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Out of Kyoto
006 森山大道としてのアンディ・ウォーホル
文:小崎哲哉

2026.06.17
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森山大道「A Retrospective」
京都市京セラ美術館 本館 南回廊 2階
(本記事内の全てのクレジットは以下の通り)
Presented by Sigma
Exhibition organised by KYOTOGRAPHIE and Instituto Moreira Salles
In collaboration with Daido Moriyama Photo Foundation
©︎ Kenryou Gu-KYOTOGRAPHIE 2026

表現の主題にタブーはない。制約となるのは物理法則と法律だけである。結果として作品が玉石混淆となる中で、志の高い表現者は「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という「珠玉」の主題を選んできた。ひとことで言えば「世界と私」である。世界とは何か、私とは何か、世界と私の関係とは何か。

このような表現者は二種に分かれるように思う。哲学者と収集家、世界の理(ことわり)を求める者と要素を集める者である。世界の全体像は誰にも俯瞰できないから、法則をつかむか、なるべく多くの要素を通して想像するしかない。現代アートにおける前者の代表はマルセル・デュシャン、後者はアンディ・ウォーホルだ。

もちろんこれは極論であって、デュシャンにコレクター気質がなかったわけではない。また、ウォーホルには『ぼくの哲学』【*1】という著書がある。しかし前者は『グリーン・ボックス』や『不定詞で』に含まれるメモからわかるように理を探究した思索家であり、後者の「哲学」は楽しいながら冗長なおしゃべりに過ぎない。

一方、ウォーホルの収集癖は半端ではない。チケットや請求書からハンバーガーの包み紙まで、新聞・雑誌からファウンド・フォトまで、靴や洋服からケーキなど食べ物まで、玩具から古美術品や剥製のライオンまでを集め、段ボール箱にしまいこんで開けることは生涯なかった。最終的に600を超えた箱は『タイム・カプセル』と名づけられ、ピッツバーグのアンディ・ウォーホル美術館に保管されている【*2】。

少年時代には映画スターや著名な小説家にファン・レターを送り、返信やサインを集めていた。ニューヨークに出てからはカメラを持ち歩き、有名人の写真を撮ったりサインを求めたりした。絵画、シルクスクリーン、写真、映像によってつくられた膨大な数のポートレートは、有名人を記録・収集したものと見なすべきだろう。自ら創刊した雑誌『インタヴュー』や、ホストを務めたテレビ番組も同様である。

「時代の鏡」と呼ばれることが多いウォーホルは、むしろ時代を写すことによって世界を所有したかったのではないか。有名人は、ブリロ・ボックスやキャンベルのスープ缶などの商品、ポパイやミッキー・マウスなどのキャラクター、事故を報ずる新聞記事や電気椅子の写真などと並んで、自らの世界を構成する素敵な要素だった。それらを物理的に、あるいは仮想的に集めることによって、天才アーティストは所有欲を満足させていた。

「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2026」で森山大道展【*3】を観て、森山がウォーホル型の世界収集家であることをあらためて確認できたように思う。ストリートの写真家はポップ・アートの王への関心を公言し【*4】、シルクスクリーン作品を制作し、『プロヴォーク』3号(1969)にスーパーマーケットの棚に並ぶ缶詰や洗剤の写真を寄せている。それは単なる憧れによるオマージュではないだろう。ウォーホルの世界との関わり方に自分と近い匂いを嗅ぎ取ったのだと思う【*5】。中平卓馬を「論理的(ロジカル)」、自らを「感覚的(プレ・ロジカル)」と形容している【*6】ことからは、「植物図鑑」【*7】を目指した盟友はデュシャン型、自分はウォーホル型と認識していたことが察せられる。ただし「写真というものを、果ての果てまで連れて行って無化してみたかった」【*8】と思ってつくったという『写真よさようなら』(1972)からは、「『アートの』ではない作品をつくれるか」と自問してレディメイドを着想したデュシャンが想い起こされる。

「量のない質はない」【*9】と語る森山が1日に何枚撮っているかは知らないが、カメラは世界を視覚的に収集するのに最良のツールである。森山は60年を超える写真家人生を通じて、そのことを意識しながら世界を切り取り続けてきた。ウィージーのような「アクシデント・カメラマン」になりたかったと述べたこともあるが【*10】、被写体は狭義のアクシデントに限らない。中平との対談で「例えば人が朝、家を出て夜また家に帰るまでいろんなものを見るわけでしょう。それを全部白日のもとにひきだしてみる、そんな意識があった。[中略]いっそのこと何から何までぼくの眼に入るものは全部写真にしてやれという気になった。そのような意味ではぼくにとっては世界は一つしかない。あるいは世界が在ってぼくが在る、そしてその関係こそ世界だ」【*11】と語っている。「シャッターを切ることはとても簡単なことですが、やはり写真を撮ることはむつかしいことです」【*12】と綴ったときには、文中の「写真」に「このよ」とルビを振っている。

晩年までのウォーホルにとって世界とはニューヨークとハリウッドでしかなかったが、森山にとっての「このよ」は、横須賀、大阪、新宿からパリやハワイに至る各地の路上であり街だった。オリジナル・プリントにこだわりのない森山は「黒味の強い写真が大量に出回ったグラビア印刷時代の申し子」【*13】であり、オフセット印刷の雑誌や写真集においても白黒の紙面はコントラストが強く黒が際立っている。作家はこのように世界を見たいと思って暗室作業を行っているわけであり、その意味で森山の作品は、ロザリンド・E・クラウスが述べた「指標」的写真と一線を画する【*14】。ジョン・シャーカウスキー的に言うなら「とられた」(taken)ものでありながら、「つくられた」(made)ものでもある。【*15】

森山は「写真っていうのは印刷して、なんぼと思っている」【*16】と述べ、主な発表の場を印刷媒体にしてきた。「KYOTOGRAPHIE」の展示は、その事実をしっかと踏まえた上でつくられている。主催者によれば、額装したプリント180点に加え、壁面に大型イメージが400点強、展示ケースに書籍が201点並べられた。内31冊は、白手袋などを嵌めることなく、直接手に取って閲覧することができた【*17】。初出誌に触れられれば素晴らしかったが、さすがにそれは無い物ねだりだろう。こうした展示が増えることを望むにとどめておく。

ウォーホルは1980年代初頭以降、政治社会状況、宗教・神話、さらには哲学的主題としての死に関心を拡げた。つまり世界が拡がったわけだが、それは知人、友人、そして恋人がHIVに感染して死んだことが大きかったに違いない。1962年の「129 Die in Jet」は巨大航空事故を報じた記事の複写だが、事故は他人事に過ぎず、世界の一要素でしかなかった。20年後のAIDSは、自身にも十分に起こりうる現実的な恐怖感を伴っていた。

最晩年の1985年に上梓した写真集『AMERICA』【*18】には、全米各地で撮影されたスナップが収録されている。過去に撮影した有名人の写真も含まれるが、路上で働くタンクトップ姿の黒人、障害のあるパフォーマー、政治的なデモ行進、「[オークション・ハウスの]サザビーに騙された」というボードを胸に吊した老人、ケンタッキーの競馬場、墓地や墓碑など、青壮年期のイメージとは異なる写真が目立つ。頁を繰っていて森山の言葉を思い出した。


ボクには何よりも先にまず死というものがある。それが四六時中頭を去らない。[中略]たとえばこうしていまあなたとしゃべっている瞬間、シャッターを押している一せつな、ふっとそんな観念から開放[ママ]される瞬間がある。それはまさに珠玉の一瞬間だ。[中略]珠玉の瞬間のために生きつづけるほかない。【*19】


森山が世界収集を思い立った根源には「死」がある。ウォーホルが「世界」を拡大させるにも「死」の認識が必要だった。この小文の題名の所以である。



※2026年6月24日に新潮社から刊行される『写真があってよかった。─森山大道伝─』の著者・大竹昭子さんと筆者・小崎さんとの対談が6月27日に京都一乗寺の恵文社で開催されます。詳細は以下をご覧ください。
恵文社一乗寺店「『写真があってよかった。―森山大道伝―』刊行記念」note


【*1】 Andy Warhol, The Philosophy of Andy Warhol: From A to B and Back Again, 1975

【*2】 The Andy Warhol Museum. “Time Capsules.”

【*3】 「DAIDO MORIYAMA 森山大道 A Retrospective」(2026/4/18-5/17。京都市京セラ美術館 本館 南回廊 2階)。キュレーターはチアゴ・ノゲイラ。これまで南米、西欧、中欧7都市を巡回したそうである。京都展の会場デザインはおおうちおさむ。
 なお、八竹庵(旧川崎家住宅)で開催された「Photo book! Photo-book! Photobook!」展では、200冊に及ぶ南アフリカ関連の写真集をやはり手に取って閲覧できた。キュレーターはショーン・オトゥー。

【*4】 例えばサンフランシスコ近代美術館によるインタビュー。
「森山大道が語る写真のエッセンス」SFMOMA

【※5】 藤枝晃雄は同じ年に「『プロヴォーク』誌三号における彼の写真は、芸術家としてのではなく、写真家としての彼を裏切っていると言わなければならない。つまり意図がどうあれ、ウォーホルが作り出した畢竟、芸術という現実がそのまま使われている。森山は、ここでは意識してウォーホルに現実を見ているのであろう。これは写真におけるイメージの表現にかかわる事柄である。そして、これを芸術として見ることは、さほど重要ではないように思われる」と書いている(「森山大道 世界を等価値に見る」。1969年12月刊『季刊写真映像』第3号。2017年刊『モダニズム以降の芸術 藤枝晃雄批評選集』に再録。pp.483-488)。紙幅に制約があったせいか言葉足らずの感が否めないが、ポップ・アートが現実を芸術化し、それ自体が現実の一部になったことを批判的に疑問視しつつ、森山の被写体選択を難じているようにも受け取れる。正しい指摘かもしれないが、森山にとっては大きなお世話だったろう。

【*6】 森山大道『犬の記憶』河出文庫版(1984/2001。p.238)

【*7】 中平卓馬『なぜ、植物図鑑か』(1973)

【*8】 写真映像シリーズ1 森山大道写真集『写真よさようなら』(1972)。引用は2012年に改題してデザインも変更した『Bye Bye Photography』から。同書にノンブルは入っていないため、ページ番号は記載しなかった。

【*9】 例えば『英国ニュースダイジェスト』に収録されたインタビュー
写真家・森山大道氏インタビュー「スナップ写真は欲望を外界にぶつける行為」英国ニュースダイジェスト

【*10】 「8月2日 山の上ホテル 〈対談〉中平卓馬+森山大道」。『写真よさようなら』所収。

【*11】 中平卓馬+森山大道「写真という言葉をなくせ!」。『デザイン』1969年4月号。『中平卓馬 来たるべき写真家』(2009)に再録。pp.102-107

【*12】 森山大道「自己愛的写真術」。『写真装置』第3号(1981)p.87

【*13】 大竹昭子『写真があってよかった。─森山大道伝─』(2026)p.64

【*14】 ロザリンド・E・クラウス「指標論 パート1」(1976)。谷川渥・小西信之訳『アヴァンギャルドのオリジナリティ モダニズムの神話』(1985/2021。pp.298-317)

【*15】 原文は「絵画は、伝統的な配置や配色、技術、考え方の蓄積から構築されて『つくられる』が、写真は、普通の人が言うように『とられる』ものである」(拙訳)。John Szarkowski, The Photographer’s Eye, 1966/1980, p.6

【*16】 Canon, PRO-G1 Special Interview Nへの手紙 森山大道(公開:2023年10月2日)

【*17】 2024年に東京国立近代美術館で開催された『中平卓馬 火―氾濫』展でも多数の雑誌が展示されたが、手に取ることはできなかった。

【*18】 Andy Warhol, America, 1985/2011

【*19】 「8月2日 山の上ホテル」

※上記URLはすべて2026年6月17日閲覧


本連載について
「Out of Kyoto」では、著述家/アーツ・プロデューサーの小崎哲哉氏が芸術や文化の話題を取り上げていく。歴史を参照しつつ、現代における表現のあり方を探る連載となる。
本連載の全記事はこちら



執筆者プロフィール

小崎 哲哉(おざき・てつや)
著述家/アーツ・プロデューサー。2000年にカルチャー・ウェブマガジン『REALTOKYO』を、2003年に現代アート雑誌『ART iT』を創刊し、あいちトリエンナーレ2013ではパフォーミングアーツ統括プロデューサーを担当。2012年9月から2020年12月まではカルチャー・ウェブマガジン『REALKYOTO』の発行人兼編集長を、2021年2月から2025年3月までは同『REALKYOTO FORUM』の編集長を務めた。編著書に20世紀に人類が犯した愚行をまとめた写真集『百年の愚行』『続・百年の愚行』、著書に『現代アートとは何か』『現代アートを殺さないために』などがある。2019年にフランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエを受章。