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文化の方舟: ヴィラ九条山【前編】
文: ピエール=ウィリアム・フルゴネーズ
ヴィラ九条山
2022年に30周年を迎える京都のヴィラ九条山は、1世紀以上前に始まった、フランスと日本の長い文化交流によって設立された機関である。この二国間の関係は、19世紀後半の「ジャポニズム」に始まり、1970年代の「ネオ・ジャポニズム」に至るまで、幾度と繰り返される異文化への関心の高まりによって支えられてきた。名門であるローマのヴィラ・メディチ(1666年)や、マドリッドのカサ・デ・ベラスケス(1928年)の姉妹機関として並べて紹介されることの多いヴィラ九条山だが、しかし実際は、多くの点において実にユニークな存在である。これら3つの施設は、フランス政府が出資するレジデンス・プログラムであるという共通項を持ってはいるが、その生い立ちは異なり、また同じ省庁に属しているわけでもない。ヴィラ九条山はフランスの海外における文化事業機関である「アンスティチュ・フランセ」の管轄であり、つまりフランス外務省の関連機関なのである。
ヴィラ九条山の現館長、シャルロット・フーシェ=イシイと彼女のチーム [*1] は、全体の構造と組織を振り返って、その特異性を強調する。「確かにわたしたちは、わたしたちの姉妹機関とはかなり異なった活動をしています。”姉”というよりも、”年長のアーティスト・イン・レジデンス・プログラム”と言ったほうが正しいかもしれません。ヴィラ九条山は、新進や、評価の有無を問わず、最も有望なアーティストを受け入れています。しかしわたしたちは、同じ評価基準に基づいて作家を選んでもいますので、緊密に協力し合う習慣もあります。例えば2016年からは、フランスで『¡Viva Villa!』というフェスティバルを開催しています。これは、わたしたちの3つの「ヴィラ」のレジデンス・アーティストを集めて、海外での滞在中に行った作品や研究を、フランスの観客に一堂に紹介する多分野的な取り組みです」
[*1] 本稿におけるヴィラ九条山の「チーム」とは、ディレクターのシャルロット・フーシェ=イシイ、コミュニケーション・オフィサー、ロリアンヌ・ジャゴー、プロダクション&パートナーシップ・マネージャー、鴻池皐を指す。
軽快さ、優雅さ、そして活力
ヴィラ九条山の構想は、才能のある文筆家でもあった駐日フランス大使、ポール・クローデルが、文化協力のための施設を構想した1926年にまで遡る。京都で最も歴史的な地区のひとつであり、現在ヴィラ九条山が位置する東山の土地は、関西を中心とした親仏家コミュニティからフランスに寄贈されたものである。この土地はポール・クローデルから委任された日本の実業家、映画人で、親仏家の稲畑勝太郎が、1927年に建築された関西日仏学館のために選んだものであった。しかし、三代目の館長、ルイ・マルシャンは、日仏学館を大学地区(現アンスティチュ・フランセ関西)に移転することを決める。1936年、新天地の扉は開かれ、これより後にヴィラ九条山となる東山の土地は、長く見放されることとなる。
1980年代、フランス政府はアーティストのための住居(レジデンス)施設の建設を決定した。京都にはすでに教育・文化機関としての関西日仏学館があり、東京には日仏会館とフランス国立日本研究所、京都にはやはり日本語教育のための、フランス国立極東学院があった。フランス政府には土地が競売にかけられるのを避けたいという思いがあり、したがって(レジデンスの建築は)長期間に渡って練られた構想ではなかったものの、フランスと日本の双方の期待に応えるものであった。
それ故に、ヴィラ九条山は日本における新しい取り組みとして期待された。建設費用は日本側が負担し、運営費用はフランス側が負担するという、クローデル流の戦略的モデルも採用された。当時の日本においては、「アーティスト・イン・レジデンス」という概念はまったく新しいものであった。ヴィラ九条山の構造や枠組みは、その後2011年に建設されたドイツの「ゲーテ・ インスティトゥート・ ヴィラ鴨川」など、他の同様の取り組みのモデルともなっている。
建築家、加藤邦男と中村貴志の設計によるヴィラ九条山は、1991年1月、当時のフランス外務大臣の主導のもとに建設が始まり、およそ1年半後に完成した。こうしてアジアにおける、フランスの意欲的なアーティスト・イン・レジデンスであるヴィラ九条山は、1992年末に公式に開館した。
ル・コルビュジエのコラボレーターでもあったフランス人建築家、ミッシェル・エコシャールと共にマルセイユの都市開発に携わっていた加藤邦男は、フランスの建築様式にも精通していた。加藤は他にも、関西日仏学館の改修工事にも携わっていた。したがって、建築的にヴィラ九条山は、二つの様式、二つの文化の出会いの結実であると言える。この場所は、日本とフランスの両方の伝統に忠実なのである。
実際、加藤邦男は、日本とフランスの文化を融合させ、柔らかなライン、光と影の組み合わせを強調する優美な構造、建物の周囲の植栽を強調したいという考えを持っていた。この視覚的、感情的、物理的な美学は、外界を内側に取り込むものである。いずれ白昼でも月光下でも、軽やかなコンクリート、建築の持つ大きなガラス張りの開口部、そして丘の上の高い位置は、この方舟のような器の中に、ある種の未来的なエネルギーを湛えているのである。
学際的な交流と日仏研究のための独自のセンター
ヴィラ九条山は、アーティストがプロとしてのキャリアを築くために重要な役割を果たしてきた。このレジデンスが推進してきた文化交流は、芸術的実践の伝承と、リサーチ活動と現代アートの景観を新しくする方向に向けられてきた。ここでは、観察・傾聴・対話・創作を通じて、二つの文化間に共通の理解を築くための文化交流事業も盛んに行われている。ヴィラ九条山は設立の直後(1992年〜1993年)、1人の研究者と5人のアーティストを迎え入れている。事実、フランス国立極東学院はメンバーの1人を派遣することに同意した。そして3年目以降、ヴィラはアーティスト専用の居住施設となる。京都の美術教育機関や東京の専門家の目に留まるように、滞在作家の作品発表の機会も設けられた。言い換えるならば、1927年の創立以降の継続性が、このフランスの文化的な方舟に、日本に停泊することを許しているのである。
現在、このアーティスト・レジデンスは、学際的な交流と日仏の研究のための独創的な施設となっている。そこではあらゆる種類のクリエーターや才能が歓迎される。候補者はプロジェクトを提出し、受け入れられれば、実際に来て作業を行うことができる。創設以来ヴィラ九条山は、現代絵画、建築、ダンス、作曲、ゲーム・デザインなど、さまざまな芸術と工芸の分野から、400人にもおよぶアーティストを迎え入れてきた。ヴィラは、デザイン、ビジュアル・アート、パフォーミング・アート、デジタル、クラフトなどで有名な場所ではあるが、あまり知られていない分野もサポートしている。実際に2017年以降、17種類以上の分野が促進されている。チームは「工芸からビジュアル・アート、ビデオゲームに至るまで、さまざまな芸術分野のアーティストやクリエイターに、日本と強く結びついた研究プロジェクトに捧げる時間を提供し(これが最も重要なポイントのひとつです!)、双方の専門家がお互いに学び、新しい視点を想像できるような、異文化間の協力的なアプローチを採用しています」と語る。
さまざまな分野からやってくるアーティストの選考基準について、チームは次のように語る。「わたしたちは特定の分野に特化しているとは言えず、あらゆる芸術の分野に開かれています。わたしたちが期待しているのは、アーティストの素晴らしさと、特に今、なぜ日本に関連した新しいプロジェクトを発展させる必要があり、日本に滞在しなければならないのか、という彼らの必要性です。また、わたしたちは、インスティテューションよりも遥かに先をゆく、アーティストたちとその活動にも注意を払っています。そのため新しい分野を追加し(2019年は人形劇やビデオゲームなど)、芸術的創造の広い範囲に対応しています。わたしたちは、創造のプロセスに関心を持ち、『アカデミック』な領域を刷新することを目指しています。アーティストを選考する際の応募過程でもわかるように、将来的には、学ぶ領域や主題が今日の社会情勢に直結するようになるでしょう。2023年には、デジタルやオンラインの実践、ボイス・クリエイション、実験的でハイブリッドな分野に特化したプロジェクトが増えることが予想されます。ヴィラ九条山では、このようなクロスオーバーの実践を日々経験しています」
そのためにヴィラ九条山では、アーティストの研究活動に枠組みを提供する。その後通常アーティストたちは、静かな場所で知識を刺激し、成熟させ、創造性と直感力を高めるために必要であろう、およそ数ヶ月間の時を過ごす。「ヴィラ九条山では、アーティストやクリエイターが2ヶ月から6ヶ月間の滞在を希望しています(ヴィラ・メディチや、カサ・デ・ベラスケスの場合は1年)。一人でも、二人でも、日本人アーティストとの共同作業でも構いません。わたしたちの特徴は、アーティストが京都に滞在する前、滞在中、滞在後にも、それぞれに合ったサポートの機会を提供することです。これによりわたしたちにとっても、プロジェクトに対する理解が深まり、日本、フランス、そして他の海外での、プロジェクトの進捗をフォローすることが可能となり、その普及に大きく貢献することができます。毎年100件以上もの、京都(ヴィラ)で生まれた提案が、世界に発信されています」とチームは語る。ヴィラ九条山のプログラムのもうひとつの特徴は、他のプログラムとは異なり、滞在中にアート制作が必須ではないということである。
フランスのインディーゲーム・ディベロッパーであるクリストフ・ガラティは、このプログラムの恩恵を受けている。ガラティは12歳の時にRPGメーカーというソフトを使いながら、独学でピクセル・アートやストーリーテリングを学び、ゲーム制作を開始した。パリの大学 ISART Digital でゲーム・デザイン&プログラミングの学位を取得し、ゲーム業界で数年間働いた後、彼は独立して自分のゲームを作り始め、2018年に Nintendo Switchで『助けてタコさん(Save me Mr Tako)』をリリースするに至る。彼はなぜヴィラ九条山を選んだのか?ゲーム・デザイナーは語る。「子供の頃から日本の文化やゲームに魅力を感じていました。ヴィラ・メディチのドキュメンタリーを見て、ゲーム開発者のためにレジデンスがあれば夢のようだと思いました。過去には日本に来て「東京ゲームショウ」や「京都 BitSummit」で『助けてタコさん』を紹介する機会がありました。日本に戻ってゲーム業界を体験したいと思っていたので、京都にアーティスト・イン・レジデンスがあることを知り、我慢できずに応募しました。対象となる芸術分野にゲーム制作は含まれていませんでしたが、応募して合格し、5カ月間滞在して新しいプロジェクトを始めることができました」
クリストフ・ガラティは、ゲーム制作において、ヴィラ九条山での滞在がいかに重要であったかを語る。「ゲームをデザインするときのわたしのひとつの目標は、日本のゲームのある時代に敬意を表して、その描写美術を学び、そのコードを使って、よりモダンで個性的なものを表現することです。『助けてタコさん』ではゲームボーイ(8 bit)の時代に敬意を表しましたが、今回は『秘密プロジェクト(Himitsu Project)』のためにゲームボーイアドバンス(16 bit)での描写術に取り組みたいと思っています。コンセプトやストーリーのリサーチを始め、滞在中にゲームのプロトタイプを作り始めました。前回のプロジェクトで燃え尽きてしまった感のあったわたしにとって、ヴィラ九条山での滞在は、自分自身を見つめ直し、作品で伝えたいメッセージに集中し、アーティストとしての自信を深めるためのとても貴重な時間でした。このレジデンスに参加したことで、プロジェクトをスタートさせることができましたし、これから何年も開発を続けていくための燃料にもなりました」
レジデンスを離れてからも、ヴィラとゲーム・デザイナーとの特別な関係は続いている。「ヴィラ九条山のスタッフや、そこで出会った他のアーティストたちとは今でも連絡を取り合っています。プロジェクトを報告する機会である『¡Viva Villa!』で彼らと再会して感動しました。また、ヴィラ九条山滞在中に、ゲーム・ジャムを開催しましたが、いつか可能になったらまたやろうと話し合っています。またこの滞在は、アンスティチュ・フランセでの多くの機会ももたらしてくれました。今では、アートとしてのゲームについて話したり、このレジデンスについて話をしたりするようになりました。将来的には、より多くのゲーム開発者が自信を持って、芸術的な場所に足を踏み入れ、わたしたちのメディアが他のメディアと同様に芸術的であり文化的であることをインスティテューションに示し続けて欲しいと思います。また、わたしはいつか、ヴィラ九条山に戻って研究を続けられることを願っています。京都は魔法のような場所で、わたしは自分の一部をそこに置いてきたように感じています。戻れるようになる日が待ち遠しいですね」彼はそう語る。
【後編】へ続く
ピエール=ウィリアム・フルゴネーズ
神戸大学国際連携推進機構 国際教育センター
プログラムコーディネーション部門 特任准教授(文化・社会)
Pierre-William Fregonese. Interview with Christophe Galati. Personal interview. July, 2020.
Pierre-William Fregonese. Interview with the team of the Villa Kujoyama (Charlotte Fouchet-Ishii, Lauriane Jagault, and Satsuki Konoike). Personal interview. August, 2020.
L’Institut Franco-Japonais du Kansai (1927-2003). Kyoto: Institution Français du Kansai, 2003.
Serres, Michel, “Pour célébrer l’échange.”, Transcript of speech delivered at the Inauguration of the Villa Kujoyama, Kyoto, Nov. 5, 1992.
Villa Kujoyama 25 ans, ヴィラ九条山 25周年. Kyoto: Villa Kujoyama, 2017.