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「ジョナス・メカス―3章のフィルム・プログラム」@恵比寿映像祭、「メカスとウォーホル」@出町座
文:田村尚子

2023.03.11
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アンディ・ウォーホル「SCREEN TEST [ST211]: JONAS MEKAS」 (1966)より
詩人で、日記映画というスタイルの映像詩を確立し、世界の映画芸術史に記される映画作家、ジョナス・メカス(1922-2019)。リトアニアの小さな村に生まれ、ドイツの複数の難⺠キャンプでの収容生活を経て、亡命先のアメリカに 1949 年に到着した。ニューヨークの摩天楼をみて、長い旅の終点を迎える。

新天地で、うまく英語が通じず、あらたな表現方法として、借金をしてボレックスの手持ちカメラ(16mm)を購入し、映画言語を手に入れた。アナログのボレックスは、束の間の変化を目にした時に 2秒間でフィルムに収めることができる。スチルカメラのスナップショットのように、直截的に高揚感やかけがえのない瞬間が収められ、それらは編集で繋がれて、映像作品が形成されていく。虚構ではなく、メカスの内的なイマジネーションがそのまま外にでていったように、メカスの友人や彼が歩いたであろう街角や何気ない自然が変容をきたし、在るとは何か、を瑞々しい映像―光の記憶―が問いかける。

私は、写真を始めた頃、メカスから届いた手紙に応える形でメカス日本日記の会が主催した『メカスとその仲間たちの小さな国際展』(1999)東京・沖縄展に、運良く参加することになった。それを機に、彼の詩や映像作品が指し示す彼の背骨のような原風景が、私に訪れた。

今年2月、東京(恵比寿映像祭 2023)と京都(出町座)でジョナス・メカス生誕百年記念のイベントが開催された。二人のリトアニア人ゲストキュレーター、イネサ・ブラシスケとルーカス・ブラシスキスが選んだメカス作品の上映に加え、Q&A も行われた。

「ジョナス・メカス―3章のフィルム・プログラム」Q&A
Courtesy of Tokyo Photographic Art Museum, Photos by ARAI Takaaki

同。イネサ・ブラシスケ

同。ルーカス・ブラシスキス

メカスが支持した女性映像作家、圧倒的に男性社会が優位な時代のNYで活動していたマリー・メンケン。上映された映像は、瞬きのような明滅、自然体な身体リズムを感じる彼女の身の回りの世界。メカスは「彼女は現実を詩に変える」と敬意を払い、影響を受け、自身の方法論としても吸収した。メカスの崇拝対象はマヤ・デレンというイメージが強かったために、これは意外な発見であった。

ボレックスの16mmカメラを手にするマリー・メンケン
Cc-by-sa-3.0, Bigjoe5216

互いに触発されたもう一人の人物が、現在のスロヴァキアに当たる中欧の村から移⺠した両親のもと、ピッツバーグに生まれ、1960 年 初頭に前衛芸術の街ニューヨークで「ポップアートの旗手」として時代の寵児となったアンディ・ウォーホル(1928-1987)。メカスはある対談で、見ることは本質的なことと前置きし、ウォーホルは見るということに一生懸命で、「なんでも自分の中に受け入れていこうという姿勢があった」と語り、「悲しくも混乱した魂」に「非慣習的な家」を提供する寛大な父親的存在であると表現した。かたやウォーホルはメカスのことを「僕が考える60年代の最もポップでない人物で、とてもインテリだった。偉大なオーガナイザーでもあり、小さな映画を作る人たちに上映の場を提供してくれた」と述べている。

「メカスとウォーホル」

1963 年に出会ったとされるメカスとウォーホルだが、それ以前からウォーホルはメカスの運営する実験映画の上映会に出入りしていたらしい。だが、いつも片隅にいたウォーホルにメカスは気がついていなかったという。ウォーホルは出会ったその年にフィルムカメラを入手すると立て続けに映像作品を制作し、夢中になり、数年のうちに500本ちかくの映像を残す。

同。ブラシスケ(中央)とブラシスキス(右)

出町座にて取り上げられた二人が関係する瞠目すべき短編映像に加え、⻑編『エンパイア』(8 時間5分)や『スリープ』(5時間21分)についても、イネサとルーカスはユーモアを交えて裏話やエピソードを紹介してくれた。メカスは『スリープ』に関しても「生命あるもののように素晴らしい」と書き留めて評価し、ウォーホルのシルクスクリーンなどの平面作品とは真逆に、買い手がつかなかった映像作品を上映するため奔走し、またコラムでの支持はもちろん、ほとんど唯一の理解者としても貢献していた。

そして、メカスを語る上で決して忘れてはならない、アンソロジー・フィルム・アーカイヴズの設立と存続のために奮闘する日々。誰もが目を向けないような出来事や場所、人生における独白を超える作品群、それらは同時代の心情や精神の彷徨を写しだしていて、見えそうで消えそうな社会の不確かな時間が、人間的な情緒や肌理のある感覚を揺さぶりつづける、そんな映像詩のアンソロジーを後世に届けてくれた。

これらの関係を理解するためのすべての手がかりをあたえてくれたイネサとルーカスの二人から「日本でなぜこれだけメカスが愛されているの?」との問いかけがあった。

詩集3、4冊と日記、友人宛の手紙の何通かはどこの国よりも先に日本で刊行されている。独特な詩と映像は苛酷な現実に抗うがごとく、こうであらなければならないという呪縛から逃れ、いまだ現れてない希望としての非在を指し示す。メカスは、映像の可能性を示すととともにインスピレーションを与え続けているのだ。日本がかつて求め、いまも、そしてこれからも必要とする芸術家ではないだろうか。

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たむら・なおこ
写真家

「ジョナス・メカス―3章のフィルム・プログラム」は、恵比寿映像祭2023にて2023年2月4日、10日、19日に開催された。Q&Aは4日に行われた。

「メカスとウォーホル」は、京都・出町座にて2023年2月8日に開催された(主催:駐日リトアニア大使館、リトアニア・カルチャー・インスティテュート、出町座)。

※イネサ・ブラシスケとルーカス・ブラシスキスがキュレーションした『Jonas Mekas and the New York Avant-Garde』(ジョナス・メカスとニューヨークの前衛)展は、2021年11月20日から2022年2月26日まで、リトアニア国立美術館で開催された。