タテカン・吉田寮問題についてのシンポジウムへ
池田 剛介
2018.02.15
先日、とある打ち合わせを終えて、哲学者の國分功一郎さんと東大駒場内にあるカフェスペースを出ると、ふと國分さんが、あのはにかみがちな素敵な笑顔で呟いた。「ここに駒場寮があったんだよね……」。
カタカナの名前が付けられた現在の小綺麗な空間からは、かつての様子を想像するのは難しい。
2001年に閉鎖された駒場寮は、学生によって自治寮として運営されていた。寮生の選考も寮自治会が行い、寮費は月数千円。食堂の一部は、かつて野田秀樹らが改装を行い駒場小劇場として利用された――といった記述をwikipediaのページで読めば読むほど、京大の吉田寮と似たところがある。
長年、自治寮として寮生自身が運営を行っており、多様な入寮生の受け入れにも取り組んできた。寮費も抜群に安い。吉田寮の食堂も、現在はイベントスペースとして利用され、学内外に開かれたかたちで演劇やライブなどが行われている――といったことを、つい先日聞いてきたところだ。
先日のブログ記事でも触れたのだけど、現在、京都大学では吉田寮とタテカンに関する問題が起きている。このことについて考えるシンポジウムに行ってきた。 http://www.kyotounivfreedom.com/news/20180213/
*
具体的な経緯や論点については、関係者によってまとめられたページがあるので、こちらで確認してほしい(呼びかけ人らによるメッセージも読める)。
タテカンに関しては今年5月以降、設置場所をキャンパス内の指定箇所に限定する規定が公表され、吉田寮に関しては今年1月以降の新規入寮禁止、9月末までの退去が要請されており、これらがいかに差し迫った問題であるかが分かるだろう。
大きな講義室は立ち見が出るほどの満員に。この問題の注目度の高さが感じられる。
会は、この問題に関わりのある様々な立場の方からの報告というかたちで進められた。これまでの経緯や現在の状況が手際よく整理され、問題の当事者としての切実さに裏打ちされながらも、落ち着いた調子で進んでいくのが印象的だった。大学側の対応の問題点などは指摘されながらも決して糾弾的にならず、全体的に丁寧な語り口が維持されていたと思う。
入寮生による報告では、吉田寮が様々な状況にある者(在籍年数の長い学生や留学生などを含む)を広く受け入れる取り組みを行ってきたことが、その歴史とともに語られた。今では食堂が劇場スペースなどとして使われ、一般に開かれた空間になっているということも、この時初めて知ることとなった。ぜひ行ってみたい。
いきなり私事になるが、しかし困ったことに僕は基本的に演劇というものが全然ダメで、いわゆる小劇場にも学生のころ友人の付き合いで2, 3度行ったことがあるだけ。実のところ全く苦手だった。偏狭と見なされるのを承知で言えば、そもそもデカイ声でハキハキと話す人間というのが耐えられない……(実際には、そういう演劇ばかりではないのだろうけれど)。
もしも仮に吉田寮が閉鎖になるとすれば、さすがに一度くらいは食堂での演劇を見ておかねば、ということになってしまう。その場に5分と座っていられる自信がない。そうならないため、というただ一点において(ではないのだが)、なにとぞ存続を希望したい。真面目な話、必ずしも自分の感覚に合わないものが存在していてこそ文化の多様性は担保される(同様のことはタテカンにも言える)。そして趣味や嗜好というのは変容可能なものでもあるのだ。
*
東京から駆けつけたデリダ研究者の鵜飼哲さんは、タテカンというものが持つ、独特の緊張感について話していた。何らかの言葉や主張を文字通り物体として「立てる」こと、そこには確かにSNSなどによる情報発信とは異なる重みやテンションがあるだろう。
そういえば木枠にベニヤ板を貼るタテカン作りは、まさに薄いベニヤ板に裏側からテンションを与える営為に他ならない。ベニヤ板ほどの厚みもない「いいね!」を搔き集めることに汲々としているSNS空間からすれば、タテカンがキャンパス内外に林立している風景とは、何と度量の大きく、堂々たるものだろうか。
前言を翻すようだが、しかしSNSを利用するという手もありうるだろう。そもそもこうしたタテカンの空間そのものが、もはや全国的に見ても大変に貴重なのであり、おそらく近いうちに国内外の観光ガイドブックなどが目ざとく取り上げることになるのではないだろうか(もうどこかやっているのかもしれないが)。
仮に東大のように、どこにでもある小綺麗な空間として一掃してしまえば、それこそ何の観光的価値もなくなってしまう。むしろこの「歴史的」な光景を積極的に保護し、レアなインスタスポットとしてブランディングする戦略でも考えるべきではないだろうか。これで景観条例をもとに指導してきた京都市もきっと満足するはずだ。なにしろ景観が守られているのだから。
……などという部外者の戯言はさておき、他にも実際にタテカン作りに携わってきた学生や、長年自治寮の寮母をされてきた方など、様々な立場からの発言を聞くことができ、これまで何気なく通り過ぎていた光景が、こうした人々によって支えられ、見守られてきたものであることが感じられる会だった。
*
シンポジウムも終わりキャンパスの外へ出ると、百万遍の交差点には不揃いな大きさのタテカンが並んでいる。その中でも一際目立つパネルには「椎茸殱滅」の文字がデカデカと。さてこれは一体何なんだろう……。
よく分からないが、しかしこうした「分からない」物事との予期せぬ邂逅こそ、私たちが真剣にものを考え始めるきっかけではなかったか、これこそ大学という知的探求のための場にふさわしい初心というべきものではないだろうか――このタテカンは、そんな問いを投げかけているのかもしれない。違うかもしれないが。
引き続き、この問題を見守っていきたいと思う。
カタカナの名前が付けられた現在の小綺麗な空間からは、かつての様子を想像するのは難しい。
2001年に閉鎖された駒場寮は、学生によって自治寮として運営されていた。寮生の選考も寮自治会が行い、寮費は月数千円。食堂の一部は、かつて野田秀樹らが改装を行い駒場小劇場として利用された――といった記述をwikipediaのページで読めば読むほど、京大の吉田寮と似たところがある。
長年、自治寮として寮生自身が運営を行っており、多様な入寮生の受け入れにも取り組んできた。寮費も抜群に安い。吉田寮の食堂も、現在はイベントスペースとして利用され、学内外に開かれたかたちで演劇やライブなどが行われている――といったことを、つい先日聞いてきたところだ。
先日のブログ記事でも触れたのだけど、現在、京都大学では吉田寮とタテカンに関する問題が起きている。このことについて考えるシンポジウムに行ってきた。 http://www.kyotounivfreedom.com/news/20180213/
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具体的な経緯や論点については、関係者によってまとめられたページがあるので、こちらで確認してほしい(呼びかけ人らによるメッセージも読める)。
タテカンに関しては今年5月以降、設置場所をキャンパス内の指定箇所に限定する規定が公表され、吉田寮に関しては今年1月以降の新規入寮禁止、9月末までの退去が要請されており、これらがいかに差し迫った問題であるかが分かるだろう。
大きな講義室は立ち見が出るほどの満員に。この問題の注目度の高さが感じられる。
会は、この問題に関わりのある様々な立場の方からの報告というかたちで進められた。これまでの経緯や現在の状況が手際よく整理され、問題の当事者としての切実さに裏打ちされながらも、落ち着いた調子で進んでいくのが印象的だった。大学側の対応の問題点などは指摘されながらも決して糾弾的にならず、全体的に丁寧な語り口が維持されていたと思う。
入寮生による報告では、吉田寮が様々な状況にある者(在籍年数の長い学生や留学生などを含む)を広く受け入れる取り組みを行ってきたことが、その歴史とともに語られた。今では食堂が劇場スペースなどとして使われ、一般に開かれた空間になっているということも、この時初めて知ることとなった。ぜひ行ってみたい。
いきなり私事になるが、しかし困ったことに僕は基本的に演劇というものが全然ダメで、いわゆる小劇場にも学生のころ友人の付き合いで2, 3度行ったことがあるだけ。実のところ全く苦手だった。偏狭と見なされるのを承知で言えば、そもそもデカイ声でハキハキと話す人間というのが耐えられない……(実際には、そういう演劇ばかりではないのだろうけれど)。
もしも仮に吉田寮が閉鎖になるとすれば、さすがに一度くらいは食堂での演劇を見ておかねば、ということになってしまう。その場に5分と座っていられる自信がない。そうならないため、というただ一点において(ではないのだが)、なにとぞ存続を希望したい。真面目な話、必ずしも自分の感覚に合わないものが存在していてこそ文化の多様性は担保される(同様のことはタテカンにも言える)。そして趣味や嗜好というのは変容可能なものでもあるのだ。
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東京から駆けつけたデリダ研究者の鵜飼哲さんは、タテカンというものが持つ、独特の緊張感について話していた。何らかの言葉や主張を文字通り物体として「立てる」こと、そこには確かにSNSなどによる情報発信とは異なる重みやテンションがあるだろう。
そういえば木枠にベニヤ板を貼るタテカン作りは、まさに薄いベニヤ板に裏側からテンションを与える営為に他ならない。ベニヤ板ほどの厚みもない「いいね!」を搔き集めることに汲々としているSNS空間からすれば、タテカンがキャンパス内外に林立している風景とは、何と度量の大きく、堂々たるものだろうか。
前言を翻すようだが、しかしSNSを利用するという手もありうるだろう。そもそもこうしたタテカンの空間そのものが、もはや全国的に見ても大変に貴重なのであり、おそらく近いうちに国内外の観光ガイドブックなどが目ざとく取り上げることになるのではないだろうか(もうどこかやっているのかもしれないが)。
仮に東大のように、どこにでもある小綺麗な空間として一掃してしまえば、それこそ何の観光的価値もなくなってしまう。むしろこの「歴史的」な光景を積極的に保護し、レアなインスタスポットとしてブランディングする戦略でも考えるべきではないだろうか。これで景観条例をもとに指導してきた京都市もきっと満足するはずだ。なにしろ景観が守られているのだから。
……などという部外者の戯言はさておき、他にも実際にタテカン作りに携わってきた学生や、長年自治寮の寮母をされてきた方など、様々な立場からの発言を聞くことができ、これまで何気なく通り過ぎていた光景が、こうした人々によって支えられ、見守られてきたものであることが感じられる会だった。
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シンポジウムも終わりキャンパスの外へ出ると、百万遍の交差点には不揃いな大きさのタテカンが並んでいる。その中でも一際目立つパネルには「椎茸殱滅」の文字がデカデカと。さてこれは一体何なんだろう……。
よく分からないが、しかしこうした「分からない」物事との予期せぬ邂逅こそ、私たちが真剣にものを考え始めるきっかけではなかったか、これこそ大学という知的探求のための場にふさわしい初心というべきものではないだろうか――このタテカンは、そんな問いを投げかけているのかもしれない。違うかもしれないが。
引き続き、この問題を見守っていきたいと思う。