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PARASOPHIA 〜 制度を使ったEngagement
文:高橋 悟

2015.03.27
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高橋悟

京都国際現代芸術祭PARASOPHIA は、さまざまな期待を担わされている。しかし、そのような期待に対して、荒唐無稽な裏切りへの意志を維持し続けること。Why Kyoto? という問いに対しては、Why not? と応答したい。場所への、もっともらしい理由付けは、危険だ。

今回の京都国際現代芸術祭の英訳では、Art というコトバをあえて使用せず、Contemporary Culture という言葉があてられている。しかし、それがグローバル規模で再生産される国際展や消費文化への抵抗に留まるなら退屈だろう。「病を癒やすには、まず医療を巡る環境自身を癒やしてからでなければならない」とはフランスや日本で行われている「制度を使った精神療法」の言である。それは医療に於ける知・権力・技術の配分方法を検証し、患者・医者・看護士などの制度的関係性を再構築する試みと言える(例えば、患者が包丁を使って医者に調理を教えるなど)。美術に於いても、同様に、美術を巡る制度的環境、つくる、観る、書く、売る、教えるといった固定化された役割分担を組み換え、知・権力・技術の再配置に繋げる「制度を使った」アプローチは可能だ。
PARASOPHIA は「技術と学問のあらゆる領域にわたって参照されうるような、そしてただ自分自身のためにのみ自学する人々を啓蒙すると同時に、他人の教育のために働く勇気を感じている人々を手引きするのにも役立つような」事典:18世紀の百科全書と呼応する(引用は「百科全書序論」より)。この百科全書が明治期に紹介された折には、「百学連環」と翻訳されており、近代に形成された「人間」概念を形成する知・技術を連環的に捉える道具としての本という意味が明らかにされていた。21世紀に入り、近代の人間概念自身の再構築が必要とされる中、異なった視点から、「百学連環」を改めて問い直す。そのプラットホーム作りが、パラソフィアの理念だろう。

「制度を使う」実践的な利点として、京都には、5つの芸術大学、京大、同志社、立命など総合大学、様々な伝統工芸機関に加え、民間の研究所がある。また行政は、産官学連携による新しいプロジェクトを求めてもいる。その意味で、PARASOPHIA は「創造・研究・教育のプラットホームの可能性を専門機関や地域の枠を越えて探求する」良い機会となる。逆説的な物言いになるが、得体の知れない現代芸術:PARASOPHIA という「仮の容器」を使用することで、バラバラな箱に閉じ込められ分散した「無用の知・技術」を公共圏で横断的に転用する実験が可能になる。ただし、機関所属のレギュラーがプレーヤーとなるわけではない。それでは、無反省なぶら下がり企画や突っ込み企画が乱立するだけだろう。基本的には、人種・性別・年齢・職業を問わず、無所属の存在がプレーヤーとしてengagement できるようにすること。その為の時間と資金を確保する方法を押さえておくこと。PARASOPHIA という「無所属の場」に寺子屋や工房や研究室が立ち並び、神社の夜店のような雰囲気で、様々な主体が身分証明なしで自由に交流できるような授業や市場・大学が作れたらどうだろう。ソクラテスが若者達を魅了し論戦したアゴラと呼ばれた広場は、様々なものが売り買いされ外国人も出入りできる公共圏としての市場でもあった。そのような場の提供が、「制度を使った国際展」PARASOPHIA が可能にするものだろう。

念のため確認するが、Engagementとは、現代美術の教科書に載っているような参加型アートを指すわけでは無い。それらのほとんどは、観客が参加したいわけではなく、アーティストが観客の参加を必要としているものである。たまたま美術館に来た人にちょっと参加していただいて、これで世の中と関わっていますという言い訳的な作品展示。それで本当に参加と言えるのだろうか。参加型という言葉自体に問題があって、個人的にはengagementという言葉を使いたい。それは展覧会という限られた期間でなく、より長期的に、固有名詞の関係で向かい合うという意味だ。そうした関わり合いの中で、ローカルな問題をグローバルに、あるいはグローバルな問題をローカルに扱うといった別の視点でやっていかないと、参加型というあり方はリアリティのない空虚なものになる。

別会場の崇仁地区での展示企画であるstill moving は、上記のような問題意識と呼応するものだ。(そのタイトルは、PARASOPHIA 芸術監督である河本信治のかつての企画「STILL\MOVING:境界上のイメージ」から「斜線」を外し、「引っ越し中〜still moving」と読み替えたものである。)崇仁地区へのアプローチにおいて目指されたものは、浅田彰がレビューで引用した四方田犬彦の「京都にいながら崇仁を知らないとはいかがなものか」といった学級委員長的発言や、美術館前の中身の無い広告トレーラーを観てから、崇仁地区へ行けば、理解が深まるといった的外れなものではない。目的は、京都ツーリズムとは異なる視点をすくい出すこと。同時に、大学・行政の間で抽象的に進んでゆく移転構想・計画を国際展という文脈に置き直すことで、地域や外国人も交えた開かれた場へと転位させること(ヘフナー/ザックスの《Suujin Park》プロジェクトもその一環である)。筆者は、参加作家として京都市美術館で、崇仁へも繋がる《装飾と犯罪:Sense/Common》を設置した(漂白された法廷、監獄、一見すると紋切り型の石庭風に尖閣島・竹島などを配置。バックステージには、崇仁の空撮と空白の地図)。崇仁を特定の歴史・空間に規定するのではなく、地球規模で進行する不穏なナショナリズムやナンセンスとの関連から接近する試みである。

杉山雅之《歩行視のためのオブジェーここに来しもの Which has comeー》2015年
「still moving」展示風景(画像提供:still moving)


ヘフナー/ザックス《Suujin Park》2015年
「PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015」展示風景(画像提供:PARASOPHIA事務局)


倉智敬子+高橋悟《装飾と犯罪:Sense/Common》2015年
「PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015」展示風景


PARASOPHIA のクロージングにあたる5月9日〜10日には、崇仁で地域の春祭りが開かれる。かつては、神社の氏子となることが許されなかったがゆえに、自ら作り上げた無所属の御輿を担いだ時間への祝福である。また、歴史の上書き保存への諦念ではなく、生をよりよく生きる為の技術の提案でもあるだろう。そのことを理解する為には、「いまここ」に聞こえる声、見えるイメージだけではなく、見えない彼方からの聞こえない声へと耳を傾けなければならない。それは、始まったばかりの、PARASOPHIA の理念へと通じている。可能性の芽は確実に開きつつあるのだ。

 
(たかはし・さとる PARASOPHIA 参加アーティスト。京都市立芸術大学美術学部教授。PARASOPHIA の立ち上げ以前から、コンセプト作り、会場選定などに非公式に携わってきた)


(2015年3月29日)

 
【特集】PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015(関連記事)

Interview:
河本信治
(PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015アーティスティックディレクター)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(1)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(2)

Review: ▶ 浅田 彰「パラパラソフィア——京都国際現代芸術祭2015の傍らで」
▶ 福永 信「第1回京都国際現代芸術祭のために」
▶ 高橋 悟「PARASOPHIA 〜 制度を使ったEngagement 」

Blog: ▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド①―「でも、」を待ちながら」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド②―京都のグローカル・エコノミーをたどる」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド③―(反)帝国主義のミュージアム〈1F〉」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド④―喪失への祈りとガスの記憶〈2F〉」
▶ 小崎哲哉「『私の鶯』と、なぜか鳴かないPARASOPHIA」
▶ 福永 信「パスポートを取り上げろ! パラソフィア・レヴュー補遺」
▶ 小崎哲哉「たったひとりの国際展」
▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 1 ▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 2
外部リンク:Parasophia Conversations 03:「美術館を超える展覧会は可能か」(2015.03.08)
(アンドレアス・バイティン、ロジャー M. ビュルゲル、高橋悟、河本信治、神谷幸江)
 記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川
Creators@Kamogawa 座談会『PARASOPHIA クロスレビュー』(2015.03.28)
(クリス・ビアル、ミヒャエル・ハンスマイヤー、ヤン・クロップフライシュ、
 ゲジーネ・シュミット、港 千尋、原 久子/司会:小崎哲哉)
 記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川

 
▶ 公式サイト:PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015
〈2015年3月7日(土)–5月10日(日)〉