国際芸術祭のあるべき姿(1)
インタビュー:河本信治 聞き手・構成:小崎哲哉
2015.03.27
インタビュー:
河本信治(PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015アーティスティックディレクター)
聞き手・構成:小崎哲哉(編集部)
写真:かなもりゆうこ(編集部)
「京都で初めてとなる大規模な現代芸術の国際展」を謳うアートフェスティバルが、3月7日に始まった(5月10日まで)。ビエンナーレやトリエンナーレが世界に数百はあると言われる時代に、どんな特色を出しうるのか。国際展の経験が豊富なディレクターへのインタビューを、前後2回に分けてお届けする。(このインタビューは開幕前に行いました)
●10年以上先を見据えて土壌を作る
—— 今日はせっかくの機会なので、国際展や芸術祭のあるべき姿について、経験豊富な河本さんにPARASOPHIAを例に取って話をしていただければと思っています。あえて挑発的な問いを発するかもしれませんが、よろしくお願いします。
はい。こちらも構造がとりとめないですから(笑)。
—— では最初に、チケット販売と広報について。前売り券の売れ行きはいかがですか。
静かです。
—— それは想定内のことですか。
はい、前売りシステムの主力がコンサートチケットということを理解した上で、前売りをすること、つまりチケット販売の情報網に乗せることでの広報効果を実際の売れ行きよりも重視しました。
—— 一方で、ガイドブックやカタログは内部制作で、書店流通に載せないわけですよね。日本の他の国際展のように、発売元を定め、書店の店頭に本が並べば、あるいはオンラインブックストアの取扱商品となれば、前売り券と同様の広報効果があったかと思いますが。
私たちは実績の無い組織でありそれが可能であったか疑問ですし、製作や管理費用も増えたと思います。限られた広報予算をどうやって有効に使うかということを考えました。まず始めたのが小さな「オープンリサーチプログラム」のようなものを積み上げていって、何度も繰り返していく。そして、現代美術のコアな層にPARASOPHIAというプロジェクトが京都で動き始めたということを知らせていく。現場に参加することは問題じゃなくて、プログラム終了後に資料をウェブ上で追跡体験してもらい、「行けば良かった……」と思うような状況も積み上げる。それを反復継続していくというのがパラソフィアの基本的なの広報戦略だったのです。
カタログのテキストでも、なぜこういう構造を取ったかということを、なるべく丁寧に説明したつもりです。実績のない組織が何かやるときに、どういう手段で知られていき、かつ、自分たちも学習と経験を積んで、国際展の運営ができる人材と体制を整えていくことと「広告戦略」は密接に関係しています。この国際展の基本構想は一過性のお祭りや町おこしではなく、10年以上先を見据えて、京都が新しい文化の創造の場となる、その契機となる国際展を作ってほしいというものでした。
—— 10年後に、文化芸術のインフラを支える人材の育成が念頭にあったわけですね。第1回目の横浜トリエンナーレにおける「はまことり」や、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレにおける「こへび隊」などのボランティアから、後にアート界で重要な役に就く人が何人か出ましたが、そんなイメージでしょうか。
ボランティアに対する主催者側の労働搾取的な側面を避けたいという気持ちが強くあります。ボランティアであるけれども、それは自発的な学習参加というか、自分で何かを知りたいと思い、自分自身で何か得るものを掴んでほしい。単純に労働力が必要ならばそれはアルバイトで雇うのが望ましいと思っています。
—— では、少数のボランティアはいるけれど、大部分はきちんと報酬を払っているわけですか。
十全な予算があればそうできますが完全ではありませんでした。ボランティアの募集運営は京都芸術センターに委託する形で体勢を整えています。今回は20人ほどの事務局スタッフと8人程度の短期契約のスタッフで、ほぼ手作りでやっています。会期中の会場監視運営は外部の専門家に任せますが、広報やカタログ編集など、外部に丸投げせずに手作りでやっている。2〜3年先に、彼・彼女たちが何かのプロジェクトを十分ひとりで運営できる、というくらいの経験をいま積んでいるところです。
●カタログは「別の展覧会」
カタログの編集製作も、私が大きな方針を示した後はチームが自由に動いて350頁のカタログを製作しています。私が美術館で何十年もかけて学んだことを、この数ヶ月で経験していると思うんですよ。たぶん広く平等には伝わらないけど、少数へでも経験を伝えることは大事だと思います。小器用にお仕事ができるような人じゃない人を育てたいと思います。「育てる」と言うのはちょっとおこがましいけれども、自分たちで考えて決断すること、瞬間、瞬間の決断を積み重ねていく経験が大切だと思うのです。
—— 非常に結構なことだと思います。で、ガイドブックはチケットと一緒に手渡しで、カタログは会場・書店で販売ということですね。
会場に来たら無料のガイドブックを誰でも、何部でも持っていってもいいし、場合によっては会場外でばらまいてもいい。
—— KYOTO EXPERIMENT|京都国際舞台芸術祭なんかと同じ方法ですね。
カタログは352頁で、2,000円に設定しました。かなり安いでしょう? あえて既存のテキストを中心に集める作業を作家とスタッフが協同でやりました。結局カタログは、膨大なテキスト、文字の山で、迷宮空間になっています。カタログでの作家の並び方は展示の配置とは違っていて、カタログもまた別の展覧会だと言うことができます。ガイドブックは無料で使い捨てです。カタログは無秩序なテキストの集積みたいなもの、本気で読んだら1週間くらいかかるかもしれないし、その読み方がわからない。もしかしたら、鑑賞後に捨てたガイドブックが再び、カタログを解読するために必要になるかもしれない。展覧会を見ることとテキストを読むことのパラドックスを重ねてみました。
—— カタログはオープニングに間に合わせるんですか。
はい、オープニングには出来ます。インスタレーション(展示風景)の写真は入りませんが、必要ならばウェブサイトにアクセスしてもらう。
—— いまのお話をまとめると、展覧会本体があり、それに観るためのガイドブックがあり、別の展覧会と呼んでもいいようなカタログがあり、さらに記録性という意味でウェブサイトがある、ということですね。
はい、ウェブサイトは記録として、できれば長く残したいんです。そのための工夫が要りますが、そこに展示の写真やもろもろの記録は貯めていこうと思っています。アクセスしてもらえば、動画も、展示写真も見ることができる状態を作っていきたい。2001年の横浜トリエンナーレのときにも最初にカタログを作って、会期途中で展示風景を入れた別冊を作ったんです。会期が終わるまでカタログが出ないというのは、ものすごくストレスです。最低限の基本情報はオープニングのときにあったほうがいい、という立場を僕は取ります。
●アーティストリストこそメッセージ
—— では次に、キュレーションあるいは内容について伺います。通常の国際展は、要素が大きく分けて3つあります。テーマ×作家×場所(都市)というその掛け算で出来上がることが多い。でも河本さんは、当初から「具体的なテーマというものは無い」あるいは「掲げない」と言っていました。これはなぜですか。
いくつかの理由はあるんですが、作家数を少なめに40に絞るということは最初から決めていました。もちろん予算のこともありますが、展示会場の規模と、参加作家が満足できる展示をするにはどれくらいの人数が適切かと考えたときに、自然に出てきた数字です。40の作家のリストは100の作家のリストより、ものすごく強いメッセージになります。コンセプトを知りたいと思うレベルの関心を持つ人は、参加作家の名前を見ればだいたい展覧会の内容がわかると思います。だからコンセプトを問う人には、アーティストリストこそメッセージだと答えるようにしています。つまり各作家の実践は少しずつ重なっている部分があるけれど、絶対に一致はしないから、重なり合いの連鎖みたいなものが展覧会の構造になっていく。包括的な構想とか必要なくなってきて、大事なのは、そういうものが一緒にいられる場所を用意することではないかと思います。
—— ただ、そういうやり方は河本さんでなくても、あるいはPARASOPHIAでなくてもできるのでは?
でも、誰もやってないでしょ?
—— 僕がいいなと思ったのは、ほぼすべてのアーティストを事前に京都に招聘しているということです。40組の内、何作家が来たんですか。
正確には数えてないけど、35組は来ていると思います。
—— それはすごいですね。よく海外の国際展で、その国のキュレーターではなくて別の国のキュレーターが指名された場合に、誠実なキュレーターはできる限り長く滞在する。それと同様に、河本さんは京都にいるけれど、海外から来たアーティストたちが事前に京都を訪れる。これは最初から考えていたんですか。
もちろんそうです。まずは自分で、興味を持った作家をすべて尋ねていきます。知っている人もいるし、作品だけ知っている人もいる。それで私が何を考えながら展覧会を準備しているかを説明し、「PARASOPHIAに興味があるか」って聞いて、OKなら「じゃあ、事前に京都に最低1週間以上滞在して、京都を経験した上で作品を作ってほしい」と依頼しました。理想の形は、私が好きな旧作を1点出してもらい、さらに新作を作ってもらうこと。典型的なのはスーザン・フィリップスで、15年前の作品はぜひ必要だと頼み、その上で京都に来て新作を考えてほしいと言ったら喜んで新作に挑戦してくれました。
—— 蔡國強さんの場合も同じですか。
蔡さんも、最初にメールを送ると直ぐに「手伝うよ」と言ってくれたので、「農民ダ・ヴィンチ」の展示作業中のサンパウロまで訪ねました。蔡さんには国際展でのある種の「幅」、つまりアクセスしやすい口当たりの良さと、非常にクリティカルな部分との両方を引き受けてほしいとお願いすると、「わかりました」と言ってくれました。PARASOPHIAのスペクタクル的な部分は、彼に集中しています。
—— 蔡さんはぱっと見てわかりやすいものを作るけれど、奥にレイヤーがいくつもある。やっぱり偉大なアーティストですね。
傍ら、いまの「参加型」の作品に対する根本的な批判があると思います。同様に、ジャン=リュック・ヴィルムートの「Café Little Boy」は「参加型」の原型的な良い作品だと私は思います。で、蔡さんの作品とジャン=リュックの作品は、無料ゾーンにあるべきなのです。
—— じゃあ、大前提としてその2作品がある。贈与経済的とでもいうか……。
はい、パブリックスペースの問題も含むものです。ポスト=マルクス主義における公共空間を、今回の参加作家たちの割と多くが意識しているなと思いました。クラシック近代の公共空間じゃなくて。そういう意味で、中央のフリーゾーンに本屋とカフェがあって、レクチャールームがあって、蔡さんとジャン=リュックまで無料で、その横にもぎりがあって、ケントリッジから有料ゾーンになります。そこでギャップというか、価値交換というか、踏み越えるところがあるという仕掛けです。
●一部が重なっていればバラバラでいい
—— PARASOPHIAは「国際現代芸術祭」であり、「アートフェスティバル」とは称していない。ところがふたを開けてみると、演劇・ダンス・音楽などはありませんね。
まず、「コンテンポラリーアート」としない、というのは、構造的な柔軟性というか、将来への含み、展開の可能性を残すためです。
—— というと?
今回、演劇までやる余力は明らかに無いですね。しかし京都にはKYOTO EXPERIMENTという非常にいい種があって、これはしっかり育つべきだと思います。音楽も面白いものはあるけども、あえて音楽として取り上げる余力も無いがオーバーラップする部分はあると思うんですよ。例えばスタン・ダグラスとか、ラグナル・キャルタンソンとか、引用の結果ではあるけれど、音楽と重なる作品がある。もうひとつは、言語の問題を視覚芸術で考えたい、という作家も何人か入っています。
—— 例えば?
ドミニク・ゴンザレス=フォルステルもそうだと思うし、ウィリアム・ケントリッジもそうだし、アン・リスレゴーも。表層的な見え方の奥で、言語・テキスト・翻訳・解釈の問題をベースに考えている作家たちが結構います。
—— それはそうでしょうが、彼らの作品を音楽や演劇など他ジャンルの作品とは言えないでしょう。一方、僕が個人的に面白そうだなと思ったのは、アレクサンダー・ザルテンと笠原恵実子の映画のプログラムです。でも同時に、やや唐突な感じがする。河本さんはあるインタビューで「実は隠しテーマとして東アジアの近代というのがある」と語っていますが、これはどういうことでしょうか。
東アジアおよび南アジアから新しい世代の作家たちが登場してきていると思います。あえて歴史や自分たちの民族的な特徴を踏まえて語らなければいけない世代から、だいぶ変わってきている。特にタイのアリン・ルンジャーンなんか、とても好きですね。また映画が面白い、特にシンガポール、台湾が面白いと思います。シンガポールは建国50年を機に自国のアイデンティティの探求を政府側が求めてるのに、若い監督たちは、「植え付けられた人工的な記憶」について映画で作っている。台湾は、ものすごくノスタルジックで甘いラブストーリーの流行の裏で、国が無くなることへの恐怖をものすごく感じます。
なぜアートとせず、カルチャーとしたかという意味合いにおいて、映画は再び非常に面白い分野だと思っています。だからキュレーションという形で、東アジアの近現代映画をドイツ系アメリカ人のザルテンが上映プログラムを組み、「東アジアの国々が周辺の国をどのように表象してきたか」を私たちが鑑賞するのは面白いなと思っています。
笠原恵実子は、個人のプロジェクトで満州まで行ってきて、そこで彼女は、満州に残る30年代の日本の統治時代のいくつかの建物と、この建物の関係を考えています。
—— 「この」というのは京都市美術館のことですか。
はい、京都市美術館です。奉天にあるのとほぼ同じような、帝冠様式の建物です。笠原もいくつかの映画を選びスクリーンプログラムを組みました。当時の日本が作っていた国策映画と、シベリアで抑留された日本兵が観たであろうロシア映画のシベリアの美しい風景、そのギャップがものすごい。
—— 笠原さんが選んだ映画は、市美で展示する作品と当然リンクしている。王虹凱(ワン・ホンカイ)の作品ともリンクしますよね。近代における国民国家を成立させる装置としてのシネマ、あるいは回りまわってアート、というところに行くかもしれませんが、他の作家の作品との関連性は?
田中功起や眞島竜男の作品と繋がりますが、でも、バラバラでいいんですよ、一部が重なっていれば。PARASOPHIAにはいくつかの隠れキーワードがあります。ひとつは「交易/トレード」。なぜ「交換/エクスチェンジ」じゃないかと言うと、「トレード」は力関係が非対称ですよね。どちらかが常に強い、どちらかを搾取する。でも、搾取された側が一方的に弱いだけではない。それから「交易」に重ね合わせて面白いのは言語衝突ですね。支配的な言語が辺境の言語に接触して完全に飲み込むか、あるいはそこで変形言語=交易のためのいびつな言語を生み出す。いわゆるピジン語の発生ですね。
「アートと交易」「非対称な交換」と考えたら、やっぱりアラン・セクーラという作家に行きつきます。彼の写真とテキストを拠り所にした世界へのアプローチはとても面白い。私は2001年の横浜トリエンナーレで一緒にやって、いままでにない世界の見方を教えられたんです。「17世紀オランダ船のバスケットと呼ばれているものを知っているか」と聞かれました。いまのコンテナの原型みたいな四角い箱ですね。「それと、アンディ・ウォーホルのあの(ブリロ)ボックスと、ドナルド・ジャッドのボックス。この共通点は何だと思う? 形じゃないよ」と言うんですよ。「その共通項は『トレード』だ」って言う。要するに、ポップアートがアメリカ商品として世界を席巻したということ。私はセクーラのものの見方をすごく面白く思って、今回もプロジェクトがスタートしてすぐに連絡しようと思ったら、一昨年の8月に急死しました、ほんとに残念です。日本の人たちに彼の業績を記憶してほしいなと思って、カタログで仕掛けとかを用意しているつもりです。
こうもと・しんじ
PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015 アーティスティックディレクター。京都工芸繊維大学大学院工芸学研究科修士課程意匠工芸学専攻修了。1981年より京都国立近代美術館研究員。2006–10年まで同館学芸課長。『横浜トリエンナーレ2001 メガ・ウェイヴ:新たな総合に向けて』共同ディレクター。2003年に第50回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展金獅子賞パビリオン部門国際審査委員ならびにドクメンタ12総合ディレクター選考委員を務める。主な企画展に『アゲインスト・ネーチャー:80年代の日本美術』(1989)、『プロジェクト・フォー・サバイバル——1970年以降の現代美術再訪』(1996)、『ウィリアム・ケントリッジ——歩きながら歴史を考える:そしてドローイングは動き始めた……』(2009)がある。
【特集】PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015(関連記事)
Interview:
河本信治(PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015アーティスティックディレクター)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(1)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(2)
Review: ▶ 浅田 彰「パラパラソフィア——京都国際現代芸術祭2015の傍らで」
▶ 福永 信「第1回京都国際現代芸術祭のために」
▶ 高橋 悟「PARASOPHIA 〜 制度を使ったEngagement 」
Blog: ▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド①―「でも、」を待ちながら」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド②―京都のグローカル・エコノミーをたどる」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド③―(反)帝国主義のミュージアム〈1F〉」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド④―喪失への祈りとガスの記憶〈2F〉」
▶ 小崎哲哉「『私の鶯』と、なぜか鳴かないPARASOPHIA」
▶ 福永 信「パスポートを取り上げろ! パラソフィア・レヴュー補遺」
▶ 小崎哲哉「たったひとりの国際展」
▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 1 ▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 2
外部リンク: ▶ Parasophia Conversations 03:「美術館を超える展覧会は可能か」(2015.03.08)
(アンドレアス・バイティン、ロジャー M. ビュルゲル、高橋悟、河本信治、神谷幸江)
記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川
▶ Creators@Kamogawa 座談会『PARASOPHIA クロスレビュー』(2015.03.28)
(クリス・ビアル、ミヒャエル・ハンスマイヤー、ヤン・クロップフライシュ、
ゲジーネ・シュミット、港 千尋、原 久子/司会:小崎哲哉)
記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川
▶ 公式サイト:PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015
〈2015年3月7日(土)–5月10日(日)〉
河本信治(PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015アーティスティックディレクター)
聞き手・構成:小崎哲哉(編集部)
写真:かなもりゆうこ(編集部)
「京都で初めてとなる大規模な現代芸術の国際展」を謳うアートフェスティバルが、3月7日に始まった(5月10日まで)。ビエンナーレやトリエンナーレが世界に数百はあると言われる時代に、どんな特色を出しうるのか。国際展の経験が豊富なディレクターへのインタビューを、前後2回に分けてお届けする。(このインタビューは開幕前に行いました)
●10年以上先を見据えて土壌を作る
—— 今日はせっかくの機会なので、国際展や芸術祭のあるべき姿について、経験豊富な河本さんにPARASOPHIAを例に取って話をしていただければと思っています。あえて挑発的な問いを発するかもしれませんが、よろしくお願いします。
はい。こちらも構造がとりとめないですから(笑)。
—— では最初に、チケット販売と広報について。前売り券の売れ行きはいかがですか。
静かです。
—— それは想定内のことですか。
はい、前売りシステムの主力がコンサートチケットということを理解した上で、前売りをすること、つまりチケット販売の情報網に乗せることでの広報効果を実際の売れ行きよりも重視しました。
—— 一方で、ガイドブックやカタログは内部制作で、書店流通に載せないわけですよね。日本の他の国際展のように、発売元を定め、書店の店頭に本が並べば、あるいはオンラインブックストアの取扱商品となれば、前売り券と同様の広報効果があったかと思いますが。
私たちは実績の無い組織でありそれが可能であったか疑問ですし、製作や管理費用も増えたと思います。限られた広報予算をどうやって有効に使うかということを考えました。まず始めたのが小さな「オープンリサーチプログラム」のようなものを積み上げていって、何度も繰り返していく。そして、現代美術のコアな層にPARASOPHIAというプロジェクトが京都で動き始めたということを知らせていく。現場に参加することは問題じゃなくて、プログラム終了後に資料をウェブ上で追跡体験してもらい、「行けば良かった……」と思うような状況も積み上げる。それを反復継続していくというのがパラソフィアの基本的なの広報戦略だったのです。
カタログのテキストでも、なぜこういう構造を取ったかということを、なるべく丁寧に説明したつもりです。実績のない組織が何かやるときに、どういう手段で知られていき、かつ、自分たちも学習と経験を積んで、国際展の運営ができる人材と体制を整えていくことと「広告戦略」は密接に関係しています。この国際展の基本構想は一過性のお祭りや町おこしではなく、10年以上先を見据えて、京都が新しい文化の創造の場となる、その契機となる国際展を作ってほしいというものでした。
—— 10年後に、文化芸術のインフラを支える人材の育成が念頭にあったわけですね。第1回目の横浜トリエンナーレにおける「はまことり」や、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレにおける「こへび隊」などのボランティアから、後にアート界で重要な役に就く人が何人か出ましたが、そんなイメージでしょうか。
ボランティアに対する主催者側の労働搾取的な側面を避けたいという気持ちが強くあります。ボランティアであるけれども、それは自発的な学習参加というか、自分で何かを知りたいと思い、自分自身で何か得るものを掴んでほしい。単純に労働力が必要ならばそれはアルバイトで雇うのが望ましいと思っています。
—— では、少数のボランティアはいるけれど、大部分はきちんと報酬を払っているわけですか。
十全な予算があればそうできますが完全ではありませんでした。ボランティアの募集運営は京都芸術センターに委託する形で体勢を整えています。今回は20人ほどの事務局スタッフと8人程度の短期契約のスタッフで、ほぼ手作りでやっています。会期中の会場監視運営は外部の専門家に任せますが、広報やカタログ編集など、外部に丸投げせずに手作りでやっている。2〜3年先に、彼・彼女たちが何かのプロジェクトを十分ひとりで運営できる、というくらいの経験をいま積んでいるところです。
●カタログは「別の展覧会」
カタログの編集製作も、私が大きな方針を示した後はチームが自由に動いて350頁のカタログを製作しています。私が美術館で何十年もかけて学んだことを、この数ヶ月で経験していると思うんですよ。たぶん広く平等には伝わらないけど、少数へでも経験を伝えることは大事だと思います。小器用にお仕事ができるような人じゃない人を育てたいと思います。「育てる」と言うのはちょっとおこがましいけれども、自分たちで考えて決断すること、瞬間、瞬間の決断を積み重ねていく経験が大切だと思うのです。
—— 非常に結構なことだと思います。で、ガイドブックはチケットと一緒に手渡しで、カタログは会場・書店で販売ということですね。
会場に来たら無料のガイドブックを誰でも、何部でも持っていってもいいし、場合によっては会場外でばらまいてもいい。
—— KYOTO EXPERIMENT|京都国際舞台芸術祭なんかと同じ方法ですね。
カタログは352頁で、2,000円に設定しました。かなり安いでしょう? あえて既存のテキストを中心に集める作業を作家とスタッフが協同でやりました。結局カタログは、膨大なテキスト、文字の山で、迷宮空間になっています。カタログでの作家の並び方は展示の配置とは違っていて、カタログもまた別の展覧会だと言うことができます。ガイドブックは無料で使い捨てです。カタログは無秩序なテキストの集積みたいなもの、本気で読んだら1週間くらいかかるかもしれないし、その読み方がわからない。もしかしたら、鑑賞後に捨てたガイドブックが再び、カタログを解読するために必要になるかもしれない。展覧会を見ることとテキストを読むことのパラドックスを重ねてみました。
—— カタログはオープニングに間に合わせるんですか。
はい、オープニングには出来ます。インスタレーション(展示風景)の写真は入りませんが、必要ならばウェブサイトにアクセスしてもらう。
—— いまのお話をまとめると、展覧会本体があり、それに観るためのガイドブックがあり、別の展覧会と呼んでもいいようなカタログがあり、さらに記録性という意味でウェブサイトがある、ということですね。
はい、ウェブサイトは記録として、できれば長く残したいんです。そのための工夫が要りますが、そこに展示の写真やもろもろの記録は貯めていこうと思っています。アクセスしてもらえば、動画も、展示写真も見ることができる状態を作っていきたい。2001年の横浜トリエンナーレのときにも最初にカタログを作って、会期途中で展示風景を入れた別冊を作ったんです。会期が終わるまでカタログが出ないというのは、ものすごくストレスです。最低限の基本情報はオープニングのときにあったほうがいい、という立場を僕は取ります。
●アーティストリストこそメッセージ
—— では次に、キュレーションあるいは内容について伺います。通常の国際展は、要素が大きく分けて3つあります。テーマ×作家×場所(都市)というその掛け算で出来上がることが多い。でも河本さんは、当初から「具体的なテーマというものは無い」あるいは「掲げない」と言っていました。これはなぜですか。
いくつかの理由はあるんですが、作家数を少なめに40に絞るということは最初から決めていました。もちろん予算のこともありますが、展示会場の規模と、参加作家が満足できる展示をするにはどれくらいの人数が適切かと考えたときに、自然に出てきた数字です。40の作家のリストは100の作家のリストより、ものすごく強いメッセージになります。コンセプトを知りたいと思うレベルの関心を持つ人は、参加作家の名前を見ればだいたい展覧会の内容がわかると思います。だからコンセプトを問う人には、アーティストリストこそメッセージだと答えるようにしています。つまり各作家の実践は少しずつ重なっている部分があるけれど、絶対に一致はしないから、重なり合いの連鎖みたいなものが展覧会の構造になっていく。包括的な構想とか必要なくなってきて、大事なのは、そういうものが一緒にいられる場所を用意することではないかと思います。
—— ただ、そういうやり方は河本さんでなくても、あるいはPARASOPHIAでなくてもできるのでは?
でも、誰もやってないでしょ?
—— 僕がいいなと思ったのは、ほぼすべてのアーティストを事前に京都に招聘しているということです。40組の内、何作家が来たんですか。
正確には数えてないけど、35組は来ていると思います。
—— それはすごいですね。よく海外の国際展で、その国のキュレーターではなくて別の国のキュレーターが指名された場合に、誠実なキュレーターはできる限り長く滞在する。それと同様に、河本さんは京都にいるけれど、海外から来たアーティストたちが事前に京都を訪れる。これは最初から考えていたんですか。
もちろんそうです。まずは自分で、興味を持った作家をすべて尋ねていきます。知っている人もいるし、作品だけ知っている人もいる。それで私が何を考えながら展覧会を準備しているかを説明し、「PARASOPHIAに興味があるか」って聞いて、OKなら「じゃあ、事前に京都に最低1週間以上滞在して、京都を経験した上で作品を作ってほしい」と依頼しました。理想の形は、私が好きな旧作を1点出してもらい、さらに新作を作ってもらうこと。典型的なのはスーザン・フィリップスで、15年前の作品はぜひ必要だと頼み、その上で京都に来て新作を考えてほしいと言ったら喜んで新作に挑戦してくれました。
—— 蔡國強さんの場合も同じですか。
蔡さんも、最初にメールを送ると直ぐに「手伝うよ」と言ってくれたので、「農民ダ・ヴィンチ」の展示作業中のサンパウロまで訪ねました。蔡さんには国際展でのある種の「幅」、つまりアクセスしやすい口当たりの良さと、非常にクリティカルな部分との両方を引き受けてほしいとお願いすると、「わかりました」と言ってくれました。PARASOPHIAのスペクタクル的な部分は、彼に集中しています。
—— 蔡さんはぱっと見てわかりやすいものを作るけれど、奥にレイヤーがいくつもある。やっぱり偉大なアーティストですね。
傍ら、いまの「参加型」の作品に対する根本的な批判があると思います。同様に、ジャン=リュック・ヴィルムートの「Café Little Boy」は「参加型」の原型的な良い作品だと私は思います。で、蔡さんの作品とジャン=リュックの作品は、無料ゾーンにあるべきなのです。
—— じゃあ、大前提としてその2作品がある。贈与経済的とでもいうか……。
はい、パブリックスペースの問題も含むものです。ポスト=マルクス主義における公共空間を、今回の参加作家たちの割と多くが意識しているなと思いました。クラシック近代の公共空間じゃなくて。そういう意味で、中央のフリーゾーンに本屋とカフェがあって、レクチャールームがあって、蔡さんとジャン=リュックまで無料で、その横にもぎりがあって、ケントリッジから有料ゾーンになります。そこでギャップというか、価値交換というか、踏み越えるところがあるという仕掛けです。
●一部が重なっていればバラバラでいい
—— PARASOPHIAは「国際現代芸術祭」であり、「アートフェスティバル」とは称していない。ところがふたを開けてみると、演劇・ダンス・音楽などはありませんね。
まず、「コンテンポラリーアート」としない、というのは、構造的な柔軟性というか、将来への含み、展開の可能性を残すためです。
—— というと?
今回、演劇までやる余力は明らかに無いですね。しかし京都にはKYOTO EXPERIMENTという非常にいい種があって、これはしっかり育つべきだと思います。音楽も面白いものはあるけども、あえて音楽として取り上げる余力も無いがオーバーラップする部分はあると思うんですよ。例えばスタン・ダグラスとか、ラグナル・キャルタンソンとか、引用の結果ではあるけれど、音楽と重なる作品がある。もうひとつは、言語の問題を視覚芸術で考えたい、という作家も何人か入っています。
—— 例えば?
ドミニク・ゴンザレス=フォルステルもそうだと思うし、ウィリアム・ケントリッジもそうだし、アン・リスレゴーも。表層的な見え方の奥で、言語・テキスト・翻訳・解釈の問題をベースに考えている作家たちが結構います。
—— それはそうでしょうが、彼らの作品を音楽や演劇など他ジャンルの作品とは言えないでしょう。一方、僕が個人的に面白そうだなと思ったのは、アレクサンダー・ザルテンと笠原恵実子の映画のプログラムです。でも同時に、やや唐突な感じがする。河本さんはあるインタビューで「実は隠しテーマとして東アジアの近代というのがある」と語っていますが、これはどういうことでしょうか。
東アジアおよび南アジアから新しい世代の作家たちが登場してきていると思います。あえて歴史や自分たちの民族的な特徴を踏まえて語らなければいけない世代から、だいぶ変わってきている。特にタイのアリン・ルンジャーンなんか、とても好きですね。また映画が面白い、特にシンガポール、台湾が面白いと思います。シンガポールは建国50年を機に自国のアイデンティティの探求を政府側が求めてるのに、若い監督たちは、「植え付けられた人工的な記憶」について映画で作っている。台湾は、ものすごくノスタルジックで甘いラブストーリーの流行の裏で、国が無くなることへの恐怖をものすごく感じます。
なぜアートとせず、カルチャーとしたかという意味合いにおいて、映画は再び非常に面白い分野だと思っています。だからキュレーションという形で、東アジアの近現代映画をドイツ系アメリカ人のザルテンが上映プログラムを組み、「東アジアの国々が周辺の国をどのように表象してきたか」を私たちが鑑賞するのは面白いなと思っています。
笠原恵実子は、個人のプロジェクトで満州まで行ってきて、そこで彼女は、満州に残る30年代の日本の統治時代のいくつかの建物と、この建物の関係を考えています。
—— 「この」というのは京都市美術館のことですか。
はい、京都市美術館です。奉天にあるのとほぼ同じような、帝冠様式の建物です。笠原もいくつかの映画を選びスクリーンプログラムを組みました。当時の日本が作っていた国策映画と、シベリアで抑留された日本兵が観たであろうロシア映画のシベリアの美しい風景、そのギャップがものすごい。
—— 笠原さんが選んだ映画は、市美で展示する作品と当然リンクしている。王虹凱(ワン・ホンカイ)の作品ともリンクしますよね。近代における国民国家を成立させる装置としてのシネマ、あるいは回りまわってアート、というところに行くかもしれませんが、他の作家の作品との関連性は?
田中功起や眞島竜男の作品と繋がりますが、でも、バラバラでいいんですよ、一部が重なっていれば。PARASOPHIAにはいくつかの隠れキーワードがあります。ひとつは「交易/トレード」。なぜ「交換/エクスチェンジ」じゃないかと言うと、「トレード」は力関係が非対称ですよね。どちらかが常に強い、どちらかを搾取する。でも、搾取された側が一方的に弱いだけではない。それから「交易」に重ね合わせて面白いのは言語衝突ですね。支配的な言語が辺境の言語に接触して完全に飲み込むか、あるいはそこで変形言語=交易のためのいびつな言語を生み出す。いわゆるピジン語の発生ですね。
「アートと交易」「非対称な交換」と考えたら、やっぱりアラン・セクーラという作家に行きつきます。彼の写真とテキストを拠り所にした世界へのアプローチはとても面白い。私は2001年の横浜トリエンナーレで一緒にやって、いままでにない世界の見方を教えられたんです。「17世紀オランダ船のバスケットと呼ばれているものを知っているか」と聞かれました。いまのコンテナの原型みたいな四角い箱ですね。「それと、アンディ・ウォーホルのあの(ブリロ)ボックスと、ドナルド・ジャッドのボックス。この共通点は何だと思う? 形じゃないよ」と言うんですよ。「その共通項は『トレード』だ」って言う。要するに、ポップアートがアメリカ商品として世界を席巻したということ。私はセクーラのものの見方をすごく面白く思って、今回もプロジェクトがスタートしてすぐに連絡しようと思ったら、一昨年の8月に急死しました、ほんとに残念です。日本の人たちに彼の業績を記憶してほしいなと思って、カタログで仕掛けとかを用意しているつもりです。
(2015年2月26日、設営中のPARASOPHIA主会場・京都市美術館で取材/
4月1日公開)
—こうもと・しんじ
PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015 アーティスティックディレクター。京都工芸繊維大学大学院工芸学研究科修士課程意匠工芸学専攻修了。1981年より京都国立近代美術館研究員。2006–10年まで同館学芸課長。『横浜トリエンナーレ2001 メガ・ウェイヴ:新たな総合に向けて』共同ディレクター。2003年に第50回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展金獅子賞パビリオン部門国際審査委員ならびにドクメンタ12総合ディレクター選考委員を務める。主な企画展に『アゲインスト・ネーチャー:80年代の日本美術』(1989)、『プロジェクト・フォー・サバイバル——1970年以降の現代美術再訪』(1996)、『ウィリアム・ケントリッジ——歩きながら歴史を考える:そしてドローイングは動き始めた……』(2009)がある。
【特集】PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015(関連記事)
Interview:
河本信治(PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015アーティスティックディレクター)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(1)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(2)
Review: ▶ 浅田 彰「パラパラソフィア——京都国際現代芸術祭2015の傍らで」
▶ 福永 信「第1回京都国際現代芸術祭のために」
▶ 高橋 悟「PARASOPHIA 〜 制度を使ったEngagement 」
Blog: ▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド①―「でも、」を待ちながら」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド②―京都のグローカル・エコノミーをたどる」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド③―(反)帝国主義のミュージアム〈1F〉」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド④―喪失への祈りとガスの記憶〈2F〉」
▶ 小崎哲哉「『私の鶯』と、なぜか鳴かないPARASOPHIA」
▶ 福永 信「パスポートを取り上げろ! パラソフィア・レヴュー補遺」
▶ 小崎哲哉「たったひとりの国際展」
▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 1 ▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 2
外部リンク: ▶ Parasophia Conversations 03:「美術館を超える展覧会は可能か」(2015.03.08)
(アンドレアス・バイティン、ロジャー M. ビュルゲル、高橋悟、河本信治、神谷幸江)
記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川
▶ Creators@Kamogawa 座談会『PARASOPHIA クロスレビュー』(2015.03.28)
(クリス・ビアル、ミヒャエル・ハンスマイヤー、ヤン・クロップフライシュ、
ゲジーネ・シュミット、港 千尋、原 久子/司会:小崎哲哉)
記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川
▶ 公式サイト:PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015
〈2015年3月7日(土)–5月10日(日)〉