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アーティスト・イン・レジデンス(2):
AIR〜場との出会い、対話がもたらす唯一無二の表現。異文化への理解と敬意
文: 日沼禎子

2022.12.01
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写真提供:土屋公雄

私にとって、AIRという未知の世界に初めて触れるきっかけは、1990年初頭、大学卒業後に勤務したギャラリーでアシスタント(見習い)をしていた時であった。初めて現代美術を扱う仕事に携わることの喜びと戸惑いの日々を過ごしていたとき、日本の現代彫刻家3名の連続個展が企画され、その1人である土屋公雄氏 [*1] との出会いは、その後の自分の人生を大きく変化させる出来事であった。土屋氏の作品とその人柄は、これまでの自分の経験の中での「彫刻」と「彫刻家」に対して持っていたイメージを払拭する独特の世界を纏っているように見えた。それは一言でいうと「異国の匂い」だったと思う。

土屋氏は1981-83年の渡英後、1989年にチェルシー美術大学大学院彫刻科修士課程を修了し、ブリティッシュカウンシルよりグラントを取得。1990-91年に原美術館とロサンゼルスカウンティ美術館による、日本の優れた美術表現を海外のアートシーンに紹介する展覧会「プライマルスピリット 今日の造形精神 展」では、遠藤利克、笠原恵美子、川俣正、戸谷成雄等とともに参加。その後もイギリスを中心に、フランス、ベルギー、カナダ、ノルウェーなどでの数々の彫刻プロジェクトや展覧会に参加し、中でもAIRという仕組みの中での経験、インスピレーションから生まれる作品、活動は国際的に大きな評価を獲得していき、その最たるものとして、1999年にロンドン芸術大学(UAL)オノラリー賞を受賞し、名誉学位を授与されるまでに至っている。

さて、ギャラリーでの話に戻りたい。土屋氏の個展の準備期間、打ち合わせの場の末席で、私は土屋の語る数々の海外での経験、とりわけAIRでの制作経験とその地にまつわる物語に魅了された。フランス、リモージュの古城で、ベルギー、アントワープの森で、土屋はその土地にまつわる素材を集め、人々との協働を通じて、サイトスペシフィック、つまり世界でただ一つの作品を生み出すための旅を続けているのだという。中でも、ナショナルトラスト運動のはじまりの地であり、ピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポターゆかりの地として知られるイギリスの湖水地方に位置する野外彫刻の森「Grizedale Forest Sculpture」での制作にまつわる物語は、まるで現代のおとぎ話に触れたように鮮烈な印象を与えた。

産業革命期の19世紀末から始まった地域住民による募金、寄贈による自然保護運動の流れを汲む「Grizedale Forest Sculpture」のプロジェクトは、国内外の優れた芸術家たちの作品を森の中に設置し、その作品との出会いを求めて訪れた人々がこの地に滞在することで、自然保護への理解だけではなく、地域経済にも寄与する活動である。この森での制作のために、アーティストは中長期にわたりこの地に滞在するというAIRの仕組みを持っているが、中でもこの森には大切な掟があるのだという。それは、作品を設置する場所や素材を得るために樹木を伐採したり、土地を造成してはならないこと。看板を立てたりキャプションを設置してはならないこと。そして作品は、やがて長い月日の中で朽ち、自然に還っていく素材を用いなければならないということ。作品は「アート」である以前に、森を訪れる人々の道祖神のような存在であるように。私は、人間と自然との関係性をつなぐアートのあり方、そして人間優位のために損失してしまった過去の過ちをなかったことにせずに、その再生への道のりの中にアートが内包されているということに感銘を受け、そしていつか必ずその場所に訪れたいと考えるようになった。

そして、その機会は、意外にも早くやってきたのである。勤務していたギャラリーが、その3名の連続個展を終えた頃に、さまざまな理由により解散、閉鎖を余儀なくされ、就職後1年にも満たないうちにフリーの身となることとなった。しかし幸いなことにギャラリーディレクターのご尽力で次の就職先を紹介していただき、その仕事が始まるまでの時間がぽっかりと空くこととなった。そして私は、ロンドンに住む友人を頼ることにし、約2ヶ月の居候滞在、いわゆるモラトリアム期間を獲得することができた。ロンドンでの生活は、ウィークデイの午前中は語学学校へ通い(あまり上達はしなかったのだけれど)、午後は美術館、ギャラリー、劇場を回る日々。今思うとそれは、本当に夢のような時間だったと思う。そして、とある週末に、いよいよGrizedale Forestへ。

ユーストン駅から約3時間でウィンダミア駅に到着。乗降客たちは、週末を湖水地方で過ごすためのザックや登山靴を装備した人々ばかり。日帰りでロンドンに戻ろうとした自分は、この瞬間に第一の勘違い(というより事前情報収拾不足)に気がつく。仕方がないのでタクシーをチャーターしForest Museumへと向かう。タクシーの運転手に呆れられながら(でも、とても親切)、到着するとそこは本当に、正真正銘の森である。しかし、もう引き返すことはできない。帰りの電車の時間を告げ、迎えにきてもらうように約束をする。ビジターセンターで、日本から土屋公雄の作品を観に来たと伝えると、本当に遠くから良く訪ねてくれたねと親切に声をかけていただき、「たぶん、ええ、だいたいこの辺ね」というラフな案内をいただきながら、いよいよガイドマップを片手に広大な森へと出発。

たった1人で深い森の小道を歩く私の不安を吹き飛ばしてくれたのは、時折すれ違うハイカーたちだった。挨拶を交わし合うその笑顔をお守りにしながら、ようやく日が暮れる前にたどり着いた先に、《石造りの暦》は静かに佇んでいた。古代ケルトの文化が色濃く残るこの地では、至る所が牧羊のための石垣で覆われた風景を目にすることができる。現地に入る数年前の嵐で森の木が石垣を直撃し数十メートルも崩壊したことを知り、土屋は、その崩れたストレートストーンを作品に用いることにしたのだという。古代ケルトの人々がそうしてきたように、土屋も静かにその森にひとつひとつ石を積み重ね、時を刻む場を作り上げたのだ。いずれにしても、携帯電話もない時代に、夕闇せまる森から帰ってくることができたことは幸運だったとしか言えない。怖いもの知らずの若い時だからこそ、平気でそれをやってのけたのだと思う。

土屋公雄

遊学中のイギリスでの私は、土屋氏のAIRの経験を追随することで、AIRの疑似体験をしたのだった。それはほんの小さな冒険だったかもしれないが、異国での短い暮らしの中でのほんの少しの孤独とともに、見知らぬ風景や温かい人々との出会いは、留学とは別の大きな経験と成長を与えてくれたと思う。しかしその時すでに、AIRという存在に関わるという未来が自分に開かれていたとは、まだ全く知る由もない。(次回へ続く)

[*1] 土屋公雄 (b. 1955)「所在/記憶」をテーマとし、解体された家屋の廃材や灰などの素材、その土地や人々の記憶を刻む、サイトスペシフィックなアプローチによる彫刻、モニュメント、パブリックアートなど、国際的な現代美術展への出品、AIRでの滞在制作を行う。愛知県立芸術大学 教授、武蔵野美術大学建築学科 客員教授、日本大学芸術学部 客員教授を歴任。1990年 第3回朝倉文夫賞受賞(1990)、1991年 第14回現代日本彫刻展大賞受賞(宇部/山口)(1991)、1999年 オナラリー賞受賞 ロンドン芸術大学より名誉学位授与、他、受賞、国内外パブリックコレクション多数。

アーティスト・イン・レジデンス(1): 自由と安全、多様性を担保し、アーティストをインスパイアする場


日沼禎子(ひぬま・ていこ)
女子美術大学教授、AIRネットワーク準備会事務局長、ときわミュージアムアートディレクター。1999年から国際芸術センター青森設立準備室、2011年まで同学芸員を務め、アーティスト・イン・レジデンスを中心としたアーティスト支援、プロジェクト、展覧会を多数企画、運営する。さいたまトリエンナーレ2016プロジェクトディレクター、陸前高田AIRプログラムディレクター他を歴任。