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パラパラソフィア——京都国際現代芸術祭2015の傍らで
文:浅田 彰

2015.03.08
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浅田彰

para- = 「側-」「副-」「擬似-」
PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015」が開幕した。もちろんまったく期待していなかったとはいえ、ここまでつまらないとは思わなかったというのが正直なところだ。国際芸術祭が乱立し、当然ながら平均的な水準が下がっていく中で、私自身、1990年代以後は国際芸術祭をあまりフォローしなくなったので、客観的な評価はプロフェッショナルな美術批評家・美術ジャーナリストに委ねたい。だが、個人的に言えば、「PARASOPHIA」は国際芸術祭の中でも最もつまらない部類に入るのではないか。

 
京都で国際芸術祭を?
そもそも私は、国際芸術祭なるものをこれ以上増やしても仕方がない、やるならばこれまでにないような形式を発明しなければ意味がない、と考える凡庸な常識人である。だが、あえて言えば、日本で国際芸術祭を開催するなら京都だということははっきりしている。たとえば、ヴェネツィア・ビエンナーレがいまだにあれほど注目されるのはヴェネツィアだから——ビエンナーレそのものがつまらなかったとしてもヴェネツィアは何度でも訪ねたくなる町だからだ。とくに海外から見たとき日本でそれに匹敵する町は京都を措いて他にない。もし私が文化官僚で、「美しい国」を世界にアピールしようとするナショナリスト政権に媚びようと思ったら、それなりの人材と予算を集中的に投下して京都国際芸術祭を創設するだろう。しかし、「クール・ジャパン」とやらでお茶を濁すのがせいぜいの現在の日本には、幸か不幸かそういう野心をもった人間はいないらしい。

そこで、京都が自前で国際芸術祭を開こうという話が持ち上がった。しかし、予算がない。某「国際派キュレーター」が予算不足を理由にディレクター就任を断ったという話を聞いたのはずいぶん前のことだ。もちろん予算がないならないでラディカルな形式や方法を考えることは可能だったろう。ヴェネツィア・ビエンナーレなどに匹敵するレヴェルを目指すなら十倍とは言わぬまでも数倍の予算が必要だった半面、ラディカリズムに徹するなら十分の一の予算でも十倍は面白いことができたはずだ。しかし、実現された「PARASOPHIA」は、中途半端な規模で貧乏臭く小心な芸術祭という最悪の形になってしまった。

ここには、坂本龍一の企画した「札幌国際芸術祭2014」や森村泰昌の企画した「ヨコハマトリエンナーレ2014」のような明快なコンセプトもなければ、「越後妻有大地の芸術祭」や「瀬戸内国際芸術祭」のような風土の発見もほとんどない。といって、グローバルなアート・ワールドのトレンドをうまくサンプリングして見せてくれるわけでもない。そう、いちばん問題なのは、観客にとって発見と言うに足るものがほとんどないことだろう。いわゆるビッグ・ネームといえばウィリアム・ケントリッジやピピロッティ・リストということになるのだろうが、彼らは1990年代の国際芸術祭サーキットのスターであり、今回とくに目新しい作品が展示されているわけでもない。蔡國強の《京都ダ・ヴィンチ》は観客を巻き込む破天荒な作品で、巨大なタワーのみならず、ジャクソン・ポロック・ロボットやイヴ・クライン・ロボットが動くのを見るだけでも楽しいが、「一人国際芸術祭」とでも言うべきアーティストが世界各地で持続的に展開してきた《農民ダ・ヴィンチ》や《子どもダ・ヴィンチ》の延長線上に位置するものであって京都でしか見られないものではないし、やなぎみわのステージ・トレーラーが二条城の前で「御開帳」に及ぶところはスリリングだったが(会期中は京都市美術館の前庭に設置され、いとうせいこうによるラップ版《日輪の翼》をはじめとするさまざまなイヴェントが予定されている)、これまた「ヨコハマトリエンナーレ2014」でのお目見えから2016年(中上健次生誕70年)の《日輪の翼》上演につながるひとつのリンクでしかない。では、いままで知らなかった作家や作品を発見して嬉しい驚きを感ずることがあったかといえば、それがまったくないのだ。個人的に、アラン・セクーラ(2013年没)やハルーン・ファロッキ(2014年没)といった重要な社会派アーティストの作品が見られたのはよかったと思うが、そうした回顧だけでは現代芸術祭として寂しすぎるのではないか。

蔡國強《京都ダ・ヴィンチ》2015年
「PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015」展示風景(画像提供:PARASOPHIA事務局)


やなぎみわ《『日輪の翼』上演のための移動舞台車》(2014年)
でのパフォーマンス(2015年3月6日 二条城 東大手門前)
「PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015」(画像提供:PARASOPHIA事務局)


そういうわけで、とくに京都市美術館での展示は、現代美術について真面目に考えようと思っているがこれまであまり見る機会がなかった観客には一応薦めてもいいかもしれないけれど、現代美術をフォローしている人、あるいは、面白そうなものなら見てもいいと思っている人には、率直に言って薦められない。ただ、本筋を離れて言えば、これは京都市美術館そのものを見直す格好の機会ではある。ここでは、普段、複数の展覧会が同時に開かれているので、全館を使った展示はきわめて珍しいのだ。そうして見直してみると、帝冠様式の典型であるこの建物が、まさに帝国の美術館というにふさわしい規模をもっていることがわかる。入口に続く階段ホールが狭苦しい印象を与える憾みはあるが、その背後には(蔡國強の《京都ダ・ヴィンチ》が置かれている)広大な吹き抜けのホールがあり、そこから(PARA CAFÉを通じて)裏庭までまっすぐ抜けることができる。実のところ、この美術館に現代美術部門を増設する計画が持ち上がっているのだが、PARA CAFÉのデザインを担当した名和晃平&SANDWICHが正しく指摘するように、すでにある建物をリノヴェーションすることによって十分な展示空間を生み出すことができるので、新しい建物などつくる必要はない(増設を強調するため前庭に新しい建物をつくる案もあるようだが、そんなことをするより、現存の建物のファサードを一望できる空間を確保する方がはるかによい)。そんなことも考えながら美術館全体を見直してみる、これは貴重な機会だ。とくに、かつてクロークなどがあった地下の空間に降りることができ、一方では高嶺格の作品が展示されているが、他方では「美術館の誕生」という資料展示を見ることができるので、見逃さないようにしたい。そして、美術館の外に出ると、どこからか女性が一人で歌う《インターナショナル》が響いてくるだろう。帝冠様式の建築と《インターナショナル》。スーザン・フィリップスによる、シンプルな、しかし効果的な介入である。(なお、賀茂大橋に近い鴨川デルタにも、3つの歌が交錯するフィリップスのサウンド・インスタレーションがある。京都市民なら誰でも知っている場所だが、飛び石で川を渡ることもできるので、観光客も一度は訪ねる価値があるだろう。ただ、フィリップスのリリカルな作品としては、札幌国際芸術祭2014で「芸術の森」に響いていたカッコウの歌の方が印象的だった。)

森村泰昌《プラド美術館をテーマにしたシリーズより8点》2013年
「PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015」展示風景(画像提供:PARASOPHIA事務局)


ピピロッティ・リスト《進化的トレーニング(堀川–不安は消滅する》2014/15年
「PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015」展示風景(画像提供:PARASOPHIA事務局)
Courtesy of the artist, Hauser & Wirth, and Luhring Augustine


 
崇仁地区
この鴨川デルタをはじめ、京都文化博物館、京都芸術センター、堀川団地などでも、少しずつ作品が展示されているが、とくに足を運ぶ価値があるかどうかは微妙なところだ(文化博物館で展示されている《ラス・メニーナス》連作は森村泰昌作品の中でも重要なものだが、一昨年の資生堂ギャラリーでの展示の方が精度が高かったし、新たに加わった音声による解説がうるさい。団地の一室でピピロッティ・リストの新作を見るのは悪くないとして、布団に寝転がって見られるならともかく、布団に投影された映像を立って見下ろすというのは、居心地のいいものではない)。ただ、この機会にぜひ訪ねたいのが崇仁地区だ。

京都は古い町であり、かつての被差別部落の痕跡もいたるところに残っている。とくに鴨川の六条河原は昔の処刑場であり、それに近い崇仁地区(京都駅の東、鴨川の手前)はかつて京都最大の被差別部落(同和地区)だった。またそこは、被差別部落で唯一、自前の銀行が設立され(1899年)、部落解放運動の主体となる水平社の設立(1922年@京都)にも間接的につながっていったとされる場所である。その記念館(柳原銀行記念資料館)があるので、まずはそこを見てから、周囲を歩いてみるとよい。不規則な形の更地が複雑に入り組んでいるのだが、「不法占拠」を許さないためか、そのすべてがフェンスで囲まれているのに驚くだろう。その中にヘフナー/ザックスのインスタレーションの置かれた《Suujin Park》がある。ジャングルジムめいた枠組みにさまざまなものを吊るしたインスタレーション。高く水を噴き上げる古い手押しポンプ。石の輪からステンレスの柱が突き出た日時計のようなオブジェ。それらが各々フェンスに囲まれた空地に置かれているのだ。近くの高瀬川に水車がわりに置かれた自転車も作品の一部だろうか(ここに「芸術発電所」を誘致すれば面白かったかもしれない)。《Suujin Park》の隣の空地には、黒い金属の網でつくった庭石のようなオブジェが散在しているのだが、空地自体がフェンスで囲われているのでいっそう印象的に見える。

ヘフナー/ザックス《Suujin Park》2015年
「PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015」展示風景


実を言うと、いま触れた最後の作品は、PARASOPHIA自体ではなく、いわばPARA-PARASOPHIAイヴェントとして元・崇仁小学校(平成21年度末をもって閉校した)および周辺地域で開催されている京都市立芸術大学の「still moving」展の杉山雅之による作品である。実は、崇仁地域の「ジェントリフィケーション」を担うべく、京都市立芸術大学がこの地域に移転することになった。その過程で関係するアーティストたちがそれぞれの立場から独自の芸術的介入を始めているのだ。私が元・崇仁小学校を訪れたのはオープニングの前だったので、あらためて見に行かなければならないが、準備段階でも、これはきわめて興味深いイヴェントであると思われた。中心メンバーである石原友明は、いささかベタなノスタルジーに流れてしまったのではないか、という危惧を漏らしていたが、こういう濃密な歴史的記憶が重なる場所で消えつつある痕跡を「写す/移す」ことには、それだけでも安易なノスタルジーを超えた意味があるだろう。たとえば2年1組の教室の久門剛史によるインスタレーション。前の黒板には何も書かれていないが、スピーカーから板書の音が流れ、それに応じて裸電球が点滅する。後ろの壁は、さまざまな大きさの円い鏡面の時計が埋め尽くしている。そして、時に板書の音をかきけす強烈なノイズ…。そうした作品を見たあと、昔の小学校の校庭で8人の生徒がキャッチボールをしているのを眺めながら、私はさまざまなことを考えさせられていた——PARASOPHIA全体から考えさせられるよりもはるかに多くのことを。

杉山雅之《歩行視のためのオブジェーここに来しもの Which has comeー》2015年
「still moving」展示風景(画像提供:still moving)


久門剛史 《Quantize #3》2015年
「still moving」展示風景 撮影:来田猛(画像提供:still moving)


実のところ、やなぎみわのステージ・トレーラーによる《日輪の翼》上演計画をめぐって、昨年11月14日に京都造形芸術大学で四方田犬彦・渡部直己と私でアーティストを囲む公開講座(『舞台芸術』19号に掲載予定)を開催したとき、四方田犬彦は直前に再訪してきた崇仁地区の現状を話題にし、「中上健次文学における『路地』(作家が自らの生まれ育った新宮の被差別部落を指して使った言葉)を語るのはいいけれど、その前に、君たちは自分の住む京都の被差別部落跡地がいまどうなっているか知っているのか」といかにも彼らしく学生たちに挑発的な問いを投げかけていた。それに倣って言えば、京都市美術館の前庭でやなぎみわのステージ・トレーラーを見たあと崇仁地区を訪ねるというのが、PARASOPHIAを体験するひとつの有意義な方法だと言えるかもしれない。それだけだとPARASOPHIAをやり過ごすことにしかならないだろうか。そうかもしれない。繰り返せば、現代美術について真面目に考えようと思っているがこれまであまり見る機会がなかった観客には、ぜひ京都市美術館をはじめとする会場を回ってすべての作品を見ることを勧めたい。しかし、そうでない人には正直に言おう。PARASOPHIAは無理に見なくてもよい。PARA-PARASOPHIAを体験すればそれでよい。

(あさだ・あきら 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長)

(2015年3月6日)

 
【特集】PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015(関連記事)

Interview:
河本信治
(PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015アーティスティックディレクター)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(1)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(2)

Review: ▶ 浅田 彰「パラパラソフィア——京都国際現代芸術祭2015の傍らで」
▶ 福永 信「第1回京都国際現代芸術祭のために」
▶ 高橋 悟「PARASOPHIA 〜 制度を使ったEngagement 」

Blog: ▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド①―「でも、」を待ちながら」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド②―京都のグローカル・エコノミーをたどる」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド③―(反)帝国主義のミュージアム〈1F〉」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド④―喪失への祈りとガスの記憶〈2F〉」
▶ 小崎哲哉「『私の鶯』と、なぜか鳴かないPARASOPHIA」
▶ 福永 信「パスポートを取り上げろ! パラソフィア・レヴュー補遺」
▶ 小崎哲哉「たったひとりの国際展」
▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 1▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 2
外部リンク:Parasophia Conversations 03:「美術館を超える展覧会は可能か」(2015.03.08)
(アンドレアス・バイティン、ロジャー M. ビュルゲル、高橋悟、河本信治、神谷幸江)
 記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川
Creators@Kamogawa 座談会『PARASOPHIA クロスレビュー』(2015.03.28)
(クリス・ビアル、ミヒャエル・ハンスマイヤー、ヤン・クロップフライシュ、
 ゲジーネ・シュミット、港 千尋、原 久子/司会:小崎哲哉)
 記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川

 
▶ 公式サイト:PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015
〈2015年3月7日(土)–5月10日(日)〉