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自由民主の国だからと云って義憤に堪えないことも随分ある場所で
アメリカ滞在の技術的な覚書と少しそれ以外のこと(4)【後編】- 最終回
文: 金井学

2022.08.08
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ニューヨーク公共図書館 Library for the Performing Arts。手前はアレクサンダー・カルダーの彫刻。

資料を調査する/場所に訪ねる

さて作品は色々見て回ることができるようになったとして、僕の場合は前に書いたように色々と調べたいことがフランク・ステラ、マース・カニングハム、そしブラック・マウンテン・カレッジ(BMC)の三角形の間にあるので、60年代〜70年代の芸術実践の背景を探ろうとすると必然的に様々なアーカイブ資料を調査する必要が出てくる。特に、ステラとカニングハムのコラボレーションは当然のことながらもう実物を直接見ることは叶わないので、パフォーマンスの映像記録に頼るしかないし、BMCも50年代になくなってしまった大学だから、一般に流通している書籍や論文以上に踏み込んだ内容を知ろうと思うと、現地のアーカイブセンターを訪ねる必要も出てくる。上述の三者に関わるアーカイブもアメリカ国内にもいろいろとあるのだけれど、ここでは一例として、ニューヨーク公共図書館での調査とノース・カロライナ州立アーカイブでの調査を紹介したい。

ニューヨーク公共図書館 Library for the Performing Arts

ニューヨーク公共図書館(NYPL)といえばミッドタウンの本館は映画にもよく出てくるので知っている人も多いと思うけれど、NYPLにはこの本館とマンハッタンの各地域にある分館に加えて、4つの専門的な研究図書館を持っている。カニングハムとマース・カニングハム・ダンス・カンパニー(MCDC)の主たるアーカイブ資料は、実はその研究図書館の一つであるLibrary for the Performing Arts (LPA)のスペシャル・コレクションの中に収められている。LPAは、ニューヨーク・シティ・バレエ団の本拠地であるニューヨーク州立劇場(現D.H.コーク・シアター)、ニューヨーク・フィルの本拠地であるデイヴィッド・ゲフィン・ホール、ジュリアード音楽院などが集まるニューヨークの舞台芸術の集積地リンカーンセンターの中にあり、メトロポリタン・オペラハウスとリンカーンセンター劇場の間に挟まれるようにして、ひっそり佇んでいる。

さてこの研究図書館にアクセスする方法だが、まずは図書館利用にあたりアカウントを2種類作る必要がある。一つは図書館利用の一般的なアカウント、もう一つはリサーチ資料等のスペシャル・コレクションを検索したりアクセスしたりするためのリサーチ・アカウントだ。どちらもまずは住所や連絡先といった基本情報をオンラインで登録して仮アカウントを作り、その上で最寄りの図書館窓口に住所等の証明を持って行くと、利用者カードを発行してくれる。これで図書館利用の準備は完了だ。自分のアカウントで検索システムにログインし、資料を検索していくことになる。(余談だが、この図書館の一般アカウントを通して、自宅からJSTORにフルアクセスできるようになっていたのには心底驚かされた。2週間の閲覧件数制限も気にしなくて良いし、無論$1も払っていない。)

資料検索については、一般的な書籍等については通常通り検索をかけて興味があるものを探せば良いのだが、(アーカイブに触れたことがある人はご存知の通り)アーカイブ資料に関してはFinding Aidというアーカイブ資料ごとの資料目録から資料を探して行くことになる。アーカイブ資料によっては、特定の調査対象に関わる資料が複数のアーカイブ・コレクションに跨っている場合もあるので、その場合は複数のFinding Aidを横断しながら探して行くことになる。例えばアーカイブ検索システムで検索をかけると分かる通り、マース・カニングハムの場合には、(1)コレオグラフィー資料、(2)MCDCの関連資料(3)MCDC関連の追加資料、といった3種類のアーカイブ・コレクションがあり、それぞれがどのような資料を含み、どのような構造でまとめられているか、という情報が詳細にまとめられているのでこの中から見てみたい資料を探す。例えば僕の場合はこのFinding Aidの中から、1967年の《Scramble》に関わると思われる資料や、1948年〜1953年頃の記録の中からBMCに関わる資料、またBMCで教鞭をとったエリザベス・ジェンナージャーンやキャサリン・リッツの資料などを端から虱潰しに探し、アクセスしたい資料が見つかったらを、検索システムの中のマイ・リストに資料を追加して「これからチェックする資料リスト」をまずは作成する。

僕の経験でしかないが、はっきり言って、このFinding Aidとどう付き合えるかにアーカイブ資料の調査は全てかかっているといっても過言ではないと思う。もちろん事前に自分が把握している情報から、年代、人物名、場所、記録資料の種類を付き合わせて目当ての資料にあたりそうなボックスやファイルを見つけ出して行くのだけれど、しかしアーカイブごとに資料のまとめかたの癖のようなものも少なからずあって、そこに網を打つ上で、勘のようなものを掴むまでは少し時間がかかるのも事実。また資料の中には図書館が保管しているけれど、アクセスのための権限は別途トラストや財団が発行する種類のものもあり、少し複雑だったりもする。さてどうするか——そんな時は、最初は図書館司書の方のリファレンス・サービスの力を頼るのが一番良いと思う。コロナの影響もあって今はビデオチャットを使って図書館に行かずとも資料探しを相談することができる。ある程度日本にいる間にFinding Aidからリストアップしていたが、リファレンス・サービスで相談すると、LPAの司書の方はプロ中のプロで、他にも関連する資料等を次から次へとリストアップして下さっただけでなく、さらにはマース・カニングハム・トラストのディレクターの方にもあれよあれよと言う間に話をつないでくださり、最終的にはトラストの方とやりとりをして、そちらからもトラストが管理している映像資料や振り付け資料等へのアクセス権限もご提供いただくことができた。まさに「叩けよ、さらば開かれん」状態である。

MCDCのコレオグラフィー資料の入ったアーカイブボックス。アクセスするためにはトラストの許可が必要で、資料は複写禁止である。

そしてある程度リストができたら、いよいよ資料とご対面だ。システム上から資料リクエストを送るか、スペシャルコレクションの場合はメールで資料番号などとともに実際にリサーチセンターを訪問したい日などを送ると数日で司書の方から連絡があり、問題がなければ資料を用意に関する確認とリサーチセンターのアポイントメント詳細がメールで届く。当日は図書館の利用者カードを持ってリサーチセンターに行くだけだ。あわせてパソコンとカメラ(カメラ付きスマートフォン)も持って行くと良い。LPAに着いたら入り口で鞄のチェックを受けて入館し、一般資料のフロアを抜けてスペシャルコレクションの閲覧室のある3階までエレベーターで上がる。閲覧室には資料保全のために鞄の持ち込みが制限されているので(これは国立国会図書館と同じような感じ)入る前にコートチェックに荷物を預け、透明のビニールバッグを貸してもらえるので必要なものはその中に入れて閲覧室の中へ。資料の事前リクエストとアポイントメントが必要なアーカイブ資料閲覧は、閲覧室の一番奥のスペースで司書のガイダンスを受けながら利用するものもある。利用者カードをスキャンしてアポイントメント確認が終わると、リクエストしておいたアーカイブのボックスを受け取ることができる。あとは注意事項を守りつつじっくりと資料を探るのみ。といっても時間制限があるので、撮影可能な資料の場合には、とにかく目当てのファイルを開けては端から全て写真を撮ってパソコンにデータを転送する作業をひたすら繰り返し、使える資料の宝探しは家に帰って写真整理をしながらじっくりということの方が多い。もっとも大量に撮りたまった写真を読みつつ整理して行く作業はなかなか苦行なのだけれども……。

ただ《Scramble》のアーカイブ・ボックスからステージセットやコスチュームの生地サンプルが出てきた時には思わず手が止まってしまった。白黒のビデオから想像していたよりもビビッドな色と素材の質感!生地屋の住所も、当時ステラのスタジオ(ニューヨークでの多分2つ目のスタジオ)があった場所から2ブロックしか離れていない。ステラは作品にベンジャミン・ムーアを使うだけあって、この頃もやっぱり身近なところで素材を仕入れていたかしら——といったことも考える。こういう事もアーカイブ資料から得られる面白さの一つかもしれない。

1940年代以降のBMCエデン湖キャンパス。コーカー設計の建物も現存する。

ノース・カロライナ州アシュビルを訪ねる

BMCに関する主要なアーカイブの一つは、ノース・カロライナ州西部のアシュビルにある。アシュビルはBMCがかつてあったブラック・マウンテンの隣町で、ノースカロライナ州西部バンコム群の郡庁所在地だ。ニューヨークからはまず飛行機でシャーロットまで行き、そこからレンタカーを借りてさらに2時間ぐらい。このアシュビルの街にはBMCの歴史やコレクションを展示しているBMC美術館+アーツセンター(BMCM+AC)や、近年BMCのデジタル・アーカイブ・プロジェクトも行っているアシュビル美術館、そして市街地から少し離れたところにBMCにまつわるアーカイブ資料が収蔵されているノース・カロライナ州立アーカイブの西部分館(WRA)がある。ちなみにブラック・マウンテンには、30年代と40年代以降にBMCが所在したそれぞれのキャンパスと校舎がまだ残されている。

僕は昨年11月にエデン湖キャンパスのツアーが行われていたタイミングに合わせて最初の調査を行ってきた[*2]。利用に登録などは必要ないけれど時間が限られているので、事前に自分の身分やリサーチの内容や目的、そしてWRAの検索システムからBMCのアーカイブ資料のFinding Aidを確認した上で訪問予定と資料のリクエストをアーキビストの方に連絡しておく。僕は2019年に既にここを訪問していて、アーキビストの方の連絡先もわかっていたので、コロナの2年を経て久々の連絡を喜んでくださったようだった。出発当日、早朝にニューヨークを出発してお昼過ぎにアシュビルに到着。WRAはコロナの影響もあって午後2時に閉まってしまうので、初日はBMCM+ACで展覧会を見たり、車でBMCの最初のキャンパスであるブルーリッジのYMCAを見学したりして過ごす。そして2日目からが勝負だ。資料の利用方法はニューヨークのLPAとあまり変わらない。建物を入って受付で氏名などを書き、アーカイブの閲覧室がある2階へ。鞄や不要な私物はロッカーに入れて閲覧室に入ると担当の方が迎えてくれる。朝9時から時間が許す限りコレクションの箱を開けて写真を撮る。

[*2] なおBMCに関する調査実施の一部については多摩美術大学の共同研究プロジェクトの支援を受けている。これも記して感謝したい。

ノース・カロライナ州立アーカイブ西部分館。

閲覧室の様子。

WRAが所蔵しているBMC関連のアーカイブ・コレクションはいくつかに分かれているので、それぞれの検索システムで資料をピンポイントで探しつつ、引っかかってくるコレクションのFinding Aidについては別途確認して関連しそうな資料類をリストアップするようにしている。コレクションの中でもいくつか中心的なものがあって、例えば、(1)BMCの大学としての各種の記録資料で教員や学生のリスト、財務諸表、会議の記録、学生の入退学の記録等々の記録資料、(2)60年代〜70年代にマーティン・デュバーマンが行った調査の際に集められた資料(これをまとめたものが、デュバーマンの『Black Mountain: An Exploration in Community』である)、そして(3)1970年〜73年にノース・カロライナ美術館が行った「BMCリサーチ・プロジェクト」、(4)1969年から始まった在野研究者で『The Arts at Black Mountain College』の著者であるメアリー・エマ・ハリスが単独で行ってきた「BMCプロジェクト」を通して収集されたコレクションなどがある(なお、「BMCリサーチ・プロジェクト」の中でもハリスは中心メンバーの一人である)。また、これ以外にもBMC関係者から寄贈された資料体などもいくつもあるので、調査内容によってはそれらも調べる必要がある。やはりそれぞれのコレクションに特徴があるので(例えばBMCの大学としての財務状況や学生数の詳細な変化などを知りたければ、大学の記録資料を、BMCに関わったアーティストや学生の体験や声に興味があれば、インタビューなどが多く含まれるデュバーマンやハリスが作ったコレクションなど)その辺りはFinding Aidと睨めっこをしつつ、また司書の方のアドバイスもいただきつつ絞り込んでいく、という感じだろう。僕もいくつか面白そうな資料を見つけつつあるけれどまだ道半ばといったところ。昨年末に色々な縁から、ニューヨークでハリス氏と直接お話しすることができたことも大きい。また少ししたら2度目の調査に行こうと思っている。

BMCエデン湖キャンパスの食堂棟。

アシュビル滞在の最終日には、40年代以降BMCがあったエデン湖キャンパスのツアーへ。BMCに興味を持ったことがある人は必ず見たことがある、あのエデン湖畔の校舎は、今は子供たちのサマー・キャンプの場所として使われているのだが、今もなお、シンボルであるスタディー棟をはじめ、1948年の《Ruse of Medusa》でカニングハムがモンキーダンスを踊ったり、1952年に《Theater Piece No.1》が行われた食堂棟などがそのまま残されている。実際、場所を訪ねるのも大切なことて、文章や写真の中で調べていたことでも、実際の場所の広さや雰囲気から感じ取られることはやっぱり大きく異なる。

BMCはノースカロライナの田舎町ブラックマウンテンのさらに外れにあって、資金が全然足りなくてマルセル・ブロイヤーやヴァルター・グロピウスの設計を諦めてローレンス・コーカーのデザインした建物を学生と一緒に建て、大きな室内空間は食堂しかなかったからカニングハムは自ら毎日の朝食後に掃除をして椅子とテーブルを脇に片付けてからダンスのレッスンを行い、校舎の脇の草っ原(当時は畑があったところの近くだど思う)みたいなところでバックミンスター・フラーの最初のジオデシック・ドームは大失敗して立ちもしなかった——それがこの場所だ、ということには随分励まされるところがある。もちろんBMCはかなり特殊な人的ネットワークが背景にあって、当時からも色々なところで注目を集める状態にあったのは事実だけれど、実情としてはいつもお金に困っていてコミュニティ内の諍いも絶えず、そんな中で色々な物事を手作り感満載の工夫でどうにかやりくりしている。実際のキャンパスを訪ねて少し薄暗い食堂棟の中にいると、これはものすごいリアリティを持って感じられるし、例えばケージが度々口にする「Function」と言う言葉もまた別のリアリティを帯びてくる。そしてこの手作りの場所で、実際に色々なことが始まったのだという事実は、これまでいつもキッチンテーブルやベッドサイドに新聞紙をひいて作品を作ってきた僕にとっては大きなことなのだ。

さて、とりあえず僕はこんな事をしながら過ごしています、という事で誰かの何かとって役立つようであれば嬉しい限り。そしてアメリカで今こうして(永井荷風とはまた別の義憤にしばしば激しく駆られながら)アーティストとして過ごしているこの時間からも、何かが始まっていくことがあるのだろうか——そんなこともたびたび思う今日この頃です。

おわり

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金井学(かない・まなぶ)
アーティスト。1983年東京生まれ。自由学園卒業後、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)修士課程を経て、東京藝術大学大学院博士課程美術専攻修了(博士:美術)。2021年より文化庁新進芸術家海外研修制度でニューヨークに滞在中。