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『私の鶯』と、なぜか鳴かないPARASOPHIA
小崎 哲哉

2015.03.29
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鶯が鳴き始めた。若いオスはさえずりがへたくそで、ちゃんと「ホーホケキョ」と鳴くことができない。だが、鳴かないとメスとの営巣が叶わないとあって、一所懸命、先輩の真似をして上達に励んでいる。リチャード・ドーキンスの利己的遺伝子説が正しければ、さえずりは生存を左右する表現行為である。生きるとは、たいへんなことだなあと思う。

まさにその季節に、京都文化博物館で『私の鶯』が上映されたので観に行った。開催中のPARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015の「シネマプログラム」のために、アーティストの笠原恵実子が選んだ9本の内の1本である。笠原は京都市美で、第2次大戦末期に焼成された手榴弾の陶製容器のかけらを使った作品を展示している。それに関連し、プログラムは「戦中の日本および満州国が製作した国策映画」を中心に組まれている。

笠原恵実子《K1001K》2015(正しくは、最後のKが横向きに反転)


文博のフィルムシアターは、知る人ぞ知るなかなかよいプログラムだが、残念なことに、往々にしてお年寄りの休憩室になってしまっている感がある。今回は、やや若い人も散見されたが、やはり大方は常連さんだった。開始早々に鳴き声ならぬいびき声が響き始めたのも普段通り。しかしこの映画は、寝るにはもったいない「幻の作品」だ。

『私の鶯』は、1943(昭和18)年に満映と東宝が提携して製作した映画である。プロデューサーは左翼映画人として知られた岩崎昶、原作は大佛次郎、監督は島津保次郎、音楽は(「別れのブルース」「蘇州夜曲」「胸の振り子」「東京ブギウギ」「青い山脈」「銀座カンカン娘」の)服部良一、そして主演は満映が生んだ最大のスター・李香蘭。李香蘭その人は「日本ではじめての本格的音楽映画として特筆されてよい傑作だと思うのに、残念ながら映画史にすら記録されていない」(『李香蘭 私の半生』)と嘆くが、製作時に公開されなかったとはいえ、それは言いすぎというもので、1984年に一部が欠損したフィルムが発見され、映画評論家の佐藤忠男が労作『キネマと砲聲——日中映画前史』に概要を記している。同書によれば「あの時代に、止むを得ず戦争に協力する面もあったとはいえ、積極的な協力は意識的に避けていたと思われるこれら一流の人々」が作った「ミュージカル」であり、84年以降、映画祭などで何度か上映されている。とはいえ、滅多に観る機会はないから、やはり「幻の作品」と呼んでもいいだろう。

舞台は第1次世界大戦およびロシア革命後の満州。赤軍に追われて逃げてきた白系ロシアの声楽家たちが、日本の商社マン隅田に救われる。ところが、すぐに別の戦火が彼らを襲い、逃走のさなかに隅田は負傷。妻と幼子、声楽家たちと離ればなれになる。15年の歳月が流れ、その間に、隅田の娘・満里子はオペラ歌手ディミトリーの養女となってハルピンの町で暮らしていた。劇場で歌う養父は、共産主義者たちの嫌がらせに遭い、仕事が少なくなってゆく。花を売って家計を助けていた満里子は、親切な日本人青年と出会って恋が芽生える。しかし満州事変が勃発し、満里子の安全を図るべくディミトリーは日本人社会に娘を委ねる。やがて日本軍が入城し、満州国が成立。その後、ディミトリーは病に倒れるが、ナイトクラブで歌っていた満里子を隅田の友人が発見し、南洋に行っていた隅田は病院で親子の対面を遂げる。隅田は長年の養父の心中を慮り、娘を引き取りはしない。ディミトリーは退院し、久しぶりに歌劇の舞台に上がる。だが歌っている最中に発作が起こり、そのまま劇場で死んでしまう。最後のシーンはディミトリーの墓前。満里子が「私の鶯」を歌ってエンドマークが出る。

他愛もない物語だが、製作された時代や背景を考えると、微妙な陰翳に富んでいるとも言える。日本人であるにも関わらず中国人スターとしてデビューさせられた李香蘭は、満里子という役名から想像されるように、満州国の「五族協和」の象徴として主役を演じている。わずかな日本語と中国語以外、出演者のほぼすべてがロシア語を話すという設定は、「王道楽土」に組み入れた白系ロシア人やユダヤ人ら、「五族」以外の民族への配慮を示しつつ(そして「帝国」としての満州国の懐の広さをさりげなく誇示しつつ)、帝政ロシア時代に作られたハルピンの風景と相俟って、製作者たちのコスモポリタニズムへの憧れをも示唆している。また、日本の民間人は親切で正義感が強く、義侠心に富んだ人物ばかりで、しかしハルピンに入城する日本兵は、おそらく実際のニュース映像を流用していて、性格描写は特にない。一方、死に瀕したディミトリーは、満里子に「日本へ帰れ。日本は美しい国だ」と言い遺すが、満里子が娘としての愛情を示すのは、実の父親(で日本人の)隅田ではなく、むしろ育ての父(でロシア人の)ディミトリーに対してなのである。

「国策」による圧力と創作欲求のバランスをほどよく取ろうとした(のであろう)この作品は、上述したように製作時には満州でも日本でも公開されなかった。再び佐藤によれば「理由ははっきりしないが、この非常時にロシヤ歌曲ばかり歌っている西洋の映画みたいなものとは何事だ! と、検閲で睨まれたのではなかろうか」とのこと。ともあれ、(重要な場面がカットされているそうだが)映画ファンも歴史ファンも楽しめる貴重な作品だと思う。市美の笠原作品と併せて観れば連想が広がることは付け足すまでもない。

文博入口(三条通り側)


そんな重要な作品だが、展示も行われている(というより京都市美と並ぶ主会場のひとつである)文博が、PARASOPHIAの会場だとわかる工夫が驚くほどなされていない。三条通りに面した入口の内側にタペストリーが吊られているだけで、外側には表示はほとんどなく『特別展 京を描く』のポスターばかりが目に付く。実際、京都の地理に不案内な知人が「目印がなくて見つけるのに苦労した」と言っていた。KYOTOGRAPHIEのときは、色鮮やかな幟が立っていてわかりやすかったけれど、これはどうしたことだろうか。

文博の催事情報掲示スペース。PARASOPHIA関連の告知は、中央のシネマプログラム(青地の部分のみ)と、右下の文字掲示のみ。とほほ……。


文博のウェブサイトも、告知にはおよそ役立たずだ。トップページにはPARASOPHIAの「パ」の字もなく、公式サイトへのリンクもない。サイドメニューにある「特別展スケジュール」や「別館」を見ても情報は出てこず、「別館ホール」というボタンをクリックしてようやく「3月の催事案内」にたどり着く。でも、そこにはたった5行の素っ気ない表示があるばかりで、内容については何も触れられていない。展示を行っている森村泰昌とドミニク・ゴンザレス=フォルステルという、国際的に非常に著名なアーティストの名も、まったく見当たらない。繰り返すが文博はPARASOPHIAの主会場のひとつで、文博を運営する京都府は、PARASOPHIAの組織委員会に名を連ねているのだが……。

鶯は「ホーホケキョ」と鳴いてメスに向けてアピールし、生存競争を勝ち抜こうと努めている。存在が知られなければ、自らの生は無意味なものとなってしまうからだ。アート作品や展覧会も「観られてなんぼ」だと思うが、河本信治アーティスティックディレクターへのインタビューでも触れたとおり、PARASOPHIAはガイドブックを書店流通させていない(したがって京都以外の地域への宣伝が行き届いていない)。また、カタログは自力編集でプロの校閲を経ていない(したがって文法や表記の誤りが正されないまま印刷・刊行されている)。展覧会には観るべきところがたくさんあるにもかかわらず、「告知や宣伝は二の次でいい」とでも言うようなこの姿勢は、鶯にはもちろん、人間にもおよそ理解しがたいことではないだろうか。

 
【特集】PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015(関連記事)

Interview:
河本信治
(PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015アーティスティックディレクター)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(1)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(2)

Review: ▶ 浅田 彰「パラパラソフィア——京都国際現代芸術祭2015の傍らで」
▶ 福永 信「第1回京都国際現代芸術祭のために」
▶ 高橋 悟「PARASOPHIA 〜 制度を使ったEngagement 」

Blog: ▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド①―「でも、」を待ちながら」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド②―京都のグローカル・エコノミーをたどる」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド③―(反)帝国主義のミュージアム〈1F〉」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド④―喪失への祈りとガスの記憶〈2F〉」
▶ 小崎哲哉「『私の鶯』と、なぜか鳴かないPARASOPHIA」
▶ 福永 信「パスポートを取り上げろ! パラソフィア・レヴュー補遺」
▶ 小崎哲哉「たったひとりの国際展」
▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 1 href=”http://realkyoto.jp/blog/thomasson_sophiagraphie-parakyoto-part-2/”>▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 2
外部リンク:Parasophia Conversations 03:「美術館を超える展覧会は可能か」(2015.03.08)
(アンドレアス・バイティン、ロジャー M. ビュルゲル、高橋悟、河本信治、神谷幸江)
 記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川
Creators@Kamogawa 座談会『PARASOPHIA クロスレビュー』(2015.03.28)
(クリス・ビアル、ミヒャエル・ハンスマイヤー、ヤン・クロップフライシュ、
 ゲジーネ・シュミット、港 千尋、原 久子/司会:小崎哲哉)
 記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川

 
▶ 公式サイト:PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015
〈2015年3月7日(土)–5月10日(日)〉