Trade Everything』(2023年)を発表したほか、チュラロンコン大学社会研究所の後援による研究委員会との共同研究として、「Knowledge Production Studies Initiative: Southeast Asia as Method」(2022年)を執筆している。

執筆者プロフィール

三浦宗民(Miura Jongmin)
2000年生まれ、アートプラクティショナー。アジアにおける複数の地域・言語・文化の横断や、そこにはたらくさまざまな力学、流動性の中で個人や集団の記憶・記録の交差と生成に関心を持つ。制作者としての表現に限らず、実践の在り方やそのあわいを探り、主に現代写真を中心とした制作実践、企画運営のサポート、ライティング、通訳・翻訳などの実務を行う。
「A Living Home, a Dead Home_同世代写真の今を観測する」(京都,2026)の企画運営・キュレーションし、「Delicacy at Ogijima Island, Japan 細軟 #002 日本男木島」(香港,JCCAC,2025)、「Dry Land: A Liminal Cartography /乾いた土地:境界の地図学」(京都,2026)、「物語に騙られない語りのために(京都,2026)」にアーティストとして参加する。2026年、京都芸術大学大学院芸術環境専攻卒業。