AIRアーティスト・イン・レジデンスとは何か?(4):
レジデンス・ネットワーク ― マイクロレジデンスの発見
文: 村田達彦
これまで欧州、中東、豪州などとの国際交流の諸活動の実践を通してレジデンス事業を進めた遊工房は、2000年に入り、アート活動の中心拠点を東京杉並区善福寺に、主に現代美術の発信を目的とするギャラリー、創作スタジオ及び滞在施設を備えたアートの複合施設として再生した。名称も「スタジオ遊工房」から「遊工房アートスペース」と改め、グローバルな活動として、国内外のアーティストの受入や国内のアーティストの海外派遣をする拠点となり、また、地域に根ざしたローカルな芸術活動を並行して展開する為の事業体制を整え、AIR公募も開始した。
過去の滞在者からのアクセス、レジデンス運営者との交流から生まれる多様な形の受入や派遣支援、国際交流機関からの受入要請なども加わり本格的なレジデンス活動の始まりとなった。レジデンスに関わる会員制の国際ネットワーク ResArtis(ResArtis, Worldwide Network of Arts Residencies, 以降RAと記載)へ2001年に加盟、以降、遊工房活動の大事な下敷きとなって行った。
2年ごとに開催されるRAの世界総会へは、「RA Sydny & Melbourne 2004」に初参加し、「世界の大都市・東京で世界最小のレジデンスの運営者」と自己紹介した。その後は機会あるごとに参加、世界のレジデンス運営仲間と触れ合い、相互訪問などの本格的な交流の始まりと共に、2007年にはRA運営にも参画、会員担当理事として8年間の任期も始まった。RA世界総会における活動は、開催国・都市のレジデンス事情理解、会員間交流と共に、開催時点でのホットなテーマの議論が活発に行われ充実したものであった。
遊工房の国際交流基金招聘プログラムによるアーティストの1996年の受入に次ぐ第2段は、フィンランドの彫刻家アンティ・イロネン氏。2002年正月より半年間の遊工房アートスペースでの滞在制作体験は、日本の木材、大工道具をはじめとする日本独特の事物との接触により、本人の創作領域を益々豊かにした。また、自然環境の中で暮らす北欧人の意識と幾つかの野外アート展の体験、そして、当時地元に根付いたアート活動を模索していた我々の思いと呼応し、都立善福寺公園での野外アート展「トロールの森」の始まりとなった。「遊工房での滞在は、私自身そしてアーティストとしての私のキャリアにとって非常に重要であるだけでなく、フィンランド・イーでの KulttuuriKauppila Art Center (以降KKACと記載)設立へと私を突き動かす決定的な出来事であった」と本人は述べている。
地元アーティスト仲間と、地元自治体と共にEU政府からの支援も得ながら、このKKACを設立、そして地元での野外展 Art Ii Biennial の開催、首都ヘルシンキとは異なるスカンディナビア北部のラップランド独特の活動を輝かせている。現在はその後当該アートセンターとは独立した民営のレジデンス Art Break を設立し活動中だ。設立に当たっては当方の活動支援も功を奏し、相互に協働する存在となり、RAの運営活動参加へと広がっていった。会員担当理事であった時期に、RA会員だけにとどまらない、世界に広がる多種多様なレジデンスの存在の実態とその分析を国内外のレジデンス仲間の協力も得て行うことが出来、「マイクロレジデンスの発見」につながることになった。[*1]
[*1] 「小さなアートの複合施設から大きな可能性を!―マイクロレジデンスの調査研究(中間報告)―」 「RA 2012東京」開催は、当時の東京ワンダーサイト(現TOKAS)と協働して東アジア初の開催が実現することになったが、その開催を控えた2012年正月にRA戦略会議(イスタンブール)で、マイクロレジデンスの存在をアピール、東京大会で1つの大事なセッションの場とすることが出来たのは幸いであった。[*2]その後2013年、各国のマイクロレジデンス運営者が遊工房に集い、女子美・日沼禎子研究室(美大初のレジデンス研究拠点)の参画も得て、東京首都圏、福岡・糸島、陸前高田ほか国内の施設訪問を通した調査の実施、マイクロレジデンス自身のウェブ発信など、国際ネットワークのスタートとなり、「AIRを考える、アーティストの創作活動の場(館)―その社会装置としての仕組み、ネットワークの可能性」として公開した。[*3] その後、マイクロレジデンスのネットワーク会合は2014年清州・韓国、2015年さいたま、2016年エレバン・アルメニア、オウル・フィンランドと広がり、それぞれの運営主体主導での開催が続いた。[*4]
これらマイクロレジデンスの発見とそのネットワーキング推進の活動は、国内外アーティストの受入れと共に交換プログラムとしての自国アーティストの海外レジデンスへの派遣、さらに若手アーティストのレジデンス体験機会創出への活動などに発展する等、諸々の試行錯誤の始まりとなった。特にレジデンスプログラム自身の社会的存在の希薄さ、当時の若手アーティストの異文化における創作滞在体験機会を創出する仕組み作りの重要性など、この先の活動に、大事な道しるべとなった時期であったと考えている。
並行して国内のレジデンスのネットワーク「J-AIRネットワーク」にも参画、在京の利点を生かした各国大使館の文化センターをお借りしてのフォーラム開催などの積極的な活動は、滞在制作希望のアーティストへの支援への大きな力となった。[*5]
[*2] 「アーティスト・イン・レジデンス、マイクロレジデンスからの視点」[*3] 「AIRを考える、アーティストの創作活動の場(館)―その社会装置としての仕組み、ネットワークの可能性」
[*4] Microresidence Network Web Site
[*5] J-AIR Network Forum 委員会
ここで、マイクロレジデンスという名称について一言。
2005年遊工房に3か月滞在制作活動したニューヨークからのアーティスト、ルイス・レコーダーとサンドラ・ギブソンが自らの滞在体験から遊工房を形容した言葉に由来している。[*6] 当時の仲間との共通認識としては、アーティスト主導の、独立した考えで運営している、規模の小さなレジデンスプログラムをイメージしている。具体的な特徴は、小規模(施設、予算)、アーティスト・ラン、インデペンデント、グラス・ルーツ(草の根)交流、フレキシブルで充実したサポート体制や、人と人の繋がりを大事にしているといった点が挙げられる。RAに限らず、オランダ発信のTransArtistsのAIRデータベースから、数多くのAIRが世界中に展開されており、大規模機関のレジデンスだけでなく、様々な形態や規模のレジデンスが存在していることが分かる。
AIRをどのように定義するか、また、どのような機能を持ち、どのような利点があることが適切なのかという問いの答えは、それぞれのレジデンス環境、社会的な背景と照合しながら再考することで見つかるのだろうか。結論を待つまでもなく、今日も、アーティストやアート団体が、独自のアートスペースを作る動きは継続していると思われる。成長する小規模レジデンスは、AIRプログラムに対して新しい方向性を示していると考える。2020年初めに端を発したCOVID-19によるパンデミックは多くのAIRプログラムの停止、消滅にもつながった一大事であったが、アーティストが自主的に運営する等身大のAIRマイクロレジデンスを含む多様なAIRが、直接の対話・交流の再開によりレジデンスの活動と存在の実態を広く周知し、AIRの社会的な器としての存在意義と、職業としてのアーティストの存在という根本的な課題に答えを作っていくであろう。[*7] [*8]
[*6] 東京のマイクロフレキシブルアートコミュニティ[*7] COVID-19がクリエイティブや芸術団体に与える影響に関するレポート2020
[*8] 「パンデミック禍で考えたことーAIRとパンデミック研究会報告2020」
- 『AIRアーティスト・イン・レジデンスとは何か?(1): ― 遊工房レジデンスの始まり』
- 『AIRアーティスト・イン・レジデンスとは何か?(2): ― 彫刻シンポジウムのこと』
- 『AIRアーティスト・イン・レジデンスとは何か?(3): ― 遊工房の50年、そしてレジデンス活動30年と藤野別館のこと』
村田達彦(むらた・たつひこ)
30年の技術者としての生活の後、1988年より、創作・展示・滞在のできるアーティストのための創作館・遊工房アートスペースをパートナである村田弘子と共同で東京に設立。2010年から、マイクロな存在の独自の運営をしているアーティスト主導の世界にあるAIRプログラムを「マイクロレジデンス」と名付け、その顕在化、AIRの社会装置としての役割についての調査・研究を国内外のネットワークを通し推進している。
2015年からは、レジデンス活動と美大との連携による、Y-AIR, AIR for young(AIR活動機会をもっと若手作家へ!)の実践も展開している。遊工房アートスペース・共同代表。Res Artis名誉理事。