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自由民主の国だからと云って義憤に堪えないことも随分ある場所で
アメリカ滞在の技術的な覚書と少しそれ以外のこと(1)
文: 金井学

2022.02.07
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Photo by Kanai Manabu

はじめに

10月のはじめにアメリカのニューヨークに暮らし始めてそろそろ3ヶ月になる。滞在予定は1年間。このアメリカ滞在は文化庁の新進芸術家海外研修制度によって実現したもので [*1]、ブルックリンでアーティスト・イン・レジデンス(AiR)を運営するResidency Unlimited(RU)のプログラムに参加しながら、リサーチと実践的な制作活動を両輪とした活動に取り組んでいるところだ。

今回ICA京都からお話を頂き、僕のアメリカでの活動の経験等を書かせて貰えることになった。何を書くのが有益か色々と考えたのだけれど、僕自身の活動そのものの入り組んだ説明に紙数を費やすよりも、もうちょっと生々しい技術的な事柄を記すのが良いのではないかという結論に至った。というのも、文化庁の新進芸術家海外研修制度や海外のレジデンシーについては、一般にその存在自体は知られるようになってきたとはいえ、では具体的にそれをどう準備したのか、資金はどうしたか、受け入れ先はどこでどのように見つけたのか、実際に現地のリサーチ活動等はどのような手続きで進むのか……それらは殆ど知られていないように思うからだ [*2]。今、大学や大学院で学んでいる人たちが今後の活動の展開を考える上で、AiRの魅力や国外での滞在活動の意義や可能性といった情報はとても大切だと思うけれど、他方である種の下部構造のような話もまた必要なのかもしれない。もちろんこれから僕が書くことは僕自身の一つの経験に過ぎないし(それに、状況は常に変わるし間違っている部分もあると思うので、必ず自分でも調べて欲しい)、人によっては新しい情報はほとんどないと感じるかもしれないけれど、ケース・スタディの一つとして少しでも何か役に立てば嬉しく思う。

Frank Stella, 《Jasper’s Split Star》, 2017. Photo by Kanai Manabu

ということで、これから技術的なことを中心に書くつもりだけれど、そもそも僕が何者で、今アメリカでどのような活動を行なっているかはある程度書いておいた方が良いとは思うので、枕として簡単な自己紹介も書いておこう。僕はアーティストとして活動していて、しかしシンプルに何らかのモノを作るというよりも(最終的に何らかのモノを作るのだけれど)、「人間が特定のモノを作り出すプロセスにおける思考」についてあれこれと考えることを通して自分自身の芸術実践を展開する――というようなことに取り組んでいる。もう少し踏み込んで書くと、僕は芸術(作品)というものをある種の固有の言語ないし固有の技術的対象物として生成された個体として捉えていて、そういったモノの生成の論理を考えること、そしてそこから自分の制作の方法論を作り出すことを活動の中心においている。この5~6年は特に1960年代後半から1970年代にかけてアメリカで起きていた芸術の展開、一般にミニマリズムからポスト・ミニマリズムへの変遷として位置づけられる芸術実践の展開の背景にある創造的なプロセスについて自分なりに考えていて(特にその中でも僕が集中的に検討しているのはフランク・ステラなのだが、とにかく)、この関心を基礎としてアメリカでの活動が構想され、何年かかけて準備をしてきてようやくAiRや文化庁のプログラムに採択されて実現の目処が立ち、そして10月にニューヨークにやってきたというわけだ。

さて、長たらしい前置きはこのぐらいで、ここから現在の活動の準備のこと、こちらでのリサーチの進め方、制作のことなどを書いてみようと思う。何回かの連載に分かれると思うけれど、今回は実際の滞在活動の準備やその経緯について書いてみたい。

[*1] これは日本の税金によって賄われているもので、納税をされている全ての方に記して感謝したい。
[*2] アーティストの田中功起氏のウェブサイトには限られた情報ではあるけれど、彼が文化庁新進芸術家海外研修制度で3年間アメリカに滞在した際の具体的な準備が共有されていてとても貴重だった。またアーティストの増山士郎氏も色々な場所でAiRやそのための助成金等に関する情報を発信して下さっていて(おそらく今も)、多くの人が参考にしていたように記憶している。この僕の文章も、多少なりともそのような形でどこかの誰かに役立つことを願う。


どこで、何を、どのくらい

この文章を読む人はレジデンシーや助成金/奨学金等の機会を活用して日本国外にわざわざ行くことを考えているはずだから、その意図や理由は既に明確にあるはずで蛇足かもしれないけれど、活動とその期間のバランスについて少しだけ僕の考えを記しておきたい。

僕は今回の文化庁のプログラム以前に1年間の海外研修や数回の2~3ヶ月程度のAiRでの滞在活動を経験する機会があって、それらを経て「どこで、何を(渡航先と目的)」を考えるのと同じように、「どのくらい」が実はかなり重要だと考えるようになった。なぜかというと、1年以上の滞在の場合、その期間の長さ故に避けがたい「主たるプロジェクト”以外”の時間」、つまりただ街を移動したり普通に生活をしたりしている時間が相対的にかなりの長さになるから、「プロジェクトの円滑な実施」に心を砕きすぎると、結果的に「それ以外の時間」が無駄になる場合があると実感したからだ(逆に「特定のプロジェクトの実施」のみに限れば、時間とお金を集中させた方が効率は良いはず)。長期滞在の場合には、自分自身の具体的な興味関心を中心にしながらも、その場所で自分の興味関心の周縁にあって、そしてその興味関心を浮上させる条件となっているようなその国や社会や街の環境や文化や人々といったことの全体に惹かれる予感があるかということ、そういったものの経験が自身の芸術実践を基礎付ける思考に影響を与えそうな感触があるかどうかが、その人の今後の芸術活動の展開にとってその滞在活動が持ち得る本質的にな価値を大きく左右するのではないか、と僕は考えるようになった。

もっとも、各種助成金等へのアプリケーションのプロポーザルにそうした予感めいたものを埋め込もうとすると、必然的にそれは抽象的になり、文字数が限られる中での説明は難しくなると思う。それに、どうにかその予感を含み込んだ「抽象的なアイディアの具体性」を具体的に説明したところで、審査する側がそれを理解してくれるかどうか(理解する力があるのかどうか)は分からない。というか幾分怪しい。でもやはりそれは芸術実践の本質的な発展という意味でとても大切なことだと僕は思っていて、人によっては、そういうのは腹に抱えた上で「アプリケーションでは分かりやすく戦略的に書く」場合もあるのかもしれないけれど、個人的にはちょっとチートな気もするし、何より審査する側を甘やかしてダメにするばかりだから、やめた方が良いと思っている。

お金とビザ

取り組みたいこと、いくべき場所、そして必要な期間が見えてきて、そうなると今度は実現するための条件を整えることになる。現実問題として誰しもが考えるのは資金とビザの問題で、両者は無関係ではない。日本を一歩でも出たら、我々はそこにただそこに存在することに対しても許しを請わなければいけないし、さらに、そこに金の問題が絡んでくる、なんとも無情の世界に直面することになるのだ(そして翻って考えてみれば、日本に外国籍で暮らす人々がこれを生きていることは思い出されて良い)。もちろん自分で滞在活動に必要な資金が用意できて、その滞在期間が3ヶ月未満程度であり、滞在先国がビザ免除国であれば長めの旅行みたいな扱いで問題はないけれど、それ以上の滞在になると資金が多く必要になり、また同時にビザ取得問題が発生する。滞在予定の国の組織と繋がりがあってビザを取得できれば良いが、ただの一人のアーティストとして一時的な滞在(移民や就労を考えているのではない)となると多くの場合は訪問用ビザ取得を目指すことになるはずで、そのためには現地で就労せずに活動し得るだけの資金の証明が必要になる。数ヶ月~1年分の費用となると普段から経済的に厳しい状況にある場合が多いアーティストが、それを自己資金のみで行うのは難しい(少なくとも僕にはそうだった)ので、そのような活動を支援してくれる助成金やプログラムを活用を考えることになる。

2~3ヶ月の一般的なAiRや中期的な滞在であれば様々な選択肢があって、AiRプログラム自体が資金的な支援も含めて招聘してくれる場合もあれば、AiRプログラムへの参加に対して助成金を提供してくれる団体や組織も複数あるので、ひとまず今回はおいておく。問題は長期的な滞在の場合で、一般に開かれているチャンス(特定の学校や団体に所属していることを条件とせず、また招待制でなくて応募可能なもの)を考えると、(1)大学への留学を考えるか、(2)プロフェッショナルなアーティストの養成機関か、(3)文化庁や財団等のサポートを得る、の3つが主だった選択肢になると思う。(1)は外国政府奨学金やそれに類するもので、応募資格があって滞在活動を大学や研究機関に所属して行うのが有益な場合には選択肢になると思う。(2)については、オランダのライクスアカデミーやドイツのアカデミー・シュロス・ソリチュード等で、競争率はとても高いので簡単では無いけれど、もし自分が活動したい場所にそのような施設があり、年齢などの応募条件を満たしていて、プログラムに魅力を感じるのであれば(そして応募して見事採択されれば)とても良いのではないかと思う(残念ながら僕は採択されたことが無いので中の様子までは分からない)。そして(3)の選択肢が、今僕自身が支援を受けている文化庁のプログラムや各種財団のフェローシップやグラントのことだ。

(3)についてもう少し詳しく書くと、国の制度(文化庁)と民間の財団や団体(国内/滞在予定の国等)のものとがあって、前者は文化庁の新進芸術家海外研修制度、後者は国内ではポーラ美術振興財団吉野石膏美術振興財団、アメリカの場合ではアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)やポロック・クラズナー・ファウンデーション等がある。支援の内容やプログラムもそれぞれ違うので一概には言えないけれど、国内プログラムに限れば「滞在活動(研修)の現地受け入れ先が決まっていること」や年齢が条件になっている場合が多いので、応募要項を確認しておく必要がある。

Photo by Kanai Manabu

文化庁の新進芸術家海外研修制度

ここからは文化庁の新進芸術家海外研修制度のより具体的なことについて。現地の「受け入れ先」についてはまた後で触れるとして、まず全体的なことを書いておきたい。新進芸術家海外研修制度は、「研修」という形での1年間~3年間の海外の滞在活動に対して渡航費や滞在費を支援してもらえる制度で、まずこのようなプログラムが存在すること自体は素晴らしいことだし、アーティストのみならず芸術関係者のみならず社会に広く知られるべきことだろう。

公募は年に1回。今のところ夏頃に締め切りが設定されていて、応募書類を提出するとその書類によって一次審査が為され、結果(と二次審査の案内)が手紙で届く。そして二次審査の面接が1月~2月頃にあって、3月中に最終的な結果が届くことになる。採択された場合には翌年度の9月~3月までに研修を開始しなければならないから、会社勤めをしている場合等はその仕事をどうするか考えておく必要がある。勤務先の条件にもよるけれど、僕の場合は仕事を辞めて来ている(そして、残念ながら作品の売り上げで生活できているわけでも無い)から、帰国時は「39歳、無職」になる。この年齢で全く歓迎すべき事態では無いけれど、このようなリスクはどうしても引き受けざるを得ない。

資金については、世界の国や都市が各地の物価等に基づいていくつかのエリアに分けられていて、それに応じて支援金額が決まっているため、予め計画を立てることができる。問題は概して現在の国際的な物価水準に比して金額が低いこと、また近年の物価や為替の変動がエリア分けに十分に反映されていない地域があること、そしてその一方で研修期間中の労働が禁止されていることで(とはいえ、その理由が「労働などせず研修に集中すべし」というのはその通りだと思う)、要するに「お金が足りない」という状況に陥る可能性がある――とりわけ積極的に色々なことを行おうとすればするほどその可能性が高まるということだ。加えて、海外で滞在活動と言っても、実際問題として日本国内のどこかに多少の荷物を保管する必要もあるし、僕のように仕事を辞めて渡航する場合には帰国後から仕事が見つかるまでの期間を食いつなぐためのお金や、また人によっては子供や家族が日本国内で生活を続けるのにその資金をある程度出す必要がある場合もあって(一緒に渡航する場合にはもっと必要だ)、研修以外にも当然お金がかかる。応募へのリアルな準備としては、事前に研修以外にも発生する費用も含めて計画を立て、そして必要に応じて「まずは貯金から始める」ということがおおいにあり得る(一定程度の人はそのように準備をしている)ことも、もう少し知られても良いと思う。個人的には、そもそも日本国内のアーティストの経済状況を考えた時、国の、しかも「新進芸術家(Upcoming Artists)」の支援制度が、現実的にはある程度の自己資金を要する状況にあるのが果たして望ましいことなのか否かは改めて考えられるべきではとも思うが、兎にも角にも、さしあたって現状はこうなのだと書くに留めておく。

アメリカ渡航のためのビザの申請は、これも受け入れ先をどこにするかによって取得できるビザが異なり、アメリカ政府の認証を受けている大きな組織や研究機関であればJビザ(交流訪問者)が取れたり、アーティストのキャリアや複数年滞在の必要性によってはOビザ(卓越能力者)の取得を検討する場合もあるけれど、僕の場合は滞在予定が1年だということ、それから受け入れ先が小さなNPO組織であることもあって(Jビザのスポンサーではない)、先に触れた一番シンプルな訪問を目的とするBビザ(商用/観光)を取得して滞在している。申請はオンラインでのアプリケーションとその後のアメリカ大使館での面接で、コロナの影響もあって面接日程がなかなか予約できず時間はかかったものの(3ヶ月程度かかった)、手続き自体は必要な書類(文化庁からの資金と研修員身分の証明レター、受け入れ先からのレター、自己資金に関する書類等)が揃えばとてもシンプルなものだった。ビザそのものの取得とは別に、アメリカの場合は最終的な入国許可や滞在期間は入国時、空港に到着して受ける入国審査の段階で決まる。聞いた話では「Bビザの場合はまず6ヶ月の滞在許可が下り、その後アメリカ国内で滞在延長申請を行い1年間滞在する場合が多い」ということだったのだけれど、僕の場合は担当の審査官が親切だったのか色々と状況を説明したところ1年間の滞在許可をその場で出してくれたため、あっさりと1年間滞在できることになった(たまには幸運が訪れることもある)。

アメリカ滞在の技術的な覚書と少しそれ以外のこと(2)
アメリカ滞在の技術的な覚書と少しそれ以外のこと(3)
アメリカ滞在の技術的な覚書と少しそれ以外のこと(4)【前編】
アメリカ滞在の技術的な覚書と少しそれ以外のこと(4)【後編】



金井学(かない・まなぶ)
アーティスト。1983年東京生まれ。自由学園卒業後、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)修士課程を経て、東京藝術大学大学院博士課程美術専攻修了(博士:美術)。2021年より文化庁新進芸術家海外研修制度でニューヨークに滞在中。