レポート『モノと自然の騒めく街で 台南滞在制作記』
文:池田剛介
2015.05.05
池田剛介
1月。LCCの機内から降り立った台北は、思いのほか寒い。桃園国際空港から台湾を南下する長距離バスに乗り込む。目的地に向かう途中には北回帰線を通過する地点があり、ここを超えれば亜熱帯から熱帯となる。南下するにつれ太陽の力が強くなっていくように感じられる。行き先は台湾南部の都市、台南。ここでは年間の最低気温となる1月でも日中20℃をゆうに超え、暖かな陽射しが降り注ぐ。日本の厳冬に沈みがちだった気分も、問答無用で浮上していくというものだ――。
昨年、台中にある国立台湾美術館にて展示を行ったことがきっかけとなり(*1)、台南市が主催する「ネクストアート台南」に招聘されることとなった。行政主催によるアートイベントといえば大型の国際展、あるいは小さな地域プロジェクトを想像するかもしれないが、そのどちらとも異なる。
ネクストアート台南は今年3年目となる新しいアワードであり(*2)、受賞者による展覧会がアートフェア(アート台南)および街中の様々なアートスペースをまたいで開催される芸術祭として組織されている。今年からは海外のアーティストを招聘するプログラムが追加され、公募を経た受賞作家による展覧会と並行して、4名の海外作家による個展形式での展示が企画された。
「外国人」枠で参加することとなったわたしは、1月に10日間にわたる街中でのリサーチを経て展示のプランを練り、3月頭に再び台南を訪れて1ヶ月間の滞在制作を行いながら展覧会を準備した。
〈池田剛介《モノの生態系 – 台南》 作品動画・展示解説動画(英語/中国語字幕) 〉
街中でのリサーチに関しては後述するとして、まずは展覧会の様子を紹介しよう。窓ガラス、自転車、鼠捕り、アルミシート、椰子の葉、雲状の金属線、金属椀など、台南の路上や蚤の市で見つけたり、あるいは一時的に借りてきたりしたモノたちを壁面に並べた。
この壁面の向かいには2組のソーラーパネルが設置され、それらの側には大型の白熱球が据えられる。白熱球はそれぞれに一定のペースで点滅を繰り返しており、このライトが点灯する間、ソーラーパネルはごく微量の電力を生み出している。
生み出されたエネルギーは電線を通じて向かい側へと供給され、小さなモーターやアンプがモノたちの微細な動きを生み、その音を増幅する。台南の街に何らかの来歴をもつ様々なモノたちが、エネルギーのネットワークとしての「生態系」を形成することとなる。
こうした街の様子を飽きることなく観察していくなかで、やがて「マイクロ廃墟」という言葉を思いつく。日本でも廃墟の「名所」は多数知られており、廃墟マニアも存在する。しかしここで注目したのは、そうした堂々たるモニュメントとしての廃墟ではなく、街の内部にある小さなスケールの廃墟のことである。そこには建築物のみならずモノも含まれる。機能を失いながらも未だ廃棄されず、人々の暮らしの傍らに留まり、ある場所を占拠しているモノたちもまた、人間の管理の手から逸した「マイクロ廃墟」と呼ぶことができるだろう。
展覧会にも直接的に関わるマイクロ廃墟の一例を紹介しよう。街中を歩いていると、小さな廟――台南には街中の至る所に大小様々な廟があり、地域コミュニティの拠り所にもなっている――と生薬を専門に扱う店とのあいだの路上に、1台の朽ち果てた自転車を発見した。
この自転車の存在が気になったので、展覧会の素材として使わせてもらえないかオーナーである生薬店の店主に尋ねたところ、あえなく断られてしまう。その場は引き下がったものの、この老齢の店主に言われた理由が印象に残った。壊れているし、使う予定もないけれど、この場所に置いておきたい。なぜならそこに長年置いてあったからだ、と。もはや使うことのできない自転車と店主との間には、それでもなお関係性「らしきもの」が残存しているのだろう。
そういえばわたしは滞在中、台南市から1台の自転車を借りていた。店主を再び訪れ、展覧会の会期中、置いてある自転車と市政府の自転車とを交換してもらう提案をし、承諾を得られることになった。聞けば十数年もの間、全くここから動かしていないそうで、この期間一度も変わることのなかった彼らの世界に、少しだけ変化を与えることとなった。
こうしたリサーチについて展覧会のオープニング・トークの際に話していたところ、台南芸術大学の龔卓軍(ゴン・ジョジュン)氏から、わたしの街に対するアプローチは考現学と関係があるのか、マイクロ廃墟はサイズのみならず、廃墟の可動性(mobility)とも関わるのではないか、という興味深い指摘を受けた。震災から4年後の3月11日には、未だに手描きの看板が使われている映画館「全美戲院」で、福島翻訳計画が主催となり藤井光監督『ASAHIZA』の上映が行われた。わたしは龔氏と共にアフタートークに出席し、独特の空間に触発されながらの充実した議論となった。
個展オープンの際には成功大学建築学科の関係者が訪れ、その後、大学で展覧会についてのトークをするよう招かれた(*3)。台湾でもトップ3に入る名門校で、街中にありながら実に広々としたキャンパスを誇っている。いくつもの巨大なガジュマルが隆々と枝葉を広げ、学生たちの憩う木陰を作り出す。日本統治時代、裕仁天皇が皇太子だった大正12年に自ら植樹したらしく、それから未だ100年も経たない。つくづく太陽の力を感じさせる。
熱帯の木々が繁茂する台南公園に注ぐ午前の日差しを浴び、鮮烈に咲き乱れるブーゲンビリアの袂でパイナップルジュースを飲み、太極拳にいそしむ人々の柔らかくもしなやかな動きを眺め、また街中の観察へと出かける――人間の暮らしの傍らで、モノと植物とが雑多に犇めきあう街へ。
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いけだ・こうすけ
1980年生まれ。美術作家。自然現象、生態系、エネルギーなどへの関心をめぐりながら制作活動を行う。近年の展示に「モノの生態系 – 台南」(Absolute Space for the Arts、2015年)、「Tomorrow Comes Today」(国立台湾美術館、2014年)、「あいちトリエンナーレ2013」など。近年の論考に「アートと地域の共生についてのノート」(MAD City、2014年よりweb連載)、「干渉性の美学へむけて」(『現代思想』2014年1月号)など。
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〈注〉
*1 昨年の展覧会および、これに際して立ち会うこととなった立法院占拠についてはこちらにまとめている。
http://realkyoto.jp/article/report_ikeda-kosuke/
*2 台湾では行政を主催とするアートアワードが複数行われており、台北アートアワード、高雄アワードがよく知られている。
*3 トークの様子はこちらで紹介されている(英語)。
http://news-en.secr.ncku.edu.tw/files/14-1083-136546,r614-1.php?Lang=en
1月。LCCの機内から降り立った台北は、思いのほか寒い。桃園国際空港から台湾を南下する長距離バスに乗り込む。目的地に向かう途中には北回帰線を通過する地点があり、ここを超えれば亜熱帯から熱帯となる。南下するにつれ太陽の力が強くなっていくように感じられる。行き先は台湾南部の都市、台南。ここでは年間の最低気温となる1月でも日中20℃をゆうに超え、暖かな陽射しが降り注ぐ。日本の厳冬に沈みがちだった気分も、問答無用で浮上していくというものだ――。
昨年、台中にある国立台湾美術館にて展示を行ったことがきっかけとなり(*1)、台南市が主催する「ネクストアート台南」に招聘されることとなった。行政主催によるアートイベントといえば大型の国際展、あるいは小さな地域プロジェクトを想像するかもしれないが、そのどちらとも異なる。
ネクストアート台南は今年3年目となる新しいアワードであり(*2)、受賞者による展覧会がアートフェア(アート台南)および街中の様々なアートスペースをまたいで開催される芸術祭として組織されている。今年からは海外のアーティストを招聘するプログラムが追加され、公募を経た受賞作家による展覧会と並行して、4名の海外作家による個展形式での展示が企画された。
「外国人」枠で参加することとなったわたしは、1月に10日間にわたる街中でのリサーチを経て展示のプランを練り、3月頭に再び台南を訪れて1ヶ月間の滞在制作を行いながら展覧会を準備した。
〈池田剛介《モノの生態系 – 台南》 作品動画・展示解説動画(英語/中国語字幕) 〉
街中でのリサーチに関しては後述するとして、まずは展覧会の様子を紹介しよう。窓ガラス、自転車、鼠捕り、アルミシート、椰子の葉、雲状の金属線、金属椀など、台南の路上や蚤の市で見つけたり、あるいは一時的に借りてきたりしたモノたちを壁面に並べた。
この壁面の向かいには2組のソーラーパネルが設置され、それらの側には大型の白熱球が据えられる。白熱球はそれぞれに一定のペースで点滅を繰り返しており、このライトが点灯する間、ソーラーパネルはごく微量の電力を生み出している。
生み出されたエネルギーは電線を通じて向かい側へと供給され、小さなモーターやアンプがモノたちの微細な動きを生み、その音を増幅する。台南の街に何らかの来歴をもつ様々なモノたちが、エネルギーのネットワークとしての「生態系」を形成することとなる。
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これらモノたちは台南の街でのリサーチを通じて収集された。街中を歩いていて私が気になったのは、あちこちに人間の管理外と思われる領域やモノが散在していることだ。放擲され朽ちている家や使われている様子のないモノたち(自転車、バイク、箪笥、椅子、ミシン台 etc.)。これらは街の外部にではなく、街中の人々の暮らしに隣接して存在する。ひとたび人の手から離れた空隙からは植物が目ざとく生え出し、機能を失ったモノたちが場を占拠することとなる。こうした街の様子を飽きることなく観察していくなかで、やがて「マイクロ廃墟」という言葉を思いつく。日本でも廃墟の「名所」は多数知られており、廃墟マニアも存在する。しかしここで注目したのは、そうした堂々たるモニュメントとしての廃墟ではなく、街の内部にある小さなスケールの廃墟のことである。そこには建築物のみならずモノも含まれる。機能を失いながらも未だ廃棄されず、人々の暮らしの傍らに留まり、ある場所を占拠しているモノたちもまた、人間の管理の手から逸した「マイクロ廃墟」と呼ぶことができるだろう。
展覧会にも直接的に関わるマイクロ廃墟の一例を紹介しよう。街中を歩いていると、小さな廟――台南には街中の至る所に大小様々な廟があり、地域コミュニティの拠り所にもなっている――と生薬を専門に扱う店とのあいだの路上に、1台の朽ち果てた自転車を発見した。
この自転車の存在が気になったので、展覧会の素材として使わせてもらえないかオーナーである生薬店の店主に尋ねたところ、あえなく断られてしまう。その場は引き下がったものの、この老齢の店主に言われた理由が印象に残った。壊れているし、使う予定もないけれど、この場所に置いておきたい。なぜならそこに長年置いてあったからだ、と。もはや使うことのできない自転車と店主との間には、それでもなお関係性「らしきもの」が残存しているのだろう。
そういえばわたしは滞在中、台南市から1台の自転車を借りていた。店主を再び訪れ、展覧会の会期中、置いてある自転車と市政府の自転車とを交換してもらう提案をし、承諾を得られることになった。聞けば十数年もの間、全くここから動かしていないそうで、この期間一度も変わることのなかった彼らの世界に、少しだけ変化を与えることとなった。
こうしたリサーチについて展覧会のオープニング・トークの際に話していたところ、台南芸術大学の龔卓軍(ゴン・ジョジュン)氏から、わたしの街に対するアプローチは考現学と関係があるのか、マイクロ廃墟はサイズのみならず、廃墟の可動性(mobility)とも関わるのではないか、という興味深い指摘を受けた。震災から4年後の3月11日には、未だに手描きの看板が使われている映画館「全美戲院」で、福島翻訳計画が主催となり藤井光監督『ASAHIZA』の上映が行われた。わたしは龔氏と共にアフタートークに出席し、独特の空間に触発されながらの充実した議論となった。
個展オープンの際には成功大学建築学科の関係者が訪れ、その後、大学で展覧会についてのトークをするよう招かれた(*3)。台湾でもトップ3に入る名門校で、街中にありながら実に広々としたキャンパスを誇っている。いくつもの巨大なガジュマルが隆々と枝葉を広げ、学生たちの憩う木陰を作り出す。日本統治時代、裕仁天皇が皇太子だった大正12年に自ら植樹したらしく、それから未だ100年も経たない。つくづく太陽の力を感じさせる。
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先頃、日本から高雄への航空便も増え、台湾南部への直行が容易になった。この地を訪れる最良の季節を聞かれれば、わたしは迷わず冬をお勧めする。日本の長く厳しい冬の時期、飛行機で4時間過ごせば、そこは別の世界だ。熱帯の木々が繁茂する台南公園に注ぐ午前の日差しを浴び、鮮烈に咲き乱れるブーゲンビリアの袂でパイナップルジュースを飲み、太極拳にいそしむ人々の柔らかくもしなやかな動きを眺め、また街中の観察へと出かける――人間の暮らしの傍らで、モノと植物とが雑多に犇めきあう街へ。
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いけだ・こうすけ
1980年生まれ。美術作家。自然現象、生態系、エネルギーなどへの関心をめぐりながら制作活動を行う。近年の展示に「モノの生態系 – 台南」(Absolute Space for the Arts、2015年)、「Tomorrow Comes Today」(国立台湾美術館、2014年)、「あいちトリエンナーレ2013」など。近年の論考に「アートと地域の共生についてのノート」(MAD City、2014年よりweb連載)、「干渉性の美学へむけて」(『現代思想』2014年1月号)など。
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〈注〉
*1 昨年の展覧会および、これに際して立ち会うこととなった立法院占拠についてはこちらにまとめている。
http://realkyoto.jp/article/report_ikeda-kosuke/
*2 台湾では行政を主催とするアートアワードが複数行われており、台北アートアワード、高雄アワードがよく知られている。
*3 トークの様子はこちらで紹介されている(英語)。
http://news-en.secr.ncku.edu.tw/files/14-1083-136546,r614-1.php?Lang=en
(2015年5月8日公開)