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Opinion
京都市破綻の危機と文化芸術
文:小崎哲哉

2021.10.18
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京都市役所
知らなかった方は驚くだろうが、京都市が財政破綻の危機に瀕している。現時点での「借金」は約8500億円。本年度(令和3年度)以降、毎年500億円以上の財源不足が生じ、このままでは10年以内に財政再生団体に転落する恐れがある。企業で言えば倒産だが、これまでに「倒産」した自治体は2010年の北海道夕張市しかない。

コロナ禍による観光客の減少以前の構造的な問題で、バブル期に行われた地下鉄新設などの大規模公共工事が一因だという。市による積極的なホテル誘致が住宅価格の高騰をもたらし、子育て世代が市外に流出したために住民税収入が減っているという報道もある。見通しの甘さや、赤字を埋めるのに「公債償還基金」を取り崩してきたことも含めて明らかな失政と言うほかないが、ここでは市長や市を責めることはしない。

アートや舞台芸術の愛好家として、最も心配なのは芸術文化関連予算がどうなるかだ。文化庁などの助成金は、いわゆる「半額助成」が多く、交付される金額と同額の予算を準備しておかなければならない。市から受け取る金が例えば1000万円から800万円に200万円減額されると、事業規模は2000万円から1600万円に、つまり400万円ほど縮小されることとなる。不採択の可能性も上がる。主催者にとっては大打撃だ。

こういう事態になると、様々な方面から「自助努力しろ」という声が上がる。動員が見込めるポピュリズム的な企画を増やし、アートであればアートフェアやオークションを行って自ら稼げというわけだ。アーティストも食べていかなければならないし、作品を売る売らないは個々人の自由である。だが公共施設や教育機関は非営利が原則であり、作品の売買に関わると市場至上主義に加担することとなって以下のような弊害が生じる。

1:アーティストが売れる作品づくりに傾き、実験性・革新性が後退する
2:売れる作家と売れない作家の間に溝が生まれる
3:富裕層と一般アートファンの乖離・分断を招く
4:公共美術館などのイメージが下り、現代アートについてのよからぬ誤解が増す

1と2は、例えば室内に飾りやすい平面作品や小さなオブジェばかりがもてはやされ、インスタレーションやリサーチベース作品が敬遠される可能性。ミシェル・タピエが「持ち運びに便利で売りやすい」という理由でタブローを勧めたために、具体のアーティストの作風が一気に変わった悪しき先例を思い出す。3は、現状のクレイジーなマーケットを見れば容易に想像される事態。4の「誤解」とは、多義的で知的な「読む」芸術である現代アートが、単純で感覚的な「見る」娯楽であると勘違いされること。100年前への退行だ。

京都市が今年8月に策定した「行財政改革計画」の「都市の成長戦略~進化する戦略~」に「文化と経済の好循環を創出する都市」という項目がある。この戦略を採用するのであれば、芸術文化関連予算は削減するのではなく、むしろ増やすべきだろう。市が直接に関わる、京都芸術センター京都市京セラ美術館ロームシアター京都京都国際舞台芸術祭(Kyoto Experiment)などは、多くが京都の人的・文化的資産や先進性を活用した独自の企画を手がけ、京都のブランディングに寄与している。

京都市京セラ美術館

ロームシアター京都

例えば、2019年度にロームシアターのレパートリー演目として製作されたジゼル・ヴィエンヌとエティエンヌ・ビドー=レイの『ショールームダミーズ #4』は、世界一線級の舞台芸術祭、フェスティヴァル・ドートンヌ・ア・パリに招聘された。コロナ禍によって実現が危ぶまれたが、クラウドファンディングの助けもあって上演が決まった。快挙である。

ジゼル・ヴィエンヌ、エティエンヌ・ビドー=レイ 「ショールームダミーズ #4」
2020年ロームシアター京都公演 ⓒYuki Moriya

クラウドファンディングに使われた画像 ⓒYuki Moriya

また、10/9に京都市京セラ美術館で始まった『コレクションとの対話:6つの部屋』展は、宮永愛子や髙橋耕平ら京都にゆかりのあるアーティストや造形作家が、同館のコレクションから数点を選び、自作とともに見せる展覧会。歴史や伝統が次代へ受け継がれてゆく様が、現在と過去の「対話」から如実に感じられる(12/5まで)。ほぼ同時開催の『モダン建築の京都』展も題名通りの内容で、建物がいまも残る京都の街に回路を開いた好企画だ(12/26まで)。こうした実績を積み重ねることによって、市民の目や耳が肥えてゆき、地元の作家の力量が高まり、評判が海外に伝わり、文化都市の魅力が厚みを増してゆく。

宮永愛子「Tracing Time」(2021年)は、明治から昭和にかけて実家・東山窯で焼かれた陶彫などとの「対話」

髙橋耕平「畏敬のかたち、あるいは喚起の振る舞い」(2021年)は、井田照一と木村秀樹というふたりの先達との「対話」
写真は木村の「Pencil 2-3」(1974年)について解説する髙橋

『モダン建築の京都』展の展示風景。藤井厚二「聴竹居」の模型と藤井がデザインした椅子

1978年10月、京都市は「世界文化自由都市宣言」を発表し、「京都は(中略)広く世界と文化的に交わることによって,優れた文化を創造し続ける永久に新しい文化都市でなければならない。われわれは,京都を世界文化交流の中心にすえるべきである」と宣言した。パリやニューヨークと伍し、世界文化を先導する気構えを示した先駆性のある宣言だと思う。パンデミックがある程度収まれば国際交流は再開され、その際には文化観光が盛んになり、特に日本のような国にとっては大きな財源ともなるだろう。

気になるのは、基本的に非課税の拝観寺院の存在だ。いまと同じように市財政が逼迫していた1980年代に、京都市と京都仏教会は古都保存協力税(古都税)をめぐって対立した。拝観停止という強硬手段が功を奏して、市は課税案を撤回。以後、古都税問題はタブーとなって現在に至る。「拝観は宗教行為であり、拝観者への課税は許されない」という仏教会の主張は詭弁としか思えないが、行政側のごり押しも対立を悪化させるものだった。

寺社は京都に不可欠の存在であり、維持存続を図らなければならない。古い建築が多く、保存改修にもお金がかかるだろう。とはいえ、こんな危機に適正な税額を納め、市財政健全化の一助とすることは、市民、いや国民感情にも添うのではないだろうか。

一部の寺院は芸術文化支援に前向きである。寺院、芸術文化関係者、市民、行政にとってウィンウィンになるような方策はありえないだろうか。官民と宗教界が京都の魅力を守るための、いや、魅力がさらに増すような協力態勢を組むことを切に願う。


おざき・てつや(Realkyoto Forum編集長。京都芸術大学大学院教授)