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アーティスト・イン・レジデンス(6):
震災とAIR、陸前高田AIR(2)
文: 日沼禎子

2024.01.30
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Jaime Jesus C. Pacena Ⅱ による地域住民とのポストカードプロジェクト|photo:松山隼

◉ 人と出会い、歴史、風景を読み解き、記録する

11月の陸前高田は寒さも深まり、秋から冬へと、その風景は1日、1日と変化する。真っ青に澄み渡る空の下、平野には太平洋沿岸部特有の強い海風が吹き抜け、遠くの山並みはうっすらと雪化粧をする。野生動物たちは、長い冬に備え、食べ物を求めて人里で頻繁に姿を現わすようになり、湿地帯には越冬する白鳥たちの群れも飛来しはじめる。それは、ここで暮らす人々がいつも目にしてきた初冬の風景だ。北国で暮らす人々にとって、厳しさに耐える季節の到来だが、暖かな火を灯した家の中で、やがて来る春を待ち望みながら、大切な家族や友人たちと過ごすかけがえのない季節でもある。2011年の3月、再びの春が訪れようとするその直前、未曾有の災害がそのささやかな喜びを人々の生活から奪い去ってしまった。自然の環の中にあって、いわば自然の亜種というべき存在である人間は、その手や知恵により生活をつくり、幾重の年月の中で醸成させ、地域特有の文化を育て継承してきた。しかし、大いなる自然の下においては、あまりにも儚く、脆く、だからこそ愛おしい。

2013年11月、発災から2年と8ヶ月後、私たちは未曾有の災害を受けた陸前高田市を拠点にAIRを立ち上げた。「陸前高田アーティスト・イン・レジデンス-記憶の風景、なつかしい未来へ」というテーマのもと、滞在するアーティストのリサーチ、地域との交流をもとにした創作活動を行いながら、この地に暮らしてきた人々の「記憶の風景」を紡ごうとするプロジェクトである。前回のテキストでも示したように、アーティストの選定には細心の注意を払った。被災した地域の人々のほとんどが仮設住宅での暮らしを余儀なくされている状況に対する私たちの態度として、物量を伴った作品を滞在成果として形にし残すことではなく、人々の生活へ寄り添いながら、個々のアーティストの身体や眼差しや体験を通し、この地の過去・現在の記録を「記憶の風景」として可視化し、それが未来を想像するための「小さな種」なっていくことをイメージした。そこで、兼ねてより親交があり信頼を寄せるアーティストの中から、写真家のレオ・ファンダークレイ(オランダ)、ダンサー・振付家のショーネッド・ヒューズ(ウェールズ)、マルチメディアアーティストのハイメ・パセナⅡ(フィリピン)にオファーをし、約3ヶ月間の滞在プログラムがスタートした。

Leo van der Kleisによるシリーズ撮影「陸前高田の日常」photo: Leo van der Kleis

レオ・ファンダークレイは、アムステルダムを拠点とし、自らが関わる社会状況に対する観察をもとにしたドキュメンタリーの手法による表現を行なう写真家である。日本での制作経験が豊富であり、被災地での生活にも柔軟に対応できるベテランアーティストである。滞在中のファンダークレイは、自らの足で陸前高田市内を歩き回り、写真を撮り続けることを日課とした。誰とでも打ち解けてしまう人柄で、仮設住宅で暮らす人たちの茶の間へ訪問し、その暮らしにレンズを向けることも許された。瓦礫の山がいくつも積み上げられた市内には、撤去作業と並行し、大掛かりな嵩上げ工事が始まっていた。巨大なダンプカーが走りまわり、土埃や粉塵を上げ、降り始めの雪が混じり合い、泥となって路面を覆う。見渡す限りの造成工事現場となった町だが、しかし、そこで働くのも、やはり「人」である。仮設商店街の一角のプレハブに「陸前高田の日常」という看板を掲げて、毎日アップデートするギャラリーを拵え、買い物で訪れる人たちとの交流の拠点としてオープンさせた。

Leo van der Kleisによるシリーズ撮影「陸前高田の日常」photo: Leo van der Kleis

ロンドンを拠点として活動するショーネッド・ヒューズは、アートセンター「Chapter」[*1] からの派遣プログラムにより、2009年にACACでの1ヶ月の滞在制作を行なった。その際に出会った伝統芸能である「津軽手踊り」へ深い関心を寄せ、以来、時代や国境を超えたダンスの根源性の探求のためACACでの滞在制作を行ってきた。丁寧に、そして最大のリスペクトを持ったリサーチ、眼差しと、自身の表現へと向かう真摯な態度に、私は多くのことを学んできた。彼女への深い信頼から、陸前高田市のみならず、東北を広域的に観察し、その文化の価値をヒューズの視点から表出されることに大きな期待を寄せた。そして、福島から岩手にかけて、東北を縦断・北上しながらのリサーチを提案。いわき市では「じゃんがら念仏踊り」や「獅子舞」の踊り手や囃子方との対話を試みた。陸前高田では「大名行列舞」や「氷上太鼓」などの伝統芸能に触れながらも、もっとも大切にしたのは「みんなの家」[*2] に集う女性たちとの交流であった。お茶や手芸をしながらのおしゃべり、そして時には地元の盆踊りや歌を習い、滞在中の多くの時間を彼女たちと共に過ごした。何気ない人々の暮らしの中にある踊りや歌の豊かさ、かけがえのない存在であることへの気付き。女性たちとヒューズとの関係は、それからも長く続き、深い友情で結ばれていくことになる。

[*1] ウェールズ地方カーディフにある、ギャラリー、シネマ、劇場、創作スタジオ、カフェを有する、地域に開かれたアートセンター(1971年開館)。
[*2] 東日本大震災の被災地、陸前高田市内に建設された集会所。伊東豊雄、乾久美子、平田晃久、藤本壮介の4氏による共同設計のより、震災翌年の2012年11月に完成。第13回 ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展では、設計・建設プロセスを展示した日本館が最高賞の「金獅子賞」を受賞。国際的にも注目を集めた。2016年に復興工事(盛り土による嵩上げ)のため解体され、2022年、新市街地の中心部に再建された。


Sioned Huwsと地域の女性たちとの交流、「みんなの家」に集まって盆踊り「陸前高田音頭」を踊る|photo:松山隼

ハイメ・パセナⅡは、2000年に実施された国際交流基金主催による「JENESYSプログラム」[*3] にて、ACACで2ヶ月間のインターンシップで初めての日本での滞在を経験した後、震災直後に行われたアサヒ・アートフェスティバルのスタディツアー [*4] に参加した。この2度にわたる深い交流の経験が、 このたびの陸前高田市滞在における相互の信頼基盤をつくることとなる。パセナは、海や山に残されたそのままの自然と、巨大な造成工事が行われるかつての街の中心部、そして、滞在中のドミトリーや仮設住宅での人々の暮らしを写真や映像に記録し、ヴィジターとして滞在する自分をとりまく環境と、人々の記憶との対話をめぐるプロジェクトを行なった。また、陸前高田を基盤として活動するシンガーソングライターの金野政利(通称:まっと)との出会いにより、彼の楽曲「3.11 The last Century」のミュージックビデオを作成した。

[*3]「JENESYS Programme Japan-East Asia Network of Exchange for Students and Youth、21世紀東アジア青少年大交流計画)」の一環として行われた「東アジアクリエーター招へいプログラム」。日本のアーティスト・イン・レジデンス実施機関や芸術文化機関などを受入団体として、アジア・太平洋州13ヵ国35歳以下の若手クリエーターを年間約20名、1~3ヵ月間招へいし、滞在中の活動および成果発表や関連事業などを支援するプログラム。東日本大震災後の東北各地を巡るスタディツアー。アサヒ・アートフェスティバル(株式会社アサヒビールによるメセナ活動)10周年特別企画として実施された「世界ネットワークプロジェクト」の一環として実施され、アジア7カ国から各1名のクリエーターが招へいされた。
[*4] 東日本大震災後の東北各地を巡るスタディツアー。アサヒ・アートフェスティバル(株式会社アサヒビールによるメセナ活動)10周年特別企画として実施された「世界ネットワークプロジェクト」の一環として実施され、アジア7カ国から各1名のクリエーターが招へいされた。


Jaime Jesus C. Pacena Ⅱ によるMV撮影風景|photo:松山隼

初めての、そして手探りで行なったプログラムであったが、その終了後、地域のサポーターの方から言われた言葉があった。「有名な美術館にいって、有名な絵を見て、そしてその後に美味しい食事をして帰ったたら、もちろんそれは素敵な時間。けれども、私たちの何気ない日常を切り取って、それをアートだというアーティストがいる。私たちはそのアートの一部となる。それは美術館では経験のできないこと」。この言葉に大きく背中を押され、陸前高田での活動を続けていくことになる。その後もアルメニア、インドネシア、タイ、ラトビア各国からアーティスト、キュレーターが滞在し、自然環境、日々の暮らしや、古くから伝わる文化などへのリサーチと人々との交流を主軸とした活動を展開。滞在プログラム終了後は、東京や横浜での発表やアーティストたちの各拠点にも赴き、展覧会、トークショー、ダンス公演、芸術祭への参加を通し、その成果を次のフェイズへと繋げてきた。2020年のパンデミック禍においては、リモートでのAIRにも取り組んだ。それは、各国でステイホームを余儀なくされているアーティストも陸前高田の人々も、孤立することなく、つながりを持ち続けるための苦肉の策だった。こうして経年とともに変わりゆく被災地と、国際的な状況とを注意深く観察しながら、アーティストと地域の双方に対して何ができるのかを自らに問いかけ、事業を継続している。気がつけば10年もの月日が経ち、関わったアーティストたち、そして私にとってもかけがえのない場所、もうひとつの「Home」になっている。

Sioned Huwsによる陸前高田でのリサーチ風景|photo:松山隼

◉ 人と人とがつながること、そして希望のかたち

震災に見舞われた街として、期せずして世界的に知られるようになった陸前高田の町。その震災復興のシンボルとして建立された「奇跡の一本松」[*5] を初めて目にしたパセナの印象的な言葉がある。「<奇跡>という より、<希望>のほうがふさわしい」と。私たちがこれからも生き続けていくために必要なのは、奇跡を待つことではなく、希望を持つことなのだと。AIRがもたらすものとは、アーティストにとっては、新たな出会いから生まれるインスピレーションと、それをもとにした新たな創作への糸口だろう。しかし、最も重要なことは、ヴィジターとホストとの間に育つ、強い信頼の形ではないだろうか。アーティストがそこに居ることで見出される、自らの足元にある事実や価値、その美しさの再発見。人間にとって大切なものとは何か、そしてより良く生きるとは何かを問うとき、たゆまぬ交流と創造的活動が、<希望>という世界を照らす小さな光をもたらしてくれるものだと信じている。

現在、これまでのリサーチと実践の成果として、パセナによる長編映画制作の企画が進行している。フィリピンと日本、陸前高田をめぐる私たちの希望を託した映画は、順調に進めば、今年の夏にはその姿を表すことになるだろう。過去、現在、そしてまだ見ぬ未来、ひとつひとつの存在と記憶が、世界へとつながり続けていく。(次回へ続く)

[*5] 岩手県陸前高田市気仙町の高田松原跡地に立つ松の木のモニュメントで、東日本大震災の震災遺構のひとつ。

アーティスト・イン・レジデンス(1): 自由と安全、多様性を担保し、アーティストをインスパイアする場
アーティスト・イン・レジデンス(2): AIR〜場との出会い、対話がもたらす唯一無二の表現。異文化への理解と敬意
アーティスト・イン・レジデンス(3): 文化の継承とAIR、サスティナビリティへの視点
アーティスト・イン・レジデンス(4): 世界を眺め漂うパイロットの目になる
アーティスト・イン・レジデンス(5): 震災とAIR、陸前高田AIR(1)



日沼禎子(ひぬま・ていこ)
女子美術大学教授、AIRネットワーク準備会事務局長、ときわミュージアムアートディレクター。1999年から国際芸術センター青森設立準備室、2011年まで同学芸員を務め、アーティスト・イン・レジデンスを中心としたアーティスト支援、プロジェクト、展覧会を多数企画、運営する。さいたまトリエンナーレ2016プロジェクトディレクター、陸前高田AIRプログラムディレクター他を歴任。