アーティスト・イン・レジデンス(7): 最終回
世界とつながるネットワーク、そして未来につなぐAIRのあり方
文: 日沼禎子
◉ AIRとネットワーク
AIRの重要な要素である「ネットワーク」のあり方について記述したい。AIRは「アーティストのためのもの」という主語を忘れてはならないと常々考えている。アーティストがAIRで良い経験をすれば、それは良い記憶となり、そして別の誰かに対してもAIRは良き物として伝播するはずだ。では、「良いAIR」とはどのようなプログラム、環境をいうのだろう。それは、アーティストが望むリサーチや表現活動を実現するためのスタッフや施設、資金などの潤沢なサポート体制があることだけとはいえないだろう。それは、人間にとって良い経験とは、すべてが希望する形で実現され、楽しく、スムーズであることだけではなく、時には思い通りにいかず、トライ&エラーを繰り返しながら、切なく困難な道程を辿ることでもたらされることでもあるように。AIRにおいてはアウトプットされる作品以上に、リサーチや新たな表現に向かうプロセスが重要であり、その道程に何があるか、そしてそれらが未来にどのように活かされるのかが何よりも大切なのである。そして、もうひとつ。その、切なく困難な道程の中でも良き経験がもたらされるためには、「アーティスト」と「運営者」との信頼をどのように築くかが鍵となるだろう。AIRを自身の活動の場として選ぶ「アーティスト」も、AIRという手法をある目的のために選ぶ「運営者」も、ヘルシーで、ウェルシーな状況をキープしながら、適材適所、人と場のマッチングが行われることが肝要である。そして、そのために欠かせないのが「ネットワーク」である。ネットワークは相互のマッチングのための情報を得る場であるとともに、将来にわたるアーティストの長いキャリアを支える人と人とのつながりをつくる存在でもある。
私がAIRの仕事をはじめるきっかけをいただき、多くの学びを得た門田けい子氏を、ここで再び登場させたい。門田氏は、日本のAIRの基盤づくりと、国内外でのプレゼンス向上のためにはネットワークが必須であるとし、国内のAIR担当者たちが情報を共有し、それぞれが持続可能な運営を行うための課題と解決方法について学び合う場づくりを提唱し、2003年「J-AIRネットワーク会議」を立ち上げた。そして、AIRは創造的活動を通した国際交流の場であり、その窓口となる駐日大使館と、AIRの現場との相互のネットワーキングを構築が重要であることから、各国大使館への会議会場提供の協力を仰ぎ、担当官による文化政策についての基調講演、AIR担当者間の情報共有、交流会を開催。また、AIR現場における諸課題を共有、議論する研究会を定期的に行うことにより、各運営組織のマネジメント向上につなげるとことも目的とした。さらに、日本と海外とのつながりを強化するために、国際AIRネットワーキング組織「resartis」の事務局長であり、アーティストのモビリティを支援する「Transartists」ディレクターのマリア・テューリングス(Maria Tuerlings)との親交を深め、「resartis 総会ベルリン大会 2015」への参加を含む、オランダ、ドイツへの日本からのデリケーションツアーを企画。日本各地のAIR担当者が参加し、会議への参加と現地でのAIR視察が行われた。このフェイス・トゥ・フェイスの交流、視察の機会によって、AIR担当者間のネットワーキングの促進のみならず、各AIRを通じて、AIRを活動の場として標榜するアーティストに対しても、有益な情報が伝えられる機会となったことはいうまでもない。
その後、2015年、かつて門田氏より多くのことを学んだAIR担当者有志と共に「AIR NETWORK JAPAN」を発足し、緩やかなネットワーク活動を継続している。門田氏からいただいた多くの薫陶を胸に、中間支援のあり方、次世代につなぐ組織運営について模索を続けている。
◉ 次世代のためのAIR「Y-AIR構想」
2011年から美術大学教員として教育の現場に携わっている筆者は、AIRの存在意義を学生のみならず教員間の中でも共有し、教育プログラムとして取り組んでいくための試みを行ってきた。中でも遊工房アートスペース(東京・杉並区)が提唱する「Y-AIR構想」[*1] に基づく連携により、滞在アーティストを授業のゲスト講師として招くことからはじまり、在学生のインターンシップ、あるいは国内外のマイクロレジデンスAIRおよび海外の美術大学との対話の場となる「マイクロ・レジデンス・ネットワークフォーラム」の共催、交流プロジェクトなどの実践を行ってきた。これらの10年余の継続活動は、2022年より「JOSHIBIアーティスト・インレジデンス・プログラム(JOSHIBI AIR)」の試験的運用と、2023年からは講義系科目「アーティスト・インレジデンス概論」開設へとつながり、AIRを通じた教育活動を全学的な取り組みとして展開され始めている。JOSHIBI AIRでは、国内外で活躍するアーティストを招聘し、滞在制作の機会を提供し新たなクリエーション支援とその成果発表の場をつくるともに、学生の学びへの還元としてアーティストの授業への参画や、教職員との交流を行っている。最も大きな特徴は、「女性だけの美術大学」という特性をリソースとした制作、研究にフォーカスすることで、女性アーティストの国際的活躍の場を広げるプラットフォームとなることを標榜し、大学の社会貢献の活動の一環として、今後も多様な活動を展開していきたいと考えている。
[*1] 遊工房アートスペースにより提唱。マイクロAIR(小規模・グラスルーツの運営を行うAIR)とマクロな存在である美術大学が連携し、在学生や若いアーティストがAIRにアクセスしやすい環境をつくるための実践を行い、国際間の交換プログラムへの拡大や継続性ある仕組みの構築を目指すもの。◉ AIRという共同体がつくる未来
自らAIRを運営しながら国内外のAIRの動向を観察し続けている私にとって、世界中のすべてのAIR運営者は共同体、コミュニティである。今日的に表現するならば、「コレクティブ」ということができるかもしれない。再三の繰り返しになるが、AIRは、滞在アーティストが安心してその表現やリサーチを行うための環境をつくることが肝要であり、AIR運営者同士が課題や成果を含む情報を共有し、セーフティネット、キャリアパスの場としての仕組みを共同体として作り上げることが重要だと考えている。アーティストたちをAIRという共同体全体で受け止め、また次のAIRに送り出す。こうしてすでに約30年もの長い間AIRの動向を見続けてきた中で改めて強く確信するのは、繰り返しにはなるが、AIRとはその名称のとおり徹頭徹尾アーティストの居場所であることを忘れてはならないということ。そしてもう一方でAIRの運営者、担い手が用意する環境、そしてフィロソフィー、あるいはミッションがそのAIRを動かすエンジンであり、AIRの存在理由であるということだ。今も、世界中の、大自然の中で、都市の中で、あるいは理不尽な紛争の中だとしても、クリエイティブな活動は決して絶えることない。人間の想像力が、有形無形の「何か」を生み出すところ。それらを受け止めるAIRは、これからも時代を超え、国境・地域を超えた新しい価値の創造の場として、多様な発展を遂げていくのだろう。
『アーティスト・イン・レジデンス(1): 自由と安全、多様性を担保し、アーティストをインスパイアする場』『アーティスト・イン・レジデンス(2): AIR〜場との出会い、対話がもたらす唯一無二の表現。異文化への理解と敬意』
『アーティスト・イン・レジデンス(3): 文化の継承とAIR、サスティナビリティへの視点』
『アーティスト・イン・レジデンス(4): 世界を眺め漂うパイロットの目になる』
『アーティスト・イン・レジデンス(5): 震災とAIR、陸前高田AIR(1)』
『アーティスト・イン・レジデンス(6): 震災とAIR、陸前高田AIR(2)』
日沼禎子(ひぬま・ていこ)
女子美術大学教授、AIRネットワーク準備会事務局長、ときわミュージアムアートディレクター。1999年から国際芸術センター青森設立準備室、2011年まで同学芸員を務め、アーティスト・イン・レジデンスを中心としたアーティスト支援、プロジェクト、展覧会を多数企画、運営する。さいたまトリエンナーレ2016プロジェクトディレクター、陸前高田AIRプログラムディレクター他を歴任。