江之浦連歌
有時庵(磯崎 新)+呆気羅漢(杉本博司)
解説:浅田 彰
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付記 浅田 彰杉本博司が相模灘を見晴らす斜面に建てた江之浦測候所(日本の近代建築のパイオニアである堀口捨己の大島測候所を意識したネーミングだろう)は、夏至と冬至の日の出の方向を向いた100メートルのギャラリーと隧道を軸とし、極端に言えば夏至と冬至に日の出を「観測」するためだけに建造された装置である。そこではモダニズムの幾何学的構図とアニミズムないし神仏習合のシンボリズムとがきれいに重ね合わされていると言ってよい。かつて二度ほど訪れたことのある私も、日の出を見るのは今回が初めてだったが、絵葉書のような日の出こそ見られなかったものの、太陽が雲間隠れに上っていくにつれ光の面としての空と海、そして光学硝子を敷き詰めた舞台が刻々と表情を変えていくさまがことのほか美しく、太陽という物体ではなく光を見るのが目的なのだからむしろこの方がよかったのだとさえ感じた。忘れがたい一時だった。
しかし、それだけではない。江之浦測候所には訪れるたびに石舞台、茶室(利休の待庵を本歌とする「雨聴天」)、神社(鹿島の神が奈良の春日まで旅する途中で立ち寄った御旅所と称する)など多種多様な要素が加わり、率直に言うと「あまり夾雑物を増やさない方がいいのではないか」と思ったこともあるのだが、今回、三度目に訪れてみると、ミカン畑の斜面を下ったところにあるトタン屋根の小屋に昔の農具と並んで化石まで展示してあったりして、ここまでくるとむしろ面白いと考え直させられたのである。さまざまな時代、さまざまな場所の遺物(とくに、京都の市電の敷石から、法隆寺若草伽藍の礎石、さらには古生代の化石にまで遡る多種多様な石)をアナクロニックかつアトピックに寄せ集めることにより、ゲーテやベンヤミンの言葉で言えば、シンボル(一見して意味を直観でき、それによって意味に還元される記号)がアレゴリー(解読コードが歴史的に錯綜して意味が不確定になり、意味に還元できずに物質として残存する記号)に、こぎれいな擬古典主義が過剰なバロックに転化している。ここが遠い未来に発掘されたら、そのアナクロニーとアトピーが未来の考古学者をさぞかし困惑させるだろう、と想像してしまうほどだ。
いわば捏造された廃墟とも言うべきこの場所を訪れた客の磯崎新と主の杉本博司の冗談めかしたやりとりは、日の出を見たあと私を含めて行われた鼎談(「瑠璃の浄土」展図録所収)の余白で、そこで語りきれなかったことどもを静かに呟いているかのようだ。
なお、杉本博司の最初の建築・作庭作品である IZU PHOTO MUSEUM はパトロンであるスルガ銀行創業家が不正融資問題で引責辞任してから一時休館中だが、われわれが鼎談後に訪れたMOA美術館も杉本博司が展示空間のリノヴェーションを担当して見事に生まれ変わった(長大なエスカレーター・ホールだけは手の付けようがなく、世界救世教から分立した神慈秀明会のMIHO MUSEUMにI.M.ペイがつくったトンネルと橋には比肩すべくもないが)。相模灘を見晴らすロビーには、大型版の「海景」も展示されている。